哲学的な何か、あと心の病とか

『人生とは何か、考えるほどにわからない。というのは実は正確ではない。わからないということが、わかるのである。』池田晶子

共依存とは?

2013年09月26日 | 哲学・心の病
共依存とは、人間関係そのものに依存するという依存症です。

共依存の人は、自分自身を大切にしたり自分自身の問題に向き合うよりも、身近な他人(配偶者、親族、恋人、友人)の問題ばかりに気を向けてその問題の後始末に夢中になります。
身近な人の取らなかった責任を一生懸命代わりにとり、結果、現在の困った状況を本人が決意して解決する必要を与えず、困った状況をそのまま続けるはめになる、ますます困った状況に陥っていく人達のことです。

アルコール依存症やギャンブル依存症、非行や暴力、買い物中毒、仕事中毒、絶えない人間関係のトラブルなどを抱えているため、共依存症の人の「共依存」という問題がクローズ・アップされることは滅多にありません。
けれども、そういった見た目に派手な依存症や問題を抱えている人達の側にかならずといっていいほどいると言われています。

共依存の人達が問題の後始末を一生懸命してくれるので、「困った人達本人」は「困った状況」が「なんだかんだ言ってもなんとかなる」と無意識で感じています。
このため問題を解決せずにほったらかしにし、悪化させます。

ここで誤解しないでいただきたいのは、身近な誰かが何かの依存症にはまっているのは、その本人に問題があるからです。
問題のない人は、依存症にはまりません。
共依存症者と他の依存症者が一緒にいると、2人とも依存症がエスカレートしやすくなりますが、共依存症者が側にいなくても、他の依存症者は依存症にハマっています。
「私が共依存症だから、相手がパチンコ依存症なんじゃないか」というのは間違いです。

共依存症者が側にいなければ、依存症者のエスカレートはゆるやかになるケースが多いと言われています。
それと同じように、依存症者が側にいなければ、共依存症者のエスカレートもゆるやかになります。

日本女性はとくに「我慢して尽くすこと」が美徳だとされているので、共依存者が多いといわれています。
ある程度までは「人間関係の潤滑油」ですが、共依存症者にとってその人生は他人の後始末、後始末、後始末で、他人の責任の代行ばかりで自分のための人生を生きることができません。
自分自身の人生もみじめですし、周囲もみじめなままになってしまいます。

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