仏典、聖書、ジョージ・アダムスキー氏により伝えられた宇宙精神文明(空=言葉=天の父=宇宙の英知=真如=法・ダルマ=灯明)

ワクチン薬害、祈りの科学的研究、人体構成分子によるオーソモレキュラー医学、医学の大罪、太陽系惑星文明の科学的証拠

空に関する調査と考察(2015年3月29日改訂)第1部

2015年03月29日 10時52分23秒 | 空=言葉=宇宙の英知=大明呪 般若心経
空に関する調査と考察(2015年3月29日改訂)第1部

2015年3月29日改訂:空に関する要約を再考察しました(赤字部分)

調査要約

早稲田大学名誉教授 長谷川洋三先生は、「空」を
宇宙の法則的表現:「根源の大生命」
仏教的表現: 「み仏の御命」
キリスト教的表現:「神の目に見えない本性」
であると述べておられます。

私が、大品系般若である『二万五千頌般若』で説かれている「十八空」を解釈して要約すると、次のようになりました:

『縁起・現象相の本質相は空であり、空は物理的に実在し、空は単なる観念や哲理ではなく物理的実在である。
縁起・現象相と本質相の空は別々の2つものがあるのではなく、1つのものを2つの面から見ているだけであり、縁起・現象相と空は一体である。
空には、時間・空間が存在せず無次元・無時間であり、空は時間・空間を超越している物理的存在である。
空の中には縁起・現象相の個別の存在物及び性質は一切存在しない。
縁起・現象相の全ての存在物・性質は、空では「空という1つの統一体」として1つに統一されたものとして存在し、空は縁起・現象相のいかなる性質にも染まっていない(諸法無我、個別性はない)。
空の中には空間がないため、空には質量もなく、空の中には現象相の性質もないため、陰または陽の電荷もない物理的な存在と考えられる。
空は、現象相で知られているようなエネルギーや波動という性質も持っていない。
空は、初めもなき、終わりもなき、永遠の、無限の力、全知全能の完全無欠な「空という1つの統一体」であり、空は現象界の全てを生み出す智慧と力を持つ。空は、「万物の創造主」「宇宙の英知」と呼ぶことが可能である。』(空は、大我ではなく、無我であると思われる)


キリスト教やヨガの記述によれば、天の父、宇宙意識が全てのものを創造し動かしていると書かれています。
このため、「空」「根源の大生命」「神の目に見えない本性」のような存在が、全てのものを創造し動かしていると解釈することは、キリスト教やヨガと類似した解釈です。

このように、仏教で説かれている「空」は、「根源の大生命」「神の目に見えない本性」と呼ぶことは可能であり、それらはキリスト教やヨガの説く天の父、宇宙意識と類似しているように私には思われます。
ここに、仏教、キリスト教、ヨガの本質的な類似性が見られるように思われます。




大般若経や般若心経に頻繁に登場する「空」に関して調査し、資料をまとめてみました。


1.空の誤解の歴史

538年の日本への仏教伝来よりも約300年前の、今から約1800年前のインドのナーガルジュナ(龍樹)という仏教の僧侶は、八宗(天台宗・真言宗・浄土宗・浄土真宗本願寺派・真宗大谷派・臨済宗・曹洞宗・日蓮宗)の祖と言われています。
この僧侶は、「空(くう)」は、現象界の事象の一時的な相互依存関係であり、それは空(むな)しいものにすぎないから、それに執着しないように(とらわれないように)説いており、その見解がほとんど全ての仏教の宗派で使用されています。

例えば、大谷大学の一郷正道教授(仏教学)は、「空」の解説で次のように述べておられます:
http://www.otani.ac.jp/yomu_page/b_yougo/nab3mq0000000qvz.html
インドに二~三世紀頃在世し、『般若経』を中心に空の哲学を大成したナーガールジュナ(龍樹)は、縁起思想にもとづいて「空」を理解した。「此れあれば彼あり、此れ生ずれば彼生ず・・・・・・」という成句に示される縁起の意味は、ものはすべて、なんらかの他に依存して存在する相対的なものでしかないこと、絶対的存在は決してありえないことを教える。この絶対的、実体的存在(自性(じしょう))が無いことを「空」という。すべては空であって、夢・幻の如きものである。
(引用終わり)


