モノを管理するのに、容器を使ったり収納を工夫したりします。
しかし、自分がよかれと思って工夫していたことでも、家族にあっさりと崩されてしまうこと、ありませんか?
今回は、そんなお話を綴ります。
事の発端
10日ほど前だったでしょうか。
母を病院の定期検診へ連れていき、1ヶ月分の薬を貰ってきました。
毎日の薬の管理は、母に任せてしまうと飲み忘れてしまうため、今は私が30日分を1日3回分に分けて、アラームもセットして、行っています。
新しい薬を貰ってきた時点では、前回貰ってきた薬が1~2日分残っている状態なので、新しい薬は混ざるといけないと思い、わざと封を開けないようにしています。
しかし、今回いつもと同じように、新しい薬をそのままにしていたら、母がやらかしてくれました。
その日は、母が何やら作業を始めたので、何をしているのだろう?とのぞき込むと、新しく貰ってきた薬を全部出して、1つずつに切って、なにかの容器に入れていました。
母が、自分で薬を分けている時点で、少しゾッとしたのですが、もし処方されたとおりに分けていなかったら、とんでもないことになります。
母は、薬の種類が多いので、1回に服用する種類と数が朝、昼、夜と、全て違います。
分け方を間違えて服用してしまうと、救急車を呼ぶ事態になりかねません。
しかも、まだ前回の分が残っていますから、適当に服用されては困ります。
慌てて薬を取り上げたのですが、その際母が容器として使っていたモノが、さらに問題というか、私の工夫を崩された、まさにその瞬間でした(苦笑)
薬の収納
私が管理すると言っても、私が服用するわけではないので、間違えて母に渡してしまう可能性は十分にあります。
ですから、私が管理しやすいように、1回分の薬を小さなジッパー付き保存袋へ入れて、朝、昼、夜の分を、それぞれ1~30(31)にナバリングし、100円ショップの3段小引き出し(収納グッズ)に収納しています。
朝、昼、夜と分けて、さらにナバリングしておくと、飲み忘れに気が付きやすいので、かなり面倒くさい作業ではありますが、致し方なくしています。
よく、雑貨店や100円ショップで見かける、31日分の薬を小分けにして入れられるケース(ピルケース)がありますが、残念ながら、朝、昼、夜と、それぞれ違う薬を服用している場合は、役に立ちません。
それに、そもそも仕切られているスペースが小さすぎて、母の薬の量だと入りきりませんから、今の管理方法は、苦肉の策といったところです。
他に、もっといい方法があったら、そちらにシフトしたいところですが、なかなか思いつきません。
そんな感じの、薬管理方法なのですが、母はもっとアバウトな管理方法でした。
朝、昼、夜と、それぞれ薬の種類と数が違うと言いましたが、1種類だけ、1日3回で1回1錠服用の薬があります。
母が、まだ薬を飲み忘れることがなかったころは、この1日3回1回1錠の薬は、プラスチックの保存容器に1錠ずつに分けて、ざっくりと入れていました。
そして、食事が終わるたびに、そこから1錠出して飲む、という方法を取っていました。
ところが、飲み忘れが酷くなってきたことで、逆に飲み終わっているにも関わらず、忘れて1回に2錠飲もうとしたりすることも出てきたため、私が管理するようになってからは、毎回服用する薬もナンバリングして管理するようにしました。
そこに容器があったから
母が、勝手に薬を仕分けていた際、私は2つのことについて、イラっとしました。
1つは、薬の仕分け方。
今は、私が完全に管理しているのに、中途半端に母のルールで薬の管理を変えられると、母の健康に重大な被害を及ぼしかねません。
母が以前していた、アバウトな管理方法だと、間違いなく飲み間違えますので、それだけは絶対に避けたいのに、母があっさりと私の工夫を崩そうとしたことに、思わず苛立ちました。
わざとではないと、頭では理解していても、命にかかわることなので、そこはどうしても感情的になってしまいます。
2つ目は、実は母が薬を入れようとした容器です。
この容器、ほんの数時間前までは、私が別のモノを入れてテーブルに置いていたモノでした。
母も私も、時々のどがイガイガするので(加齢のせいです)、以前購入したリサ&ガスパールのキャンディが入っていた空きびんに、スーパーで買ってきた飴やキャラメルを入れて、テーブルの上に置いていました。
また、ムーミンショップで購入したジャムの空きびんも、ムーミンの絵柄がついて可愛かったので、スティックシュガー入れとして、使っていました。
