3日前、千葉県で起きた小学生児童5人が死傷した事故について、首相がスクールバスの導入を考えているという主旨の発言をされましたね。
私自身は、遅すぎると思っていますが、こういう部分には公的資金をスクールバスに回せないことももちろんあるのでしょうが、別の部分では日本にはまだまだはびこっている「根性論」「贅沢は敵」という古い考えが影響しているようにも思えます。
海外のスクールバス事情
そこまでスクールバスについて詳しいわけではないのですが、私が幼少の頃に住んでいた家の隣が在日外国人専用の借家があったこともあって、アメリカのスクールバス事情は昔からなんとなく知っていました。
もちろん、州ごとにその導入理由は様々だと思われるのですが、1つは有名な都市部以外の地方では、家から学校が遠いということがあるようです。
アメリカの郊外は、1つの敷地がやたらと大きかったりしますから、時間通り通うのが難しかったり公共交通機関のバスの停留所が遠かったりするのでしょう。
また、逆に交通機関が発達している都市部では、テレビなどでもたまに報道されますが、車での事故や誘拐や銃撃などに巻き込まれないようにとの理由で、スクールバスは絶対に利用するようになっているそうですね。
アメリカ以外でも、ヨーロッパなどはスクールバスが当たり前に導入されている都市が多いような気がします。
また、スクールバスがなくても、学校の登下校時間帯には専用の公共バスを走らせているところもあるようです(通勤電車の女性用車両のバスバージョンといったところでしょうか)
スクールバスも公共のバスもない地域では、親が送迎をしなければいけない規則になっている学校も結構多いようです。
日本では、有名な私立学校などはスクールバスも導入しない、親の送迎も許さないという規則になっている場合もあり(私の知っている私立学校がそうです)なんだか真逆ですよね。
私のイメージでは、海外は子どもの安全を守るために地域や国が惜しみなく税金を投入していくれていて、日本の場合は「立派な大人を育てるため」にバスの導入も親の送迎も許さず、自立することを通学で学ばせているような感じですね。
私が子どもの頃のこと
私が通った小学校は、地域の子どもの人口も少なかったのかバスで5~6つ先の停留所付近から通ってくる児童が大半を占めていて、徒歩で通える児童の方が少なかったような学校でした。
朝の通勤ラッシュでは、ランドセルを背負った同じ学校の児童たちが、通勤中の大人たちに揉まれながら登校してくる風景がお決まり。
私は幸い徒歩圏内に住んでいたので、小学生の時は朝から通勤ラッシュでもみくちゃにされる経験はしたことがないのですが、子ども心に「スクールバスを作ってあげたらいいのに」と感じていました。
私が住んでいた家の隣が、在日外国人専用の借家だったといいましたが、当然住んでいる家に子どもがいれば、学校に通わせることになります。
大概の外国人家族は、数年で本国に帰国するか日本の別の場所でさらに数年日本に滞在することになるので、地元の小学校に通わせる家族は少なくて、みんなインターナショナル・スクールに通っていました。
インターナショナル・スクールの場合、市内に1校しかなかったのでスクールバスでみんな通っていましたが、そのバスに乗る隣の子を見て、自分の小学校でバス通学している友達もスクールバスに乗れたらいいのにと思っていましたね。
日本にあるインターナショナル・スクールの場合は、家からかなり遠い子どもも通えるように、スクールバスが必要になるのだと思いますが、基本的には諸外国でスクールバスが当たり前な文化があったことも影響していたと思います。
大学生の頃のこと
私は、かなり不便な場所にある大学へ自宅から通っていました。
自然が多くて山に囲まれ、近くには川が流れ、キャンパスにはたまに狸が現れ......さっくりいうと「田舎」です(苦笑)
朝9時からの授業に出るには、7時台のJRに乗る必要があり電車に揺られる時間は1時間以上でした。
その、7時台のJRに乗ると、途中数十名の小学生が乗車してくる駅と降車する駅とがあります。
そうです、あまりにも自然豊かなその地域では、バスではなく電車で通う必要がある場所にしか小学校がなかったのです。
幸いと言いますか、そのJRの行き先で人が多く集まる場所は私が通った大学くらいで、通勤通学のラッシュはなく、子どもたちがランドセルを背負って数十名乗車してきても車内には余裕がありましたが、大学生目線で「もっと近くに学校があったらよかったのにね」「スクールバスを走らせてあげられないのかな」と考えていました。
