風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

菜根譚・はじめの一歩

2015年12月17日 | 論語と
今日の菜根譚

第三木曜日の菜根譚とはじめの一歩の講座は、大きな声を出す詩吟が組み合わさっているため、隣の教室に迷惑がかかるようです。
詩吟を切り離せば簡単なことですが、須藤先生の考えと、詩吟を楽しんでくださっている方たちもいらっしゃるので、大きな声が大丈夫な部屋を借りるために、あれこれ、試みることになりました。

今日は、学びピア近くの住区センタ―に来ています。

この部屋は、隣が学童のような活動をしているので、逆に大きな声がしますよと施設が側から申し入れがあるくらいです。
願ってもない部屋ですが、菜根譚のみ受講される方たちと先生は、どのように感じられたでしょうか。

先月の復習の一つに、耳の痛い内容がありました。心して、須藤先生のお話を聞きました。
何とかなりそうなものや、遠くて手の届きそうもない章句は、心動かされませんが、今、自分の中で、問題視して、届きそうで届かない章句が出てくると、未熟な私は、腹を立てるのです。

そして、自分の心の癖になっているところに、かかわってくると、渦を巻く感情が波立ち泡立ちあふれてしまいます。
それでも、二度、三度と重ねてお話を聞いているうちに、「前回は、はらをたてたねぇ」と、客観視しているところも出てきて、少しずつ、てなづけていっている気がします。




「菜根譚」の書名は、宋の王信民の『人常に菜根を咬みえば、則百事なすべし』によると言われています。

最初の二字 「人常に」と書いてあるのは、菜根を咬む貧苦の生活に堪えうる人物と読み。
      「人能く」は、菜根の味を味わいうる人物という意味になります。


漢字の一時に込められた意味は、計り知れないものがあり、それにかかわる漢詩は、絶句の場合たった28字で、いかに、奥深い意味を表せるのかと、驚きます。

日頃何気なく、吟じている漢詩は、もっと深い意味を持っているはずだから、心して、鑑賞し、それから吟じたら、どれだけ、表情が表れてくるのかを、いまさらに思う。

通り一遍の解釈ではなく、自分の今までを詩の意味に織り込んで、行けたら、すごいことになるなぁ。

そして、今日は、詩吟のほうではなく菜根譚の授業の中で、二つの漢詩の解説と伴奏付き吟詠をご披露するチャンスを得ました。
菜根譚を読んでいると、どうしても、漢詩がよぎり、その漢詩の表現する思いや、情景を自分だけでなく、みんなと共有したいとの須藤先生の思いで、吟詠をと所望されました。

これから、授業の中で、二吟ほど、毎回鑑賞いただくことになりました。
今日の吟題は、「江雪」柳宗元作と「寒梅」新島襄作をお聞きいただきました。
いずれも、東京芦孝会の名手の男性二人で、尺八の伴奏も河下先生にしていただけます。

豪華版の吟詠鑑賞ができるのも、須藤先生のお話と人柄のよさが、意図せずとも人を集めてしまうからです。

拍手喝さいのすごかったこと。
また、来月をお楽しみに。



今日の初めの一歩は、再度32番の音の連なりを白板に五線を引いてマグネットを置いて、確かめました。

先輩の声の支えがあったら、何んとかできるけれど、まだ、一人では不安という状態。
いつも熱心なお二人は、音をとらまえてきつつあります。
その次に、いつも、面白い感性で、質問をしてくださる方が、先輩三人の模範吟を同じ詩でそれぞれの高さで吟じてもらったら、全然感じが違いますと、驚かれました。

吟詠だけでなく、鑑賞ということも念頭においていらっしゃる須藤先生の意にかなった、展開にもなります。

あちこちと、飛びながら、なるべく吟をしたくない人と、声を出したい人と、面白い織りなしで、1時間半の講座が、終わりました。


今日は、面白い感性で、目を開かせてくださる方が他のお三人が、事情で、今回限りというニュースを聞き、がっかりしました。
それも、致し方ないですねぇ。

先輩がたの吟詠を楽しみにしていてくださった方たちでもあるので、残念です。

これで、はじめの一歩から、詩吟を始めた方は、三名残りました。

来年度4月から、新越谷へ教室を移動することになるのですが、この三名の方は、いらっしゃれるでしょうか。
逆に、新越谷だから、来ることができる方も居て、悲喜こもごもになりそうです。

1月と3月は、ここ住区センタ―、2月は学びピアと、ジプシーです。
皆さん、お間違えなく。


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