どちらも、ガラス部分に絵が描かれていて、かわいくてどうしても再利用したかったし、テーブルの上が少し可愛くディスプレイされるかな、と思って、飴を入れたり、シュガーを入れたりしていたのです。
ところが、薬を貰ってきたその日、たまたま飴もシュガーも切れていて、びんの中は空っぽでした。
母は、認知症の診断は下されていませんが、数分前のことを忘れます(たぶん認知症ですが、脳外科以外で調べる方法が解りません)
ですから、空き容器があったら、そこに何が入っていたかなども、当然覚えていません。
そのため、空いているガラス瓶をみて、薬を入れるのにちょうどいいと思ったのでしょう。
私が、使ったらかわいいな、と思って再利用していた空きびんに、大量の薬を入れていました。
それを見た瞬間、薬を取り上げると同時に、ビンも取り上げて、すぐに資源ごみの袋へ入れていました。
イライラの原因
私がイライラした原因は、1つは母の命に係わる薬を、本人がアバウトに管理しようとしたことにあります。
自分の身体状態を、ろくに把握しようともしない母には、日ごろからいら立ちを覚えていました。
病気であるにも関わらず、偏食を改善しようとしないし、身体を動かすなどの努力も全くしようとしないため、年に一度は救急車を呼ぶ羽目になります。
私が、いくら食事の管理をしていても、結局好きな料理にしか手を付けないので、どうしようもありません。
私の中で、薬管理や食事を工夫する努力を無にされていることと、母自身が自分のことなのに他人ごとのような態度なのが、イライラを増長させています。
これは、私の承認欲求が満たされていないことが、大きな原因なのかな、と思います。
また、空きびんを私が思い描いていた用途とは別の使い方をされたのも、イライラの原因でした。
私の中で、少しでも見た目を可愛く、お洒落にして、飴やシュガーを収納したいと思っていたのに、母があっさりと可愛い空きびんを薬瓶にしてしまったことは、私のセンスを全否定されたも同然です(苦笑)
まあ、私のセンスなど、大したことないので、否定されても仕方ないと言えば仕方ありませんが...
そして、これも承認欲求が満たされなかったために抱いてしまったイライラかな、と思っています。
そこにモノがなければいいのじゃない?
母から、薬とビンを取り上げた瞬間、私の脳裏に浮かんだのは、
「容器があるから、入れたくなってしまうのだ」
「だったら、容器をなくしてしまえ!」
でした(笑)
取り上げた瞬間に、資源ごみへ入れたのは、そういう理由からです。
モノがあるから使ってしまう
モノがなければ使わない
ものすごく当たり前のことなのに、普段少しも意識しないことです。
必要不可欠ではないモノなのに、そこにあるから使ってしまう。
使ってしまうから、いつまでも持ち続けてしまう。
母の一件があって、そのことに改めて気づかされました。
そもそも、ムーミンの空きびんもリサ&ガスパールの空きびんも、可愛いから、お洒落だからという理由だけで、私が勝手に使っていただけで、絶対に飴やシュガーを入れて使うべきモノでもありません。
しかし、私は見た目重視で、中身ありきの収納ではなく、容器ありきで中身を選択していました。
そんな使い方をするから、母もそこに空きびんがあれば「何かを入れればいいじゃない」となるわけです。
そう、そもそも、つかわなくてもいい容器だったのに、見栄えだけのために私がいつまでも捨てずに、何かしらの理由をつけて使っていたから、今回のイライラ事件が起こってしまったわけです。
容器は、中身を使い切った時点で役割を終えています。
もちろん、エコロジーの観点から言えば、再利用してもう一度ジャムを入れたり、他の食材を保存したほうがいいのでしょうが、私はジャムを手作りしないし、他の食材保存には小さかったりするので、使わない確率が高いです。
ですから、もともとの中身がなくなったら、容器も要らないモノになっているはずなのです。
たとえ、見た目が可愛かったとしても、お洒落だったとしても、使い道をわざわざ考えないと再利用ができないのであれば、それを考える時間も勿体ないし、無意味な承認欲求も生まれませんでした。
使い道が思いつかなかったら処分することを徹底する
使い道が思いつかなかったら、処分をするということは、モノを増やさない、減らす、片付けるの基本です。
なのに、私は可愛い空きびんを、いつまでも取っておいて、無理やり使ってしまっていました。
使っていると、それがないと困ってしまうのではないか、という気分にすり替わっていきます。
最初は、使い道を思いつかなかったのに、無理やり使ってみたら、それが当たり前のような錯覚を起こします。
