あなたは、このようなリスクを考えたことがあるだろうか?
子どもの成績が良いことのリスク by 高橋 希代子氏 from SAFETY JAPAN(日経BP社)
「この筆者の着眼点は鋭い!」と、久々にGALANT's Cafeを思わせた記事。
大抵の人は、“成績が良いことが生み出すリスク”なんて、考えもしないだろう。
GALANT's Cafeも。
この筆者が述べているように、“成績が良いことのリスク”というのは存在する と断言する。
と、言うのはだね。
GALANT's Cafe自身が、危うかったからさ(・3・)~♪
こんな話を始めると。
「(GALANT's Cafeが)うぬぼれの強い奴だ」とお思いになる方も居られるだろう。
好きに思えば良い!
そんなリスクは十二分に分かっている上で、今日は話を進めたい。
と、言いつつも。
自分のことを自分で語るのも、アホなのだが^^;
#しかも、大した人間でもないくせに^^;;;
まぁ、よかろう。
この教訓が、誰かの役に立つならば。
本当に、自ら述べることがはばかれるのだが。
GALANT's Cafeも、小学校時代は優等生だった(本当に、自ら述べることがはばかれる!)。
通った小学校がとある大学の教育研究校であったこともあり、創意工夫して何をやっても、高く評価されたものだ。
#それ故に、揶揄されることも多かったのだが。
#GALANT's Cafeの基本である“闘う精神”は、こんなところから形成されてきている。
まぁ創意工夫なんて言っても。
努力したとかそんなわけではなくて。
ただ純粋に、GALANT's Cafeがしたいように生きた というだけに過ぎず。
#そしてコレがその後のGALANT's Cafeに、予想もしない事態を生じさせるのだが。
さて。
GALANT's Cafeの中高等学校時代は、どうだったのか?と言うと。
6年間、常に下から数えて1番目!(自慢にならないだろっ!>じぶん(- -;)
通った中高等学校は、中高一貫の受験校。
その出来の悪さは、「進路を再検討した方が良い」と、常に教師から言われ続けるほど。
#嘘だろって?
#いや、GALANT's Cafeの幼馴染であるふくやまが、「本当だ」と証言してくれるさ(・3・)~♪
大学受験なんてものは。
創意工夫なんてこれっぽっちもいらず。
決められたことが決められたように出来れば良いのだ。
#異論を唱えられる方も多いと思うが。
#日本の大学受験に限って言えば、「受験トレーニングだけで済む」と、GALANT's Cafeは断言する(・3・)~♪
トレーニングと言う奴には、創意工夫は要らず。
(注釈)本当は、このことは正しくない。
何事も、“No.1”になろうと思ったら、No.1になるだけの自分なりの創意工夫が必要不可欠。
しかしながら。
大学受験に限って言えば、No.1になる必要は無く(日本の大学受験において最難関と言われる東京大学の理3であっても、100名近くの学生を採用するのだ)。
つまり、その要求レベルを満たすことが出来るだけの予め設定された受験トレーニングを最短時間で効率よく行えば良いだけなのだ。
#と、出来なかったGALANT's Cafeが言っても、なんら、説得力がないが^^;;;
(注釈おわり)
自ら試行錯誤をしながら生きたかったGALANT's Cafeにとっては。
そんなつまらない(しかし、重要なことだったのだが^^;)生き方を、素直に享受するわけもなく。
大学受験にとって意味のない、無駄なことばかりしたものだから。
学業成績なんて不振であるのは言うまでもなく。
よって、これまた揶揄され続け^^;;;
#それでも、6年間一日たりとて学校を休んだことはなかったのだ(自慢にならないが^^;)。
そんなこんなで。
学業成績は、歳を重ねるにつれて、悪化し続け。
当然のごとく、大学受験には苦戦を強いられた のだが^^;
#自慢にならんわいっ!>じぶん
それだけに、本記事にて紹介されている事例を見ると。
GALANT's Cafeだって、その道をたどる可能性が高かったのだ。
#いや、今のGALANT's Cafeだって。
#たどらないという保証は、どこにもないのだが^^;
何故ゆえに、GALANT's Cafeは、そうならなかったんだい?
