仏典、聖書、ジョージ・アダムスキー氏により伝えられた宇宙精神文明(空=言葉=天の父=宇宙の英知=真如=法・ダルマ=灯明)

ワクチン薬害、祈りの科学的研究、人体構成分子によるオーソモレキュラー医学、医学の大罪、太陽系惑星文明の科学的証拠

万物と空の二重性duality

2016年05月08日 22時09分26秒 | 空=言葉=宇宙の英知=大明呪 般若心経
万物と空の二重性duality

1.万物と空の二重性duality

(1) 現代物理学の「粒子と波動の二重性」
現代物理学では、全ての物質やエネルギーは「粒子と波動の二重性」を持つことが知られており、Wikipediaには次のように書かれています。

粒子と波動の二重性
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B2%92%E5%AD%90%E3%81%A8%E6%B3%A2%E5%8B%95%E3%81%AE%E4%BA%8C%E9%87%8D%E6%80%A7

粒子と波動の二重性(りゅうしとはどうのにじゅうせい、Wave–particle duality)とは、物理学及び物理化学において、全ての物質やエネルギーは粒子的な性質と波動的な性質の両方を持つという考え方である。
この二重性は古典的な粒子説、波動説の欠点を補い、微小系の振る舞いを完全に記述できる。この表面上のパラドックスを説明するために、量子力学の様々な解釈が試みられている。
二重性の考え方は、クリスティアーン・ホイヘンスとアイザック・ニュートンにより光の本性についての対立した理論が提出された1600年代に遡る。アルベルト・アインシュタインやルイ・ド・ブロイらの研究によって、全ての粒子は波動の性質を持つという現代の理論が出来上がった[1]。この現象は、素粒子だけではなく、原子や分子といった複合粒子でも見られる。実際にはマクロサイズの粒子も波動性を持つが、波長が短すぎるため、通常は波動性は観測されない[2]。
(Wikipediaの引用終わり)

粒子と波動は、全く異なるものというイメージを持っている人が多いようですが、現実には現代物理学は、全ての物質やエネルギーは、粒子と波動の二重性を持っており、粒子は波動であり、波動は粒子であることを教えています。
このように、大学レベルの物理学を学ばれた方ならば、一つのものが二重性を持つという概念は容易に理解できると思われます。

(2) 万物と空の二重性duality

大般若経や般若心経に説かれている有名な教説
五蘊皆空
色不異空、空不異色
色即是空、空即是色
も、物理学の粒子と波動の二重性に似た内容であると考えられます。


五蘊皆空
五蘊、即ち色受想行識、森羅万象・万物は、物質的・物理的現象であると同時に空である。

色不異空、空不異色
色(物質)は、空と異なるものではない。空は、色(物質)と異なるものではない。

色即是空、空即是色
色(物質)は空である。空は色(物質)である。

色(物質)として考えるのが簡単ですから、これを中心に見ていくと、
『物質というのは、形や色(いろ)や質量を持つ物質であると同時に、無次元・無時間・諸法無我の形や色(いろ)や質量のない空であるという二重性を持っている』
と言うことができます。

これは五蘊(万物, 森羅万象)の他の要因である「受想行識」についても同じです。

お釈迦様の説かれた「空の理法」というのは、単なる観念的な宗教ではなく、地球ではまだ知られていない「万物と空の二重性」という浄土(進歩した他の惑星)の非常に高度な「空の物理学」「空の科学」であり、地球の物理学をはるかに凌駕していると考えておくべきだと思います。


備考:
(1)仏教では「五蘊皆空」と説いているように、五蘊、即ち万物の本質は空であると説いており、万物が存在し我々が生きている縁起・現象相は、縁起・現象相それ自体が本質相では空であると説いています。
これは縁起・現象相と空の2つのものが別々にあるのではなく、信じられないかもしれないが、そうとは思えないかもしれないが、実は縁起・現象相は同時に空であると説いているのです。
仏教は、霊界や異次元世界や平行世界(パラレル・ワールド)の存在を説いてはいないのです。
縁起・現象相という1つの世界があり、それは同時に「空」であると説いているのです。
これは、地球だけではなく、全宇宙の全てで同じであり、全宇宙の全てのものが、1つの空であると釈尊は説かれているのです。


