≪手を動かさねばっ!≫

日常で手を使うことや思ったこと。染織やお菓子作りがメインでしたが、病を得て休んでいます。最近は音楽ネタが多し。

橋本晋哉 セルパンリサイタル01 "La lettre S" に行った。

2024-08-02 16:56:56 | 音楽

桒形亜樹子 フランソワ・クープラン 第1オルドル全曲演奏、第2オルドル全曲演奏リサイタル に続いて、スタジオ ピオティータ ではこれが3回目だ。
今回は夫も一緒なのだが、桜上水駅からではなく西永福駅から行った。
西永福駅からの道順の方はさらに難しかった。夫と一緒じゃなかったら始まるまえにたどり着けたかどうか。

さて、セルパンだ。 なんじゃそりゃ !?
セルパンというのはフランス語で蛇という意味で、古楽器です。上の写真のように曲がりくねっているので、蛇だ というのは直感的に分かる。
「16世紀後半にバス・コルネットから発展したと考えられるセルパンは、17-8世紀を通して教会の楽器として、特にフランスで広く用いられた」とパンフレットにある。
歌口を見れば分かるが、いわゆる金管楽器の仲間だ。といってもクルミなどの木製なんだそうだが。
コルネットというと同名の楽器があって紛らわしいが、別名が ツインク といえばもう少し特定しやすい木製の金管楽器の古楽器がある。少しだけ湾曲した縦笛のようにも見える。コルネットの語源が角笛なので腑に落ちる。それの音を低くしようと管を長くしつつ 孔に手が届くようにした結果 曲がりくねったのだ、という説明が分かりやすかった。
現在の金管楽器はバルブやロータリーで空気の通り道を迂回させて音程を変えるが、昔はリコーダーのように孔を開けてそこを塞いだり塞がなかったりする方式だったので、よけい木管楽器っぽいのだ。

セルパンの重さ当てクイズ! 1kg?2kg?3kg?? と橋本晋哉氏が持ち上げて見せているところ。
たった2㎏しかないそうだ。ひょいと片手で持ち上げられるわけだ。
半割りの木管を貼り合わせ革でぐるぐる巻いてあるらしい。

「その特徴的なS字型のフォルムから当時の絵画や彫刻にしばしば現れるものの、教会以外で用いられた資料、特にこの楽器のために作曲された当時の協奏曲の類は、今の所みつかっていない。ただし当時は楽器指定も寛容だったことから、同じ低音楽器のための作品をセルパンで演奏することが、(取り敢えずは)現代のセルパン奏者の古楽への入り口となる。」とパンフレットにある。
というわけで、多くの曲が書かれたチェンバロのリサイタルに比べると、演目の工夫が違う。ありていにいえば、セルパンのための曲が少ないんですよ。


パンフレット。
プログラムの内容は 24/06/16 橋本晋哉セルパンリサイタル01プログラムノート で読める。

最初の曲は、ジャック・ルボチエ 作曲、『S』。S は "La lettre S" と読み、つまりそれはフランス語で「Sという文字」という意味です。b.1937 というのは 1937年以前という意味だろうか。
セルパンの音色は不思議だ。ざっくりいってしまえば雑音が多いんだけれども、それが暖かみになっている。チューバとはずいぶん違う。
セルパンを鳴らしながら声を出したり、橋本氏は循環呼吸を駆使して長い音を出したり、なんとも不思議な曲だ。
そして合間にフランス語で何かを語る。悲しいことにフランス語はちっとも分らない。
分からないのでよけいにケムに巻かれたかんじで、呪術的に聞こえてしまった。

その次はミシェル・ゴダールの作品、『Serpens Secundo』。 secundo は英語だと second で、2番目や秒という意味がまず思い浮かぶけれど、刻(とき)という意味が題名にふさわしいんじゃないか、と橋本氏は言っていた。
ゴダール氏は現代にセルパンを復興させた立役者で、橋本氏の先生でもあるそうだ。
ちょっと調べると、チューバでクラシック曲のアルバムを発表したり、セルパンとチェンバロで古楽のスタイルのオリジナル曲を発表したり、敢えていうならジャズのジャンルで エレキベースを弾いてルーパーで鳴らした上にセルパンを吹いたり 、ジャンルを軽々と越える方のようだ。

