かつて室積は多くの人で日々賑わっていました。そうした賑わいの名残として、現在は普賢まつり・附属光小中学校の研究会・早長神社の秋祭りと花火が挙げられます。本日26日(金)は附属小中学校の研究発表大会です。あいにくの雨ですが、室積には県内外から多くの先生たちが集まっています。
峨嵋山周辺に初めて学舎ができたのは明治時代で山口県立工業学校でした。その後大正時代に女子師範学校を経て現在に至っています。
<女子師範>
<昭和30年代頃。新しい講堂が完成しています>
<小学校が新校舎になっています>
新市にあった3階建ての金久旅館には多くの教育関係者や実習生の寝泊りで賑わったそうです。
附属校の役割としては「先進的な研究推進」「教育実習生の育成」「公立学校へのサービス機関」などが挙げられます。私も平成4年~11年まで付属光中に7年間お世話になりました。自由な校風の中で研究実践に専念することができました。残念だったことは、在職中の7年間で校舎周辺の500本あまりの松林がすべて枯れたことです。
ここで、過去の室積のにぎわいを懐かしの写真から紹介してみます。
【普賢まつり】
まず第一に挙げられるのは普賢まつりでしょう。昔は普賢市と呼ばれていました。江戸時代には3月から5月まで市がたっていました。5月13から15日の祭り日はまさに鮨詰状態で歩くことができないくらいでした。
【臨海学校と海水浴】
大正時代から昭和40年代まで広島方面からの臨海学校の生徒で賑わっていました。生徒たちは小中学校の教室に畳を敷き詰めて寝泊り、講堂で食事をしていました。
海水浴が最大のレジャーだった昭和30年から40年代にも海の家が10軒以上ありました。自動車で多くの人がキャンプや海水浴で室積海岸を訪れていました。西日本一長い海岸線、島田川から運ばれる花崗岩の白砂、大切に保護育成されてきた青松(夏の暑さをさえぎるシェルター)をもつ室積海岸と虹ヶ浜海岸は光市の自慢です。
【杵崎神社の奉納相撲】
夏休み明けの9月1日が神社の祭り日で室積の子だけ夏休みが1日増えたような感覚でした。相撲観戦と共に屋台も出ていたのが大きな楽しみでした。
【早長神社の秋祭り】
室積の氏神様である早長八幡宮の秋祭りです。神社遷宮を模した山車の行列見物には、市内から多くの人が訪れました。室積駅から山口銀行あたりまで屋台も出ていた思い出があります。下の写真からは山火事で消滅した大嶺山頂にあった7本松を見ることができます。スパーハニーが見えるので、昭和41か42年頃の写真と思われます。
【室積映画館】
昭和40年代まで市内に室映・中央劇場・銀映と3つの映画館がありました。最初にできたのが室積映劇です。毎日のように多くの人で賑わいをみせていました。現在この場所はジョイフルになっています。「生きるためのもの」は、陽の あたる場所」のジョージ・スティーヴンスが制作、監督した恋愛ドラマ1952年作品です。よって、この写真は昭和20年代半ばに撮影されたものでしょう。何か映画館の中でファッションショーが開催された直後の記念撮影のような感じです。