この日が来ると、思い出す。1995年1月17日5時46分。兵庫県淡路島から阪神間地区を直撃した大地震のこと。
あの日から10年目 阪神淡路大震災 by GALANT's Cafe from The Man
昨年の今日も、同じようなことを書いているのだが。
やはり、ここ、神戸・阪神間地区に生まれ育ったものとして、このことを忘れることはない。
#GALANT's Cafeは、当時、学生として仙台に居たので、本地震を体感してはいない。
あの日から11年が経過し、震災を知らない子供達も増えた。
#世界大戦を経験された世代が、終戦10年後に体感したような感覚に近いのだろうか?
街は、見た目復旧し、震災の跡など、知る者が見てもほとんど分からなくなった。
うん、それでいい。
常日頃に、震災のことなど、思い出す必要はない。
やはり、前向きに生きていかなければ。
が。
やはり、今日の日だけは。
あの日のことを思い出そう。
阪神大震災から11年 復興、今も重い負担 from 朝日新聞
そう、その通りで。
街は人口も復旧し、活気を取り戻している。
その一方で。
街の財政は、復旧・復興のために震災直後に発行した地方債の返済の負担が重くのしかかっている。
こんなところには、まだ、被災の跡が残っている。
この跡を消すには、後、もう10年かかるだろうか?
跡形は消しても、記憶は残しておこう。
あの日から10年目 阪神淡路大震災 by GALANT's Cafe from The Man
昨年の今日も、同じようなことを書いているのだが。
やはり、ここ、神戸・阪神間地区に生まれ育ったものとして、このことを忘れることはない。
#GALANT's Cafeは、当時、学生として仙台に居たので、本地震を体感してはいない。
あの日から11年が経過し、震災を知らない子供達も増えた。
#世界大戦を経験された世代が、終戦10年後に体感したような感覚に近いのだろうか?
街は、見た目復旧し、震災の跡など、知る者が見てもほとんど分からなくなった。
うん、それでいい。
常日頃に、震災のことなど、思い出す必要はない。
やはり、前向きに生きていかなければ。
が。
やはり、今日の日だけは。
あの日のことを思い出そう。
阪神大震災から11年 復興、今も重い負担 from 朝日新聞
そう、その通りで。
街は人口も復旧し、活気を取り戻している。
その一方で。
街の財政は、復旧・復興のために震災直後に発行した地方債の返済の負担が重くのしかかっている。
こんなところには、まだ、被災の跡が残っている。
この跡を消すには、後、もう10年かかるだろうか?
跡形は消しても、記憶は残しておこう。
やはりこのことを語り継いでいくことなのでしょうね。
被災に合われました多くの方々のご冥福をこころよりお祈り申し上げます。
(丁度長男は小学6年。こちらも大揺れ次男を抱えて飛び起きました。義妹が神戸でしたが無事でした。)
おっしゃるとおりで、事実を語り継ぐこと、そして、その際に得た教訓伝承し、生かすことだと思います。
が。
経験したものでも、だんだん記憶が薄らぐのですよね。
神戸方面の人ほどの実感はないと自分でも思っていますが、防災に対する備えの重要性なんかも、しっかりと知らない世代に教えていく必要があるんでしょうね。
大災害による被災については、きちんと語り伝えることが重要だと思うのです。
相手が自然なだけに、いつどこで発生するやら、容易に予想できません。
それだけに、生じた際には何に困るのか? そして、どう準備をしておくのか?を伝えられるといいなぁと思ってます。