当時は、教職課程も取っていたので、なおさら子どもたちの通学環境が気になったりしていたのだと思います。
あの頃、JR通学していた子どもたちは、今どんな風に成長しているでしょうね。
そして、当時の自分たちの環境を、どう捉えていたのでしょうね。
スクールバスが長い間導入されてこなかった理由
最初に言いましたが、日本には「立派に自立する教育」の一環として、自力で学校へ通うことが長い間推奨されてきたような気がします。
その習慣には、誰も疑問を持たなかったし、人口の多い地域では徒歩圏内に必ず学校がありますので、徒歩で無理なく通えるように「校区」を定めているので、バスを導入する理由もなかったのでしょう。
また、別の視点では「バスで通うなんて贅沢」という考えも強かったのではないかと思います。
野山が多い日本では、学校の場所はとてもではないけれどバスが入れる道ではない場合も多いかもしれません
しかし、私は小学生のころから、なぜ学校まで安全に送迎してくれるバスがないのだろう、とずっと思っていたのには、理由があるのです。
それは、同級生や同じ学校の子どもが、通学時に交通事故に遭って入院したり、亡くなったりすることが少なくなかったからです。
また、程よい田舎町ではありましたが、たまに変質者的な人が出ることもあり、決して安全だったわけではないのです。
それでも、大人になってみて私がたまにスクールバスがあったらいいのにね、と発言してみると、先ほど綴ったように「贅沢」「足腰が弱る」「自力で行けるのだから必要ない」というようなことを言う人は、結構いました。
要するに「根性論」なのだと思いますが、私が一番嫌いな論です(笑)
スクールバスが必要だと思う理由
子どもの安全を守るために、というのが一番ですが、今の小学校の環境や小学生が置かれている状況を考えると、スクールバスの導入は必然なのかな、という気がします。
まず、小学生や園児を巻き込む事故が最近増えていることがあります。
通園通学、校外学習中に巻き込まれることがほとんどなので、そのリスクを回避するためにもバスは必要なのではないかと思います。
また、少子化に伴い学校の統廃合が年々増える中、学校までの距離が遠くなってしまった子どもも結構いると思うのですが、あまりにも遠い場合は、私の小学生時代のようにバスや電車で学校まで通う小学生も増えているのではないか、ということもあります。
私自身は、子どもが自力で歩いて登校帰宅することと、自立の訓練や健康効果(歩く効果)とは切り離して考えるべきで、徒歩通学が当たり前としてきた背景には、単純にバスを導入する税金を確保できないからだと思っています。
そこに、もっともらしい理由を付けて精神論で論破してきたに過ぎないのだろうと思います。
スクールバス導入の税金くらい払いますよ
何に使われているかわからないより、スクールバスのように子どもたちの安全を守るために使われていることがわかる方が、税金を納める立場からすると、払い甲斐もあるというもの。
それに、申し訳ないのですが、一部の小学校の児童が朝のラッシュ時に電車やバスを利用すると、ランドセルが非常に厄介なのですよね。
ランドセルのスペースが空けば、1人余計に乗車できるし、満員の車両から降りる際にランドセルが引っかかってなかなか出口まで行けなかったりと、互いにリスクばかりが目立つので、子どもに罪はなくとも「学校でスクールバスくらい用意してやれ」と思う大人は少なくない気がします(あくまでも私の意見ですが)
それから、一部の学校では親の送迎を禁止している場合もありますが、それも今の時代は大目に見てあげてはどうだろうと思います。
近年、子どもが巻き込まれる犯罪が増えてきましたよね。
誘拐もしかり、交通事故もしかりで、今までどおりのやり方だと、子どもたちの命を守れる気がしません。
ですから、今回首相がスクールバスの全国導入を検討しているとの発言は、私からしたら
やっとですか
という気分で聴いておりました(笑)
スクールバスの全国導入、一日でも早く実現してほしいですね。
今回は、スクールバスについての話を綴りましたが、実を言うと小学生の頃はバスで通っている友達のことを、少しだけ羨ましいと思っていました(笑)
でも、今考えると徒歩圏内に住んでいた私は、バス通学していた友達に比べたら恵まれた環境にいたのですね。
家に帰りつくのも、バス通学の友達よりも早いので、遊ぶ時間がたくさん確保できていたし、少しくらい遅くまで学校で遊んで帰っても、時間に余裕がありました。