ちょっと話がそれた。リサイタルに戻る。
『Serpens Secundo』の次は、古楽のジャンルの ディエゴ・オルティスの 『レセルカーダ第1番、第2番』を演奏する。

そのあと飯塚直氏を加えて、鈴木広志氏の作品、『百歳になって』を演奏する。谷川俊太郎氏の詩だ。一気に400年を往復してクラクラする。
飯塚氏は日本語の歌を歌い、でっかいリコーダーを吹いた。

前半の最後は、ジャチント・シェルシの『マクノンガン』。これも現代もの。
低音の楽器指定がない曲だととにかくマイナー楽器がむらがる、と橋本氏は言っていた。チューバやファゴット、バリトンサックスあたりは納得できるが、音域の広いアコーディオンまで来るのか。


橋本氏のセルパンの話は面白かった。
ヨーロッパはトルコと何度も戦争をしているが、トルコの軍隊の音楽隊には大きな影響を受けた。
そういえば、ヨーロッパではトルコ風の音楽が流行したりティンパニを導入したりしたっけ。
マーチングバンドも導入したが、低音がちょっと困ったらしい。トロンボーンはスライドが邪魔だしリコーダーの大きいのも邪魔だ。
セルパンがいいじゃないか! 横に構えれば歩くのにも邪魔にならない。
ということで、教会関係じゃないセルパンの使いどころが新たに出来たらしい。
しかし金属加工の技術が向上し、セルパンの金属版とでもいうべき オフィクレイド が現れ、その後はバルブのついたチューバに座を奪われ、セルパンは衰退したそうだ。

橋本氏がセルパンを吹いている短い動画がXにあるので貼る。
ニョロニョロとファミマに入って出て行く楽器』、という曲名でいいのかな?
セルパンのために書かれた曲が少ないので、セルパンをやるのには 作曲/編曲能力や 抜け目なくチャンスを掴む能力が発揮されるんだなあ。


休憩のあとは、一番最初に演奏したジャック・ルボチエの『S』を、今度は飯塚直氏も交えて演奏する。
フランス語の詩のかわりに飯塚氏が日本語で言うのだ。彼女はメドゥーサとおぼしき、ヘビをいくつも生やしたカチューシャを頭にはめ、ヘビのぬいぐるみを手に持って朗読した。日本語になっても、ワケワカラン。
なんでも元の詩は S の発音が多いんだそうで、その中でも人前で言うには勇気のいるある言葉を 日本語で何というか、橋本氏はすごく悩んだらしい。飯塚氏は上手く表現したなあ。


一番上の写真でセルパンの後ろにチェンバロがあるのが見える。そのチェンバロとセルパンとリコーダーでの演奏が、バルトロメオ・デ・セルマ の『カンツォン第1番 』だ。17世紀にファゴット用に書かれた曲をセルパンで演奏する。チェンバロ演奏は桒形亜樹子(くわがたあきこ)氏です。
オーボエと合わせるチェンバロの演奏は見たことがあったものの、もうちょっと多い人数のアンサンブルでのチェンバロというのを見たことがなかったので、興味深かった。楽しそうだ。いつか通奏低音のチェンバロも勉強してみたい。

セルパンの曲がないなら作ってもらうしかない、ということで大熊夏織氏に『口寄せエンターテイメント』を書いてもらったそうだ。
大きなリコーダーを、歌口だけ外して、それの底を手で覆ったり開いたりして音を出して、なんというかワケワカラン。現代曲っぽいっていうんですか。口寄せ というだけあって、呪術的。
今回のセルパンリサイタルはこういうテイストがずっと通っているようだ。

