風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

希望を配る人

2019年09月05日 | 徒然に日々のことを
希望を配る人でありたいと思いつつ、その方法が、ダメ出しとなっていることに気が付いて、はて、どうしたものかと、考える。

褒めるだけでは、その一瞬の喜びでしかないかもしれないから、その喜びが先へと続くためにと、過剰な思いをかけるから、結局「ダメだし」となっているのだなぁ。
そのために、ダメ出しをしたことのフォローに多くの言葉が必要となる。
そして、結局、最初の褒め言葉が、霞と消えてしまう。

「褒める」ことと、「希望を配る」こととの間には、永遠の距離があるように思う。
自分の心の狭さが、こんなところに出てくるのだなぁと、思う。


今朝がた夢を見た。
絶大なるおばあちゃんでいたはずなのに、自分の鈍くささを最愛の孫の前で、露呈することとなって、落ち込む夢だった。

今、趣味の世界では、すいすいと泳いでいるかのような場面もあるけれど、私の、実態は、そう言うことなのだと、思いださせられてしまった。

これは、きっと20周年という大きな非日常が目の前にあることから、どこか、誰かからの警告なのだと、有り難く頂きました。



やってしまうであろうことは、予想はできても、今から自分改造は無理だねぇ。
自分の足りないことをしっかり自覚しておこう。

そうすれば、ことが起こった時、善処するのに一瞬でも早く動けるだろうし、何より、取り繕う前に、「ごめんなさい」の言葉が出てくるだろう。

そうすれば、気持ちを切り替えて、善処の動作が、始まるはず。




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