洋書を通算20万語読んだ専門書、雑誌の文字数はカウントしてないのでもっと数をよんでいる。読んでみてどう変わったか?→なんだか英文を読むのが気楽になった感じがするし、英語が自然に目にはいるようになったと思う。簡単なものを読むというのはラクに読むことをアンカーしているようなもので、いいことだ。達成感がある。次は30万語、もうちょっとペースを上げたい。
「バラのはなってこんなにながいあいださいているんだ・・・」ミニバラがまだ花をつけている。自分でやってみるといろいろわかる。今までは花のことは漠然と見ていた。
何度も花が終わって「今年はもう終わりかな・・・」なんて思っているとまたきれいな赤い花を見せてくれる。「きれいだな。うれしいな」なんか自然に遊ばれているようで、またそれが楽しい。
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少しお休みをいただいた。家族でゆっくりのんびりした時間を過ごせた。するととてもゆとりを持って行動できる。知らないうちに早くしようと焦りが出ているようだ。そんなプログラムができ、それがパターン化してしまう。パターンになってしまうとそれは無意識になる。
そんなときこそ、待つこと、待つからゆとりが生まれる。ゆとりがあるから待つのではないと思う。タイミングが合わなきゃ次のチャンスだっていいじゃないか。待つことでパターンから離れることができる。
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話し方や行動が素早いと、ステート(状態)のコントロールも早いような気がする。また人に影響を与えられそうな気がする錯覚に陥る。しかしそれは否。
ゆっくりしている方が、落ち着いている方が影響力が大きい。ゆっくりしているものに対しては人は抵抗しにくい。早いものに関しては避ければいいだけだ。よければいい。囃子方や行動をゆっくりすると、ゆとりが生まれ、自分のステートもマネージメントできる。マネージメントできるようになってそれから初めて、速さをチューニングできる。
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アンサンブルでは演奏を合わせようとするとつまらない演奏になってしまう。音楽の話だ。2人でも大人数でも。その演奏者のそれぞれの主張があって、それが合うからおもしろいのだ。とにかく会わせているだけでは会わせるだけの演奏になる。もちろん、基礎としてあわせて演奏できる前提があるのは当然だ。
さてさて、演奏の話をしているがそれが演奏だけではなくほかのことにもいえると思う。複数で仕事をするとき、また自分の中のいろいろなパートと関わるとき、それぞれが遠慮しあっていてはいけない。主張しあいすぎてもうまくない。その調和が大切。同じ方向を向いているかだ。
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