そして、前半で演奏したディエゴ・オルティス の続きと思しき『レセルカーダ第3番、第4番』をソロで演奏する。

その次は、大御所ヨハン・セバスティアン・バッハの『地獄の蛇よ、畏れはせぬか?』。
BWV 40 カンタータ第40番『神の子の現れたまいしは』には8曲含まれるが、その中の5曲目のレチタティーヴォなんだそうだ。
たくさんあるバッハの曲を片っ端から調べたが、蛇 が出てくるのはこの曲だけだったそうだ。

鈴木純明 『ヨハン・セルパン・バッハ』。大バッハの蛇のあとにはこれを演奏する決まりでしょう。
大バッハっぽいフレーズが現れてニヤリとする。

桒形氏によると、このリサイタルには演目の曲を書いた作曲家が幾人も見に来ていたらしい。

アンコールは、武満徹 作曲 川島素晴 編曲『死んだ男の残したものは』。谷川俊太郎作詞の反戦歌だ。
これは3人で演奏した。
アンコールにしては重い内容の歌詞だったかも、と思わなくもなかったが、ウクライナやパレスチナで起きていることをを思えば、今の時分に相応しいな。

歌や声との距離の近いプログラムだった。


☟ 休憩中にチェンバロをチューニングする桒形亜樹子氏。





 
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イリアーヌ・イリアス ライブに行った。

2024-07-08 18:03:39 | 音楽

高崎芸術劇場 ELIANE ELIAS ☜ 公演情報

昨年も 高崎芸術劇場でブルーノート東京サポートでリチャード・ボナのライブを観た が、今回のブルーノート東京サポートは大御所美魔女のイリアーヌ・イリアスが来る!
見逃す手はないでしょう。


イリアーヌ・イリアスはグラミー賞とラテン・グラミー賞の双方を獲得し、また全米ジャズ・チャートとブラジル音楽チャートの両方で首位を獲得した世界的なアーティストだ。
ピアニストでもありヴォーカリストでもある。彼女のピアノ演奏やボサノバの歌を生で聴きたいと思っていたのだ。


始まるまえ。写真☟だとハレーションしちゃっているけど、ステージの上で光っている文字は BlueNoteTokyo とある。
ボナのときと同じだな。
ピアノがステージの中央にある。向かって右側にドラムスのセットがあるが、なぜか左側にもスネアがある。ドラムス担当のほかにパーカッション担当のメンバーは書いてなかったけどなあ。


予定時刻より5分ほど遅れてイリア―ヌはステージに現れた。スリットの深く入ったロングスカートがよく似合っていた。
ボサノバの歌って柔らかくて決して張り上げない声だけど、生で聴くと思いのほか迫力があった。

'VOCÊ' という曲のまえに、VOCÊは英語でYOUだけれど、日本語では何と言うの?と観客に英語で尋ねた。
あなた! と何人か答えたけれど、ああな?? よく聞き取れないわ、というジェスチャーで終わって曲に入った。
観客とのやり取りはたいていどのステージでもあるけれど、どっしり優雅な雰囲気は今までわたしは味わったことがなかったな。

イリアーヌが歌うときは最初は歌詞をポルトガル語で歌って、その次に英語で歌うことが多かった。意味が分かりやすいからね。
でもやはり言語のリズムが違うから、ボサノバはポルトガル語だよなあ、と再認識した。

イリアーヌのピアノは骨太だった。歌はボサノバで優しいけれど、ピアノは力強い。ボサノバらしい部分も多いが、ソロはジャズがゴリゴリしていた。
支えるメンバーはマーク・ジョンソン(ベース)、リアンドロ・ペレグリーノ(ギター)、ラファエル・バラタ(ドラムス)で、マーク・ジョンソンがイリアーヌの夫だ。
そういえば、まえにライブで観たステイシー・ケントはサックスの夫を だんなー、と言ってうけていたし、グレッチェン・パーラトもドラムスが夫だったっけ。
ドラムがとてもよかった。どういう曲なのか、どういう局面なのかが分かりやすくなるように音が入ってくる。
上手い人って沢山いるのねえ。