今の子どもたちはただでさえ忙しいですから、バスの導入で少しは時間の余裕ができるといいですね。
私自身は、遅すぎると思っていますが、こういう部分には公的資金をスクールバスに回せないことももちろんあるのでしょうが、別の部分では日本にはまだまだはびこっている「根性論」「贅沢は敵」という古い考えが影響しているようにも思えます。
海外のスクールバス事情
そこまでスクールバスについて詳しいわけではないのですが、私が幼少の頃に住んでいた家の隣が在日外国人専用の借家があったこともあって、アメリカのスクールバス事情は昔からなんとなく知っていました。
もちろん、州ごとにその導入理由は様々だと思われるのですが、1つは有名な都市部以外の地方では、家から学校が遠いということがあるようです。
アメリカの郊外は、1つの敷地がやたらと大きかったりしますから、時間通り通うのが難しかったり公共交通機関のバスの停留所が遠かったりするのでしょう。
また、逆に交通機関が発達している都市部では、テレビなどでもたまに報道されますが、車での事故や誘拐や銃撃などに巻き込まれないようにとの理由で、スクールバスは絶対に利用するようになっているそうですね。
アメリカ以外でも、ヨーロッパなどはスクールバスが当たり前に導入されている都市が多いような気がします。
また、スクールバスがなくても、学校の登下校時間帯には専用の公共バスを走らせているところもあるようです(通勤電車の女性用車両のバスバージョンといったところでしょうか)
スクールバスも公共のバスもない地域では、親が送迎をしなければいけない規則になっている学校も結構多いようです。
日本では、有名な私立学校などはスクールバスも導入しない、親の送迎も許さないという規則になっている場合もあり(私の知っている私立学校がそうです)なんだか真逆ですよね。
私のイメージでは、海外は子どもの安全を守るために地域や国が惜しみなく税金を投入していくれていて、日本の場合は「立派な大人を育てるため」にバスの導入も親の送迎も許さず、自立することを通学で学ばせているような感じですね。
私が子どもの頃のこと
私が通った小学校は、地域の子どもの人口も少なかったのかバスで5~6つ先の停留所付近から通ってくる児童が大半を占めていて、徒歩で通える児童の方が少なかったような学校でした。
朝の通勤ラッシュでは、ランドセルを背負った同じ学校の児童たちが、通勤中の大人たちに揉まれながら登校してくる風景がお決まり。
私は幸い徒歩圏内に住んでいたので、小学生の時は朝から通勤ラッシュでもみくちゃにされる経験はしたことがないのですが、子ども心に「スクールバスを作ってあげたらいいのに」と感じていました。
私が住んでいた家の隣が、在日外国人専用の借家だったといいましたが、当然住んでいる家に子どもがいれば、学校に通わせることになります。
大概の外国人家族は、数年で本国に帰国するか日本の別の場所でさらに数年日本に滞在することになるので、地元の小学校に通わせる家族は少なくて、みんなインターナショナル・スクールに通っていました。
インターナショナル・スクールの場合、市内に1校しかなかったのでスクールバスでみんな通っていましたが、そのバスに乗る隣の子を見て、自分の小学校でバス通学している友達もスクールバスに乗れたらいいのにと思っていましたね。
日本にあるインターナショナル・スクールの場合は、家からかなり遠い子どもも通えるように、スクールバスが必要になるのだと思いますが、基本的には諸外国でスクールバスが当たり前な文化があったことも影響していたと思います。
大学生の頃のこと
私は、かなり不便な場所にある大学へ自宅から通っていました。
自然が多くて山に囲まれ、近くには川が流れ、キャンパスにはたまに狸が現れ......さっくりいうと「田舎」です(苦笑)
朝9時からの授業に出るには、7時台のJRに乗る必要があり電車に揺られる時間は1時間以上でした。
その、7時台のJRに乗ると、途中数十名の小学生が乗車してくる駅と降車する駅とがあります。
そうです、あまりにも自然豊かなその地域では、バスではなく電車で通う必要がある場所にしか小学校がなかったのです。
幸いと言いますか、そのJRの行き先で人が多く集まる場所は私が通った大学くらいで、通勤通学のラッシュはなく、子どもたちがランドセルを背負って数十名乗車してきても車内には余裕がありましたが、大学生目線で「もっと近くに学校があったらよかったのにね」「スクールバスを走らせてあげられないのかな」と考えていました。
