サイコロジスト101

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宮田洋先生

2021-09-22 22:54:08 | 生理心理学
恩師宮田洋先生が2021年8月25日に他界されました。
突然の訃報に驚き、躊躇し、目の前のことを片付けることしかできなくなってしまいました。
訃報を知ったのは翌週月曜日8月30日のことでした。
facebookの知り合いのページに訃報が掲載されているのを発見。
事実確認をした上で、自分のページにも訃報記事を掲載。併せて知り合い各位へメール、メッセンジャー、Lineなどあらゆるメディアで連絡。
瞬く間に訃報は周知され、私のpageは宮田先生との思い出に関する記事で溢れました。
翌週月曜日でしたか、宮田先生のお嬢様から自宅に留守電。落ち込んだご様子の声を家内からのLINEで聞き、あわてて電話をかけたことは言うまでもありません。

事実が判明しました。
宮田先生は今年5月の連休辺りから足腰が弱り、ご自分のお住まいからお嬢様の元にうつることとなったそうです。
そして8月25日、食事を誘いに寝室に入ると息がない。
救急車を呼び、救急隊の指示でお孫さんが人工呼吸をし続け、到着した救急車で西宮の病院に搬送。
到着後、死亡が確認され、それ以降、通夜・葬儀の準備で時間が過ぎたとのこと。
コロナ禍の葬儀というので、家族だけで葬儀を営み、法名「釈弦洋」を与えられ埋葬されたということでした。

宮田洋先生の関係者への訃報の連絡は、関西学院大学文学部総合心理科学科のホームページ上で公示されました。
また、宮田先生が発起人となって作られた日本生理心理学会のメーリングリストでも公開されました。

それから各方面の諸先生方にも訃報は伝わったようです。

生理心理学会の機関誌「生理心理学と精神生理学」に追悼文を書くようにと依頼があり、断る理由もなく引き受けました。
ところが私は怪我で入院の最中とてまったく資料がありません。
宮田先生が亡くなられた翌日に入院し、翌々日に手術、知らせをうけたときは麻酔から覚め、痛み止めによる発疹が収まっていない間。
9月9日に退院し、追悼文のための資料を整理しはじめました。その後、術部の痛みが緩み、折れた骨の固定も行き届くようになり、自分の足で20分ほど歩ける体力が回復したのがようやくここ数日。

本日、ようやく、追悼資料のいくばくかをまとめはじめるとととした次第。

宮田洋先生の学術的側面を、3つの側面から整理しようと考えています。
まず、研究者として条件反射研究から日本の学習心理学・実験心理学黎明期を生きた若手・中堅研究者としての宮田洋先生。1950年代から1970年までの20年でしょうか。
次に、関西学院大学文学部心理学科教授として、弟子たちと築いてこられた生理心理学スクール創業者としての宮田先生。1970年代から1990年代までの20年。
そして、ロシア、ポーランド、米国の研究者との交流、工学、産業、臨床医学分野との共同研究推進社としての宮田先生。1990年代から2010年までの20年。
資料をよみつつ、これら3つのラインを引いて、宮田洋先生の業績を偲ぶことが使命だと思い至りました。

以後、このBLOGに、短い文章を書き込んでまいります。
お読みいただいた先生方におかれたは、私の勝手な考えや、誤謬をみつけられたら訂正をおっしゃってください。
まずは9月中に第一のテーマをまとめる予定です。

2021/09/22
山田冨美雄

久しぶりのNews

2021-08-02 15:54:06 | ニュース
ホームページを新しくしました。

https://psychologist101.com

です。
とりあえずは、私の書いたモノの貯蔵庫としての設計です。

アンケート機能は以前と同様、私の開発した心理スケールの試用を目的としています。

また、オンライン調査にも利用しようとおもっています。

心の働きを科学するサイコロジーを、実社会に役立てるためのツールとして位置づけています。

取り急ぎニュースでした。

2021/08/02
山田冨美雄

新型コロナウィルスを機に会議を短くする

2020-03-03 17:14:15 | Weblog
新型コロナウィルス騒動下で考えた。
1月15日に我が国で最初の罹患者が確認されてから1月半がたちました。
私の勤める大学でも、卒業式が中止となり、予定されていたイベントが次々と中止。
目に見えない小さなウィルスが対象なので、感染経路を遮断する感染予防しか手がありません。
電車通勤の身には、マスクをしてできるだけ人の少ない車両に乗ることが唯一の予防策です。
そんな最中でも、会議をしなくてはならない。
短時間に、手短に会議を終えたいと考えています。
どうしたらよいでしょう。
コロナ危機に乗じて、会議をボイコットできれば・・・。
それができないのでいい方略を考えます。
事前にメールや電話で会議の要旨を伝えておくのです。
、会議の流れを事前に示すわけです。
会議では、結論への導入と、挙手による判断を仰ぎます。
喋りはじめると止まらないし、ウィルス保有者だったら、吐く息が怖い。
挙手だけで済む。
そんな会議だったら、5分で終わります。
コロナウィルス騒動にかかわらず、この手で会議は短く終えたいものです。