ドラムスのラファエル・バラタが、くだんのピアノの椅子の奥のスネアに移る。ギターも移動する。
「ボサノバはアパートの一室で生まれました。」とイリアーヌが言って、爪弾くギターが静かに鳴り始める。スネアはブラシだけ。
ボサノバっていいなあ、ボサノバを大事にしているんだなあ。しみじみ伝わってくる演出だった。

そのあと元の位置に戻って迫力のある演奏だ。
観客を飽きさせない演出にベテランの技を感じた。

ブルーノート東京ではなく高崎芸術劇場で観ることが出来てよかった。

ところで、イリアーヌ・イリアスの名前ってガリレオ・ガリレイみたいだね。


終わったあとのステージ。



終わって外から眺める。
上から2枚目の写真の同じ青い電子ポスターが3枚並べてあるのがちらと見える。





 
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桒形亜樹子チェンバロリサイタルに行った。

2024-06-18 17:14:35 | 音楽

今年も松本市音楽文化ホールでの桒形亜樹子氏のチェンバロリサイタルに行った。
わたしはこれが3回目になる。

今年のテーマは「バッハの家族愛」~愛妻アンナ・マグダレーナと天才長男フリーデマンの音楽帳を紐解く~ だ。
プログラムを開くと、バッハの家族愛~「え、これもあれもバッハでなかったの?」とあるけれど。

アンナ・マグダレーナはJ.S.バッハの後妻だ。16歳年上の4人の子連れと結婚かあ。
『アンナ・マグダレーナ・バッハのクラヴィーア小曲集』をピアノで練習した人は多いと思う。曲集はやらなくても、ト長調のメヌエットを弾いたことのある人は多いんじゃんいかな。
この音楽帳は大バッハがソプラノ歌手の妻に贈ったといわれているが、大バッハ自身の曲だけでなく前妻との息子のカール・フィリップ・エマヌエルの小品やクープランやペツォールトのクラヴサン曲が無記名で載っている。
有名なト長調のメヌエットが実は大バッハ作ではなくてペツォールト作だった、というのは最近はだいぶん有名になったね。
まあそこら辺が、「え、これもあれもバッハでなかったの?」というわけですね。


今回のリサイタルも 前々回 同様、2台のチェンバロが舞台にある。
左の焦げ茶色のがホール所有のファン・エメリック製作 フレミッシュ様式2段鍵盤チェンバロで、右が島口孝仁2000年製作の Paskal Joseph Taskin 1769 モデルだ。
島口チェンバロなのは前々回と同じだが、今回は2段鍵盤なのが違うな。
最初の2曲だけホールのチェンバロを弾いて、残りは島口チェンバロを弾いたのも前々回同様だな。ホールのチェンバロより島口チェンバロの方がキラキラした音がするんだよ。
ホールのチェンバロはヒストリカルを完全に踏襲したとはいえず、半分モダンなんだそうだ。
古楽が世に知られ 演奏する人が増え 新たに楽器が作られる過程で、ヒストリカルのレプリカが作られるまえにモダンな楽器が作られたのだが、その名残りが1984年製にあるんだな。



後半は『ヴィルヘルム・フリーデマン・バッハのためのクラヴィーア小曲集』からだ。
ヴィルヘルム・フリーデマン・バッハは前妻との間に出来た長男で天才だそうだ。この音楽帳は演奏の練習のためというよりフリーデマンの作曲のためのものだそうだ。音楽がバッハ家の家業で、演奏だけでなく作曲も親が子どもに仕込むんだな。
ちなみに前述のカール・フィリップ・エマヌエルは次男。
『アンナ・マグダレーナ・バッハのクラヴィーア小曲集』と違って『ヴィルヘルム・フリーデマン・バッハのためのクラヴィーア小曲集』っていう楽譜は見たことがないなあ。(入手しました。)