2.みかんの観察、空と日常生活

この記事は、スーパーの店頭に「みかん」が並んでいたので、買って来て手元において書いています。
自分の目の前に「みかん」など、自分の好きな物を置いて観察して手に持ってみて下さい。

現代物理学では、「みかん」は粒子であると同時に波動であると教えていますが、「みかん」はどう見ても固体の物体であり、波動には見えません。
しかし、「みかん」は、粒子(物体)であると同時に波動であることが、現代物理学により明らかにされているのです。
これは、「粒子と波動の二重性」と呼ばれる縁起・現象相の科学的真実です。

「みかん」のような物体には、形、色、大きさ、重さ、臭い、味などがあり、例えば「みかん」を口に入れれば、甘い、酸っぱいなどの味覚を感じます。
これが縁起・現象相の「みかん」の性質であり、我々のような感覚器官から入手する情報(視覚、聴覚、味覚、嗅覚、身体感覚)に依存して縁起・現象相で生きている人間には、このように感じ取られているのです。
そして、これらの感覚器官が神経を介して脳に伝える電気信号に基づく情報が全てであると思いながら日常生活をしています。

しかし、釈尊の説かれた真理によれば、「みかん」には、実は「みかん」を存在させている本質相があり、それは「空」であると説かれています。
釈尊の教えによれば、本質相の「空」では、形、色、大きさ、重さ、臭い、甘い、酸っぱいなどの味覚は存在しません。
全宇宙の存在物が1つの「空」であり、「みかん」という個別のものや、それが持つ縁起・現象相の「みかん」の性質は、「空」では存在しないのです。

縁起・現象相で生きている我々が「みかん」を眼で見て手に取って触ってみれば、とてもではないが「空」であるとは思えません。
そんな馬鹿な、嘘だろう、信じられない、と思ってしまうのが当たり前だと思います。
縁起・現象相では、形、色、大きさ、重さ、臭い、甘い、酸っぱいなどの味覚があるのが当たり前なのです。
人間の肉体に備わっている感覚器官では、本質相の「空」を感知することはできないのです。
だから肉体の感覚器官の情報にだけ頼っている人間には、「空」が非常に分かりにくいのです。
ほとんどの人は、「空」の存在すら知りません。

そして、八宗の祖と言われている僧侶のナーガル・ジュナ(龍樹)でさえも間違ってしまったのです。
龍樹は、如来ではなく凡夫の僧侶ですから、肉体の感覚器官の情報にだけ頼っていたため、空、即ち真如を体験していませんから間違ってしまったのだと思います。
この僧侶が間違ったために全ての仏教の宗派が間違ってしまい、インドから中国、そして日本へとその誤りが伝えられてしまったのです。
何とも恐ろしいことです。全ての仏教の宗派が間違ってしまったのです。
「親亀こけたら 皆こけた」のように、「龍樹こけたら、仏教皆こけた」になってしまっているのです。
ですから、私は龍樹以降のインド、中国、日本の僧侶の「空」に関連する説を信じていません。
それらは、「空」の解釈を根本的に間違っているので、信じる価値はないと思います。


仏教学者や僧侶は認めていませんが、釈尊の説かれた真理によれば、「みかん」は、「みかん」という物体であると同時に「空」なのです。
この真理は、私たちの住んでいる世界、全宇宙の全てのものに当てはまると釈尊は説かれているのです。
「万物と空の二重性」は、お釈迦様の説かれた永遠普遍の真理ですから、我々にできることは、まずこの真理を覚えるということだと思います。

これは、学校でものごとを習うのと同じことです。
五蘊の中の「色」が最も分かりやすいので、有名なフレーズの「色即是空、空即是色」を覚え、それから五蘊皆空を変形して、空即是五蘊とし、空が万物として現れているんだと思いながら、日常生活で眼にするものを見ていくようにするということでしょう。
そして、空=言葉ですから、空の言葉が縁起現象相の全てのものを生み出し、人間の言葉も縁起現象相の全てのものに影響する力を持つという真実を覚えるしかないと思います。
ここまでは、経典という紙の上の文字に書かれている真理を記憶する座学です。

