時々、そんなことを考えるのですよね。
いや、考えたって。
そんなこと、簡単に分かるはずもないことは、よく分かっている。
が、しかし。
やはり、GALANT's Cafeは考えてしまうのだ。
仮説に基づいた検証という、理系男には必要不可欠な思考回路のせいか。
そう。
GALANT's Cafeの生き方なんて。
自らの人生をかけて、自ら立てた仮説の確からしさを検証するようなものだもの。
人生は、やり直しのきかないドラマ。
先日久々に会った幼馴染が言った「人生は短い。自分がしたいことをやり遂げたい。」ではないが。
自ら立てた仮説を検証せずに人生を終えるなどということはしたくない。
ふと、思う。
どんな世界も。
たった両手の指ほどの数の人間達が動かしているのではないか?
と。
ここで言う世界とは。
ワールドワイドという意味だけでなく。
どんな分野・組織・集団...etc というある一塊という意味。
今。
GALANT's Cafeが所属している組織は、10,000人を超える人間達から構成されているらしいのだが。
「本当に、この大所帯を動かしているのは誰か?」
と、雑多な日々の業務の中で考えてみると。
見て、感じて、考えて、そして動く。
本当に自ら考えて大組織を動かしている者は、両手の指ほどの数の人間達ぐらいしか、思いつかない。
((注)ここでは、組織を構成する残りの者は動いていない と言いたいのではなく、誰にも指図されることなく組織全体のことを考え周囲に指示を出つつ自らも動いている 者のことを指す)
そして。
面白いことに、彼等は決して、最上位から数えて両手の指ほどの数の人間達ではないということだ(最終的にそうなることも多いが)。
もっと面白いことは。
彼等は各々、自組織の内外に、同類の人間達からなる独自集団を形成している(早い話が、いつも同類で“つるんでいる”)ということだ。
やはり、類は友を呼ぶのか?
似たようなことは、GALANT's Cafeが所属する組織だけではなく。
片手の指の数を超える人間達から構成された大概の集まりは、両手の指ほどの数の人間達によって運用されていることが多いように思う。
では。
(ワールドワイドな)世界は、誰らによって動かされているのか?
この現代。
世界を動かしている代表者の一人が、アメリカであることは、誰の目にも明白。
彼等は、この長い世界史の中で、たった200年ばかりの歴史しか持っていないが。
グローバルな世界を作ろうと、躍起になっている。
この動きは、いつから始まったのだろう?
GALANT's Cafeは、世界史研究家ではないから、正確なことは言えないが。
直感的には、1990年代から激しくなったのではないか?と思う。
では、何故、1990年代から激しくなったのだろう?
この少し前、1980年代を思い起こすと。
日本は「Japan as No.1」とアメリカからもてはやされ、いや、日本の経済力は危険だと彼らが(公平・不公平を問わず)躍起になり始め。
そして。
世界では東西冷戦が終わり、恒久平和が訪れるかと期待された頃。
そう。
想像するに、“世界競争に負けまいと、自分達(ここではアメリカ)の価値観に強く影響されたルールによって統一化を図り、自らが有利な競争を行う”ことが狙いだったのだろう。
それが、“グローバル化”ということだ。
しかしながら。
世界は、そんなに単純ではなく。
彼らの目論見はうまく行かず、ヨーロッパの自発的統一化(EU)や極東や中東における民族紛争の勃発など、価値観はますます多様化してきている。
さらには、韓国や中国、台湾らに代表されるアジア各国の国際競争力の向上や、アフリカ各国による今後の国際競争力の向上など。
そして。
彼等は各々、見て、感じ、考え、そして動き始め、各国と強調しつつ独自集団を築き始めている。
つまり。
他者の価値観を認め、自らの価値観との違いを認めつつ活動し、共存共栄を図る。
それが、インターナショナル化(真の国際化)。
それに対して、日本は。
1970年前半(正確には石油ショックのあった73年)生まれのGALANT's Cafeから見ると。
“経済は一流”と自惚れにも近い自負があった1980年代。
その自負は“泡沫の夢”と成り果て自信を失い迷走し始めた1990年代。
そして。
“勝ち組み・負け組み”などと自ら二極分化し「お前がやれよ」と社会が殺伐とし始めた2000年代。
日本は、自ら、見て、感じて、考え、そして動いてきたのか?
今までの日本は、自ら考えることもなく、他者の真似という安易なやり方に始終したために、真似するものが無くなった瞬間、迷走しはじめてしまったのではないか?
このままでは、日本という国は、間違いなく過去の国となる。
(それもアリだと思わないではないが。)
日本が世界を動かす代表者の一人になるには、どうすれば、いい?
世界人口からすれば占める割合が非常に小さい日本は、“数の理論”で世界を誘導するなんてことは非現実的。
となると。
やはり、“日本という独自色”を出しつつ、独自集団を築いていくしかないだろう。
その“日本という独自色”を出すためには。
日本自ら、見て、感じて、考え、そして自ら活動していく必要性がある。
日本だって。
自ら、見て、感じて、考え、そして活動してきた人々は、沢山いる。
これらの人々は、どのようなプロセスを経て、そのようになったのか?
そして。
GALANT's Cafeは、何を見て、何を感じ、何を考え、そして、どのように活動していけばいいのか?
