吟友草加の新年会をお稽古日とは別の日にカラオケ屋さんで、行いました。
数年前の、前身である「はじめの一歩」の時は、帰りに立ち寄ってお酒を
少々という時間が毎回ありました。
幹事を務めて頂いているIさんが、いろんな興味深いお話を三人の先輩から
聞いて、お稽古の仲間、芦孝会のことなど、雑学を深めるとても良い機会でした。
この楽しい時間は、私一人ではとても醸し出すことはできなくて、吟友草加の
誕生につながらなかったなぁと、しみじみと思いました。
その三人の先輩の方々、その節は本当にありがとうございました。
吟友草加になるまえから、コロナ禍に遭遇し、お越しいただくことが
叶わなくなりました。
それでも、続けていると良いことも起こるもので、新人さん一人をご紹介
頂き、夢松風からの延長線上にあるビジターさんも参加下さるようになり、
教室としての体裁が整い、果ては、たのしい新年会を開くことが出来ました。
吟友草加会員のお二人ともカラオケ上手で、ことのほか楽しみました。
長セリフの歌を好んで詠うIさんには、そのうち何かの出番をお願いしたい。
私も、最近やっとカラオケに慣れてきて、抵抗なく曲の予約もして、
予定の歌を歌いました。
ビジターさんも、カラオケは、結構いけているので、あら?こんな曲?と
思ったり、同じ趣味と思ったりしながらの楽しみました。
俳句の得意なIさんの、入選の句に譜付けをして、詠い、喜んでいただきました。
唇にはなびらのせて 君を呼び
花の降りしきるある日のエピソードは、壮絶なものでしたが、この句だけを
読むと、何ともロマンチックな一句です。
一部始終を知る私は、色っぽくロマンチックには、詠わないで、(詠えない)
コロナ禍に遭遇した恐さも入るので、命にも触れるので、強い調子になりました。
そのあたりのことを知らないこの句を読んだだけの人からは、酷評でした。
それは、さもありなんと予想したことでした。
ご本人からは、とりあえず自作の句を詩吟にしてくれたということで単純に
喜んでいただきました。
詩の内容を良く知って、歌にすることは、とてつもないことだと、今更に
思うことでした。
言葉を正しく発声して伝わることが、一番。
これからの、私の和歌俳句の吟詠の道中は、さぞ、いばらの道だろうなぁと
あんなにあからさまに否定されたのでは、私の立つ背がないではないか。
もっと上手にちゃんと歌えよと、期待を膨らませてくれることは、残念なこと
ではないじゃないか。
まだ期待してくれているってことなのだから。
以前、あれほど和歌を拒否していた私が、楽しくて仕方がなくなっています。
険しくても、登りたい山を見つけたということだ。
詩吟を始めたころも、そうだったかなぁ。
「〇〇の詩吟はもういっぺん聞きたいと思うが、お前のはききとうない」と
見事なまでに言い切られて、それでもめげなかった19才の私。
その時の私に「あのとき、どうして落胆しなかったの?えらかったねぇ!」
と言って頭をなでてあげたいと思う。