リアル社会とインターネットの世界の違いは、ない!
Wired News - サイバー恋愛に未練は禁物 - : Hotwiredより。
この記事は、インターネットを通じた恋愛(サイバー恋愛)を体験した記者が、その経験を執筆しているシリーズ。
私は、恋愛について語れるほど経験豊かではないので(^^;、違った切り口から。
この記者は、googleを用いて元恋人の名前で検索し、今の元恋人の様子を伺うことができた例を示している。そして、インターネットの世界に一度踏み入れたら、インターネットの世界から自分の存在を消去することが困難になった時代であることを指摘している。
インターネットの世界。
それは、匿名の世界であるのか?
10年以上も昔、コンピュータの中にバーチャルな世界(仮想空間)を構築し、さまざまなことにチャレンジする研究が盛んに行われていた。
また同じ時期、インターネットという世界のコンピュータを繋いで作られた世界もバーチャルな世界(仮想空間)であり、匿名性を有する点がリアル社会と異なると、よく論じられたものだ。
インターネットの世界は、時間を超越し空間を超越し、リアル社会では考えられないぐらいの便利さと共に、匿名性が生み出す新たな不安も作った。
バーチャルな世界は、匿名性を有する。
本当なのだろうか?
ここで、こんな例を考えてみよう。
インターネットの世界に、「A」と「B」というネットネームを使い分けて、インターネットの世界を楽しんでいる一人の人間、実名「X」が存在すると思って欲しい。
無論、「A」と「B」は、似ても似つかぬもので、想像力の豊かな人間でも、相関するとは思えないようなユニークな名前である。
この「X」は、ネットネーム「A」でblogサービスを利用し、ネットネーム「B」でファイル共有サービスを利用し、インターネットオークションサービスを利用していた。
通常ならば、この「A」と「B」が、同一人物の「X」であるとは、だれも思わないだろう。
無論、本人も、ネットネームを使い分けているので、同一人物と特定されるとは思っていない。
しかしである。
誰でも利用可能な検索エンジンの利用により、不正アクセス(アクセス制限されずに公開されているだけの情報で)などをしなくても「A」と「B」が同一であり、そして「X」であるということが特定される、しかも手馴れた人間なら30分で!というような場合が起こり得るのだ。
たとえば、「A」という名前を検索エンジンで検索し、「A」のblogを発見する。
このblogには、日記風になっており、日々の行動が書かれていた。
同様に、その検索結果で、「A」という名前のファイルがあるファイル共有サービスを発見する。
ここで、このファイル共有サービスを「B」という名前でこのサービスを利用していることが分かり、この中に実名「X」入りの書類や、blogに書かれた著作の種となったであろうファイル類がわかる。
さらに、「B」という名前を検索エンジンで検索し、「B」の名前で用いられたインターネットオークションの取引結果レポートが見つかる。このレポートを見ていると、「A」の名前で書かれていたblogの内容と、ぴったり一致することがわかる。
そして、登録者「B」という人間の、年齢・性別・住んでいる地域などと言った簡易的な個人情報も公開されていることがわかってしまう。
ここまでくれば、もうお分かりだろう。
この「A」=「B」=「X」であることを推測することが、それほど困難でないことは。
確かに、これだけでは、推測の域を越えることは難しい。
しかし、かなり個人を特定できてしまうのではないか?
必要であれば、これに数々の通信ログ(どのIPアドレスからどのファイルのアクセスを要求したか?や、どのIPアドレスを誰に払い出したか?などの通信記録)を付け合せれば、特定される精度はさらに高くなる(これらの情報は公開されていないが、通信事業者は必ず保管している。要求権限を有する機関から要求された時に、提出する義務があるからだ)。
無論、上記の例は、創作物語にすぎない。
だが、起きないという保証は、どこにもない。
なぜならば、「X」という一人の人間が「A」と「B」を使い分けたところで、所詮同一人物なのだ。思考パターンや行動パターンに、同一人物の癖が出てしまうからだ。
実際には、こんなに容易に特定できることは少ないだろう。
インターネットを構成している通信技術に詳しい者が、その知識を悪用すれば、さらにその個人を特定される困難さは増すだろう。
しかし、知識と知恵を持った複数の人間が協力すれば、やはり思考パターンや行動パターンから推測し、個人を特定してしまうことは時間の問題となるだろう。
どうだろう?
これでも、まだ、インターネットの世界は匿名だ!と言い張るだろうか?
インターネットの世界を恐れる必要はない。
現実社会と、さほど変わらないのだから。
ただ、匿名性があると勘違いして、誤った行動をしないことだ。
Wired News - サイバー恋愛に未練は禁物 - : Hotwiredより。
この記事は、インターネットを通じた恋愛(サイバー恋愛)を体験した記者が、その経験を執筆しているシリーズ。
私は、恋愛について語れるほど経験豊かではないので(^^;、違った切り口から。
この記者は、googleを用いて元恋人の名前で検索し、今の元恋人の様子を伺うことができた例を示している。そして、インターネットの世界に一度踏み入れたら、インターネットの世界から自分の存在を消去することが困難になった時代であることを指摘している。
インターネットの世界。
それは、匿名の世界であるのか?