これまた自ら述べることがはばかれるのだが。
やはり、本記事にてこの重要性が主張されているように、“生きる力が強かった”としか、言い様がない。
人生において。
GALANT's Cafeが大切だと思うことは、生き抜くこと。
生きるとは、決して楽なことではなく。
生きるとは、決して簡単なことではなく。
しかしながら。
生きるとは、楽しいことであって。
残念なことであるが。
今の日本の学校教育(小中高大を問わず)は。
さまざまな知識を教えることはあっても。
“生き抜く力”について教えることは皆無。
では、生き抜く力とは、何なのか?
GALANT's Cafeが思っているのは。
やはり、自ら「何を見て、何を感じ、何を考え、そして、どう生きていくのか?」だと思う。
この社会において。
人は、独りで生きて行けるわけではなく。
人は、誰かに助けられながら、そして誰かを助けながら、生きて行くわけで。
つまり“生きる”とは、誰かに助けられた恩を忘れずに、その受けた恩返しをまた別の誰かにしてあげる営みであって。
そのためには、自らが、何に着目し、何を感じ、どのように社会に貢献していくのかを考え、行動して行く必要があり。
そして、この一連の行為を継続するために、強靭な精神力と肉体、さらに、他者との深い繋がり(人間関係)を築くためのコミュニケーション能力は必須であり。
個人として優秀であり、そしてプライドが高いことは重要なことではあるが。
それ故に、組織(社会)を構成する人として生きることができないならば、そんなものは要らない。
幸運にも。
GALANT's Cafeが、この記事に出てくる事例にようにならずに済んだのは。
社会を生き抜いて行くために、如何に自らを活かすか?
この重要さを、自らの創意工夫を中心とした生き方から弾き出していたからだろう。
#って、大したこと、出来ていないんですけどね^^;
子どもの成績が良いことのリスク by 高橋 希代子氏 from SAFETY JAPAN(日経BP社)
「この筆者の着眼点は鋭い!」と、久々にGALANT's Cafeを思わせた記事。
大抵の人は、“成績が良いことが生み出すリスク”なんて、考えもしないだろう。
GALANT's Cafeも。
この筆者が述べているように、“成績が良いことのリスク”というのは存在する と断言する。
と、言うのはだね。
GALANT's Cafe自身が、危うかったからさ(・3・)~♪
こんな話を始めると。
「(GALANT's Cafeが)うぬぼれの強い奴だ」とお思いになる方も居られるだろう。
好きに思えば良い!
そんなリスクは十二分に分かっている上で、今日は話を進めたい。
と、言いつつも。
自分のことを自分で語るのも、アホなのだが^^;
#しかも、大した人間でもないくせに^^;;;
まぁ、よかろう。
この教訓が、誰かの役に立つならば。
本当に、自ら述べることがはばかれるのだが。
GALANT's Cafeも、小学校時代は優等生だった(本当に、自ら述べることがはばかれる!)。
通った小学校がとある大学の教育研究校であったこともあり、創意工夫して何をやっても、高く評価されたものだ。
#それ故に、揶揄されることも多かったのだが。
#GALANT's Cafeの基本である“闘う精神”は、こんなところから形成されてきている。
まぁ創意工夫なんて言っても。
努力したとかそんなわけではなくて。
ただ純粋に、GALANT's Cafeがしたいように生きた というだけに過ぎず。
#そしてコレがその後のGALANT's Cafeに、予想もしない事態を生じさせるのだが。
さて。
GALANT's Cafeの中高等学校時代は、どうだったのか?と言うと。
6年間、常に下から数えて1番目!(自慢にならないだろっ!>じぶん(- -;)
通った中高等学校は、中高一貫の受験校。
その出来の悪さは、「進路を再検討した方が良い」と、常に教師から言われ続けるほど。
#嘘だろって?