しかし、実際はなくても全く困らないモノですし、そもそも再利用が実用的か、効率的に使えるか、と考えると、特にそのようなこともないわけですから、最初に使い道が思いつかなかったモノは、何も考えずに即処分が、妥当な行動です。
私が、可愛い空きびんを再利用したり、可愛い雑貨をつい買ってしまっていたのには、見栄も少しありました。
友達に、可愛いモノ、ステキなモノ、お洒落なモノが大好きな人が、何人かいます。
また、拘りを持って、雑貨や食器やキッチンツールをラインで揃えている人もいます。
そういう人たちが、私の家へ来たときに、恥ずかしくないような見た目にしておきたいという気持ちが、以前の私にはありました。
そのため、可愛い容器やお洒落に見える容器は、中身を使い終わっても、洗って取っておく癖がついていました。
しかし、我が家に友達を呼ぶことは、ほとんどないし、そもそも自分の暮らしは、人から褒めてもらうためにしているのではありませんから、見た目を重視した暮らしをして、心地悪くなるのであれば、無意味ですよね。
今回は、たかが空きびん2つのために、つまらないイライラ事件を起こしてしまったし、考えたらテーブルの上の掃除も、結構面倒くさかったです(笑)
見た目がお洒落だったり、可愛かったりすることは、自分が満足できてイライラしないのであれば、実行してもいいですが、少しでもイライラすることが起きるようであれば、それは自分の暮らしに見合っていないということ。
無理やり使っているモノは、自分の心のどこかで、不要品だと認識していながらも、使っているから必要なモノである、と変換してしまっているので、イライラは不要品のバロメーターであると、再認識した今回のイライラ事件でした(苦笑)
モノを持ちすぎていると、無理やり使っているモノも、案外多いです。
なにも、それを使わなくたっていいじゃない、と思うモノは、人から指摘されたり、違う使われ方をして、ようやく気付くこともあります。
生活をしていると、見落としがちなことですが、たまに掃除をする際に、一度保存方法や使用方法をリセットする時間を作ると、こういった違う意味での「ムダ使い」(ムダな労力を使うこと)をなくすことができるのでしょうね。
今日は、私の捨て曜日ですから、今回は不要なモノの中でも「不要なのに使ってしまっているモノ」を中心に探して、処分してみようかな、と思っています。
しかし、自分がよかれと思って工夫していたことでも、家族にあっさりと崩されてしまうこと、ありませんか?
今回は、そんなお話を綴ります。
事の発端
10日ほど前だったでしょうか。
母を病院の定期検診へ連れていき、1ヶ月分の薬を貰ってきました。
毎日の薬の管理は、母に任せてしまうと飲み忘れてしまうため、今は私が30日分を1日3回分に分けて、アラームもセットして、行っています。
新しい薬を貰ってきた時点では、前回貰ってきた薬が1~2日分残っている状態なので、新しい薬は混ざるといけないと思い、わざと封を開けないようにしています。
しかし、今回いつもと同じように、新しい薬をそのままにしていたら、母がやらかしてくれました。
その日は、母が何やら作業を始めたので、何をしているのだろう?とのぞき込むと、新しく貰ってきた薬を全部出して、1つずつに切って、なにかの容器に入れていました。
母が、自分で薬を分けている時点で、少しゾッとしたのですが、もし処方されたとおりに分けていなかったら、とんでもないことになります。
母は、薬の種類が多いので、1回に服用する種類と数が朝、昼、夜と、全て違います。
分け方を間違えて服用してしまうと、救急車を呼ぶ事態になりかねません。
しかも、まだ前回の分が残っていますから、適当に服用されては困ります。
慌てて薬を取り上げたのですが、その際母が容器として使っていたモノが、さらに問題というか、私の工夫を崩された、まさにその瞬間でした(苦笑)
薬の収納
私が管理すると言っても、私が服用するわけではないので、間違えて母に渡してしまう可能性は十分にあります。
ですから、私が管理しやすいように、1回分の薬を小さなジッパー付き保存袋へ入れて、朝、昼、夜の分を、それぞれ1~30(31)にナバリングし、100円ショップの3段小引き出し(収納グッズ)に収納しています。
朝、昼、夜と分けて、さらにナバリングしておくと、飲み忘れに気が付きやすいので、かなり面倒くさい作業ではありますが、致し方なくしています。
よく、雑貨店や100円ショップで見かける、31日分の薬を小分けにして入れられるケース(ピルケース)がありますが、残念ながら、朝、昼、夜と、それぞれ違う薬を服用している場合は、役に立ちません。