当時は、教職課程も取っていたので、なおさら子どもたちの通学環境が気になったりしていたのだと思います。
あの頃、JR通学していた子どもたちは、今どんな風に成長しているでしょうね。
そして、当時の自分たちの環境を、どう捉えていたのでしょうね。
スクールバスが長い間導入されてこなかった理由
最初に言いましたが、日本には「立派に自立する教育」の一環として、自力で学校へ通うことが長い間推奨されてきたような気がします。
その習慣には、誰も疑問を持たなかったし、人口の多い地域では徒歩圏内に必ず学校がありますので、徒歩で無理なく通えるように「校区」を定めているので、バスを導入する理由もなかったのでしょう。
また、別の視点では「バスで通うなんて贅沢」という考えも強かったのではないかと思います。
野山が多い日本では、学校の場所はとてもではないけれどバスが入れる道ではない場合も多いかもしれません
しかし、私は小学生のころから、なぜ学校まで安全に送迎してくれるバスがないのだろう、とずっと思っていたのには、理由があるのです。
それは、同級生や同じ学校の子どもが、通学時に交通事故に遭って入院したり、亡くなったりすることが少なくなかったからです。
また、程よい田舎町ではありましたが、たまに変質者的な人が出ることもあり、決して安全だったわけではないのです。
それでも、大人になってみて私がたまにスクールバスがあったらいいのにね、と発言してみると、先ほど綴ったように「贅沢」「足腰が弱る」「自力で行けるのだから必要ない」というようなことを言う人は、結構いました。
要するに「根性論」なのだと思いますが、私が一番嫌いな論です(笑)
スクールバスが必要だと思う理由
子どもの安全を守るために、というのが一番ですが、今の小学校の環境や小学生が置かれている状況を考えると、スクールバスの導入は必然なのかな、という気がします。
まず、小学生や園児を巻き込む事故が最近増えていることがあります。
通園通学、校外学習中に巻き込まれることがほとんどなので、そのリスクを回避するためにもバスは必要なのではないかと思います。
また、少子化に伴い学校の統廃合が年々増える中、学校までの距離が遠くなってしまった子どもも結構いると思うのですが、あまりにも遠い場合は、私の小学生時代のようにバスや電車で学校まで通う小学生も増えているのではないか、ということもあります。
私自身は、子どもが自力で歩いて登校帰宅することと、自立の訓練や健康効果(歩く効果)とは切り離して考えるべきで、徒歩通学が当たり前としてきた背景には、単純にバスを導入する税金を確保できないからだと思っています。
そこに、もっともらしい理由を付けて精神論で論破してきたに過ぎないのだろうと思います。
スクールバス導入の税金くらい払いますよ
何に使われているかわからないより、スクールバスのように子どもたちの安全を守るために使われていることがわかる方が、税金を納める立場からすると、払い甲斐もあるというもの。
それに、申し訳ないのですが、一部の小学校の児童が朝のラッシュ時に電車やバスを利用すると、ランドセルが非常に厄介なのですよね。
ランドセルのスペースが空けば、1人余計に乗車できるし、満員の車両から降りる際にランドセルが引っかかってなかなか出口まで行けなかったりと、互いにリスクばかりが目立つので、子どもに罪はなくとも「学校でスクールバスくらい用意してやれ」と思う大人は少なくない気がします(あくまでも私の意見ですが)
それから、一部の学校では親の送迎を禁止している場合もありますが、それも今の時代は大目に見てあげてはどうだろうと思います。
近年、子どもが巻き込まれる犯罪が増えてきましたよね。
誘拐もしかり、交通事故もしかりで、今までどおりのやり方だと、子どもたちの命を守れる気がしません。
ですから、今回首相がスクールバスの全国導入を検討しているとの発言は、私からしたら
やっとですか
という気分で聴いておりました(笑)
スクールバスの全国導入、一日でも早く実現してほしいですね。
今回は、スクールバスについての話を綴りましたが、実を言うと小学生の頃はバスで通っている友達のことを、少しだけ羨ましいと思っていました(笑)
でも、今考えると徒歩圏内に住んでいた私は、バス通学していた友達に比べたら恵まれた環境にいたのですね。
家に帰りつくのも、バス通学の友達よりも早いので、遊ぶ時間がたくさん確保できていたし、少しくらい遅くまで学校で遊んで帰っても、時間に余裕がありました。
今の子どもたちはただでさえ忙しいですから、バスの導入で少しは時間の余裕ができるといいですね。