風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

菜根譚

2017年08月17日 | 論語と
人有字の書を読むことを解して
無字の書を読むことを解せず。
有絃の琴を弾ずるを知って、無絃の琴を弾ずることを知らず。
迹(せき)を以て用い、神(しん)を以て用いず、
何を以てか琴書の趣を得ん。      ≪菜根譚 後集 161≫   

「無絃の琴」についての私感をお聞きしたあと、T 先生による「飲酒  陶淵明」をご披露いただきました。


皆感動をもって、吟詠を聞きました。

陶淵明は、無絃の琴を携え、酔えば、その琴を愛撫して、心の中で演奏を楽しんだという逸話があります。

文字や言葉で遊んでいるうちは、人まねであって、物事を本当に会得することはなかなかできるものではない。

日頃、言葉を多用している私には、耳の痛い言葉である。

「天籟」に続いて、「無絃の琴」は私の、いまだわからずの単語帳に登録あいなりました。
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