風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

散歩

2016年07月18日 | 徒然に日々のことを
近くの公園へ久し振りに行ってみました。

膝の不調がなければ、歩いても楽に行ける距離を、大事をとって自転車で。
以前この近くの駅を使っていたころより、丁寧に管理されていて、気持ちの良い環境になっていました。



もっと早く来ればよかった。

夏の強い日差しが創る影は、色濃くて、木漏れ日が目を差します。
ここち良い風が、ふいて、のんびりとしていられます。
人通りも、ちらほらなので、よけいに、気を使わなくて、気ままに過ごせました。

まず、先日新しく教えていただいた体操を、記憶をたどりながら、やってみます。
そして、今までに、習い覚えたものを、やってみます。

新しい体操は、それらの体操がベースになっていて、体の変化に合わせて、パターンの変わってきたものですから、初期のものから、だんだんと、スキルアップしてきたものなのだということが、よくわかりました。

期せずして、実感したことは、山田先生は、今一番大切なことを、教え積み重ねてくださったことが、とても良く分かりました。

心地よい風と、程々の伸びやかな空間で、気持ち浮遊させながら行う体操は、隅々にまで、気が行き渡っていく感じがする。

「気」というと、強い力を込めるというように思っていたけれど、そうではないらいしいと感じてきました。

頑張らなくてもよいのだ。
柔軟であるということとつながってくる気がする。

ゆったりとした時間は、家でも過ごせると思っていたけれど、爽快さが違って感じます。


カラスまでもが、ゆったりとして、ちょっと離れたところに、とどまっている。
勝手に「カーちゃん」と呼んだら、振り向いた。
しばらくして、また「カーちゃん」と呼んだら、また、振り向いた。
ごみをあさるカラスとは、違う目の穏やかさを感じる。
そして、また「カーちゃん」

しばらく、私につきあって、ちょんちょんと走って、離れ、そして飛んでいった。



東屋には、水晶のすだれもないし、バラの香りもないけれど、『緑樹陰濃』の詩が口をついて出そうになって、空を見上げた。





そうこうしているうちに、お聡怩フおじさんたちが、やってきた。
この人たちが、つつましく作られている水路のごみを網ですくい、遊歩道を曹ォ清めてくださっているようだ。

さて、今日は、こたろうのほかに、留守番が居るので、そろそろ、帰ろうかな。


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