大バッハではない作曲家ではシュテルツェルンの組曲を桒形氏は演奏したのだが、組曲最後のトリオは大バッハが作曲して しれっと組曲におさめて息子の音楽帳に載せてしまった。
そこらへんが「え、これもあれもバッハでなかったの?」ですね。

また、フリーデマンの音楽帳には大バッハ作曲のプレリュードとファンタジアが載っているのだが、これらはインベンションと3声のシンフォニアの初期稿なのだ。また、平均律クラヴィア曲集の初期稿も載っている。
ピアノで大バッハに取り組むなら最初にインヴェンションを勉強することが多いから、知っている人も多いだろう。もっと進めばインヴェンションやシンフォニアよりも難しい『平均律クラヴィア曲集』も勉強する人は多いと思う。フリーデマンも練習したのかなあ、と思うとなんだかほっこりします。
後に世に出したものと微妙に違う初期稿の演奏を聴くのはなかなか油断のならない体験だった。

アンコールは『アンナ・マグダレーナ・バッハのクラヴィーア小曲集』よりアリア。これは『ゴルトベルク変奏曲』のテーマのアリアとそっくりなのだが、ちょっとだけ違う。
ちょっとだけ違う大バッハの有名な曲つながりですね。


今回のコンサートのテーマはバッハだったが、ひねりがきいた内容でたいへん興味深かった。大バッハについてわたしの知らないことが知れてとてもよかった。
桒形氏の演奏は心地よかった。
残念なことに、チェンバロの音量は大ホールにはちょっと物足りないと思った。

今年も松本市音楽文化ホールのチェンバロ講座が開かれるのだが、初回優先で過去に講座を受けたことのある者の枠は2つしかなかった。幸運なことに当たりくじを引くことが出来た。やった!今年も桒形先生のレクチャーが受けられます



 
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松本 直美『ミュージック・ヒストリオグラフィー どうしてこうなった?音楽の歴史』

2024-05-25 09:59:13 | 本 (ネタバレ嫌い)

昨年末くらいに X(旧ツイッター)でこの本について流れてきたので、取り寄せて読んでみた。


2021年の末には浜松市楽器博物館に行って楽器の変遷を知って興味を持った。
昨年受けたチェンバロレッスンではウィリアム・バードの「そんな荒れた森へ行くの?」を習って、それ以来『フィッツウィリアム・ヴァージナル・ブック』にはまってしまった。
クラシック音楽で思い浮かべるよりちょっと前のバロック時代がチェンバロの黄金期だと思うが、それよりさらにちょっとまえのルネサンス期の音楽なんである。15世紀中ほどから16世紀いっぱいくらいまでだ。○○世紀って序数なので、16世紀は1500年代です。老婆心です。
まあそういうわけで、音楽と歴史が重なるジャンルに興味が出てきたのだ。


『ミュージック・ヒストリオグラフィー』はヒストリーではない。音楽の歴史のそれよりひとつ上の階層から俯瞰する分野だということが分かった。メタです。
そもそもどうして音楽の歴史についてこのような記述をするのか? という風にセルフ突っ込み分野です。記述は時間の経過とともにどのように変化したか? とかね。
モーツァルトだベートヴェンだと作曲家の肖像画が音楽室に貼られているのはなぜか? とか、 過去のクラシック界で女性作曲者が少ないのはなぜか? とかね。

セルフ突っ込みが多いと心が痛くなってくるけれど、読者が飽きないように、へーと思わず言ってしまうような なんならちょっとお下品なトリヴィアが多くて面白かった。

クラシック音楽の楽譜を現代人が読めるように清書する話が1741年~のヘンデル『メサイヤ』を例に挙げて述べられている。いやあ、何を原本にするのかを決めるのも大変だ。これは古文の文献と同じ手法だな。
たとえば今J.S.バッハの楽譜を手に入れようと思ったとき、ちょっと調べれば何種類も出版されていて目移りする。国内版の良心的な価格のものもあれば輸入版で高価なものもある。
同じ曲なら同じじゃないの !? と思うし実際ほとんど内容に違いはないんだけれども、ちゃんと練習しようと思うなら やはり最新の研究の成果が反映されている版を使いたいという欲は出てくるものだ。
これがメジャーな大バッハだったりするから何種類も楽譜が出版されているわけだが、メジャー度が下がるにつれて出版されている種類も減るし値段もぐんと上がるんだよなあ。 愚痴ってしまいました。


