この2週間ほど、雪が横に降る寒い日もつららの解ける小春日和の日も、校地除染が進められていました。
震災の夏に土を入れ替えたのは校庭のみで、その他の花壇や校舎のノリ面などはそのままでした。
PTA奉仕作業で、草を刈ったり枯れ草を集めたりはしましたが、土はそのまま。
それを、今回の除染で一気に、全部やりました。
大雑把に書きますと、植え込みの植栽は上の葉を少し残しただけで、枝をバチバチ切ってしまい、下の方まで手が届くようにします。
表面の土を、根っこが見えるほどとって袋の中へ。
これらの細かい作業は、主に年輩の方々がやっておられました。
校舎脇のジャリは、ジャリを掬い取って下のコンクリート構造までむき出しにし、水(?)できれいに洗浄します。
この機械、一見ポリッシャーのようで、トラックに積んである大きなタンクなどからのびる太い・細いホース2本で繋がっています。
水を高圧で噴きつけ、さらに強力バキュームで吸い取るので周囲に飛び散らないようです。
コンクリートやタイル、ブロックの場所はすべてこれできれいにしていました。
土という土をすべてえぐりとり、屋根から水が落ちるあたりは30センチくらい掘っていたようです。
そこに、新しい土をもってきて盛り、大体もとの高さに戻します。
木の周りと他の場所の土の色が違うので、違う種類の土のようです。
集めた土は、校庭の真ん中に台形の山を築いてパワーショベルで突き固めます。
風で飛ばないようにしているのだと思います。
その上に、ブルーシートをかけて土嚢でとめていました。
最後に、校庭に25mプールほどの大きな大きな長方形の穴を掘ります。
中に人間が立つと頭が穴の縁から出ませんでしたから、1.7m位はあるようです。
校庭の地層を、思わぬ形で見てしまいました。
掘った土も台形の形に突き固めます。
穴に黒いシートを敷き、集めた土を入れ、またシートで覆って、掘った土をかけてできあがり。
本当に、お疲れ様でした。
場所的に、教室の窓のすぐ外でパワーショベルがアームを動かしているので、すごい迫力!
子どもたちはかぶりつきで作業を眺めていました。
そして作業員の方々に「ありがとうございます!」「お疲れ様です!」などと手を振るのです。
線量は、以前は0.25μsv位をしめしていたメーターが、作業後は0.15位まで下がりました。
ほぼ半減したといってもいいと思います。
メーターは、脇を通るたびに見ているのですが、いつも数字が違います。
おととしは0.25以上だったのですが、昨年あたりから0.25を越えることがほとんどなくなりました。
「数値が半分になりましたね」と、
よかったですねというニュアンスで同僚に話しかけたら、
「コンマ0.2が0.1になったからといって、どれだけ違うっていうの?
たったそれだけのために費やされた、この膨大な労力とお金は、次世代の負担になるのよ。
これだけのお金があれば、他にいくらでもいいことができるでしょう。なのに。
そういう負の遺産をこの子たちに負わせていいと思うの?」
と、切り替えされてしまいました。
いつもながら、この方の見識には、はっとさせられます。
線量が下がると、それだけでほっとしたような気持ちになっていたのですが、
同時に、一度に6~70名の作業員が多数の重機とともに押し寄せた大工事にものものしさを感じていたことも確かです。
ただ、厳寒期にもかかわらず一日中野外で作業し、休憩や食事も自動車の中でとっている作業員の方々のご苦労には頭が下がる思いでした。
「除染」と一口で言える作業が、これほどまでに膨大で、気の遠くなる人々の労力の果てにあるのだということを、今回、間近で見て実感しました。
除染は学校だけでなく、地域でも進んでおり、汚染物質の管理場所も決まりつつあります。
つい先日、町内会の回覧板で埋め立て管理地が決まったという案内が回ってきました。
地図上に線引きしてあり、A地域は市役所の駐車場、B地域は近所の広い公園といった具合です。
その公園には、背が高くて素晴らしい柳並木があって、毎年夏になると緑のカーテンのようだったのですが、
先日見たら無残な姿になっていて、涙が出そうでした。
柳は枝が生え変わるのだから、そんなに根本から切らなくてもよさそうなものなのに・・・
失ったものを思うとやりきれない気もしますが
現状を少しでもよくしようと、努力することに決めた県や国の方針は、私は悪いことではないと思います。
宮澤賢治の未完の作品「学者アラムハラドの見た着物」には、学者が子どもたちに
「人が何としてもそうしないでいられないことは一体どういう事だろう」
と問う場面があります。
一人の子どもが
「人は本当のいいことが何だかを考えないでいられないと思います。」
と答えたので、学者は
「人は善を愛し道を求めないではいられない。それが人間の性質だ。」
と答えます。
(このシーンの言葉が、とても美しい・・・!)
