風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

ひばり会

2011年04月23日 | 徒然に日々のことを
ひばり会の時間と孫のお昼寝の時間が迫ったので、バスに乗っていくのを見送った私は、急に、心細くなって、駅からとぼとぼとひばり会の会場へと向かう。

娘たちは、満席で立っていかねばならないのに、当たり前の顔をして乗り込んだ。
タクシーに乗りなさいという言葉を飲み込んで、孫がしっかりと捕まっていてくれることを願いつつ「さよならまたね」と言うといやだ!と抵抗した。
なんて、かわいいんだろう。

そんな、思いを反芻しつつ気持ちに励みをつけようと頑張ったけど、だんだん足取りが遅くなる。

ほんとに久しぶりの場所に向かうのは、気後れがして、帰りたくなる。
行ってしまえば、平気なのだけど、、、

そんな、気後れは、皆さんの大歓迎に吹き飛んだ。
心から歓迎してくださるものだから、ついついその気になり、控えるべきも控えることなく自由にお行儀悪く振舞ってしまう。

今までは、衣装を持って詩舞のお稽古だったのだけれど、今日は、詩吟の本を1冊持っただけで参加でした。

膝の痛みが、治まるまで舞いは当分お休み。

今日は、ゲストとして座っているつもりだったのですが、詩吟をしてくださいと言ってくださるので、遠慮なくさせていただきました。

剣舞の発表会が29日にあるので、そのおさらいをしていたのです。
吟者は別の会の人ですから、練習は担当の人が吹き込んだテープで行います。

その、テープの代わりに吟じたのです。

練習はしていなくても、なじんだ吟だったので、時々本を見ながら、舞いの様子やタイミングをみながら吟じることが出来ました。

私自身が舞の練習する時もテープでしたから、詩吟は後ろに控える伴奏として捉えていましたが、今日、生の吟と生の舞いを合わせてみると、それは、絶妙なるコラボだったのです。

ちゃんと練習を重ねた吟と舞とで練習を積みかさねて作るものは、なんてすばらしいのだろう。
ただの伴奏、バックとして捉えていたのが、大きな間違いだとわかりました。

舞いの先生に言わせると、舞いは詩吟にあわせるしかないとおっしゃいました。
それは、練習が別に行われるからです。
舞いは、静止の姿も美しく、それこそが真髄と思える箇所もあります。
詩吟とタイミングがあわないと思えば、動きを緩やかにしたり、止まって待つと言う技も繰り出せますから、自然と詩吟にあわせて舞うと言うことになるようです。

日ごろから、吟者と舞い手とがお稽古を積むことが出来たら、すばらしいものが出来ることでしょう。

ひばり会では、それを行っているのです。

私は、勝手に吟じるだけで、舞の手足れは、ぴたりとあわせてくる。
これが、あわせたのではなく、「息が合ってしまう」くらいに修練をしたら、何処まで行くのだろうか、恐ろしいくらいの感動が来ることだろう。


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