楽学の会主宰の論語講座三日目
「辞はたっするのみ」
相手に届くことが一番大事なことなのだけれど、どうしても、伝えたいことを言葉にし、伝わらないともがいてしまう。
相手に届くためには、相手をよく知ること、私を知ってもらうことではない。
私を知ってもらいたいと思っているわけではないと思いつつ、私を、私の言葉を押し付けているわけで、毎回、どこまで届いたのか、届かなかったのかが、気になる。
届いたと思っても、また、するりと抜け落ちていて、ちゃんと受け取ってよと、咎めたくなるのを、あ、いやいや、届け方が間違っていたのだと思いなおす。
そして、やはり、届け方を考える前に、相手をよく知ってその方法を考えることと、反省。
反省が、着実に実っているかと言うと、同じところで、間違いを犯してしまうのは、おそらく相手のことを知るための、ベースとなるものが、私でしかないから、また、同じ間違いを犯しているのだ。
「辞はたっするのみ」
孔子の言葉は、短いなぁ。その言葉の深淵は計り知れず、その淵にやっと届こうとしている私には、単語が、頭の中で、踊るだけだ。
「辞はたっするのみ」
相手に届くことが一番大事なことなのだけれど、どうしても、伝えたいことを言葉にし、伝わらないともがいてしまう。
相手に届くためには、相手をよく知ること、私を知ってもらうことではない。
私を知ってもらいたいと思っているわけではないと思いつつ、私を、私の言葉を押し付けているわけで、毎回、どこまで届いたのか、届かなかったのかが、気になる。
届いたと思っても、また、するりと抜け落ちていて、ちゃんと受け取ってよと、咎めたくなるのを、あ、いやいや、届け方が間違っていたのだと思いなおす。
そして、やはり、届け方を考える前に、相手をよく知ってその方法を考えることと、反省。
反省が、着実に実っているかと言うと、同じところで、間違いを犯してしまうのは、おそらく相手のことを知るための、ベースとなるものが、私でしかないから、また、同じ間違いを犯しているのだ。
「辞はたっするのみ」
孔子の言葉は、短いなぁ。その言葉の深淵は計り知れず、その淵にやっと届こうとしている私には、単語が、頭の中で、踊るだけだ。