話のネタとして聞く分には へー で済んでしまうけれど、専門分野となると昔の資料を総ざらいして事細かに論じるから調査量が半端じゃなくて、研究者ってすごいなあ、と思いました



 
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桒形亜樹子 フランソワ・クープラン 第1オルドル全曲演奏、第2オルドル全曲演奏リサイタル に行った。

2024-05-20 14:25:36 | 音楽

住所でいうと東京都杉並区下高井戸、最寄り駅なら京王線桜上水駅または井の頭線西永福駅の スタジオ ピオティータ で桒形亜樹子氏がフランソワ・クープランの『クラブサン曲集』第1オルドルを全曲演奏する、というので行ってきた。さる1月13日のことである。

チラシによると、桒形氏はフランソワ・クープランの『クラヴサン曲集』全4巻の全曲録音を行っているらしい。桒形氏の長いキャリアを経て 満を持して、という感じだろうか。

桒形氏のコンサートは 2022年2023年 のどちらも5月末に松本市音楽文化ホールで行われたものを見たし、昨年はホール主催の桒形氏が講師を務めるチェンバロレッスンを受けた身としては、スタジオ ピオティータでのリサイタルは見逃せないでしょう。

調べたところによると、スタジオ ピオティータは隠れ家的な小さいところだそうだ。
狭い会場なら がぶり寄りでチェンバロ演奏が聴ける、と楽しみにしていたのだ。


それで1月13日、雪がちょっと心配な日に行った。チラシやHPのアクセス地図が複雑で ちゃんと時間までにたどり着けるか心配だ。
スマホの地図アプリを頼りにするも、やっぱり迷う。アプリが入口側ではない方を示すんだもの。
うろうろして、なんとかたどり着いた。
住宅地にある小ぎれいなお宅にしか見えませんでしたよ。これはちょっと、個人情報的に写真を撮るのもためらわれる。というわけで、写真は撮っていません。

玄関で女主人に迎えられ、靴を脱いで上がり、チケット代を支払う。なんと、地下に階段を下りてゆくと会場がある。
開いた扉を入るとすぐにチェンバロがある。どうやら舞台側?から入るようだ。
部屋の反対側を向くと新幹線のように3脚と2脚に椅子が並べられている。6列だから、(3+2)×6=30脚だ。椅子は両側の壁にぴったり寄せられていて、間の通路も狭い。
部屋のいちばん奥にはグランドピアノがある。ピアノを使うライブなら椅子は反対向きにするんだろうな。
地下だが明るい。どうも庭を掘り下げて半地下にして外光を採り入れる仕様のようだ。

迷ったせいで、ライブが始まるまでさほど時間の余裕がなかったが、みなさん奥ゆかしいのか がぶり寄りの席は空いていたので、遠慮なく座った。


桒形氏のライブはひと味ちがうと思う。合間合間に作曲者や曲などについて話す事柄が興味深い。他の演奏家も話さないわけではないけれど、ここまで情報量がある人はわたしは観たことがない。だいぶんレクチャーっぽいっていうんですか。
生演奏を聴きにきているのだから、演奏があれば話はなくてもいいじゃないか、という考え方もあるとは思うけれど、演奏をより深く楽しむのに 言葉による情報があった方が楽しいと思う。桒形氏はほんとうに詳しいし最新の研究のアップデートも早いしとても楽しそうに話されるし。
せっかくの情報、聞いただけだとするっと忘れる自信があるので、プログラムにメモした。書いても忘れるけど、書かないよりはマシなので。
写真👆の黄緑やピンクの紙のプログラムにはフランス語と日本語が書かれている。フランス語はファクシミリ版(手稿譜や初版楽譜などをそのまま写真製版して再現し、出版した版)をコピーしたものだと思う。


