The Man

理系男のダンディズム -ロジカルにロジカルに。 考え抜いたとき、それはその人の感性となる-

人の心はカネで買える のか?

2006-01-18 23:20:00 | 生き方
さぁ、その主張が正しいかどうか、証明するにいいチャンスだぜ。

16日夕刻、何かと話題の多いあの会社へ、関連会社による証券取引法違反の疑いで東京地検特捜部が強制捜査に入った。
その波及は、17日の東京株式市場に留まらず、世界市場に影響を与えた。

そして。

18日の東京株式市場は、当初こそ模様眺めであったものの、特定銘柄の取引停止や市場全体の値動きの重さから狼狽売りの色が濃くなり、営業時間中にかかわらず、東京証券取引所が自らの判断で株式の売買を全面的に停止するという前代未聞の事態に発展した。

さて。
この事態を、どのように見るか?

「やはりな...」
と思う方もいらっしゃれば、
「ざまーみろ!」
と思っておられる方もいらっしゃるだろう。

法の盲点を突いた、巧みな奇襲戦略でビジネスを行ってきた人だもの。
ちょっとやり過ぎた、ということだけかもしれないが。
#違法性の判断については、特捜部の捜査、および司法の判断に任せよう。

悪法も法なり。
無論、法の尊守が求められるのは、言うまでもない。

今、GALANT's Cafeが注目しているのは、そこではなくて。


彼が自書で述べたという、「人の心もカネで買える」という主張。


そんなこと。
自らの生き方に美学を求めておられる方ならば。
この真偽については、言うまでもないことなのだが。

いやいや。
公にここまではっきり言えるとは、大層な自信をお持ちなのだろう。

ここまで自信がある場合には。
どんな説得も、意味を成さない。
いや、本人が経験し自覚するまで、そっとしておくしかなかろう。

そして、今。
そのチャンスが訪れたのだ!
しかも、彼自らが撒いた種で。

カネの切れ目が縁の切れ目。
金品で出来た人の繋がりなんて。
金品が尽きれば、あっと言う間に脆くも崩れ去る。

本当に「人の心もカネで買える」と言うならば。
暴落し取引が成立しない、この会社の株価を、急回復させることができるはず。
いや、できなければ、矛盾が生じるだろう?

さぁ、どうだ?
今こそ、その主張の正しさを、証明してみせよ。


自らが企業家だと名乗るからには。
美しいお金の使い方は、心得ておくべきだ。
企業は、美しくお金を使って市場に貢献し、そして自らを発展させるから、企業なのだ。



P.S. 今回の東京株式市場における日経平均の暴落は、この一件がトリガになったことは
   否めないでしょう。
   しかし、バブル経済崩壊直後の日経平均の暴落とは、一味も二味も違います。
   あの時代は、皆でありとあらゆるものに架空の価値を乗せたために、崩壊したもの
   です。
   今回は、特定の企業において、不審な取引が行われた可能性が高いこと。
   ほんものの価値を増やしている(まっとうな営業をして業績を伸ばしている)企業
   がメインの株価上昇の中において、何が問題だったのか?が明確になり次第、
   落ち着きを取り戻し、再び成長するでしょう。

   まずは、参加者全員が冷静になること。
   そして、目先の利益を求めて、架空の価値に投じないことが大切だと思うのです。

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3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
心とは、ある意味薄情 (ハルちのパパち)
2006-01-19 00:16:12
この一件、大変なことになってますね。

H氏の持論として「人の心はカネで買える」のかもしれませんが、私的にいえば、「カネで買った人の心ほど、カネに対して薄情なものである」と言いたいですね。

基本的に彼らがやっているのはマネーゲームというビジネスのように見えているだけの自己満足のための遊びにしか見えないような気がするのは私だけ?
返信する
企業において (コンストラクション)
2006-01-19 18:41:45
「人の心もカネで買える」

というよりも、買えはしないが

「カネで人の心が動く」という事は

確かにあるような気がします
返信する
依存と後悔 (GALANT's Cafe)
2006-01-21 00:28:21
●ハルちのパパちさま

何かに依存した関係とは、その何かが尽きた瞬間、関係が崩壊するように思うのです。

ビジネスとはなにか? とは、難しいテーマだと思いますが、自らに益をもたらせばよい という安直な発想では、継続できないように思うのです。





●コンストラクションさま

「カネで人の心が動く」ことは、法人においてだけでなく、個人でもよくあることだと思うのです。



が。



カネ によって心動いた人は、その後に カネ に苦しめられるような気がするのです。

やはり、自分なりのポリシーが必要不可欠ではないか?と。
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