それに、そもそも仕切られているスペースが小さすぎて、母の薬の量だと入りきりませんから、今の管理方法は、苦肉の策といったところです。
他に、もっといい方法があったら、そちらにシフトしたいところですが、なかなか思いつきません。
そんな感じの、薬管理方法なのですが、母はもっとアバウトな管理方法でした。
朝、昼、夜と、それぞれ薬の種類と数が違うと言いましたが、1種類だけ、1日3回で1回1錠服用の薬があります。
母が、まだ薬を飲み忘れることがなかったころは、この1日3回1回1錠の薬は、プラスチックの保存容器に1錠ずつに分けて、ざっくりと入れていました。
そして、食事が終わるたびに、そこから1錠出して飲む、という方法を取っていました。
ところが、飲み忘れが酷くなってきたことで、逆に飲み終わっているにも関わらず、忘れて1回に2錠飲もうとしたりすることも出てきたため、私が管理するようになってからは、毎回服用する薬もナンバリングして管理するようにしました。
そこに容器があったから
母が、勝手に薬を仕分けていた際、私は2つのことについて、イラっとしました。
1つは、薬の仕分け方。
今は、私が完全に管理しているのに、中途半端に母のルールで薬の管理を変えられると、母の健康に重大な被害を及ぼしかねません。
母が以前していた、アバウトな管理方法だと、間違いなく飲み間違えますので、それだけは絶対に避けたいのに、母があっさりと私の工夫を崩そうとしたことに、思わず苛立ちました。
わざとではないと、頭では理解していても、命にかかわることなので、そこはどうしても感情的になってしまいます。
2つ目は、実は母が薬を入れようとした容器です。
この容器、ほんの数時間前までは、私が別のモノを入れてテーブルに置いていたモノでした。
母も私も、時々のどがイガイガするので(加齢のせいです)、以前購入したリサ&ガスパールのキャンディが入っていた空きびんに、スーパーで買ってきた飴やキャラメルを入れて、テーブルの上に置いていました。
また、ムーミンショップで購入したジャムの空きびんも、ムーミンの絵柄がついて可愛かったので、スティックシュガー入れとして、使っていました。
どちらも、ガラス部分に絵が描かれていて、かわいくてどうしても再利用したかったし、テーブルの上が少し可愛くディスプレイされるかな、と思って、飴を入れたり、シュガーを入れたりしていたのです。
ところが、薬を貰ってきたその日、たまたま飴もシュガーも切れていて、びんの中は空っぽでした。
母は、認知症の診断は下されていませんが、数分前のことを忘れます(たぶん認知症ですが、脳外科以外で調べる方法が解りません)
ですから、空き容器があったら、そこに何が入っていたかなども、当然覚えていません。
そのため、空いているガラス瓶をみて、薬を入れるのにちょうどいいと思ったのでしょう。
私が、使ったらかわいいな、と思って再利用していた空きびんに、大量の薬を入れていました。
それを見た瞬間、薬を取り上げると同時に、ビンも取り上げて、すぐに資源ごみの袋へ入れていました。
イライラの原因
私がイライラした原因は、1つは母の命に係わる薬を、本人がアバウトに管理しようとしたことにあります。
自分の身体状態を、ろくに把握しようともしない母には、日ごろからいら立ちを覚えていました。
病気であるにも関わらず、偏食を改善しようとしないし、身体を動かすなどの努力も全くしようとしないため、年に一度は救急車を呼ぶ羽目になります。
私が、いくら食事の管理をしていても、結局好きな料理にしか手を付けないので、どうしようもありません。
私の中で、薬管理や食事を工夫する努力を無にされていることと、母自身が自分のことなのに他人ごとのような態度なのが、イライラを増長させています。
これは、私の承認欲求が満たされていないことが、大きな原因なのかな、と思います。
また、空きびんを私が思い描いていた用途とは別の使い方をされたのも、イライラの原因でした。
私の中で、少しでも見た目を可愛く、お洒落にして、飴やシュガーを収納したいと思っていたのに、母があっさりと可愛い空きびんを薬瓶にしてしまったことは、私のセンスを全否定されたも同然です(苦笑)
まあ、私のセンスなど、大したことないので、否定されても仕方ないと言えば仕方ありませんが...
そして、これも承認欲求が満たされなかったために抱いてしまったイライラかな、と思っています。
そこにモノがなければいいのじゃない?