それでやっと本題、フランソワ・クープランの『クラヴサン曲集』の第1オルドルについて。
『クラヴサン曲集』は第4巻まであって、オルドル(英語ではorder、組曲)は通して27まである。第1巻には第1~5オルドルが含まれている。
書きためていた曲を出版したのだろう、1、2巻は詰め込みまくった内容なんだそうだ。
第1オルドルはト短調の組曲で、前半は舞曲、後半は表題付きで、18曲含まれる。
写真👆の左の黄緑の紙のファクシミリ版で標題をよく見ると、同じ行にあってもコンマで区切られていたりするので、14行でも14曲ではないのに注意。
表題つきの小品を この時期のヴェルサイユのクラヴサン音楽では「ポルトレ(肖像)」というらしい。桒形氏はキャラクターピースと言っていた。クープランの表題はほのめかしが多くて思わせぶりで、当時のクープランのことを知らないと何のことやら分からないのだが、これは誰のことを指しているだろう、という研究家の推理を桒形氏は披露してくれる。曲調と表題が真逆だったりして、クープランのお茶目さを指摘する。
他のオルドルはそうではないが、第1オルドルだけ楽譜に装飾音がいっぱい書いてあるそうだ。装飾音がないと全然つまらないけれどどう入れたらよいのやら、と思うのはわたしだけではないと思うので、第1オルドルだけでも書き込んでくれているのはとてもありがたい。

当時、組曲を演奏するまえに、プレリュードを即興したらしい。しかし、第1オルドルと同じト短調のプレリュードを『クラヴサン奏法』にクープランは残しているので、桒形氏はそれを一番最初に弾いた。
もの悲しさと煌びやかさのある曲で、組曲への期待が高まる。

第1オルドルは18曲あるが、ほとんどが1、2分の短い曲で、さくさく進む。
組曲はト短調なのだが時折ト長調に変化して、ハッとさせられる。
前半の舞曲にはイネガル、もしくは跳ねたリズムが多いな、と思った。
「ノネット(金髪と栗毛)」という曲はいきなり長くのびる音が入ってびっくりする。そのフレーズが何度も出てくるのが面白かった。
その次の次の「マノン」にも長くのびる音があって、まえの「ノネット」を思い出させられる。
「魅惑」は高音が出てこない曲だった。高音が出てこなくてもモサモサしないのは高い倍音の多いチェンバロだからだろうな。ピアノではこうはいかない。クープランの有名な曲「神秘のバリケード」はチェンバロで練習したことがあるが、高音の出ないところが似ているな、と思った。
全体に低音のGが効果的に響いてグッと来た。迫力がある。チェンバロの低音ってあまり意識したことがなかったので、面白かった。
華があって煌びやかで哀愁があって、クープランの世界にひたることができた。


・・・・・・・


お次の第2オルドル全曲演奏は3月24日だった。1月のときに比べたらもう春だ。
今回は迷わずにスタジオ ピオティータにたどり着けた。前回と同じがぶり寄りの席に座ることが出来た。

桒形氏が言うには、今回このチェンバロはヴェルサイユチューニングで調律されているそうだ。現在は A=440Hz とか 442Hz あたりが普通で、バロック時代は約半音低い 415Hz とか色々使われていたそうだ。わたしもうちのチェンバロは 415Hz にしているが、このスタジオ ピオティータのチェンバロのヴェルサイユチューニングはもっと低い 390Hz。約全音低い。
ゆるい絶対音感持ちのわたしだが うちのチェンバロを弾いていて 415Hz にだいぶん慣れた。しかしさすがに全音低いと、桒形氏が弾いているキーと違う音に脳が解釈してしまって混乱し、参った。
第1オルドルのときもヴェルサイユチューニングだったかは分からない。