#いや、GALANT's Cafeの幼馴染であるふくやまが、「本当だ」と証言してくれるさ(・3・)~♪
大学受験なんてものは。
創意工夫なんてこれっぽっちもいらず。
決められたことが決められたように出来れば良いのだ。
#異論を唱えられる方も多いと思うが。
#日本の大学受験に限って言えば、「受験トレーニングだけで済む」と、GALANT's Cafeは断言する(・3・)~♪
トレーニングと言う奴には、創意工夫は要らず。
(注釈)本当は、このことは正しくない。
何事も、“No.1”になろうと思ったら、No.1になるだけの自分なりの創意工夫が必要不可欠。
しかしながら。
大学受験に限って言えば、No.1になる必要は無く(日本の大学受験において最難関と言われる東京大学の理3であっても、100名近くの学生を採用するのだ)。
つまり、その要求レベルを満たすことが出来るだけの予め設定された受験トレーニングを最短時間で効率よく行えば良いだけなのだ。
#と、出来なかったGALANT's Cafeが言っても、なんら、説得力がないが^^;;;
(注釈おわり)
自ら試行錯誤をしながら生きたかったGALANT's Cafeにとっては。
そんなつまらない(しかし、重要なことだったのだが^^;)生き方を、素直に享受するわけもなく。
大学受験にとって意味のない、無駄なことばかりしたものだから。
学業成績なんて不振であるのは言うまでもなく。
よって、これまた揶揄され続け^^;;;
#それでも、6年間一日たりとて学校を休んだことはなかったのだ(自慢にならないが^^;)。
そんなこんなで。
学業成績は、歳を重ねるにつれて、悪化し続け。
当然のごとく、大学受験には苦戦を強いられた のだが^^;
#自慢にならんわいっ!>じぶん
それだけに、本記事にて紹介されている事例を見ると。
GALANT's Cafeだって、その道をたどる可能性が高かったのだ。
#いや、今のGALANT's Cafeだって。
#たどらないという保証は、どこにもないのだが^^;
何故ゆえに、GALANT's Cafeは、そうならなかったんだい?
これまた自ら述べることがはばかれるのだが。
やはり、本記事にてこの重要性が主張されているように、“生きる力が強かった”としか、言い様がない。
人生において。
GALANT's Cafeが大切だと思うことは、生き抜くこと。
生きるとは、決して楽なことではなく。
生きるとは、決して簡単なことではなく。
しかしながら。
生きるとは、楽しいことであって。
残念なことであるが。
今の日本の学校教育(小中高大を問わず)は。
さまざまな知識を教えることはあっても。
“生き抜く力”について教えることは皆無。
では、生き抜く力とは、何なのか?
GALANT's Cafeが思っているのは。
やはり、自ら「何を見て、何を感じ、何を考え、そして、どう生きていくのか?」だと思う。
この社会において。
人は、独りで生きて行けるわけではなく。
人は、誰かに助けられながら、そして誰かを助けながら、生きて行くわけで。
つまり“生きる”とは、誰かに助けられた恩を忘れずに、その受けた恩返しをまた別の誰かにしてあげる営みであって。
そのためには、自らが、何に着目し、何を感じ、どのように社会に貢献していくのかを考え、行動して行く必要があり。
そして、この一連の行為を継続するために、強靭な精神力と肉体、さらに、他者との深い繋がり(人間関係)を築くためのコミュニケーション能力は必須であり。
個人として優秀であり、そしてプライドが高いことは重要なことではあるが。
それ故に、組織(社会)を構成する人として生きることができないならば、そんなものは要らない。
幸運にも。
GALANT's Cafeが、この記事に出てくる事例にようにならずに済んだのは。
社会を生き抜いて行くために、如何に自らを活かすか?