10年以上も昔、コンピュータの中にバーチャルな世界(仮想空間)を構築し、さまざまなことにチャレンジする研究が盛んに行われていた。
また同じ時期、インターネットという世界のコンピュータを繋いで作られた世界もバーチャルな世界(仮想空間)であり、匿名性を有する点がリアル社会と異なると、よく論じられたものだ。
インターネットの世界は、時間を超越し空間を超越し、リアル社会では考えられないぐらいの便利さと共に、匿名性が生み出す新たな不安も作った。
バーチャルな世界は、匿名性を有する。
本当なのだろうか?
ここで、こんな例を考えてみよう。
インターネットの世界に、「A」と「B」というネットネームを使い分けて、インターネットの世界を楽しんでいる一人の人間、実名「X」が存在すると思って欲しい。
無論、「A」と「B」は、似ても似つかぬもので、想像力の豊かな人間でも、相関するとは思えないようなユニークな名前である。
この「X」は、ネットネーム「A」でblogサービスを利用し、ネットネーム「B」でファイル共有サービスを利用し、インターネットオークションサービスを利用していた。
通常ならば、この「A」と「B」が、同一人物の「X」であるとは、だれも思わないだろう。
無論、本人も、ネットネームを使い分けているので、同一人物と特定されるとは思っていない。
しかしである。
誰でも利用可能な検索エンジンの利用により、不正アクセス(アクセス制限されずに公開されているだけの情報で)などをしなくても「A」と「B」が同一であり、そして「X」であるということが特定される、しかも手馴れた人間なら30分で!というような場合が起こり得るのだ。
たとえば、「A」という名前を検索エンジンで検索し、「A」のblogを発見する。
このblogには、日記風になっており、日々の行動が書かれていた。
同様に、その検索結果で、「A」という名前のファイルがあるファイル共有サービスを発見する。
ここで、このファイル共有サービスを「B」という名前でこのサービスを利用していることが分かり、この中に実名「X」入りの書類や、blogに書かれた著作の種となったであろうファイル類がわかる。
さらに、「B」という名前を検索エンジンで検索し、「B」の名前で用いられたインターネットオークションの取引結果レポートが見つかる。このレポートを見ていると、「A」の名前で書かれていたblogの内容と、ぴったり一致することがわかる。
そして、登録者「B」という人間の、年齢・性別・住んでいる地域などと言った簡易的な個人情報も公開されていることがわかってしまう。
ここまでくれば、もうお分かりだろう。
この「A」=「B」=「X」であることを推測することが、それほど困難でないことは。
確かに、これだけでは、推測の域を越えることは難しい。
しかし、かなり個人を特定できてしまうのではないか?
必要であれば、これに数々の通信ログ(どのIPアドレスからどのファイルのアクセスを要求したか?や、どのIPアドレスを誰に払い出したか?などの通信記録)を付け合せれば、特定される精度はさらに高くなる(これらの情報は公開されていないが、通信事業者は必ず保管している。要求権限を有する機関から要求された時に、提出する義務があるからだ)。
無論、上記の例は、創作物語にすぎない。
だが、起きないという保証は、どこにもない。
なぜならば、「X」という一人の人間が「A」と「B」を使い分けたところで、所詮同一人物なのだ。思考パターンや行動パターンに、同一人物の癖が出てしまうからだ。
実際には、こんなに容易に特定できることは少ないだろう。
インターネットを構成している通信技術に詳しい者が、その知識を悪用すれば、さらにその個人を特定される困難さは増すだろう。
しかし、知識と知恵を持った複数の人間が協力すれば、やはり思考パターンや行動パターンから推測し、個人を特定してしまうことは時間の問題となるだろう。
どうだろう?
これでも、まだ、インターネットの世界は匿名だ!と言い張るだろうか?
インターネットの世界を恐れる必要はない。
現実社会と、さほど変わらないのだから。
ただ、匿名性があると勘違いして、誤った行動をしないことだ。
知り合いのブログを見つけて
他人の振りしてメール送ったら
新しいブログのアドレスまでひょいひょい送ってきました。
そのブログには私の悪口まできっちり書かれていたりしてこっちも楽しませてもらった記憶がありますよ。
気をつけましょうね。
なりすまし という手ですね。
他人になりすまして知人に接すると、表と裏の反応を知ってしまうことがありますよね。
素敵な人だ...と思っていたら、なんて人!って。
知ってしまったときの悲しさ、寂しさ。
なんとも言えない、後味の悪さが残りますよね。
やっぱり、リアル社会でも、インターネットの世界でも、誠実なのが一番だと思うGALANT's Cafeでした。
元もなにもそんなものは居ないのでGALANT's Cafeさんの名前で(ニッコリ)
出ますね~ザクザク。
大判小判ならいいのに(笑)
以前、巨大掲示板ではありませんけど
うちも出ていたことがあって驚きました。
どこから辿って来たのだろうって。
MIDIの強制スタートを止めろとコメントした人が連続で結構コワイことを書いているのを取り上げていました。
↑の人、定期的にお越しになるので(少し前から書いているし)
また取り上げられているかもね^^;
ネットネームでも、実名でも、いっぱい出るよ(・3・)~♪
どんな時も、裏も表もない常に一人の人間だから。
すべてが繋がっています。
だから、どっちで検索されても、それに繋がりを見出されても、なんら問題なし^^
人に自らの価値観を押し付け服従させないと済まないタイプは、対応に困りますね。