今回も第2オルドルのまえに『クラヴサン奏法』にあるニ短調のプレリュードを桒形氏は弾いた。
第2オルドルは全部で23曲ある。「ディアーヌ」のあとに目次にない短いファンファーレがあるそうだ。前半が舞曲で後半がキャラクターピースなのは第1オルドルと同様だ。
第2オルドルはニ短調で哀愁を感じさせられるけれど、時折明るいニ長調が現れてハッとさせられる。って第1オルドルのときも書いたっけ。最初に長調だなとはっきり思わされるのは「アントニーヌ」で、ゆったりしている曲調とあいまってホッとする感じだ。
「ガヴォット」とそれに続く「メヌエット」が似たテーマなのは意外でもなんでもないが、その後もなんとなく似たテーマが続くのが組曲っぽくて、切れ目に注意しないとどの曲を演奏しているのか見失いそうだ。
「テレプシコーレ」から後半が気に入った。
「ガルニエ」は低音ばかりで高音がない。第1オルドルの「魅惑」と同じタイプだな。
キャラクターピースは誰かに捧げただろうと思われる曲が多い。捧げた相手がレッスンした令嬢とかが多いのがショパンとかと同じだなあ、と思ったが、クープランの方が先でした。
最後の曲「パピヨン(蝶々)」が、えっ、これで終わり !? という感じで、クープランがニヤニヤしている気がした。
23曲もある第2オルドル全曲をいちどに聴いて、圧倒された。

合間に話されたことでへーと思ったこと。
現在 楽譜は縦長だが 昔は楽譜は横長だった。縦長の楽譜を初めて出版したのがクープランなんだそうだ。横長の楽譜はオルガンだけに残っている、と。ああ、確かにオルガンの楽譜は横長だ。
なぜそうしたのかというと、譜めくりをできる限り減らすためだそうだ。
納得! ピアノはペダルで音をのばせるからその隙にめくることも出来るけれど、チェンバロってなんだか片手ですら鍵盤から離すタイミングが意外とないんだよなあ。
斯様に桒形氏はお話が興味深いです。



桒形氏は note に記事をアップされている。
そこにフランソワ・クープランの『クラヴサン曲集』について記事がいくつかあるので、そちらを読めばわたしのメモよりも詳しい桒形氏のコメントが読めます。
また、影踏丸氏も詳しい記事を note にいくつもアップされている。
自力で情報を集めるのには最低でもフランス語が出来ないといけないので、フランス語の出来ないわたしは日本語で書いて下さる方々に感謝しきりだ。
いつか『クラヴサン曲集』から何か弾こうと思うなら、桒形氏や影踏丸氏の記事をちゃんと読みなおそう。


・・・・・・・


わたし的には、2年ほどまえにひょんなことからチェンバロを手に入れたのが始まりだった。
中野振一郎氏のレッスン動画 を見て 中野振一郎『チェンバロをひこう』という楽譜を手に入れて、最初に取り組んだのがジャン=フィリップ・ラモーの「優しい訴え」だった。ラモーはフランソワ・クープランより15歳若いが、2人ともフランスのバロック音楽の立役者だ。
「優しい訴え」の譜面は一見やさしい。だが、弾いてみると間がもたない。装飾音を入れないわけにはいかない。譜面だけでは装飾音をどう入れればいいのか分からないので動画を見るが、分かったような気がしても弾いてみるとどうにも腑に落ちない。装飾音を入れても入れなくてもどうにもこっぱずかしくておしりがモジモジしてきてしまう。
YouTube や Spotify などで色々聴けばそれなりに面白いと思えるのだが、自分で弾くとなにかおかしい。妙な苦手意識がクープランやラモーに出来てしまった。
しかし、チェンバロを勉強するのにヴェルサイユを避けるのはあまりにも愚かだ。まず聴いて慣れることから始めよう。
現在わたしはイギリスルネサンスのフィッツウィリアムバージナルブックを弾こうとしている。
いつかクープランを弾こうと思えるための下地づくりにこの桒形氏の全曲演奏リサイタルは格好の機会なのだ。
目指せ、コンプリート!




 
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