ひばり会の時間と孫のお昼寝の時間が迫ったので、バスに乗っていくのを見送った私は、急に、心細くなって、駅からとぼとぼとひばり会の会場へと向かう。
娘たちは、満席で立っていかねばならないのに、当たり前の顔をして乗り込んだ。
タクシーに乗りなさいという言葉を飲み込んで、孫がしっかりと捕まっていてくれることを願いつつ「さよならまたね」と言うといやだ!と抵抗した。
なんて、かわいいんだろう。
そんな、思いを反芻しつつ気持ちに励みをつけようと頑張ったけど、だんだん足取りが遅くなる。
ほんとに久しぶりの場所に向かうのは、気後れがして、帰りたくなる。
行ってしまえば、平気なのだけど、、、
そんな、気後れは、皆さんの大歓迎に吹き飛んだ。
心から歓迎してくださるものだから、ついついその気になり、控えるべきも控えることなく自由にお行儀悪く振舞ってしまう。
今までは、衣装を持って詩舞のお稽古だったのだけれど、今日は、詩吟の本を1冊持っただけで参加でした。
膝の痛みが、治まるまで舞いは当分お休み。
今日は、ゲストとして座っているつもりだったのですが、詩吟をしてくださいと言ってくださるので、遠慮なくさせていただきました。
剣舞の発表会が29日にあるので、そのおさらいをしていたのです。
吟者は別の会の人ですから、練習は担当の人が吹き込んだテープで行います。
その、テープの代わりに吟じたのです。
練習はしていなくても、なじんだ吟だったので、時々本を見ながら、舞いの様子やタイミングをみながら吟じることが出来ました。
私自身が舞の練習する時もテープでしたから、詩吟は後ろに控える伴奏として捉えていましたが、今日、生の吟と生の舞いを合わせてみると、それは、絶妙なるコラボだったのです。
ちゃんと練習を重ねた吟と舞とで練習を積みかさねて作るものは、なんてすばらしいのだろう。
ただの伴奏、バックとして捉えていたのが、大きな間違いだとわかりました。
舞いの先生に言わせると、舞いは詩吟にあわせるしかないとおっしゃいました。
それは、練習が別に行われるからです。
舞いは、静止の姿も美しく、それこそが真髄と思える箇所もあります。
詩吟とタイミングがあわないと思えば、動きを緩やかにしたり、止まって待つと言う技も繰り出せますから、自然と詩吟にあわせて舞うと言うことになるようです。
日ごろから、吟者と舞い手とがお稽古を積むことが出来たら、すばらしいものが出来ることでしょう。
ひばり会では、それを行っているのです。
私は、勝手に吟じるだけで、舞の手足れは、ぴたりとあわせてくる。
これが、あわせたのではなく、「息が合ってしまう」くらいに修練をしたら、何処まで行くのだろうか、恐ろしいくらいの感動が来ることだろう。
娘たちは、満席で立っていかねばならないのに、当たり前の顔をして乗り込んだ。
タクシーに乗りなさいという言葉を飲み込んで、孫がしっかりと捕まっていてくれることを願いつつ「さよならまたね」と言うといやだ!と抵抗した。
なんて、かわいいんだろう。
そんな、思いを反芻しつつ気持ちに励みをつけようと頑張ったけど、だんだん足取りが遅くなる。
ほんとに久しぶりの場所に向かうのは、気後れがして、帰りたくなる。
行ってしまえば、平気なのだけど、、、
そんな、気後れは、皆さんの大歓迎に吹き飛んだ。
心から歓迎してくださるものだから、ついついその気になり、控えるべきも控えることなく自由にお行儀悪く振舞ってしまう。
今までは、衣装を持って詩舞のお稽古だったのだけれど、今日は、詩吟の本を1冊持っただけで参加でした。
膝の痛みが、治まるまで舞いは当分お休み。
今日は、ゲストとして座っているつもりだったのですが、詩吟をしてくださいと言ってくださるので、遠慮なくさせていただきました。
剣舞の発表会が29日にあるので、そのおさらいをしていたのです。
吟者は別の会の人ですから、練習は担当の人が吹き込んだテープで行います。
その、テープの代わりに吟じたのです。
練習はしていなくても、なじんだ吟だったので、時々本を見ながら、舞いの様子やタイミングをみながら吟じることが出来ました。
私自身が舞の練習する時もテープでしたから、詩吟は後ろに控える伴奏として捉えていましたが、今日、生の吟と生の舞いを合わせてみると、それは、絶妙なるコラボだったのです。
ちゃんと練習を重ねた吟と舞とで練習を積みかさねて作るものは、なんてすばらしいのだろう。
ただの伴奏、バックとして捉えていたのが、大きな間違いだとわかりました。
舞いの先生に言わせると、舞いは詩吟にあわせるしかないとおっしゃいました。
それは、練習が別に行われるからです。
舞いは、静止の姿も美しく、それこそが真髄と思える箇所もあります。
詩吟とタイミングがあわないと思えば、動きを緩やかにしたり、止まって待つと言う技も繰り出せますから、自然と詩吟にあわせて舞うと言うことになるようです。
日ごろから、吟者と舞い手とがお稽古を積むことが出来たら、すばらしいものが出来ることでしょう。
ひばり会では、それを行っているのです。
私は、勝手に吟じるだけで、舞の手足れは、ぴたりとあわせてくる。
これが、あわせたのではなく、「息が合ってしまう」くらいに修練をしたら、何処まで行くのだろうか、恐ろしいくらいの感動が来ることだろう。