国会で政府は、概ねそのような方略で臨んでいるのでしょうか?
せめて重要案件だけでも・・・と期待しています。

2020・03・03


公認心理師カリキュラム素案(叩き台)が出ました。

2016-12-09 20:34:11 | Weblog
公認心理師カリキュラム素案(叩き台)が出ました。
ほぼ想定の範囲。
とはいえ、画期的なことも含まれています。
公認心理師養成をめざす心理学系大学、ならびに大学院担当者はこの資料を穴があくほど読み込んでおく必要がありますね。
さきほど来、関係者と意見交換を行いました。
基本的には、卒業時に到達すべき目標を定めて、そこを達成できるようなカリキュラムを含む教育全体をデザイン、作成、文書化する教育法:Outcome-based educationによるもの。
私なりにみた要点は
1 学部教育で知識を学ぶので国家試験の問題は概ね学部教育の中から出される。
2 大学院教育で技術を修得するので国家試験では実場面で必要とされる具体的な問題解決能力が試される。
という大まかなところ。
呈示されている大学(学部)での科目名(叩き台)はこれまで出されてきた各種案とは違うもので、どちらかというと学術会議・日心案に近い。
まず第一に「公認心理師概論」が初めて出てきた科目名。
構造は理解可能。
A 心理学基礎科目
①公認心理師概論
②心理学概論
③心理学研究法(統計法を含む)
B 心理学発展科目
(基礎心理学)
④認知・知覚心理学
⑤学習・言語心理学
⑥感情・人格心理学
⑦神経生理・生理心理学
⑧社会・集団心理学
⑨発達心理学
⑩障害児(者)心理学
⑪心理検査法
⑫心理学的支援法
(応用心理学)
⑬健康・医療心理学
⑭福祉心理学
⑮教育心理学
⑯司法心理学(犯罪心理学を含む)
⑰産業心理学
(心理学関連科目)
⑱人体の構造と機能及び疾病
⑲精神疾患とその治療
⑳関係行政論★
C 実習演習科目
㉑心理演習★
㉒心理実習★★
概ね1科目2単位(30時間)が目安。
★:6単位(90時間)
★★:6単位(270時間)
 すべて必修として56単位。
すごい分量です。また実習が270時間というので長い。
なおここには「臨床心理学」という科目名はない。おそらく臨床心理学というのは応用心理学と同義で使われることが想定できる上位概念。
各科目に含まれる内容についても詳細が掲載されています。
http://www.mhlw.go.jp/stf/shingi2/0000145469.html
さ、次回12月22日(木)の審議ではどのような意見が出されるんでしょう。各学会、関係者は注目すべき時となるかも知れません。

公認心理師のカリキュラム

2016-12-02 03:38:55 | Weblog
東京で、M先生と食事会をもつことができました。
長く心理職の国家資格を実現するために苦労してこられたM先生のこと、どのような心境か尋ねました。

おそらく感無量といったところかと思いきや、いや、まだまだこれからが正念場との感想。
カリキュラムがどのような方向に向かうのかという私の不安とも一致したようです。

これまで医療現場で心理職が働いてきた長い歴史をみると、色々な苦労がみえてきます。
M先生も然り。N大学病院精神科で心理職として働いてこられました。
大学の教員列に就かれてからしか私は知らなかったのだけれど、それまでは大変だったようです。
国家資格のない身分で、病院臨床の場で医療職に就くというのは並大抵のことではありません。
おそらくどこの病院でも、心理職といえば事務職、補助業務としての扱いだったとおもいます。

私のことを言えば、大学院に合格が決まってからの2年弱、兵庫県にある某精神科病院の心理士として末席を汚していました。
1970年代半ばのことで、そのときの報酬は1日5000円ほどだったと記憶しています。
週1度精神病の患者さんと接することができ、ロールシャッハテストやバウムテスト、クレペリン検査や知能検査など、あらゆる心理検査ができる実習の場。
お金を払うのではなく、お給料がもらえるというので、とても充実した病院勤務を過ごすことができました。
バイト感覚と言ってしまえばそれまでですが、家庭教師が1日5000円程度だった時代。奨学金をもらいながらの優雅な院生ライフ。
就職先にしようとは思わなかったけれど、看護師や栄養士の方と話をすれば、ああこんな毎日も悪くはないかなと思っていたものでした。

医局では同年配の研修医と仕事の話やら研究の話で楽しく過ごしていました。
大学院での研究テーマは精神生理学。眼輪筋反射の実験を始めたところだったので、医学部生理学教室や神経内科教室で研究生をしているドクターとは話が合いました。脳波筋電図学会(当時)では、医師も心理職も分け隔てなく、学術研究者として扱ってもらえました。
なので病院でも同じような感覚で、他職種と話をしていた私でした。ところが給料はというと夜勤するドクターの日給は5万円。ナンと私の10倍というのには驚きました。国家資格というのは凄い、というか、病院では医師はアルバイトでも凄い待遇であることを知った次第。

M先生は大学以来ずっと大学病院精神科で勤務されていたとか。おそらく待遇についてはご不満も多かったのではとおもいます。
そんな彼も大学准教授に昇進されたというので祝杯を捧げました。
医学部病院で心理職が准教授になるというのはまず日本では希有なこと。一般教養の教員ならまだしも、臨床講座ですからね。

国家資格公認心理師の法律はできました。M先生などの苦労があっての成果です。
後は制度として本格的に稼働し、立法の精神の下に運用がなされる話を祝杯の肴にしたことはいうまでもありません。
多くの病院心理職のみなさん、公認心理師制度をしっかりしたものにしていきたいものです。

2016/12/02