例えば、A子さんとB君が恋愛に陥ったが、ささいなことで喧嘩別れをしてしまった、空とはこのような一時的な恋愛感情や喧嘩のような相互関係・相互依存性で空(むな)しいものだから、それにこだわるな、という説明です。
日本に仏教が伝来した時には、空については、既にこのような解釈になっていたと考えられます。

この見解は、空を物質界の事象の相互間の一時的な相互依存関係とみなし、空の恒久的な実在や宇宙の森羅万象を創造・展開する作用を否定するものです。

例えば、最も単純な元素である水素の原子核のプロトン(陽子)を例にとると、これは物質であり、仏教で「色」と呼ばれるものに相当します
「色即是空、空即是色」は、仏教では般若心経や大般若経の有名なフレーズですが、これをプロトンを例にして書いてみると「プロトンは空しいものである」「空しさがプロトンである」となります。
また、空の解釈として「とらわれるな」を意味しているとも言われています。
これを当てはめれば「プロトンはとらわれるなである」「とらわれるながプロトンである」となります。

化学・物理学を中心とした現代自然科学を学び、力学、電磁気学、熱力学、アインシュタインの特殊相対性理論、量子力学、量子化学、電子スピン、核スピンのような物質界の現象を動かす力や法則を学び、実際に水素のプロトンなどの核スピンを実験研究した者としては、「プロトンは空しい」「空しさがプロトンである」と言われても、自然科学の立場から見れば、全く理解不能な馬鹿げたものにしか聞こえません。
これではプロトンの本性や、プロトンの創造を何一つ説明していません。

森羅万象と宇宙という観点にまで拡大すると、仏教は森羅万象や宇宙の創造と展開を説明していないのです。
このような空の解釈は、何か根本的な狂いが生じているようにしか思えません。

覚者(真理を体得した人)と呼ばれる釈尊は、森羅万象、全宇宙を創造し動かす真理を悟られた偉大な存在であり、このような馬鹿げたことを教えられるはずがありません。
このような馬鹿げた教説がまかり通っているのは、何かが狂っていると長年思っていましたが、はっきりしないので困っていました。

キリスト教、インドのヴェーダ、ヨガを比較研究した者から見れば、プロトンなどの物質や自然現象を生み出す宇宙の根源的実体というものがあるはずです。
イエス・キリストは、宇宙を創造し動かす存在を「天の父」と呼ばれました。
インド古来の宗教ヴェーダは「ブラフマン梵天」と呼び、ヨガでは「宇宙意識」と呼ばれています。

古来から各種の宗教で説かれてきた宇宙を創造し動かす存在が実在するはずであり、覚者であられる釈尊が、宇宙を創造し動かす存在をご存知ないはずはなく、般若心経や大般若経の「色即是空、空即是色」の「空」は、物質である色と空との関係の書き方を見ると、宇宙を創造し動かす存在を意味しているとしか解釈のしようがないと私は長い間思っていました。

しかし、仏教界の著名な僧侶や学者の著書を読んでも、このように解釈している仏教学者が全くいないので、長い間不可解に思っていました。
このため、仏教そのものが単なる「空しさ」を説く宗教であると説かれていたため関心が薄く、般若心経に関しては、巽先生が実証されたように大明呪が有効であることは真実だが、空に関する部分を理解できないという状態でした。

般若心経に説かれている「能除一切苦、真実不嘘」と言われる大明呪は、人の潜在意識と全宇宙の根底にあり宇宙を創造・展開していると言われている宇宙意識に作用して効果を発揮するのだろうと推定するしかない状態でした。
そして、大明呪を説いている般若心経の40%余りを占めて書かれている「空」との関係がはっきりしない状態で、不可解な思いが続いていました。

