カディスの緑の風

スペイン、アンダルシアのカディス県在住です。

現在は日本の古い映画にはまっています。

木下恵介監督『カルメン純情す』(1952年)

2013-10-12 22:40:49 | 映画






この映画は前作『カルメン故郷に帰る』の続編なのではあるが、

雰囲気はまるっきり異なる。

前作の日本初のカラー映画の明るさから

一転してこちらはモノクロ作品であるし、

高峰秀子のカルメンや、相棒の朱美(小林トシ子)は

前作のあの溌剌とした天真爛漫さは影をひそめ、

全編を通して、辛辣な時代や政治を

風刺する作品となっている。


あらすじを紹介すると、浅草のストリップ劇場で、

ビゼーの『カルメン』の曲にのって踊るカルメンのもとに、

男をつくって東京を去って行ったマヤ朱美が

捨てられて、赤ん坊を背負って戻ってくる。


カルメンは朱美を説得して、邪魔な赤ん坊を

裕福そうな家の前に捨ててしまう。

その家には須藤という芸術家とその両親と家政婦が住んでいた。

しかしやはり良心の呵責から二人は

須藤宅へ赤ん坊を取り戻しに行くのだが、

須藤の絵や彫刻をみたカルメンは、

これぞまさしく芸術だ、と感動し、

須藤はカルメンのオツムが軽そうなので、タダ働きさせようと、

モデルになってくれ、と依頼し、

カルメンは気安く引き受ける。


須藤は派手な女性関係のあげく、

自分の子供を産んだ愛人から

慰謝料をせびられている。

須藤には別の婚約者、千鳥がいて

千鳥の母親の熊子夫人は日本精神党という、

日本の再軍備を提唱する政党から選挙に立候補している。



しかし須藤に恋してしまったカルメンは、

須藤と友人の画家たちの前で

ヌードになることができなくなってしまう。


さて、わたしはおなごの味方です、と豪語する熊子夫人は、

ストリップも社会勉強だ、と娘の千景と須藤とともに

カルメンのストリップを見に行くのだが、

客席に須藤の姿を見つけたカルメンは、

恥ずかしくなって服を脱ぐことができない。



怒り狂った興行主に殴られるカルメンを助けるため、

熊子夫人がステージにかけあがって、舞台は大騒ぎとなる。


ストリップ劇場を首になったカルメンは、朱美とともに

アパートの持ち主の従弟の経営する

ラッキー食堂で働くことになったが、

その従弟がカルメンにお熱になってしまい、

派手な夫婦喧嘩となり、

カルメンも朱美もあえなく首になってしまう。


カルメンはねずみの衣装などをつけて宣伝する仕事をみつけ、

なんとか日銭を稼ぐのだが、ある日新橋駅前で

熊子夫人の街頭演説に出くわす。

応援演説をする須藤に

はげしく野次をとばしている男がいるが、

そいつは朱美の元カレだった。

カルメンは、女と子供を捨てたのはお前だ、

と大声で男をなじる。


熊子夫人はこれぞグッドタイミング、と

カルメンを壇上に呼んで、

自分の応援演説をさせるのだが、

日本再軍備を訴える熊子夫人の思惑に反して、

「戦争反対!」と大声で叫んでしまうカルメンなのであった。




というわけで、かなりドタバタ風刺喜劇であるが、

純真な心をもったカルメンと朱美を翻弄するように

須藤(若原雅夫)と婚約者千鳥(淡島千景)の冷めた関係や、

カルメンが須藤の愛人だと勘違いした

熊子夫人(三好栄子)が奔走する場面、

須藤家の一風風変わりな家政婦、

別名「原爆ばあさん」(東山千栄子)や、

カルメンの住む安アパートの持ち主(日守新一)や

その従弟でラッキー食堂の親爺(坂本武)など、

登場人物がすべて荒唐無稽で、

103分という比較的長い映画であるが

次から次へとめくるめくように場面が展開し、あきさせない。



この映画の主役はカルメン役の高峰秀子であるが、

それを上回る迫力の演技を見せるのは、

熊子夫人を演じる三好栄子、という女優さんである。


この人の風貌と話し方は一度みたら忘れられない。

小津安二郎監督の映画、『おはよう』では、

押し売りを退散させてしまう凄みのある

産婆の婆さん役をしていたし、『東京暮色』では

堕胎をする産婦人科医に扮している。