この重要さを、自らの創意工夫を中心とした生き方から弾き出していたからだろう。
#って、大したこと、出来ていないんですけどね^^;
少々、記事の本論から外れるかもしれませんが、
最近の少年犯罪を見ていると、「優等生だったのに」「特に問題児と思われなかったのに」という言葉をやたら聞きますが、そういうところにも通じるのかもしれません。
んで、話を本論に戻して・・・。
逆に成績が良くないということは、学業に関して言えば常に逆境にあるわけで、その逆境を如何に乗り切るか(生き抜くか)という力は養われていくように思うんですよね。成績優秀だと大学入学までは壁にぶつからずに進めるわけですから、壁にぶつかったときにはどうしたらよいか分からない⇒生き抜けない、ということになるんでしょうね。
人間、逆境に立つと、思わぬ力が出てきたりします。私はそれを社会人になってから(病気の件とは別で)体験して、そこで生き抜く力を付けられたのかなぁと思ったりしています。(んなら、なんでこんな病気になるんよ?!って突っ込まれそうですが・・・)
正しくは、「一人で生きているのではない」ですよね。
誰かに必要とされ、それに応えようとする時、
人は生き生きと生きられるのではないかと思います。
それは身近な誰かかもしれないし、広く一般の人かもしれません。
成績さえよければかなりな事が許される環境にある最近の子供たちは、
譲ることや我慢することを知らずに育ちます。
思い遣る気持ちのない人は想像力に欠けるから
は?と驚くような悲惨な事件も起きるのでしょう。
育てる側の大人がそもそも間違っている。
私的には、文部省の役人はじめ、閣僚達は
義務教育の間は自分の子供を地元の公立校に通わせなければならない
とすれば、かな~り状況が変わってくるような気がするのですが(邪推?^^;
話が横道へ~(汗
本件のことは、最近さまざまな形で現れる未成年の犯罪にも、多大な影響を与えていると思います。
“人間、逆境に立つと、思わぬ力が出る”というのは、おっしゃるとおりだと思うのですが。
これは、それなりのトレーニングを積んできた人間に言えること。
なんらトレーニングを積まず、逃げ回ってきた人間には、そんなものはおろか、“ロクでもない力”-つまり、それが上記の犯罪のような-になって、出てくるように思います。
つまり、“正しいトレーニング”を積ませて、“逆境に立つと、思わぬ力が出る”ように育てていかなければならない-それは、学業だけではなく、社会においても- そう、GALANT's Cafeは思うのです。
大人になるまでに教えておかなければならないことなんて、山ほどあると思うのですが^^;
GALANT's Cafeとしては。
まずは、「如何に、人の役に立つか?自ら考えることの大切さ」だと思うのですよね。
そのためには、自発的に“人の役にたった”ことによって得られる喜びが、どれほど大きいものであるか、これを体感させる必要があると思います。
ポイントは、“必要とされて”役に立つ のではなく、“如何に必要とされるか”を自らよく考えて行動した結果、役に立つということ。
何事もすべて受身では、決して得られない感動。
自ら与えなければ得られない感動。
このことを、現在の教育は教える必要があると思います。
このようなことは、学校教育ではなく家庭教育だと、GALANT's Cafeは思いますが、現状では厳しいのかもしれません(それだけ、家庭内における教育力が低下(いや皆無)しているのでしょう)。
なので。
公立校に通わせようが、私立校に通わせようが、それは手段に過ぎず、どちらでも良いと思います。
私が公立にと書いたのは、わが身のこととなれば
もちっと真剣に教育要項を考えてくれるのではないかなということです。
お役所仕事でしか、考えないし。
制度上、いろいろ面倒だし(一律同じに...という考え方に無理があるよ...)。
私立の方が、創意工夫のし甲斐があるのかも。
機会は均等でなければならないと思いますが。
能力ややる気は均等ではないし。
難しい問題です。