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マシュマロ’sエンディングノート

~At the end of a marshmallow-like life~

母の体調は毎日変化するという話

2020-05-18 | 母のこと
ブログでは、何度も母の病気について触れてきました。
今回は、そんな母が最近はどのような様子で過ごしているのか、を綴ります。

しつこいようですが母の病気について
もう、何度も触れているので、聞き飽きた(読み飽きた)かもしれませんが、再度確認で(笑)
母の主な病気は、糖尿病(2型)です。
また、糖尿病の合併症で心臓の病気もあります。
現在は、全て服薬治療になっています。

他に、白内障の手術をしたことによる、定期健診にも半年に一度、通っています。
白内障とは別に、糖尿病網膜症も発症しており、視界はぼやけているそうです(本人談)
そして、昨年は胃のポリープが出血し、それが原因と思われる極度の貧血を起こしました。
ポリープは、胃カメラを挿入しての切除手術を受け、無事に終わりましたが、糖尿病、心臓病の薬の他に、貧血の処方薬を服用することになり、以後糖尿病と心臓病と貧血の処方薬を服用しています。

体調が悪いときの母の様子
体調を崩す主な原因は、おそらく貧血です。
顔面が蒼白になり、下瞼の粘膜を確認すると真っ白になっていることがあります。
本人は、突然気分が悪くなった、と感じるようなのですが、おそらくもう少し前から、変調は出ているのだと思います。
ただ、母本人がそのことをまるで意識せずに生活をしているので、ふとしたこと、例えば急に勢いよく立ち上がった場合などに、数歩歩いたら貧血状態でふらふらし始める、といった具合です。

本日は、月1回の定期健診日だったので、時々母がふらついたりする、貧血だろうか、低血糖が原因だろうか、とかかりつけ医に質問してみたところ、貧血だろう、とのこと。
順調に貧血が回復すれば、薬を1種類か2種類は減らせるのですが、難しそうです。

調子がいいの?
本日の定期健診は、本当は先週行く予定にしていましたが、雨が降っていたので本日に延期したにもかかわらず、また雨が降ってしまいました(苦笑)

母は、あまりにも先の予定を伝えると、忘れてしまう為、数日前から病院へ行く日を伝えます。
しかし、カレンダーに記入しているにもかかわらず、覚えているときと覚えていないときがあり、覚えていない日の朝は、病院へ行くと言うと、かなり面倒くさがります。
面倒くさいのは、着替えなどの支度です。
心臓が悪いためか、少しの動作でも息切れしたり疲れたりしまので、着替えたり、駐車場まで歩いたりするのが、とても嫌みたいです。

嫌がる理由にはもうひとつあって、それは体調がかなり悪いときです。
体調が悪いときは、ほぼ一日中横になっていますし、食欲もありません。
服薬しているので、3度の食事はしなくてはいけないのですが、無理やり何かを口にしてから、服薬するという感じです。
とにかく、体調が悪いときは動きたくない、の1点に尽きるので、そのような日は延期できるように、毎回薬の残りに余裕がある日にちを設定して、病院へ行かせるようにしています。

今回は、どうも2日前くらいから体調がまあまあだったようで、まあ、息切れだったり、疲れやすかったりということは、毎回なのですが、今朝は私が起床したら、すでに着替えて待っていました。
しかし、病院の診療開始時間は9時なので、朝食を摂らせた後は、しばらくテレビを見ていました。

体調がまあまあのときの特徴としては、

 ・病院へ行く日だと覚えている(認識している)
 ・着替えや支度を積極的にする
 ・座ってテレビを見ている
 ・食欲が普通
 ・少し前の言動を忘れない
 ・家の中の移動が少し速めになる

といったところです。

体調が悪いときの特徴は、

 ・病院へ行く日だということはうっすら覚えているか、完全に忘れているかのどちらかである
 ・着替えや支度を極端に面倒くさがる
 ・食欲はない
 ・午前中はほぼ動けない
 ・少し前の言動を忘れる
 ・家の中の移動がかなりつらそう
 ・テレビは横になって見ている

という感じです。

調子の善し悪しが、どうも記憶力に影響しているような気がしています。

調子がいいと余計なことまで始める(苦笑)
体調がまあまあのときは、じっとしていることに飽きてしまうようで、あちこちの収納を開けては、私がせっかく整理した状態を崩して回ってくれます(笑)

まあ、母には母なりの使い勝手の良さなどがあるので、移動させたくなるようなのですが、私としてはもう家の中のモノはいじってほしくない、というのが本音。
母が入院したり、母がこの家からいなくなった時を想定すると、私があちこちいろいろなモノを探す羽目になるので、なるべく収納は私が把握した状態をキープしておいてほしいところなのです。
しかし、母にしてみたら、あっちに置いた方が便利かな、こっちに置いた方が取りやすいかな、と思って行動しているわけですから、母の調子がまあまあのときほど、バトルになりやすいです(苦笑)

