哲学的な何か、あと心の病とか

『人生とは何か、考えるほどにわからない。というのは実は正確ではない。わからないということが、わかるのである。』池田晶子

『哲学とは』開高健

2014年01月08日 | 哲学・心の病
哲学は、理性で書かれた詩である。
あれは詩なんだ。
論理と思ってはいけない。
詩なんだよ。
もう一歩つっこんでいうと、詩の文体で書かれた心の数学である。

もちろん、その理性の詩は感性で裏付けられている。
したがって、一度その詩から君が外れてしまうと、いっさいは屁理屈のかたまりにすぎなくなる。
その哲学者の感性および理性の周波数と、君の周波数とが一致したとき、それはみごとなボキャブラリーの殿堂になり、宮殿になり、大伽藍になることもある―――というこっちゃ。

by 開高健


私は、哲学は理性と感情で書かれた論理だと思っているが、開高健氏はそうは思っていなかったらしい。
彼の小説を読めば、そのことがよくわかる。

じつは、彼の小説の所々に、彼の哲学が散りばめられていたのだ。
それも、詩のような表現で。

詩は往々にして、読み手によって解釈が異なる。
曖昧な表現だからだ。

『様々な問題について、一切の思い込みを抜きに感じたことを考えて、本当のことはわからないとわかった上で感じたことを考える。』
を私は信条にし、曖昧な表現にならないよう努めている。

しかし、開高健氏の言うような哲学も、試みてみたい気がする。
何か新たなことが、見えてくるかもしれないからだ。

最新の画像もっと見る