The Man

理系男のダンディズム -ロジカルにロジカルに。 考え抜いたとき、それはその人の感性となる-

逃げろ! そして、戦え!

2006-11-15 23:55:00 | 生き方
生きるとは、戦うこと。 そう、自らを活かすために(久々に長文です)。

いじめ・自殺・おもうこと by sofia-ss from SOFIA_SS 豪腕そふぃあ  直球勝負! にトラックバック。

ここ数日、紙面をにぎわす“子供達の間に生じるいじめ”そして“子供達(いや若者達というべきか)の自殺”。
近日はますますエスカレーションし、大臣にまで“自殺宣言書”とも取れかねない手紙を送りつける者まで現れるようになった。

この事態に、マスコミは「犯人はだれか? 責任を放棄しているのは誰か?」と書き立て、また送信続けているが。

sofia-ssさんも言うとおり、

>世の中の人間がすべて善人でない限り
>いじめは、無くならない。


そう、その通り。
人間という奴は、卑劣な生き物でもあって。
“自分は誰かより勝っている”と思うことで安心感を覚え安住する生き物。
#この暴論には、非難される方も居られよう。
#が、しかし。
#GALANT's Cafeは、この持論を変えるつもりはない。
#まずは、人間の深層にある“残酷さ”という奴を、きちんと認識しておかなければならない。
#無論。この“残酷さ”は、GALANT's Cafe自身も含まれる。

“いじめ”という奴は、この安心感を得たいがために、自らの中に思いとして留めることなく、行為として他者へ働きかける行為。
なんのことはない。
この行為は、個人と個人の範疇を超えて。
個人(人)の集まりである組織になったとしても。
個人と組織、組織と組織-その最たるものは国家と国家- にも存在する。

つまり。
誰しもが、“いじめ”という卑劣な行為に(意識の有無の違いはあれど)加担する可能性があるということ。
別の言い方をすれば、“人間が有する(醜い)基本的な行為の一つ”と言えるかもしれない。
(間違って欲しくはないのだが、GALANT's Cafeは、この行為を推奨するつもりはない。)

そのような行為について。
犯人探しごっこのようなことをしても、何の解決にもならない。
(無論、加担した人間達に、その責任を負わせることは重要なことである。)


では、どうしろというのか?
黙って耐えろ とでも、言うのか?
頑張れ とでも、と言うのか?


馬鹿言っちゃいけない。
頑張れない、限界まで耐えているから、自殺を考えるのだ。
そんな状況で、そんなことを言えば、事態をより悪化させることは自明。

GALANT's Cafeの持論は、一つ。

戦う しかない。

お前は馬鹿か?
頑張れないにも関わらず、戦えと言うのか。
事態をより一層悪化させるだけではないか!

おっしゃる通りだ。
なんら準備もせずに戦うことは、自らを捨て身とした最悪な戦法だ。

だが、一方。
自分を守ることが出来るのは、自分しか居ないということも、自らしっかりと認識する必要がある。
(無論、小さな子供や高齢の方にまでこれらを求めることは困難である)

人間は、組織化することによって、より強靭な防衛手法を生み出してきた。
だが、しかし。
その基本は、自らは自らが守る ということにあるはず。
そのことを忘却して、「誰も私を守ってくれない」と主張するのは、勘違いも甚だしいと言わざるを得ない。


今の大人達は。
子供達に、このことを教えているか?
表面的な安住にうつつを抜かして、このことを忘れていないか?
いや。
大人になった人間達が、このことを学ばずに成長してしまったのではないか?
そのために、“戦う”ことの重要さを、教えることが出来なくなってしまっているのではないか?
#早い話が、“平和ボケ”という奴だ。


だれかが、なんとかしてくれると思うな。
自らが、どのようにしなければならないか、考えておけ。
そう。
何を見て、何を感じ、何を考えるか。そして、どう生きるか。


リアル社会で今のGALANT's Cafeを知っている者は。
一見のほほんとして常にボケた(いや、本当にボケているのだが^^;)ように見えながらも、好戦的な気質をよく知っていることだろう。
いや、好戦的過ぎるキライすらあるのだが(“攻撃は最大の防御”なんて言葉は、GALANT's Cafeのためにあるようなものだ^^;)。

このGALANT's Cafeの好戦的な気質。
実は、今で言うところの“いじめ”という奴と戦い続け、得られた気質であることを知っている者は少ないかもしれない。

幼い頃から、“人と異なること”を好んだGALANT's Cafeは。
その偏屈とも言える独自の思想・主義に満ちていたGALANT's Cafeは。
「隣と同じであること」に置きがちなこの国において。
当然のことながら、常に揶揄される対象になった。

