○△□ ∞ 鶴千亀万 人間百年

『鶴は千年、亀は万年、人間は百年へ』

○△□ 真珠の小箱「樂吉左衛門/ちゃわんや」

2013-03-04 | メモ

世間の価値観破る「ちゃわんや」 :日本経済新聞

伝統の否定こそが伝統 陶芸作家 樂吉左衛門 

 京都の楽焼15代目、樂吉左衛門さんは「自己否定」を繰り返す。千利休のわび茶を象徴する黒楽、赤楽の茶碗(ちゃわん)を創始した初代の心を訪ね、伝統の否定こそが伝統と知ったからだ。

 小学生が我が家の隣の樂美術館にきて面白いことを言ってくれた。「なんで色を使わないの」と。「このお茶碗、キレイに見えるかな」と聞くと「キレイくない」。「じゃあ、嫌いかい」と重ねて聞くと「嫌いじゃない」。

 子供は本質を見抜く。楽の茶碗はデザインではなく土なんです。キレイでなくても、精神的な世界に働きかけてくる存在の確かさがある。

 24年前、美術館で初代長次郎400年忌の展覧会をしたとき、全国から長次郎の名碗が集まった。利休の依頼で楽茶碗を作った長次郎は「この美を受け入れるか」と秀吉のような権力者を挑発している。激しい世界だった。

 歴代がもし集まって長次郎談義をしたら、おそらく全員が違う見方をするでしょう。長次郎の美をどう考えるか。それが自分の茶碗になる。

 自分も展覧会以降は「飲めるものなら飲んでみろ」という勢いで茶碗を作ってきた。長次郎の伝統を守って、世間的な価値に一突き斬りつけ、価値観を変えていく。その牙こそがアートの命だ。世間の価値観を破りきる。

 

 

  ■既成の価値観を否定し、自分をも疑う自己否定の青春だった。

 

 

 東京芸大で彫刻を学ぶが、アカデミックな裸婦像を作ることに意味が見いだせない。うそっぽく感じてしまう。なぜ作るのか。大学に入って2年もすると何も作れなくなった。常識的な価値観が自分のものではない、主体性を欠く借り物のように感じられた。「美しい」と思う自分の感覚さえ疑い始めた。陶芸はとくに遠ざけ、芸大でも工芸教室には近づかなかった。

 

 

  ■芸大卒業後のイタリア留学が転機に。

 

 

 例えばゴヤやミケランジェロに感動する自分がいて、でも、なぜ感動しているのかわからない。自己表現は自分がまずあって、そこから出てくものだと思っていたから、作るものがうそっぽくみえた。が、自己はそういうものではない、織物みたいなものかもしれないと気づいた。織物の縦糸と横糸の間は虚であり、空です。自分は虚なんだ、織り込んでいく行為こそが大事なんじゃないかと考えた。

 西洋に行くと、イエスかノーかで論理を組み立てられないと、お前は何を考えているかわからないと言われてしまう。でもイエスでもノーでもない世界があるだろう。そう思って、改めて日本文化に目が向くようになった。

 たとえばキリコの絵では光と影が画然と分かれるが、日本文化には光でも影でもない領域が広くある。近代合理主義に組み込まれないものが本質にあって、禅にもつながるし、能にもつながる。

 自分がとりつかれた自己否定の先に、実は長次郎がいた。否定の上に否定を重ねると、禅的にいえば全面的な肯定にいたる。長次郎の茶碗はそういうものだと思う。

 この自分は何者か。芸術家でもない。職人でもない。一番汚れていない言葉で示したいと思う。だから私、ちゃわんや、ですねん。

(聞き手は編集委員 内田洋一)

 

 (らく・きちざえもん)1949年京都市生まれ。東京芸大彫刻科卒。81年15代吉左衛門を襲名。奔放な作陶で知られ、茶室のデザインや写真も手がける。襲名30年を機に自作を回顧する「ちゃわんや」を出版。

陶芸家 樂吉左衞門(1) ローマで出合った茶の世界 :日本経済新聞

大学卒業後、イタリアに2年留学した  

 伝統の一切を拒否していた私を茶の世界に向かわせたのは、ローマの裏千家出張所の野尻命子師だった。初めての出会いは東京芸大在学中21歳の時。当時、彫刻科の学生だったが、自分が何者なのか、何を表現したいのか分からなくなっていた。自己懐疑の嵐とでも言おうか。1970年の夏、私はリュックを担いで欧州を放浪、最後にたどり着いたのがローマだった。

 彼女のことは父から「おまえの大学の油絵科の先輩だ」と聞いていた。だが、この訪問が懐疑の中から私を救ったとは。

 ローマの出張所は大きな建物の6階、茶室が設えてあった。驚いたのは稽古の顔ぶれ。ベネディクト派やイエズス会の神父に前衛音楽家や建築家、詩人達。邦人は1人もいなかった。稽古は40分ほど座禅の後、イタリア語で行われた。もちろん正座。足のしびれを我慢し、名品に浸ることなく、華やかなお付き合いもない。

 何より新鮮なのは、おのおのが生きるという問いの中に、茶の湯を据えていること。精神性に満ちた真剣な稽古を通して、老神父は「宗教家として自身の信仰に足りない部分を感じさせてくれる」と言って一碗(わん)を手にし、建築家は余白と間の美にひかれて空間と物の配置に目を見張り、音楽家は「茶の湯は我々が取り組む即興そのものだ」と耳を澄ます。その時、私はローマ留学を決意した。

 3年生を留年。ようやく卒業。留学すると、出張所に通って初歩の「盆手前」から学び始めた。彼女は私の稽古が進むと茶のデモンストレーションに伴った。行く先が変わっていて、ドイツの精神学会コミューンだったり、東西文化研究の集まりなど。ここでの茶の湯は精神医学であり、哲学であり、信仰であり、音楽であり、そして何より人生であった。

 また、彼女は「これ」というとっておきの西洋美術を見に私を連れて行った。様々なロマネスクの教会、画家グリューネヴァルトの「イーゼンハイム祭壇画」など。それらを前に私は懐疑を破り身体を突き上げる感動を体験した。西洋に直接触れる。それは同時に私の内なる日本的なるものに目覚めること。西欧に身を置くとはこういうことだ。

 私は少しずつ自分自身である事に自信を取り戻した。2年目の冬を過ぎた頃、帰国を決意した。茶碗作りをするために。

 
 

 らく・きちざえもん 樂家十五代当主。1949年に樂家十四代覚入の長男として京都市に生まれる。73年に東京芸術大学を卒業し、2年間イタリアに留学。帰国後、作陶に入り、81年に吉左衞門を襲名。日本陶磁協会賞金賞、フランス芸術・文化勲章シュヴァリエなどを受賞。著書に「ちゃわんや」など。

  

 

 


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