風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

健恒会ライブ

2010年06月26日 | 詩吟
念願の老人ホーム慰問が行われました。

SYKの主催する定例の会に、SYKにも所属している谷中教室が協賛し、其の谷中教室が東大島会に呼びかけて、東大島文化センターの春の会に上梓した、ミニ構成吟を少々手直しして、プログラムに乗りました。

東大島の春の会には、私も賛助で詩舞を舞ったので、私にも声をかけて頂いたというわけ。

我が家でのミニトレしかしていないのですが、ひざの痛みが痛み止めとサプリメントによって会場につく頃には、完全に利いてきたおかげで、心地よく舞えそうな予感。

ゆっくり、衣装を着けて、出番を待つ。

股関節を開く柔軟体操をして、足首を伸ばすことも怠りなく。

お年よりは、開演のずいぶん前から待っていて、さぞ疲れることでしょう。
筋力が劣っているから、だんだんと体が前かがみになってきたりしている。
それでも、静かにいてくれるのは、ありがたい。

詩吟の地声の響きは、心に直接訴えるものがあるはずで、心なしか、舞台に集中しているように見えた。

お年寄りに観ていただきたいという念願が果たせることは、とてもうれしく。
本当は、詩舞ではなく詩吟で出たかったのだけど、頂いたチャンスにわがままはいえない。

気分を整え、今ある最高をお届けしたい。

其の目論見は、大成功だったと思う。
舞は広いスペースで床も滑らなくて、快調。
お年寄りの顔が見えた。目が穏やかだった。

振り付けが変わって難しくなかったところも、とりあえず流れた。
こんな気持ちで、舞えるのは、とてもうれしい。

ひざが痛くなるかもしれないという、恐浮燒Yれて、だ他ひたすら扇を握っていました。

チャンスをありがとう。


さて、舞について、お稽古中断中でも、初心者の私にも出番が回ってきた。

きっと、懸命に舞う様子が受けているのだろう。

そして、次は詩吟でといったけれど、詩吟には、舞のように人に訴えるほどの迫力が無いかもしれない。
もしかしたら、私の詩吟は、お年寄りには聞いてもらえないかもしれない。

そんな浮ウが、ある。


懇親会の席で、隣の席の方が、舞について私が気をつけて舞ったところを、すべて指摘して、上達したとほめてくださいました。

手の流れ、視線の先を今回は特に注意しておさらいをしました。

今までの、舞の練習の時には、そこまで注意が至らなかったし、先生も指摘なさらなかったが、最後のお稽古のときに、先生がして下さったのが、そのことでした。

そして、一足(いっそく)という手法。
足の裁きで、必ず次の動きに行く前は、両足をそろえるということ。
其の一つずつの動き賀、まとまり、また次への動きがスムーズに大きくなるのです。

詩吟といったいとなるべく、舞うのですから、詩吟もそのようなまとまりを作り、つぎへと大きく飛躍するのです。


一速については、まだまだのところがあり、言われたから足をそろえているという風なのですが、後ろから見ているにもかかわらず、視線の先、手の先を見ていてくださったなんて、感動物でした。


身に付けていく、過程で、このように温かい目で見ていてくださる方がいるってことは、ほんとに、うれしいことです。


詩吟についても、私の隣に来たひとで、「あ」と思うことがあったら、どんどん言葉に出して、それががんばる糧になるのなら、いくらでも応援してあげたいな。
それは年を重ねた甲斐があるというもの。

もらった喜びは、倍にして贈ってあげようね。


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