その次のステップは、座学の日常生活への応用です。

人間は、簡単に言えば、肉体と心から構成されています。
肉体は、各種の臓器、細胞、分子、原子、原子核と電子、陽子、中性子、素粒子から構成されており、これらは全て本質相では空であり、宇宙の英知、万物の創造主そのものです。
同時に、人間の心、これは表面に出ている顕在意識と深層の潜在意識がありますが、自分の心も本質相では空であり、宇宙の英知、万物の創造主そのものと直結しています。
空=真如=宇宙の英知=万物の創造主であり、肉体も心も、空=真如=宇宙の英知=万物の創造主に直結しているのです。
まず、自分という存在に関して、このような認識と理解を明確に持っておく必要があります。
自分に関して、このような認識を持ったならば、自分の外界にあるもの全て、他人、自然、人工物の全てが空=真如=宇宙の英知=万物の創造主に直結しているということも覚えておく必要があります。

そして、般若心経に
「観自在菩薩、深般若波羅蜜多を行じし時、五蘊は皆な空なりと照見して、一切の苦厄を度したまえり。」
と説かれているように、般若波羅蜜多=大明呪=言葉=空を唱え続けて、自分の生活の中の願いをかなえ、苦しみを解消して、人の言葉=空が本当に縁起現象相のものごと(自分の人生)に影響する真実を体験するしかないと思います。

それには、
①毎日、根気良く、様々なことに大明呪を使い唱える、
②大明呪を唱える習慣を持つ、
③一生涯に渡り大明呪を唱える、
ことが必要だと思います。

これは、諸行無常と言われるように、変化が非常に大きい縁起現象相での日常生活における一生涯に渡る仏教の修行になると思いますから、
① 大明呪(空の理法)に対する不信感(本当なのかという思い)を抱きながら実行する、
②紆余曲折、
③山あり谷あり、
という状態になることは避けられないと思われます。
大明呪の真価が分かるには、かなりの年月が必要だと思います。私はまだその真価を体験していないと思っています。

可能な人は、想念(言葉)で写真フィルムを感光させる念写、想念(言葉)でトマトやミカンを腐らせたり長持ちさせる実験をやってみるのもよいと思います。

また人間の自力は力が弱いので、南無観世音菩薩と唱えて空(宇宙の英知、万物の創造主)と同化されている如来であられる観世音菩薩様の導きを祈り、観音経に説かれているように観音力による如来の加持を祈ることも必要だと思います。
十二因縁で説かれているように、我々のような凡夫は無明であり、如来が持たれるような智慧がありませんから、自力では良い実を結ばせることは難しいと思われます。
如来は、空と同化し現在・過去・未来の全てを理解し、課題・問題を解決する智慧を持たれる偉大な存在ですから、その導きは良い実を結ぶと私は思っています。
般若心経の説く「大明呪」は、十二因縁の「無明」の反対の意味を持っており、「偉大な明の呪文」、つまり「偉大な如来の智慧の呪文」ですから、我々凡夫が実行する価値が非常に高いと思われます。


*補足
現在の地球の科学技術力では、「空」を直接計測することはできませんので、科学では「空」を扱うことはできていません。宗教の世界、つまり信じるという分野で扱うことができるだけです。
信じるということは怖いことで、嘘を信じてしまえば、とんでもないことになるので、信じる前にその信頼性の確認が必要なのは言うまでもありません。
「龍樹こけたら、仏教皆こけた」になってしまったのでは、どうしようもないのです。


補足1: 空の性質のまとめ

私が、大品系般若である『二万五千頌般若』で説かれている「十八空」を解釈して要約すると、次のようになりました:

