哲学的な何か、あと心の病とか

『人生とは何か、考えるほどにわからない。というのは実は正確ではない。わからないということが、わかるのである。』池田晶子

首都直下地震について

2014年01月07日 | 哲学・心の病
中央防災会議の作業部会は2013年12月19日、発生が懸念されるM7級の首都直下地震の新たな被害想定を公表した。
死者は最悪2万3千人で、関東大震災タイプのM8級の地震については死者7万人と想定。
直下型が発生する確率は30年以内に70%と予測されているが、いづれは起こるであろう首都直下地震を、不安に思っている人もいるだろう。

しかし、そのような災難に対して、池田晶子さんは次のことを書いている。

『生のあるところに死はあるのだから、生きているということは、常に必ず危険なことのはずなのである。何が起こるかわからない、何が起きてもおかしくない。あり得ない、ということは、ないのである。
こう思って生きていると、他人の災害がとても他人事とは思えなくなる。私があの人の災害に遭わなかったのは、たまたま私があの人ではなかったからだ。あの人は私でもあり得たのだ。他人に起こり得た災難は、すべて自分にも起こり得ることだ。自分にだけはあり得ないということは、ないのだ。
私はそういう心構えで生きているから、だから逆に危機意識というものがないのである。何が起こるか、いつ死ぬか、ビクビクしながら、恐くてとても生きてゆかれないではないか。しかし、生きている者は必ず死ぬ、こうわかっているなら、何を恐れることがあるだろう。』

池田晶子さんが書いていることを読んでも、彼女と同じ心境になれない人もいるだろう。
とくに、死ぬことを自分のこととして考えたことのない若い方は。

私も少年期には、自分に死が訪れるとは思っていないときもあったし、いずれは死ぬかもしれないが、それは遥(はる)か遠くの将来だろうと思っていたときもあった。

ところが、年齢を重ねるにつれて、そして、死について考えるにつれて、死はますます身近なこととなり、彼女と同じ心境になったのである。
私も彼女と同じように死ぬことを恐いと思っていないのである。

ただし、地震が起きたときに隣人に迷惑をかけぬよう、我が家の耐震性を強度にしており、延焼しないよう隣家と離れたところに家を建てている。

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