母から、薬とビンを取り上げた瞬間、私の脳裏に浮かんだのは、
「容器があるから、入れたくなってしまうのだ」
「だったら、容器をなくしてしまえ!」
でした(笑)
取り上げた瞬間に、資源ごみへ入れたのは、そういう理由からです。
モノがあるから使ってしまう
モノがなければ使わない
ものすごく当たり前のことなのに、普段少しも意識しないことです。
必要不可欠ではないモノなのに、そこにあるから使ってしまう。
使ってしまうから、いつまでも持ち続けてしまう。
母の一件があって、そのことに改めて気づかされました。
そもそも、ムーミンの空きびんもリサ&ガスパールの空きびんも、可愛いから、お洒落だからという理由だけで、私が勝手に使っていただけで、絶対に飴やシュガーを入れて使うべきモノでもありません。
しかし、私は見た目重視で、中身ありきの収納ではなく、容器ありきで中身を選択していました。
そんな使い方をするから、母もそこに空きびんがあれば「何かを入れればいいじゃない」となるわけです。
そう、そもそも、つかわなくてもいい容器だったのに、見栄えだけのために私がいつまでも捨てずに、何かしらの理由をつけて使っていたから、今回のイライラ事件が起こってしまったわけです。
容器は、中身を使い切った時点で役割を終えています。
もちろん、エコロジーの観点から言えば、再利用してもう一度ジャムを入れたり、他の食材を保存したほうがいいのでしょうが、私はジャムを手作りしないし、他の食材保存には小さかったりするので、使わない確率が高いです。
ですから、もともとの中身がなくなったら、容器も要らないモノになっているはずなのです。
たとえ、見た目が可愛かったとしても、お洒落だったとしても、使い道をわざわざ考えないと再利用ができないのであれば、それを考える時間も勿体ないし、無意味な承認欲求も生まれませんでした。
使い道が思いつかなかったら処分することを徹底する
使い道が思いつかなかったら、処分をするということは、モノを増やさない、減らす、片付けるの基本です。
なのに、私は可愛い空きびんを、いつまでも取っておいて、無理やり使ってしまっていました。
使っていると、それがないと困ってしまうのではないか、という気分にすり替わっていきます。
最初は、使い道を思いつかなかったのに、無理やり使ってみたら、それが当たり前のような錯覚を起こします。
しかし、実際はなくても全く困らないモノですし、そもそも再利用が実用的か、効率的に使えるか、と考えると、特にそのようなこともないわけですから、最初に使い道が思いつかなかったモノは、何も考えずに即処分が、妥当な行動です。
私が、可愛い空きびんを再利用したり、可愛い雑貨をつい買ってしまっていたのには、見栄も少しありました。
友達に、可愛いモノ、ステキなモノ、お洒落なモノが大好きな人が、何人かいます。
また、拘りを持って、雑貨や食器やキッチンツールをラインで揃えている人もいます。
そういう人たちが、私の家へ来たときに、恥ずかしくないような見た目にしておきたいという気持ちが、以前の私にはありました。
そのため、可愛い容器やお洒落に見える容器は、中身を使い終わっても、洗って取っておく癖がついていました。
しかし、我が家に友達を呼ぶことは、ほとんどないし、そもそも自分の暮らしは、人から褒めてもらうためにしているのではありませんから、見た目を重視した暮らしをして、心地悪くなるのであれば、無意味ですよね。
今回は、たかが空きびん2つのために、つまらないイライラ事件を起こしてしまったし、考えたらテーブルの上の掃除も、結構面倒くさかったです(笑)
見た目がお洒落だったり、可愛かったりすることは、自分が満足できてイライラしないのであれば、実行してもいいですが、少しでもイライラすることが起きるようであれば、それは自分の暮らしに見合っていないということ。
無理やり使っているモノは、自分の心のどこかで、不要品だと認識していながらも、使っているから必要なモノである、と変換してしまっているので、イライラは不要品のバロメーターであると、再認識した今回のイライラ事件でした(苦笑)
モノを持ちすぎていると、無理やり使っているモノも、案外多いです。
なにも、それを使わなくたっていいじゃない、と思うモノは、人から指摘されたり、違う使われ方をして、ようやく気付くこともあります。
生活をしていると、見落としがちなことですが、たまに掃除をする際に、一度保存方法や使用方法をリセットする時間を作ると、こういった違う意味での「ムダ使い」(ムダな労力を使うこと)をなくすことができるのでしょうね。
今日は、私の捨て曜日ですから、今回は不要なモノの中でも「不要なのに使ってしまっているモノ」を中心に探して、処分してみようかな、と思っています。