店には青と赤のスタンプ台がある。赤のスタンプ台は常時カウンターの上に載せてあって、その上に大きな領収印が載せてある。まぁいつでも領収印が押せるようになっている訳だ。
この領収印は、お客様がお金をお持ちになった時に書く入金票に押したり、品物をお買い求め頂いた時に売上台帳書いて、一番上の明細書と共に初回金の頂いた時に領収印を押す。その他に荷物が届いた時の受領印としても使う。
この領収印はゴム印なので、ゴム印用のスタンプ台を使わなければならないのだが、カウンターの上には大きな朱肉が置いてある。多少色が違うが似たようなもんだろうと、忙しい時はスタンプ台の代わりに朱肉で押すことがある。
領収印とスタンプ台は、カウンターの左右から取れるようにカウンターの真ん中に置いてある。忙しくなるとスタンプ台より近場に置いてある朱肉でぽんすか押してしまう。朱肉だとまずいだろうとなんとなく分かるのだがついやってしまう。
忙しいのが終わって、スタンプ台の上に領収印が戻ってくると、丸い朱肉の跡が残るので、朱肉使ったのが一発で分かる。これが後々大変なことを引き起こすのだがまだ学習してないからみんな分からない。
カウンターの下には印箱が入っている。この印箱の中には値札付けようのゴム印が入っている。値札は青色のスタンプ台を使う。最初店に入った時は値札付けをよくやらされたから今でよく覚えている。
商品が入荷すると、納品書を見ながら一定の掛け率を掛けて値札を作る。当然お客様に納品書を見られないように、こそこそする。どこの商店でもあると思うが、値札付け用のゴムのナンバーリングを使って値札を作る。
値札は大中小の3種類くらい用意してあった。多分これはボス猿が東京に出た時に合羽橋当たりで買って来たものだと思う。上州で買いたくても売っている所が分からなかった。
糸付きの値札を商品に取り付けるのがちょっと一工夫で、まず糸の結び目を商品のどこかにある輪に通し、輪から抜け出したところで値札の穴に糸の結び目を通し、そこから糸を広げて値札を一くぐりさせて一丁上がり。
この値札の付け方はどこの商店でも同じだ。なぜなら値札がそのように出来ているからだ。タマゴが先かにわとりが先かではないが、値札の場合は、値札の方が先に出来ているから、どこの商店に行っても同じやり方になる。
二階の事務所のボス猿の引き出しには、黒いスタンプ台が入っている。この黒いスタンプ台はボス猿専用で他の人は使えない。ボス猿は手形や小切手を振り出す時このスタンプ台を使う。
ぼくが店に入った時は、チェックライターはまだ無かった。手形や小切手の金額欄は手書きで書いていた。そして期日に落とした手形を銀行が返してくれていた。ぼくはそれを銀行から貰って来てボス猿に渡した。
返して貰っても燃やすしか用がないものだが、ぼくは返って来た手形の裏表を見てなるほどな、こういう風に裏書きをするのかと廻し手形の実際を勉強した。その後しばらくして、銀行から落とした手形が返ってこなくなった。
チェックライターで金額を打刻しなければならなくなったのは、いつ頃だっただろうか。昭和40年代の初め頃だったと思う。ボス猿の机の後ろに横に置いてあるベビーダンスの上に新しいチェックライターが乗っかって、月に一度机の上に持って来て、ボス猿が手形と小切手の金額をガシャガシャ打刻していた。
ぼくの引き出しの中にも青と赤のスタンプ台がある。このスタンプ台は、ぼく専用。他の人には使わせない。集金の人達もスタンプ台を持っているが、それもその人達専用。他の人が使うことはまずない。
スタンプ台は、日々の仕事の中で使う。それがないと仕事が先に進まないということになるので、各人がそれぞれ専用のスタンプ台を持って仕事をしていた。唯一その人専用で無いスタンプ台が店で使うスタンプ台だ。
店専用ではあるだが、使う人が入れ替わり立ち替わりする。朱肉でゴムの領収印をぼんすかやっていたら、その内に領収印がすり減って来た。おかしいなまだそんなにすり減る訳がないのだがな。よく見たらゴムが少しづつ溶けていた。
まずい。支配人ゴムが溶けている。領収印を朱肉で使っちゃ駄目だ。うん溶けているな。と、確認してもまだ使える内は、新しいやつ頼んでこいや。と言わない。もう駄目だとなってからやっと新しいやつを頼んでこいやと言う、まぁ大体どこでもぎりぎりにならないとそう言わないもんだ。
新しいやつをといってもゴムが全体溶けているから白い紙に押しても正確な見本にはならない。弱ったな。領収印を店の外に持ち出してはいけないのだが、暇な時間帯に急ぎハンコ屋さんに持って行き、これと同じ物を作ってくれと頼んだ。こりゃ朱肉使ったな。ゴム印に朱肉使うと溶けるから朱肉使っちゃ駄目だよ。と、ハンコ屋さんに言われた。プロは良く知っている。
ハンコ屋さんに頼んだのはいいが、当時のゴム印は手彫りだから時間がかかる。ぎりぎりまで引っ張って頼んだから出来上がってくるまでの時間が長かったこと。陰が薄くなった領収印を使いながら、ハンコ屋さんから出来たよと電話が掛かって来た時にはほっとした。
それ以来朱肉使って領収印を押すのは厳禁になった。それでもたまに赤いスタンプ台の上に朱肉の跡がある時があった。今ならシャチハタがあるからそういうことは無いと思うけど、昔は忙しいとついやっちゃったんだよね。かなかなかー。