『縁起・現象相の本質相は空であり、空は物理的に実在し、空は単なる観念や哲理ではなく物理的実在である。
縁起・現象相と本質相の空は別々の2つものがあるのではなく、1つのものを2つの面から見ているだけであり、縁起・現象相と空は一体である。
空には、時間・空間が存在せず無次元・無時間であり、空は時間・空間を超越している物理的存在である。
空の中には縁起・現象相の個別の存在物及び性質は一切存在しない。
縁起・現象相の全ての存在物・性質は、空では「空という1つの統一体」として1つに統一されたものとして存在し、空は縁起・現象相のいかなる性質にも染まっていない(諸法無我、個別性はない)。
空の中には空間がないため、空には質量もなく、空の中には現象相の性質もないため、陰または陽の電荷もない物理的な存在と考えられる。
空は、現象相で知られているようなエネルギーや波動という性質も持っていない。
空は、初めもなき、終わりもなき、永遠の、無限の力、全知全能の完全無欠な「空という1つの統一体」であり、空は現象界の全てを生み出す智慧と力を持つ。空は、「万物の創造主」「宇宙の英知」と呼ぶことが可能である。』(空は、大我ではなく、無我であると思われる)

空に関するこの概念は、キリスト教の「父なる神」「神の国」、インドの宗教ヴェーダの「ブラフマン梵天」、ヨガの「宇宙意識」、真言密教の「大日如来」に類似すると考えられる。(各宗教・宗派により定義の内容が異なり誤りも含むだろうが、基本的な部分は類似していると考えられる)

悟りを開かれた釈尊は、「空という1つの統一体」の物理的実在と機能を説くことにより、宇宙の創造と展開の原理を説かれていたと考えられる。
ただし、釈尊の説かれている「空」は、大我ではなく、無我であると思われる。

(私は如来ではなく凡夫ですから、空を実際に体験していませんので、完全に正しい解釈をする自信はありません。ただし、100点満点のテストとすれば、合格点の60点はクリヤーしていると思っています。)



補足2: 大明呪の作動原理: 人の想念は空であり、時間・空間を超越し強力な創造・展開力を持つ

(1)大般若経の
・摩訶般若波羅蜜經 習應品第三丹本名爲習相應品
・大般若波羅蜜多經 卷第四初分學觀品第二之二
に基づく、般若波羅蜜多、言葉、想念、空に関する調査と考察です。

(2)釈尊は、般若波羅蜜多(大明呪(真言))を修行するとき
菩薩=仏=般若波羅蜜多=五蘊(色受想行識)=言葉=大明呪(真言)=想念=空
であると考えるように説かれています。
この教説は、五蘊、即ち人、自然界、人工物を含む森羅万象に同じように当てはまります。

ここで述べられている「言葉」とは、特別なものではなく、我々が普通に日常生活で話したり書いたり思ったりしている言葉と同じものです。例えば、日本人ならば日本語、アメリカ人ならば英語の日常用語です。

(3)空は、空それ自体が言葉=想念であり、五蘊(色受想行識)、即ち人、自然界、人工物を含む森羅万象は、空の言葉・想念により創造・展開されています。
空は万物の創造主、宇宙の英知と呼ぶことが可能です。

(4)「空=言葉=想念」は時間・空間を超越し、思うと同時にその思いが全宇宙・全時間に同時に発生し、距離は全く関係なしに全宇宙に届き、縁起・現象相の一切の五蘊(色受想行識)、人、自然界、人工物、森羅万象、宇宙の万物となって現われ展開していき、『万物は空=言葉=想念の現われです』。

(5)釈尊は、人の言葉=想念も空であると説かれています。
このことは、人の想念は時間・空間を超越し、思うと同時にその思いが全宇宙・全時間に同時に発生し、距離は全く関係なしに全宇宙に届き、縁起・現象相の存在物や事象を創造・展開する力を持ち、様々な現象を起こして苦楽を生み出すことを意味しています。
この点において、人は創造主に似せて作られた「小さな創造主」と呼ぶことが可能です。

般若心経では、「罣礙、恐怖、顛倒夢想」と呼ばれる人の心の思い「怒り・憎しみ・不安などのマイナスの思い、恐怖心、間違った思い」(言葉=想念=空)が、苦の原因であることを説いています。
それと同時に、般若心経で「能除一切苦」と説かれているように、言葉=想念=空である大明呪(真言、想念)が、一切の苦しみや災いを解消すると説いています。

