日本の傳統(伝統)を守らう!

皇位繼承問題を主に扱ひます。メル突(場合によっては電突)を實踐(実践)・推奬してゐます。

久し振りに朝日への電突

2006-08-04 22:15:15 | 反日メディア


朝日の社説に對して電突せり。
私: 先づ質問だが、東條の弱腰といつて戰爭を煽つたという話も有るのだが、本當か?

朝: 私は確認はしてゐないが、最近歴史と向合ふ、といふ特輯をしてをり、
    それによれば、メディアが戰爭に加擔したといふのは、事實として有つたやうだ。

私: (あっさり認めるのもんだな)
    それでは意見を言はせて貰ふ。   
    朝日の態度は責任を一部の人にになすり附けてゐるやうにしか見えない。
    とても反省してゐるやうには見えない。

今後もこと有るごとに突込みを入れむ。

電突・メル突先:
	朝日新聞東京本社 03-3545-0131
	朝日新聞公報     03-5540-7616

---- 靖国参拝 嘆かわしい首相の論法 (朝日新聞社説 2006/08/04 http://www.asahi.com/paper/editorial20060804.html)

 靖国神社参拝にこだわり続けた5年間の、小泉首相なりの最終答案ということなのか。それにしては、なんともお粗末と言うほかない。

 3日付で配信された小泉内閣メールマガジンで、首相は年に1度の参拝に改めて意欲を示した。

 そのなかで「私の靖国参拝を批判しているマスコミや有識者、一部の国」に、こう反論している。「戦没者に対して、敬意と感謝の気持ちを表すことはよいことなのか、悪いことなのか」

 悪いなどとは言っていない。私たちを含め、首相の靖国参拝に反対、あるいは慎重な考えを持つ人々を、あたかも戦没者の追悼そのものに反対するかのようにすり替えるのはやめてもらいたい。

 首相はこうも述べている。「私を批判するマスコミや識者の意見を突き詰めていくと、中国が反対しているから靖国参拝はやめた方がいい、中国の嫌がることはしない方がいいということになる」

 これもはなはだしい曲解である。

 日本がかつて侵略し、植民地支配した中国や韓国がA級戦犯を合祀(ごうし)した靖国神社への首相の参拝に反発している。その思いにどう応えるかは、靖国問題を考えるうえで欠かすことのできない視点だ。

 ただ、それは私たちが参拝に反対する理由のひとつに過ぎない。首相の論法はそれを無理やり中国に限定し、「中国なにするものぞ」という人々の気分と結びつけようとする。偏狭なナショナリズムをあおるかのような言動は、一国の首相として何よりも避けるべきことだ。

 その半面、首相が語ろうとしないことがある。あの戦争を計画・実行し、多くの日本国民を死なせ、アジアの人々に多大な犠牲を強いた指導者を祀(まつ)る神社に、首相が参拝することの意味である。

 戦争の過ちと責任を認め、その過去と決別することが、戦後日本の再出発の原点だ。国を代表する首相の靖国参拝は、その原点を揺るがせてしまう。だから、私たちは反対しているのである。

 昭和天皇がA級戦犯の合祀に不快感を抱き、それが原因で参拝をやめたという側近の記録が明らかになった。国民統合の象徴として、自らの行動の重みを考えてのことだったのだろう。もとより中国などが反発する前の決断だった。

 国政の最高責任者である首相には、さらに慎重な判断が求められる。

 憲法に関する首相の強引な解釈もいただけない。憲法20条の政教分離原則は素通りして、19条の思想・良心の自由を引き合いに、こう主張した。「どのようなかたちで哀悼の誠を捧(ささ)げるのか、これは個人の自由だと思う」

 19条の規定は、国家権力からの個人の自由を保障するためのものだ。国家権力をもつ首相が何をやろうと自由、ということを定めた規定ではない。

 こんなずさんな論法で、6度目の参拝に踏み切ろうというのだろうか。15日の終戦記念日に行くとも取りざたされるが、私たちはもちろん反対である。

思ひ切り昭和天皇の御言葉(假)を利用しとるし。

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