Re:SALOON & VBA

なつかしい言葉たちよ

なつかしい言葉たちよ
わたしの好きな言葉たちよ
わたしのペン先は
ともすればお前たちを書いてしまいそうになる

お前たちが姿をあらわすと
戻ってゆくだけの一本の路しかない
ひとつの季節しかない
夢を花束にして
わたしを待ちつづける少女のまわりを
近づくでもなく遠ざかるでもなく
みつめて過ごすような

なつかしい言葉たちよ
わたしの好きな言葉たちよ
わたしは少し旅に出なくてはならない
干上がった心の底に
はねるものを探すために

わたしの嫌っていた言葉たちに
あいそ笑いをふりまきながら
一番最初に出逢った娘の
乳のあたりをちょっとはじいて
ゆっくりと煙草に火をつけてから
帽子を斜めにかぶって
気障っぽい旅にでなくてはならない

なつかしい言葉たちよ
わたしの好きな言葉たちよ


塚原将『閉ざされた愛』より

コメント一覧

はっちん
わたしの好きな言葉たちよ
http://blog.goo.ne.jp/frontflug/e/b2c7b42ebd8060259b47640c7c9ec790
塚原将さんの詩集から、

その詩を毎日ひとつずつのペースで、

紹介して来ました。

2004/09/01からだから、一年半ですね。

途中、中断もありましたが、約300を紹介してきましたが、いよいよ、終りになりました。



『閉ざされた愛』の最後は、かなり暗い作品が、

固まっているため、

どうしたものかとも思いましたが・・・

これも、塚原将さんなのです。



これは、僕のBLOGのヒット記事だったと思うのですが・・・(それを楽しみに毎日、訪れでいただいた方、ありがとうごさいます)。

ただ、埋もれさせるのは、勿体ないと思いつづけて来ました。

紹介するだけしかできないのですが、それでも、ひと仕事、終えたなと思います。
塚原将(『閉ざされた愛』あとがき)より
淋しさに出逢ったときにふと
 このごろぼくの詩を詠んでくださったかたが、訪ねてくださることがあります。そんなとき、ぼくはうれしいと同時に恥ずかしいような気持ちになります。というのは、詩から受けるぼくと、本当のぼくとはだいぶ印象がちがうからです。

 ぼくが詩を書くときは、仕事や人間関係に疲れたときが多いせいか、暗い色彩をおびたものや、過ぎ去った日への憧れなどが大部分を占めているうえに、表現方法のせいでもあり、詩から受ける僕の印象は、暗い、ほっそりとした、いつももの想いにふけっているような感じに受けとられがちなのです。

 だから、ほんとうのぼくを見たかたは、どちらかというと幻滅を覚えるようです。

 ほんとうは詩から受ける印象と本人がぴったりしていればよいのですが、こればっかりはどうにもならず、現実とはこんなものだと、自分で自分を慰めています。

 ところで、ぼくはもし機会がありましたら、ぼくが今まで書いてきたような、美しく型どったものではなく、自分のほんとうの姿をとおしてのもっと現実的な、告白にも似た、どうしようもない愛の詩を書いてみたいと思っています。

 そうでないと、ぼくはどこか自分に対しても赤裸々になれないままに終わってしまうような気がするのです。気どった部分だけを、まわりの人びとにみせて終わってしまうような気がするのです。

 それはとにかく、現在、ぼくは、まったく素人のぼくが、第三集目を出していただけたことに、白石編集長をはじめ、多くの人びとに感謝の気持ちでいっぱいです。

 そして、もし、この詩集を読んでくださったかたが、淋しさや哀しさに出逢ったとき、ぼくのいくつかの詩を思い出してくださったら、このうえない幸せだと思っています。

 それにしても、やはりぼくは、自分の詩ず本になって、いろいろな人の目にふれることは不思議であり、また、なんとなく恥かしい気持がすることはいなめません。

 いろいろなことを言っても、ぼくはやはり詩を書いたりすることが好きなのです。というより、いろいろなことにすぐ疲れて、自分ひとりの世界に入りこんでしまうのです。

 だからきっとこれから先も、少しずつでも詩を書いていくだろうと思っています。
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