風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

音の破片

2019年12月14日 | 詩吟
推理小説や探偵小説の読みすぎかもしれませんが、小さなかけらから、推理を始めて、行きたいところへ行き、結論を出す。

その作業は、とても楽しい。

たったそれだけの物から、たったそれだけの言葉から、たったそれだけの表情の変化から。

不完全な音源から、得られる情報は、少ないかもしれないが、耳を澄ませば、必要な情報は、必ず得られる。

CDを聞いて、山田先生は、整体の知識から、その人がどんな体の使い方をして居るかわかると、以前お聞きしました。

少ない、情報でも、「私が」知りたいことは、100%そこにあるかもしれない。

身を乗り出して、耳を澄ませば、必ず、飛び込んでくる。

完全なものが、手元になくても、取り組み姿勢を変えれば、必ず、得ることができる。
                        谷中の夕焼けこれから飲み会だ!
推理と洞察力があれば、ね。

今は便利になったから、不完全は、許されないと思っているかもしれない。
それは、リサーチ力によるもので、安易に手に入ったと勘違いしているにすぎないように思う。
「完全、完璧」に惑わされないようにしよう。
今は、道半ば。進めば進むほど、「完全」が遠のく。

生身の人間が「標準値」に惑わされて、右往左往しているように思う。
生身の人間の標準値は、100人100個だから。

幸い、私には、時間があるので、一目瞭然の資料は、それなりに、不完全な音源は、あれか、これかと、悩み、試し、想像することで、自分のものとする。

それでも、足り無いときは、現地に行くことですねぇ。

「それは、誰かお願い」ではなくて、「よし、わたしが」とね。






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