同窓会の帰りから、久しぶりに詩吟をしたくて仕方がない気持ちをなだめなだめて、ときをすごしたのです。
普段なら、何もかもなげうってということが平気なのですが、まるで自分の気持ちを焦らすように二日間ためていた家事をやりおおせてやっと、座りました。
彼女の漢詩集を手に、コンダクターをまえにおいて、さっそく、吟詠をスタート。
そうだ、詩集を頂いたお礼は、吟詠で返せばいいのだと、思い至り、これは名案と、一人ほくそえむ。いそいそと、カセットをだしてくる。
おそらく、彼女にはCDよりもカセットのほうがよいのだと思って。
漢詩の初見で、吟詠が頭に浮かんでくる。
ぶっつけで、録音をしながら、書き下し文を読みながら吟詠。詩が目に入るそばから吟が口をついてでてくる。
習い覚えた譜が、言葉のイメージで自然と出てくる。
以前の私なら、まず、詩をコピーして、譜付けをしたことだろう。
譜付けの書き込みがないと初めての詩はとても吟じられないのだもの。
そして、何度か練習をして、やっと録音にはいったはず。
しかし、きょうは、そんなまだるっこしいことはしていられない。
詩を読むなり、吟じるのでした。
とても、興奮する体験だった。
手紙を書き、ろくに読み返しもせず、封をして送ったのでした。
テープの反対の面には、故佐藤鷺照先生の吟詠も、入れさせてもらいました。
今は、詩吟は習っていないけれど、感情の動いたとき、主に腹の立った時に、一人大きな声で詩吟をすると、不思議に心が落ち着くという彼女。
レパートリーを増やし、ご自分の作った漢詩で、吟詠をしたら、どんな思いを抱くだろうか。