そのような状態の時に、2.で示す重松昭春氏の解説に巡り合い、さらに5.で示す早稲田大学名誉教授 長谷川先生の解説に出会いました。


2. 縁起と空に関する重松昭春氏の解説

般若心経には、大明呪だけではなく、「色即是空」という言葉にも見られるように、「空」に関しても述べられています。
この点に関しては、巽先生の般若心経の講和を聞かれて研究されていた重松昭春氏(神戸大学経済学部卒)が長年の研究成果をまとめられ、次の本を書かれています。
「無明の闇を照らす般若心経―叡智に学ぶ」、出版社:朱鷺書房(2005/11)

重松先生のこの解説を読んで、従来から疑問に思っていた「色即是空、空即是色」という有名な言葉の空の謎が解け始めたように思われましたので、まず最初にご紹介します。

空に関するこの解釈は、538年の日本への仏教伝来や、さらにその前の今から約1800年前のナーガルジュナ(龍樹)という仏教の名僧より古い初期仏教にまで遡る調査が必要なものです。
約1800年以上にも渡る仏教の権威者の定説とその誤りを覆すのは、事実上不可能です。
仏教界が空の解釈を変更することは絶望的です。
仏教は釈尊の本当の教えを理解することはないでしょう。


p.20 この世の根本理法 --縁起と空--
「縁起」の世界と「空」の世界

仏陀は、この世の真実を、二つの面から明らかにされました。
一つは、有為(梵語でサンスクリタ)といわれる現象界です。
もう一つは、無為(梵語でアサンスクリタ)といわれる本質世界です。

前者、有為の世界は、全ての現象(=諸行)は、縁と縁の和合によって生まれたり消滅したりする世界です。
縁の和合によって現象が生まれたり、消滅することを、「縁起」といいます。これを有作ともいいます。
縁とは、現象の構成要素のことで、大別して、行・識・色・受・想の5つにまとめられます。
これを五蘊といいます。
この有為-「縁起」の世界の存在は多様であり、変化に富んでいて、これを「諸行無常」といいます。

これに対して、後者、無為の世界は、有為-「縁起」の世界を超えた世界で、「空」といいます。
「空」においては、「縁起」によって生ずる変化はありません。これを無作ともいいます。
また、「縁起」の世界を表現する言葉によって説明されるものは、一切ありません。これを諸法無我といいます。


「諸法」とは、この場合、縁起の世界の様々な現象を成立させるそれぞれの根拠、実体を指します。
それら、個々別々の存在は、無為の世界では、個々別々には存在しない。
その代わり、根源的に、一つにつながった全体として存在します。
それを「一切の法は空である」といいます。
「空」においては、「縁起」の世界の個々の実体というものがないので、「諸法無我」というのですが、「空」という根源的な全体としては、それが「縁起」の現象世界を生み出す基盤になっています。
つながった全体としての「空」があるから、それを基盤として「縁起」の世界の、縁と縁の和合が成立するのです。
けれども、「空」それ自体には、「縁起」の世界の個々の現象はないので、多様さも変化もなく、時間・空間をも超えた永遠不滅の世界です。

このように、「有為」-「縁起」の世界と、「無為」-「空」の世界の二つがあるということは、この世に二つの真実があるということではありません。
この世の真実-「実相」というものを、二つの面から見ているということです。

前者の有為-縁起の世界は、この世の真実を現象面から見ています。
これに対して、後者の無為-空の世界は、この世の真実を、本質面から見ています。
この世の真実を、この両面から見ることができて、私たちははじめて、この世に私たちが生かされている根本構図-この世の根本理法を自覚しているということができます。
けれども、実際には、私たちは、仏陀の表現によれば、「無明」といわれて、この世の真実-この世の根本理法を自覚できない存在になっています。



p.73
虚空のようにつながった全体世界
私たちの常識的感覚、常識的分別を超える世界の問題として、仏教ではよく「一切の諸法は、空である」といいます。この場合、「一切の諸法」というのは、「縁起」上の諸現象、


p.74
あるいはその諸現象を成立させる根拠、実態を指しています。
そういうものが、本質面から見ると、「空」である、と述べているのです。これを自性空ともいいます。