今は、まだ、その仮説が立てられない自分がいる。
いや、考えたって。
そんなこと、簡単に分かるはずもないことは、よく分かっている。
が、しかし。
やはり、GALANT's Cafeは考えてしまうのだ。
仮説に基づいた検証という、理系男には必要不可欠な思考回路のせいか。
そう。
GALANT's Cafeの生き方なんて。
自らの人生をかけて、自ら立てた仮説の確からしさを検証するようなものだもの。
人生は、やり直しのきかないドラマ。
先日久々に会った幼馴染が言った「人生は短い。自分がしたいことをやり遂げたい。」ではないが。
自ら立てた仮説を検証せずに人生を終えるなどということはしたくない。
ふと、思う。
どんな世界も。
たった両手の指ほどの数の人間達が動かしているのではないか?
と。
ここで言う世界とは。
ワールドワイドという意味だけでなく。
どんな分野・組織・集団...etc というある一塊という意味。
今。
GALANT's Cafeが所属している組織は、10,000人を超える人間達から構成されているらしいのだが。
「本当に、この大所帯を動かしているのは誰か?」
と、雑多な日々の業務の中で考えてみると。
見て、感じて、考えて、そして動く。
本当に自ら考えて大組織を動かしている者は、両手の指ほどの数の人間達ぐらいしか、思いつかない。
((注)ここでは、組織を構成する残りの者は動いていない と言いたいのではなく、誰にも指図されることなく組織全体のことを考え周囲に指示を出つつ自らも動いている 者のことを指す)
そして。
面白いことに、彼等は決して、最上位から数えて両手の指ほどの数の人間達ではないということだ(最終的にそうなることも多いが)。
もっと面白いことは。
彼等は各々、自組織の内外に、同類の人間達からなる独自集団を形成している(早い話が、いつも同類で“つるんでいる”)ということだ。
やはり、類は友を呼ぶのか?
似たようなことは、GALANT's Cafeが所属する組織だけではなく。
片手の指の数を超える人間達から構成された大概の集まりは、両手の指ほどの数の人間達によって運用されていることが多いように思う。
では。
(ワールドワイドな)世界は、誰らによって動かされているのか?
この現代。
世界を動かしている代表者の一人が、アメリカであることは、誰の目にも明白。
彼等は、この長い世界史の中で、たった200年ばかりの歴史しか持っていないが。
グローバルな世界を作ろうと、躍起になっている。
この動きは、いつから始まったのだろう?
GALANT's Cafeは、世界史研究家ではないから、正確なことは言えないが。
直感的には、1990年代から激しくなったのではないか?と思う。
では、何故、1990年代から激しくなったのだろう?
この少し前、1980年代を思い起こすと。
日本は「Japan as No.1」とアメリカからもてはやされ、いや、日本の経済力は危険だと彼らが(公平・不公平を問わず)躍起になり始め。
そして。
世界では東西冷戦が終わり、恒久平和が訪れるかと期待された頃。
そう。
想像するに、“世界競争に負けまいと、自分達(ここではアメリカ)の価値観に強く影響されたルールによって統一化を図り、自らが有利な競争を行う”ことが狙いだったのだろう。
それが、“グローバル化”ということだ。
しかしながら。
世界は、そんなに単純ではなく。
彼らの目論見はうまく行かず、ヨーロッパの自発的統一化(EU)や極東や中東における民族紛争の勃発など、価値観はますます多様化してきている。
さらには、韓国や中国、台湾らに代表されるアジア各国の国際競争力の向上や、アフリカ各国による今後の国際競争力の向上など。
そして。
彼等は各々、見て、感じ、考え、そして動き始め、各国と強調しつつ独自集団を築き始めている。
つまり。
他者の価値観を認め、自らの価値観との違いを認めつつ活動し、共存共栄を図る。
それが、インターナショナル化(真の国際化)。
それに対して、日本は。
1970年前半(正確には石油ショックのあった73年)生まれのGALANT's Cafeから見ると。
“経済は一流”と自惚れにも近い自負があった1980年代。
その自負は“泡沫の夢”と成り果て自信を失い迷走し始めた1990年代。
そして。
“勝ち組み・負け組み”などと自ら二極分化し「お前がやれよ」と社会が殺伐とし始めた2000年代。
日本は、自ら、見て、感じて、考え、そして動いてきたのか?
今までの日本は、自ら考えることもなく、他者の真似という安易なやり方に始終したために、真似するものが無くなった瞬間、迷走しはじめてしまったのではないか?
このままでは、日本という国は、間違いなく過去の国となる。
(それもアリだと思わないではないが。)
日本が世界を動かす代表者の一人になるには、どうすれば、いい?
世界人口からすれば占める割合が非常に小さい日本は、“数の理論”で世界を誘導するなんてことは非現実的。
となると。
やはり、“日本という独自色”を出しつつ、独自集団を築いていくしかないだろう。
その“日本という独自色”を出すためには。
日本自ら、見て、感じて、考え、そして自ら活動していく必要性がある。
日本だって。
自ら、見て、感じて、考え、そして活動してきた人々は、沢山いる。
これらの人々は、どのようなプロセスを経て、そのようになったのか?
そして。
GALANT's Cafeは、何を見て、何を感じ、何を考え、そして、どのように活動していけばいいのか?
今は、まだ、その仮説が立てられない自分がいる。
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