この人のような俳優さんは、今の時代、なかなかいないだろう。

樹木希林でさえ、三好栄子に比べたら、

毒気のない娘のようにしかみえない。


「日本精神党」などというあやしい政党員であり、

娘の結婚は須藤家の名声を借りて

選挙当選しよう、という魂胆で、

そのためにたんまり持参金をもたせてやる

約束をし、金の力を見せびらかす。


おなごの味方だ、といって、

ストリップ劇場の興行主をやっつけるところは

痛快だし、須藤の愛人だと勘違いしてカルメンに

別れるよう説得する場面では

須藤が自分を愛している、とこれまた勘違いしたカルメンが、

手切れ金などいりません、と泣きながらきっぱり言うのに感動して

小遣い銭をやってしまう、など、情が深いところも見せる。


髪型からして、ジブリ映画の『千と千尋の神隠し』

にでてくる「銭ばあ」を思い出してしまった。




さて、この映画を理解するには1952年当時の日本の状況を

知っておく必要があろう。

まず、戦後、日本は連合軍に占領され統治されていた。

その間、映画には厳しい検閲がしかれ、

前作の『カルメン故郷に帰る』も

検閲をパスしての制作であった。

しかし日本が独立し、検閲からも解放されたから、

木下監督は思いっきり風刺を入れることができたのである。



また1952年(昭和27年)は戦後日本が独立して

初めての選挙の年であった。

それで日本精神党の熊子夫人は、国会議員をめざして

頑張っていた、という設定である。

当時の社会風潮として、戦前回帰の機運があった、という。

再軍備推進派と、戦争はもうこりごり、という

庶民のせめぎあいが

みられたわけである。


そんな社会を徹底的に笑い飛ばすべく、

辛口のブラックコメディーに仕立て上げた

木下監督の知性には感服する。


しかしカメラを傾けて撮影、という技法をとっているため、

画面が傾いており、最初は見づらく感じたが、じきに慣れて、

あまり気にならなかったが、そこまでして、

社会を斜めにみてますよ、と強調する必要があったのか。



映画を観終わって、ほのかにヨーロッパ、それもフランス的な

感性を感じた。風刺やドタバタにしても、アメリカ映画の

それとは違う、どこか洗練されているな、と思ったら、

この映画を制作する前に、木下恵介は9か月に渡って

フランスを中心に欧州滞在した、という。

帰国後の第一作目だったから、フランスなどで身に着けた

感覚が作品ににじみ出たのだろうか。


それにしても、右翼的な政党批判のみならず、

戦争反対を叫ぶ男が人間的には冷たい性格であった、

など、木下監督の目はきわめて鋭く醒めて

偽善を揶揄している。


映画の最後は画面に

「カルメン、頑張れ、

カルメン、どこへ行く」との文章に続いて、

「第二部終了」

と出て、映画は終わる。


第三部も作られたのか!と

調べて見たが、このあと

カルメン・シリーズは残念ながら、

制作されなかったようだ。


この『カルメン純情す』、わたしは

傑作だと思うが、好き嫌いが分かれる映画であろう。


高峰秀子はビゼーの「カルメン」をスペイン風の衣装と

化粧で踊ったり、

「一寸の虫にも五分の魂、っていうじゃあないか」などと

いうせりふを言ってしまうのだが、

そんなカルメンが実に滑稽に見えるのは、

本人が深刻で、大真面目だからである。

風刺喜劇の真骨頂は、

やっている本人が、自分の滑稽さに気が付かないところにある。

可笑しなことを、笑いながらやっては滑稽にはならない。

喜劇は悲劇の裏返し、そういう木下監督の

風刺精神、それがやはりヨーロッパ的なのかもしれない。



この映画もYouTubeで見られます。

http://www.youtube.com/watch?v=_qScOvwyMfA




この記事はわたしの別のブログの記事をコピペしたものです。


http://blogs.yahoo.co.jp/maximthecat/33177849.html






















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