自分で全部できるまで回復するのは無理そう
何度かの入院を経て、そのたびに母の身体は衰えていきました。
結果、今は長時間の家事は無理になってしまったし、散歩もできないくらい、足腰が弱っています。
また、最近は左上腕部が痛むようで、腕を高くあげたり、左腕を伸ばしてモノを取ったりするのが辛いようです。
左腕に力を入れるのもつらいようで、左手で支えて右手で何かする、という行為ができません。
しかし、調子がいいときは、身体を少し動かしたくなるようなので、無難な収納の整理を始めるみたいです。

もう少し、母自身が健康に気を遣ってくれる性格だったらよかったのですが、自分を過信しすぎていて、何もしなくても健康は保てると思い込んでいたようなので、今の状態は自業自得とも言えます。
病気になった今でも、そういう部分があり、私がいくら塩分や糖分は控えなければいけないのだ、と言っても、理解しようとしません。
味がないと美味しくない、といって、醤油をドバドバかけたり、コーヒーに砂糖を入れるときに、平気でスティックシュガー(普通のモノ)を3本くらい入れたりします。
半分の分量のスティックシュガーは、5~6本入れていますね。
病気ではなくても、その場に居たら止めるレベルです。

このような具合に、母はいまだに自分の身体の深刻さが解っていないので、今の状態よりも回復するのは、正直難しいと思っています。
昨日、いきなりこんにゃくを買ってきてくれ、と言い出すので、何故かと聞くと、ダイエットするのだとか。
母は、偏食と不規則な食事時間が影響してか、太っていますが、特にお腹周りのサイズがアメリカンサイズです。
それを、浴室の鏡で見て、かなり気になったようです。
というか、何故昨日いきなりそう思ったんだよ、もっと前に気が付いていただろう?と、心の中で突っ込みましたが、とりあえず「あなたのお腹は、こんにゃくでは痩せないよ」と返事しておきました(笑)
特定の食品に頼る前に、まず食事の時間を守らないと意味がないので、そのことも伝えましたが、おそらく痩せたいという気持ちは、今夜にでも忘れてしまいます。
毎回そうなので...

ご近所のおじさんに言われた
このご近所のおじさんは、マンションの同じ階の住人ですが、とても気さくで誰にでもフレンドリーに話しかけれくれる人で、私が20歳のときから仲良くしてもらっています(笑)
というか、初めて会ったときは、まだ子ども扱いされていたので(おじさんの長女が私より3歳くらい下でした)、いまだに私に声をかけてくれるときは、50を過ぎているにもかかわらず、少し子ども扱いです(笑)

このおじさん、私の母の体調の変化を覚えてくれていて「最近(私の母は)散歩にも出てないやろ?」「元気にしとる?」と気にかけてくれます。
そして、ご自身のお母様を介護した経験から、散歩に出なくなるとあとは衰えていくばかりになるから、覚悟しておいた方がいい、とも言われました。

たしかにそうだと、私も思います。
一番身近で母の様子を見ていましたから、遅かれ早かれ、寝たきりになる可能性が高いのは、かなり前から感じていましたし、当然覚悟もしています。
ただ、もし介護になった場合に、まず最初に何をして、継続してすべきことは何なのか、といったことが、全て想像の範囲でしかありません。
そろそろ、施設見学とかも視野に入れておいた方がいいかもしれないな、と思いつつ、なかなか行動に移せません。
今は、思い立ったらネットで検索する程度で、情報らしい情報は得ていない状況です。

不謹慎ですが
母は、現在支援認定も介護認定も受けていません。
支援や介護の認定基準を見ると、どうも私の母は当てはまりません。
ポリープで入院したときも、看護師さんでソーシャルワーカーも兼務されている方とお話しする機会があったのですが、家での様子を詳しくお話ししたところ、私の見解どおりの答えが返ってきました。
ということは、やはり今の母の状態では、介護どころか支援対象にすらならないので、何かのサポートを受ける際に、減免措置や補助金制度や保健適用ができないということになり、かなりの出費をしなくてはなりません。
また、支援や介護の認定をされていない人が受けられるサービスは、ほとんどない状況です。

これが、どういうことかというと、私しか家族がいない母の面倒は、私が見る以外にない、ということなのです。
以前から、無職ニート家事手伝い、などと言っていますが、私もできれば収入を得たいと思っています。
しかし母の体調は、もし何かあったときに、命に関わる状況になりやすいので、眼を離すことが難しい状況にまでなっています。
そうすると、私はほぼ24時間、母の様子を把握しておく必要があるということになります。

もちろん、すぐにどうということはないので、短時間の買い物程度は大丈夫ですが、泊りがけや夜遅くまでの外出は、何かあったときに対処が遅れるので、控えるしかありません。
働くにしても、家を空ける実時間は数時間だけ、というシフトにしてもらわないといけません。
そんな人、雇う方は要らないですよね(笑)
そう思うと、なかなか仕事探しに着手できないというのが、私の現状でもあります。