般若波羅蜜多である大明呪「掲諦 掲諦 波羅掲諦 波羅僧掲諦」が「一般形(一般式)」で書かれており、具体的な個々の目的に合わせて自由に変形させて使うという、この呪文の具体的な使い方に気づき、実行され、多くの人の命や人生を救われたのは巽直道先生でした。

一般式とは、例えば数学の1次関数を一般式で y = ax + bと書き、aとbを変化させることにより、無数の1次関数を作ることができます。
これと同様な書き方が大明呪「掲諦 掲諦 波羅掲諦 波羅僧掲諦」でも行われており、これは一般式です。
大明呪を一般式の元の形(原形) 「掲諦 掲諦 波羅掲諦 波羅僧掲諦」で唱えても効果はありません。
具体的な個々の目的に合わせて変形させて使う必要があります。
例えば、
病気の場合には、「治る、治る、きっと治る」
何かをやりたい場合には、「できる、できる、きっとできる」
と、声に出して、あるいは心の中で、何千回、何万回、何十万回も唱え続けると、願いがかない、苦しみから解放されます。
この点に関しては、詳しくは、巽直道先生の著書とサイトをご覧ください。
60年余りに渡る膨大な種類の症例の実績があります。
http://www.maroon.dti.ne.jp/jikidoukai/newpage3.html



補足3: 想念の力: 一切の苦しみを除く般若波羅蜜多「大明呪」の調査

(A)大般若経は、般若波羅蜜多(彼岸に渡る、つまり願いをかなえ苦しみを解消し涅槃するための如来の智慧)を次のように述べている:
(1)大神呪: 偉大な神というべき呪文
(2)大明呪: この世を生きていくための偉大な本格的な智慧の呪文
(3)無上呪: これより上のものはない呪文
(4)無等等呪: これに比べられるものはないほど優れた呪文
(5)一切呪王: 一切の呪文の王様
(6)呪王: 呪文の王様
(7)大呪王: 偉大な呪文の王様
(8)大神呪王: 偉大な神というべき呪文の王様
この内、(1)~(4)は般若心経にも書かれているが、(5)~(8)は大般若経のみに書かれている。

(B)大般若経は、この大明呪を次のように絶賛している:
(1)最尊最勝: 最も尊く、最も勝れる
(2)最上最妙: 最上で、最も不思議なまでにすぐれている
(3)無能及者: その能力は及ぶものは無い
(4)具大威力 能伏一切: 大威力を具え、仏法の力で一切を服従させる力がある
(5)不爲一切之所降伏: これを防ぎ抑えることは一切できない
(6)威神力: 諸仏が目に見えない形で私たちの仏道の歩みを手助けする力、覚りを実現(経験)させるために働きかけてくる力

(C)大明呪の安全性に関しては次のように大般若経は書いている:
(1)不爲自害、不爲他害、不爲倶害
自らに害をなさず、他に害をなさず、ともに害をなさず
(2)能除一切惡不善法、能攝生長諸善法
全ての悪と縁起の世界の良くない存在物を除く。全ての縁起の世界の良い存在物を取り込み生長させる。

補足:般若心経によれば、この呪の実行により、一切の苦が解消し、菩薩が涅槃され、仏陀が無上正等正覚を達成される。

(D)大般若経には大明呪の実行方法「掲諦 掲諦 波羅掲諦 波羅僧掲諦」は書かれておらず、般若心経にのみ書かれている。

(E)般若心経は、般若波羅蜜多である大明呪の実行方法を教えるという特別な位置づけをされており、仏教の核心中の核心である。
補足: 大明呪は、般若心経では一般形「掲諦 掲諦 波羅掲諦 波羅僧掲諦」で書かれており、個々の事例にあわせて変形して使用する。例えば病気を治す場合には「治る、治る、きっと治る」、何かをやりたい場合には「できる、できる、きっとできる」。この真実は、巽直道先生により発見され、60年余りに渡る膨大な事例の実績がある。

以上

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