Beyond Borders ~国境を越えて~

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エッフェル塔 (1889年) Paris  ~Belle Epoque時代~

2007-07-03 01:37:59 | Guide France/建築
昨日「旅のプロローグ」を書いたので、早速「第一弾」をお届けします。

まず最初に「Guide序文」の「旅~プロローグ」と「Belle Epoque時代・序文」を読んでいない方は、先にそちらをご覧頂けると、時代背景がよく分かると思います。

今は、世界中の人達を魅了している、パリのシンボル「エッフェル塔」。
ここから始めましょう。皆様もうご存知の事かもしれませんが、これが一番とっかかり易いでしょう。

以前、「雑誌の記事」の依頼を受けた時に書いた内容と重なります。
あの時、雑誌買ってくれた人有難うね~!!!
(添付写真は、その時の雑誌掲載写真; 撮影は、私の友人で以前にBlogでも紹介した、パリ在住・フォトグラファー「林 龍介氏」のもの)

この話は、前述のように、以前某雑誌の「パリのモダン建築特集(第3部)」で、書いた事ですし、昨日書いた「Belle Epoque・ベルエポック時代」のものですので、最初に選びました。


1889年のパリ万博のシンボルとして建てられた「エッフェル塔」。
建築を請け負った「ギュスターヴ・エッフェル(鉄橋建築家)」の「エッフェル」の名前が、現在に引き継がれています。

建設当時は、賛否両論で批判の声も多かった。
反対派の中には、オペラ座の設計・建築家の「シャルル・ガルニエ」や、作家の「デュマ」や「モーパッサン」などもいました。
「エッフェル塔を(嫌いで)見たくないのなら、エッフェル塔に上れ。」という言葉も流行しました。

逆に、少し経った1900年初頭には、賛成派の作家でもあり詩人、画家・映画監督でもあった「ジャン・コクトー」や画家の「スーラ」や「ピサロ」などは、エッフェル塔を賛美し、作品に残したのでした。


その後、エッフェル塔の営業権が切れた1909年以降、解体・取り壊しの話が進みます。
ここで、人々はまた賛否意見を戦わせていきました。 そして話は、取り壊しの方向へと傾いていきます。
ところがその中で、「第一次世界大戦」が勃発
軍事用電波送信アンテナとして利用されるために、エッフェル塔の取り壊しは中止。
 皮肉な事に「エッフェル塔の命」は、戦争によって救われたのでした。
今となっては、残って良かった…。と言う人が殆どですね。 きっと、人々に「愛される運命」だったのでしょうね。
(現在は、TV・ラジオアンテナ通信のために利用されています。)

エッフェル塔には展望台があり、市内を見渡す事が出来るのですが、入場に時間が掛かる上、最上階は窓が小さく見難いのが現状です。(しかも入場料はお高め。)
先に、「エッフェル塔を見たくないのなら、エッフェル塔に上れ。」と言った人達とは反対意見で、
「エッフェル塔を(好きで)見るなら、モンパルナスタワー展望台へ上れ。」というのが私の考えです。
もちろん、細かい部分を見る際には、エッフェル塔の麓に行ったり、上ったりして見て下さい。

私は、「エッフェル塔が好きで、その前に広がるシャン・ド・マルス公園も、後ろに建つトロカデロのシャイヨ宮も好き。」



14区にある「モンパルナスタワー・展望台」、こちらからも「パリ全体(360度)を見渡す事」が出来ます。
しかも「左右対称に真直ぐとエッフェル塔まで続くシャン・ド・マルス(公園)、その先にそびえ立つエッフェル塔、エッフェル塔の後方には、同じく左右対称に広がるシャイヨ宮(通称・トロカデロ)。」を見る事が出来ます。
私のお勧めは、「視界の晴れ渡ったの日の夕暮れ時」から「ライトアップされるイルミネーションの夜」。
是非、モンパルナスタワー展望台から見える「エッフェル塔」をお楽しみ下さい。

  
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