無量義経(むりょうぎきょう)の説法品(せっぽうぼん)では、次のくだりがあります。
「まさに、一切諸法は・・・・・虚空(こくう)の如く、二法あることなし、と観察すべし」

また、法華経(ほけきょう)の安楽行品(あんらくぎょうぼん)には、次のくだりがあります。
「一切の法を観ずるに空なり。・・・・虚空の如くにして、所有(しょゆう)の性(しょう)なし」

どちらのくだりにも「虚空の如く」という表現が出ています。
虚空のように1つにつながった全体として、「空」がとらえられているのです。
つまり、この縁起を成立させる根拠、実体(自性)は虚空のように1つにつながった全体として「空」であるとみています。
その「空」自体の姿は、「不生不滅、不垢不浄、不増不減」であり、時間、空間を超えています。
その「空」の中には、「縁起」上のすべての存在は、一切無いので、それを法華経では、「所有(しょゆう)の性(しょう)なし」と述べています。

たとえとして、大きな河の水と、そこに浮かぶ泡の関係を前に述べました。
現象としての「縁起」の世界においては、私たち一人一人は泡のような存在として、個別的な肉体をもって出現しています。
その泡が、どのように変化し、諸行無常であっても、泡としての自分が存在することは、否定できないことです。
けれども、見方をかえると、どのような根拠、メカニズムによってその泡が生まれようが、どの個別的な泡も、本質的には大きな河の水として存在します。
その河の水全体に注目すれば、私たちは個別的な泡としては存在せず、自他非分離、皆1つです。
縁起上の個別的な存在としては、「空」の中に存在しないので、これが「諸法無我」です。

この場合、「縁起」上の個としての自分を「色」とすると、「色」の中に、「色」の本質としての「空」を見るので、「色即是空」が成立します。
他方、1つにつながった全体としての「空」があるからこそ、この全体を基盤として、河の水は、「縁起」の世界に、個々の泡としての自分を現象させます。
これを「空即是色」ということができます。

以上のようにみとくると、「縁起」という現象世界の中で、「縁起」上の存在があるか否かを問うても意味はありません。
「諸行無常」というように、いろいろな姿・形をとって変化しながらも、それらは、「縁起」上には、存在するのです。
その「縁起」上の存在が無いというのは、「縁起」という現象世界に無いのではなくて、「空」の中において存在しないのだということを自覚すべきです。


3.無為、無作、虚空、空、アーカーシャ、アサンスクリタの実在に関する資料のまとめ

重松先生の著作に登場する各種の用語に関して、ネット調査を行いまとめてみました。

日本大百科全書(ニッポニカ)によれば、
有為(サンスクリット語でサンスクリタ)とは本来「つくられたもの」、無為(アサンスクリタ)とは「つくられないもの」の意。(1)
すなわち、有為とは時間に制約されつねに移り変わるものつまり無常なるものであり、無為とは常なるものの意である。(1)

三省堂大辞林によれば、無為は無作とも言われ、仏教では、因縁によって生じたものではなく,従って生ずることも滅することもないこと、現象を超えた真理とされている。(2)
有為は有作とも言われ、因縁によって生じたものである。(3)

これらをまとめると、サンスクリタ・有為・有作の現象界(縁起、諸行無常、有為転変)と、アサンスクリタ・無為・無作(生ずることも滅することもない現象を超越した真理)の、2相の実在が仏教においては説かれている。
無為は、作られたものではなく、最初から宇宙に存在しているものであり、有為は森羅万象の現象であり無為により作られたものである。

