風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

袴と着物と

2018年03月05日 | 徒然に日々のことを
昨日は、伴吟ということで、袴着用で出かけました。
成果発表会を、参加のみなさんが、ラフに考えるのか、それとも、最高の演出をと考えて出られるのか、うかがい知ることができなくて、最大限、失礼のない姿としては、袴と結論しました。

個人としてではなく、会の代表の一人としての立場になると、わがままも言っていられないので、洋装では、礼をかくのかなぁ、芦孝先生にも失礼になるのかもしれないよねぇと、考えが揺れ動きます。

個人と、指導者と、芦孝会にかかわることと、立場が変われば、目に見える部分で、考え直さねばならないこともあってねぇ。。。

吟詠の男性は、スーツ、略礼服とみなさん洋装でした。
女性は、みなさん着物。

何時も不満に思うのは、「女性は、着物」が当たり前と言う考え方。
そう考えるなら、「男性も、着物」とはならないのが、世の常で。。。

確かに、いつもいうことだけど、男性の略礼服に等しい多くの言葉で説明をしなくて済む服装は、女性には、あってないがごときだから。

最近、吟会でも、女性のパンツスーツが認められたとか、さて、5月の都大会出場の女性は、どのように考えて衣装を決めるでしょうか。



私の、着物着用も、回数を重ねるごとに、着付けの時間短縮してきました。最小限の紐で、崩れない着付けをする勘どころのようなものが、だんだんと、積み重なっています。
習うより、慣れよとはこのこと。


しかし、今日は、袴の丈が短すぎて、遠目に映る鏡を見ると、若者のような袴の着丈となっていました。
前回お世話になった他流の先生が待ちの時にそばにいらっしゃたので、おたずねしましたら、足袋から肌がみえなければよいとのこと。

リハーサル室の大きな鏡に遠目に映った姿は、辛うじて、足袋と袴で、肌は隠れて見えませんでした。
とは言え、やはり、年配者の袴は、短めに着た着物の裾くらいに、長くしても良かったと思いました。


さて、次回があるとしたら、帯の位置、袴の紐結びの位置を、再検討の要有り。
ひょっとしたら、袴丈を長く仕立て直す必要があるのかなぁ?
そうとしたら、たいへんだ!



あとは、襟を汚さないようにするには、目線をまっすぐにして、鏡を見て着ることができるようになること。

そうすると、無駄に顔を下に向けなくて済むから、エリ汚れという被害を受けることがありません。
あ、手ぬぐいで、襟をカバーすればよかったんだねぇ。

それと、なんちゃって襦袢をやめて、ちゃんと着物にあわせた襦袢を着ることなんだけどねぇ。
それには、高価な仕立て代が問題だし、着物だって、タンス屋さんでは、毎回サイズあわせが困難だし。

もう少し、手軽にならないかなぁ。

泣きの涙で、高いクリーニング代を捻出しなくても済みます。
要するに、私の着付けのスキルアップだね。
本を相手に格闘するのは、まだまだ、続く...

できることなら、もう少し首の細長い人に生まれたかったなぁ。
着物着用の達人の友達を見つけたい。

母が生きていたら、そらみたことかと、言われたかも。
あぁそうだ、母はそんな意地悪は言わなかったなぁ。
黙って、今の私のサイズに合わせて、よろこんで、仕立て直しをしてくれただろうねぇ。

遠目に捉え続けてきた着物を、母の17回忌の今年になって、いろいろと、思いめぐらしています。

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