風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

大変なことをわすれていた

2017年03月23日 | 詩吟
ここ何年も、探していた手紙だったのに、どうしても見つからなくて、、、
今日、ひょっこり出てきました。
いつもさがしていたファイルの中に。見えていたのに、見えてなかった。

それは、私が初めてモンゴルへ行く直前のことと記憶していたのですが、とんでもない、二度目のモンゴル派遣からのお正月の一時帰国の時だったことが、その日付で、わかりました。

10年間、一度もお稽古に行ったことがないと思っていたのに、何だこの記憶の大勘違い。
行かなかった、行けなかったとの思いが強かったか、忘れたくて忘れたんだろうねぇ。


平成18年1月の「東京支部東大島教室の新年初吟の集い」に出席なさった伊東鷺伸先生と初めて、おめにかかりました。
そして、先生から、後日「勅勒の歌」と「従軍行」を吹き込んだテープが送られてきて、「このテープがあなたの詩吟人生にお役に立ち、尚且つウランバートルの方たちと詩吟を通じての文化交流に役立てば これに増したる幸せはございません。」と結ばれていました。

そのお約束を実現できなかったことは、本当に申し訳なく思います。
せっかく、風邪を押して録音してくださり、ウランバートルへと帰っていくのに、ぎりぎり間にあって届いたというのに。
後ろめたさが、記憶の底に押し込めたのでしょう。


帰国したら、詩吟談義をとおっしゃっていただいたのに、今は、恐れ多くて、談義どころの話ではないことを、とても恥ずかしく残念に思います。
 
 
先生は、日本人とではなく、「ウランバートルの方たちと」と、おっしゃったのに。

オルティンドーを習って、私からは、詩吟を「日本のオルティンドー」と説明だけしました。そして、草原で「海を望む」を吟じ、結婚式で、「松樗~」を吟じはしたけれど、共に吟じる機会は、ついぞ作る機会がなかった。


伊東鷺伸先生は、故佐藤鷺照先生と深いご縁のあったことから、その門下生である私へ初対面にもかかわらず優しいお心遣いを、してくださいました。
 
 
今のタイミングで、出てきたこの手紙は、何を私へのヒントとして与えてくれたのだろうか。
物事の変わり目に、何かの言葉、何かのかかわりのあるものが、ひょっと出てきたりするということは、まだ、変わることができる、あるいは、今のことをもっと推進できるということだと思います。。

今は、まだそれが、何かわからないけれど。


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