日本大百科全書(ニッポニカ)によれば、
すでに原始仏教聖典でこれらの語(注:有為と無為)は用いられていたが、その概念を明確にしたのは小乗仏教(部派仏教)中の説一切有部(せついっさいうぶ)であった。
有部によれば人間の身心を含むいっさいの森羅万象(しんらばんしょう)を存在せしめる要素は約75の法(ダルマ)である。
この一切法のうち72法は生滅する無常なるものであり、これらが有為法とよばれる。
残りの3法は無始以来生滅変化しない常なるものであり、無為法と称される。
三無為法とは
虚空(こくう)(アーカーシャ)、
択滅(ちゃくめつ)(プラティサンキヤー・ニローダpratisakhy-nirodha。涅槃(ねはん)、悟り)、
非択滅(アプラティサンキヤー・ニローダapratisakhy-nirodha。縁(えん)が欠けることで永遠に生じない法)
の三つである。
説一切有部はこの三無為法を想定することによって、無常なるこの世界(有為法)を明確に説明せんとしたということができる。(1)

無為の存在である虚空(アーカーシャ)に関しては、Wikipedia英語版では、
「The Vaibhashika, an early school of Buddhist philosophy, hold Akasha's existence to be real.
初期の仏教哲学バイベーシカVaibhashikaは、アーカーシャの存在を実在である(物理的に存在する)と捉えていた。」
と述べられている。(4)
[注: realという英単語には、「実在している」「物理的に存在する」という意味があるため、上記のように翻訳しています]

つまり、虚空、アーカーシャとは、物理的に実在しているが、物質による現象界を超越した存在であるとみなされていた。

Wikipedia日本語版によれば、以下のように説明されている。
虚空とは、何も妨げるものがなく、すべてのものの存在する場所(5a)。アーカーシャ(Ākāśa)の漢訳で、空または虚空界ともいう(5b)。虚空界とは、虚空のように一切を包括し擁する、色もなく形もない本源的な真如の世界(5c)。
「抵抗の感ぜられない空虚な場所」と定義されるが、感覚世界を超越した実在「無為」の一種とも見なされる(5d)。(5)

goo辞書は、虚空界を次のように述べている。
仏語。虚空のように、一切を包括し擁する、色もなく形もない本源的な真如の世界。(6)


東京大学大学院人文社会系研究科、次世代人文学開発センター、大藏經テキストデータベース研究会の
「SAT大正新脩大藏經テキストデータベース2012版(SAT 2012)」
http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/ddb-sat2.php
に収載されている全仏典をそれぞれの語句で検索して出力数を調査すると、
無為: 27368
有為: 25681
空: 285384
虚空: 43649
であり、各語句は仏典で非常に数多く記載されていることが分かります。

以上を要約すると
①虚空、空は、物理的に実在し、アサンスクリタ・無為・無作であり、生ずることも滅することもない現象を超越した相で、何かにより作られたものではなく初めから存在している。
②この空が、サンスクリタ・有為・有作の現象界(縁起、諸行無常、有為転変の世界)を作り出していると考えられる。

文献
(1)日本大百科全書(ニッポニカ)の解説、有為・無為
https://kotobank.jp/word/%E6%9C%89%E7%82%BA%E3%83%BB%E7%84%A1%E7%82%BA-1507016
(2) 三省堂大辞林、無作
(3) 三省堂大辞林、有作
(4) http://en.wikipedia.org/wiki/Akasha
Encyclopedia of Asian Philosophy By Oliver Leaman, Contributor Oliver Leaman, Taylor & Francis, 2001, ISBN 0-415-17281-0, pg. 476
(5) Wikipedia虚空
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%99%9A%E7%A9%BA
(5a)Shogakukan Inc. 『大辞泉』 こ‐くう【虚空】。
(5b)須藤隆仙 『仏教用語事典 コンパクト版』 新人物往来社、1999年、130頁。
(5c)Shogakukan Inc. 『大辞泉』 こくう‐かい【虚空界】。
(5d)林達夫他 『世界大百科事典 11』 平凡社 、1972年、35頁。
(6)goo辞書、虚空界

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