今月の漢詩は、「修学」Taさんに吟詠をしていただきました。
吟歴の長い方ですが、はじめの一歩にかかわるようになってから、今日までの間に、吟詠に味が出てきて、上手になったという言い方は、年長の方に対して失礼は承知なのですが、私だけでなく、周りに方々も驚くばかりです。
声の良さと喉の強さとで、ぐいぐい押してくる吟詠でしたが、年の功をにじませて来られました。
はじめの一歩では、超初心者のバックアップをしているだけで、たまに授業の後、会場はまだ1時間使用ができるので、その場を借りて、ちょっとした練習をすることもありましたが、それにしても、驚くばかりです。
「初心者に対して、どのように接したら?」という明確なテーマがあって、参加なさっていましたから、ご自身のことはあまり考えていなかったと思います。
吟詠に対して、前向きでいることが、この、素晴らしい結果につながったのかと、思うと、とても興味深いことです。
それとも、誰も知らないところで、特訓?
さて、今日は、祭日と言うこともあって、出席者は、かなり減りました。
それを承知で、須藤先生は、一人でも来てくださる方がいるならと、お休みにすると言う選択肢は、全くないのです。
今日は、黴子篇の箇所の論語物語(下村湖人)を読む。
次は、熟語からのアプローチで論語を読む。
熟語と言うと、衝撃的に聞いた「大器晩成」決して褒め言葉ではないということがわかって、今は、つい口を滑らさないように気を付けています。
晩=不である。と言うことが、何人と言えども、異国の書物や文字に対する時、正しく解釈し、正しく伝えていくことが、本当に難しいことと、わかります。
母国語であっても、読む人によっては、真逆の読み取りをする場合もありますから、まして、外国語をや。
間違ったまま、日本で、自由に闊歩している物事って、たくさんあることでしょうね。
吟歴の長い方ですが、はじめの一歩にかかわるようになってから、今日までの間に、吟詠に味が出てきて、上手になったという言い方は、年長の方に対して失礼は承知なのですが、私だけでなく、周りに方々も驚くばかりです。
声の良さと喉の強さとで、ぐいぐい押してくる吟詠でしたが、年の功をにじませて来られました。
はじめの一歩では、超初心者のバックアップをしているだけで、たまに授業の後、会場はまだ1時間使用ができるので、その場を借りて、ちょっとした練習をすることもありましたが、それにしても、驚くばかりです。
「初心者に対して、どのように接したら?」という明確なテーマがあって、参加なさっていましたから、ご自身のことはあまり考えていなかったと思います。
吟詠に対して、前向きでいることが、この、素晴らしい結果につながったのかと、思うと、とても興味深いことです。
それとも、誰も知らないところで、特訓?
さて、今日は、祭日と言うこともあって、出席者は、かなり減りました。
それを承知で、須藤先生は、一人でも来てくださる方がいるならと、お休みにすると言う選択肢は、全くないのです。
今日は、黴子篇の箇所の論語物語(下村湖人)を読む。
次は、熟語からのアプローチで論語を読む。
熟語と言うと、衝撃的に聞いた「大器晩成」決して褒め言葉ではないということがわかって、今は、つい口を滑らさないように気を付けています。
晩=不である。と言うことが、何人と言えども、異国の書物や文字に対する時、正しく解釈し、正しく伝えていくことが、本当に難しいことと、わかります。
母国語であっても、読む人によっては、真逆の読み取りをする場合もありますから、まして、外国語をや。
間違ったまま、日本で、自由に闊歩している物事って、たくさんあることでしょうね。