それは、当然ながら。
当初、本人にとって非常に辛いものとなった。

だが、しかし。
何故だったのだろう?
正直言って、自分でも分からないのだが。
どんなに揶揄されようとも、自らの思想や主義を曲げることなく、貫き通すことを厭わなかった(無論、誰に求められた訳でもない)。

後付の理由になりがちだが。
「自らが(第三者から見て)正しい行為をしている限り、必ず、賛同者が出るはずだ」という思いだったのかもしれない。
いや、
「人は独りで生きる生き物ではなく。人は助け合って生きる生き物であるから、孤立した人達で協力しあえば、途轍もない対抗力を発揮できる」とでも思っていたのかも知れない。

そう。
sofia-ssさんが書いておられた

>息子がいじめにあっても何事もなく成長してこれたのは
>首を突っ込む彼のことを「おせっかい」と感じる子がいた一方で
>「親切だ」と感じてくれた子がいて、その子らと付き合ってこれたからだと思う。
>友人は多くはないが、孤独ではなかった。


そのもの。

人は自らが孤独でないと思い続ける限り、力強く生きることができる生き物だ。
(無論、生き様によっては、“孤独だ”と感じても力強く生きることはできるが。)

おかげで、GALANT's Cafeは独自の思想・主義を貫き通し、くたばることなくそのような勢力と戦い続けながら、大人になった。
この経験(実績)が。
そして、GALANT's Cafe自身がどのような困難に直面し、そして激しく抵抗する勢力とぶつかろうとも平然と戦い続けられる源なのだ。
(今は、その源で精神的にも肉体的にもくたばることなく仕事している...のか?^^;)

だから、こそ。
“戦い”を教えてくれたこれらの経験(およびその経験をさせてくれた者達)には、感謝している。

そんな“戦い抜く”生き方しか知らないGALANT's Cafeに。
目からうろこが落ちるような記事を読んだ。

逃げることは、決して負けではない by 宋 文洲 from 日経ビジネス

いつも、鋭い指摘をされる宋さんであられるが。
今回のこの記事は、戦うことしか考えていなかったGALANT's Cafeには、衝撃的な提案であった。

だが、しかし。
提案されていることは、そのとおりで。
大切なことは、“生き抜くこと”。
誰かを敗北に追いやることが重要なのではなく、最期まで力強く生き抜くことが重要なのだ。

そして。
力強く生き抜くために。
揶揄されようとも“一時退避を図る”という「自らの力ではどうしようもない不幸から逃れる」努力をして周囲へ主張し、その後“巻き返しを図る”という戦う生き方が重要になる。


このことは。
何も、生命活動の維持についてだけではない。
仕事への取組についても同様であろう。
いや、趣味ですら、同じかもしれぬ。

大人になったすべての人は。
このことを、きちんと体感してきているか?
このことを、きちんと認識できているか?

そして、次の世代にきちんと伝えることが出来ているだろうか?

GALANT's Cafeが、共に仕事をしてくれる若い世代達に。
そのプロセスの中で、必ず、教えることなのだ。

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3 コメント

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自分を救えるのは ()
2006-11-16 02:01:46
結局自分だけなんだ。
10年ほど前になるでしょうか、ようやくそんな心境に至りました。

難しい問題ですね。
若年層はメディアの影響を受けやすい傾向にあるので、
報道の仕方にも配慮が必要だと思います。
返信する
trackbackありがとう (sofia_ss)
2006-11-17 12:04:10
最近、オセロにはまっているのですが
隅をとられても、逆転勝ちできることを知りました。
相手にいくつか取らせて、最後に相手より多く取れば勝ち。
これは戦略ですが、普段のことでも言えるのかもしれません。
返信する
損をして得を得る (GALANT's Cafe)
2006-11-19 01:24:14
●柊さま
大人になればなるほど、誰も守ってくれない。
そう、思っておかなければいけないと思います。
...他力本願ではイカン!と思うのですよね。

日本のマスコミは、なんとかならんもんか?
ニュース報道だけでなく、電車の吊り広告に至るまで...


●sofia_ssさま
逆転勝ちまでできるようになりましたか!
相当、凝っていますね^^

人生万事、塞翁が馬。
人生とは、一方的にやっつければ始終幸せになれる訳ではなく、いかにバランスを取る(妥協ではなく、融和を目指す)か?が鍵のように思うのです。

...そう思うGALANT's Cafe自身が、一番イビツなのですが^^;
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