賢治の言葉は、ほの暗い夜をとぼとぼ歩くときの目印になる、小さな灯りのようです。
震災の夏に土を入れ替えたのは校庭のみで、その他の花壇や校舎のノリ面などはそのままでした。
PTA奉仕作業で、草を刈ったり枯れ草を集めたりはしましたが、土はそのまま。
それを、今回の除染で一気に、全部やりました。
大雑把に書きますと、植え込みの植栽は上の葉を少し残しただけで、枝をバチバチ切ってしまい、下の方まで手が届くようにします。
表面の土を、根っこが見えるほどとって袋の中へ。
これらの細かい作業は、主に年輩の方々がやっておられました。
校舎脇のジャリは、ジャリを掬い取って下のコンクリート構造までむき出しにし、水(?)できれいに洗浄します。
この機械、一見ポリッシャーのようで、トラックに積んである大きなタンクなどからのびる太い・細いホース2本で繋がっています。
水を高圧で噴きつけ、さらに強力バキュームで吸い取るので周囲に飛び散らないようです。
コンクリートやタイル、ブロックの場所はすべてこれできれいにしていました。
土という土をすべてえぐりとり、屋根から水が落ちるあたりは30センチくらい掘っていたようです。
そこに、新しい土をもってきて盛り、大体もとの高さに戻します。
木の周りと他の場所の土の色が違うので、違う種類の土のようです。
集めた土は、校庭の真ん中に台形の山を築いてパワーショベルで突き固めます。
風で飛ばないようにしているのだと思います。
その上に、ブルーシートをかけて土嚢でとめていました。
最後に、校庭に25mプールほどの大きな大きな長方形の穴を掘ります。
中に人間が立つと頭が穴の縁から出ませんでしたから、1.7m位はあるようです。
校庭の地層を、思わぬ形で見てしまいました。
掘った土も台形の形に突き固めます。
穴に黒いシートを敷き、集めた土を入れ、またシートで覆って、掘った土をかけてできあがり。
本当に、お疲れ様でした。
場所的に、教室の窓のすぐ外でパワーショベルがアームを動かしているので、すごい迫力!
子どもたちはかぶりつきで作業を眺めていました。
そして作業員の方々に「ありがとうございます!」「お疲れ様です!」などと手を振るのです。
線量は、以前は0.25μsv位をしめしていたメーターが、作業後は0.15位まで下がりました。
ほぼ半減したといってもいいと思います。
メーターは、脇を通るたびに見ているのですが、いつも数字が違います。
おととしは0.25以上だったのですが、昨年あたりから0.25を越えることがほとんどなくなりました。
「数値が半分になりましたね」と、
よかったですねというニュアンスで同僚に話しかけたら、
「コンマ0.2が0.1になったからといって、どれだけ違うっていうの?
たったそれだけのために費やされた、この膨大な労力とお金は、次世代の負担になるのよ。
これだけのお金があれば、他にいくらでもいいことができるでしょう。なのに。
そういう負の遺産をこの子たちに負わせていいと思うの?」
と、切り替えされてしまいました。
いつもながら、この方の見識には、はっとさせられます。
線量が下がると、それだけでほっとしたような気持ちになっていたのですが、
同時に、一度に6~70名の作業員が多数の重機とともに押し寄せた大工事にものものしさを感じていたことも確かです。
ただ、厳寒期にもかかわらず一日中野外で作業し、休憩や食事も自動車の中でとっている作業員の方々のご苦労には頭が下がる思いでした。
「除染」と一口で言える作業が、これほどまでに膨大で、気の遠くなる人々の労力の果てにあるのだということを、今回、間近で見て実感しました。
除染は学校だけでなく、地域でも進んでおり、汚染物質の管理場所も決まりつつあります。
つい先日、町内会の回覧板で埋め立て管理地が決まったという案内が回ってきました。
地図上に線引きしてあり、A地域は市役所の駐車場、B地域は近所の広い公園といった具合です。
その公園には、背が高くて素晴らしい柳並木があって、毎年夏になると緑のカーテンのようだったのですが、
先日見たら無残な姿になっていて、涙が出そうでした。
柳は枝が生え変わるのだから、そんなに根本から切らなくてもよさそうなものなのに・・・
失ったものを思うとやりきれない気もしますが
現状を少しでもよくしようと、努力することに決めた県や国の方針は、私は悪いことではないと思います。
宮澤賢治の未完の作品「学者アラムハラドの見た着物」には、学者が子どもたちに
「人が何としてもそうしないでいられないことは一体どういう事だろう」
と問う場面があります。
一人の子どもが
「人は本当のいいことが何だかを考えないでいられないと思います。」
と答えたので、学者は
「人は善を愛し道を求めないではいられない。それが人間の性質だ。」
と答えます。
(このシーンの言葉が、とても美しい・・・!)
賢治の言葉は、ほの暗い夜をとぼとぼ歩くときの目印になる、小さな灯りのようです。