もし、私が月収の多い仕事に就いていたら、家政婦を雇うこともできますが、それだと介護は業務外でしょうから、結局私が家に居る時間を長くする以外に、今のところ方法を思いつきません。
ですから、本音を言うと、母には支援や介護の認定が下り、行政のサービスを受けられる状態にまで衰えてもらえないだろうか、もしそれが無理なら、散歩に出られるくらいの健康を取り戻してくれ、と思っています。
本当に不謹慎なのですが、中途半端な状態なので、私も困るばかりです(苦笑)

まあ、それでも命があるだけ、ありがたいと思うべきなのかもしれませんね。


本日は、母の体調変化の話を綴ってみましたが、私の母のような状態の人って、結構多いのではないかと思っています。
数値化されない、隙間人口ですよね、きっと。
健康な人は、健康診断でわかりますし、介護を受けている人の人数は、行政が把握しているはず。
しかし、行政のサポートや助成金を受けられない、でも人の手を借りなければ生活が難しい、という人がどれだけ居るかなんて、だれも調べられないし、だれも知らないと思います。
でも、そういう状況の人は、たしかに存在しますから、もう少し何とかなる世の中にならないかな、と考える日々です。

母への怒りと処分することにしたモノ(耐熱ガラス保存容器)

2020-05-07 | 母のこと
今朝、我が家で起きた事件(?)がきっかけで、耐熱ガラス保存容器を処分することにしました。

耐熱ガラス保存容器
ここのところ、キッチン周辺のモノは処分していなかったのですが、大きいサイズと中くらいのサイズの耐熱ガラス保存容器を処分することにしました。
残す耐熱ガラス保存容器は、大体一人分の料理が入る程度の大きさのモノのみです。

そもそも、何故大きい保存容器を残していたかというと、単純に多めの料理を作ったり盛り付けたり、保存したりする目的でした。
しかし、今回また母の行動によって、もう大きいサイズの食器や保存容器は、全て処分しようと決めました。

母の問題点
母は、ごはんの食べ方に問題があります。
例えば、夕食時に多めに炊いたご飯を、翌日の朝食や昼食時に食べようと思い保存する場合に、冷蔵庫に入れておいたとします。
母は、夜中にお腹が空いて冷蔵庫のモノやインスタントを食べてしまう癖があります。
ですから、冷蔵庫へ入れておいたご飯を食べていることもあるわけです。
ところが、その食べる方法が、本当に腹立たしいというか、本気でやめてほしいと何度も訴えたのですが、自分のことしか考えていない食べ方をするわけです。

実際、今回起きたことを例として挙げますが、昨晩多めに炊いたご飯を、約2人分保存容器に入れて、冷蔵庫へ入れていましたところ、今朝、どうもその保存容器の中に異変が見えます。
見た瞬間「やられた!」と思ったのですが、なんと、その保存容器のごはんの上に、乾燥マッシュポテトが無造作に混ぜてあったのです。
想像できますでしょうか?
白ご飯の上に、ろくに戻してもいないカラカラの乾燥マッシュポテトを入れて、ぐちゃぐちゃに混ぜて、置いてあるのです。

見た感じから、おそらく醤油か何かはかけた様子。
実際、箸をつけたかどうかはわかりませんが、ほとんど残っていたところ見ると、おそらく美味しくなかったのでしょう。
そりゃそうです。
分量も量らずに、パサパサのマッシュポテトをご飯に振りかけて、醤油で食べるのですから、美味しいはずがありません。
ちなみに、残っていた乾燥マッシュポテトは、ポテトサラダ2~3人分くらいは作れる分量でしたが、その残りを全部使ってしまっていました。
母は、結局全部は食べずに放置していたため、ごはんの水分がマッシュポテトに取られて、保存容器に入っていたのは、固くなったごはんとパサつきが残った乾燥マッシュポテトが混ざった、とんでもない食べ物?でした。

今回だけではなく、母は残してあるごはんが入った容器に、直接おかずや乾物を放り込んでレンジで温めて、食べる癖があります。
そうする理由は、まず他の容器を出したくないから、そして、おそらく白ご飯だけを食べるのが嫌だから。
しかし、残っているおかずを入れるならまだしも、料理に使う予定で買っておいた乾物を水で戻すこともせずにぶち込んで、レンジで温めてしまいます。
しかも、今回は二人分のごはんを全てそのようにしてしまい、ほとんど手を付けずに残しているではありませんか。
食べる分だけを別容器に移して、きれいなご飯を残しておいてくれたら、私が食べることができたはずなのですが、結局、カチカチのごはんとパサパサのマッシュポテトの塊が大量に残る結果になり、私の怒りは沸点へ。

日ごろから、その食べ方はやめて、食べられる分だけを取り分けてくれ、とお願いしているにもかかわらず、何度も繰り返す始末。
今は、自分と家族の命も守らねばならず、買い物の回数も減らしているというのに、食品ロスを生み出す母の行動は、本気で腹が立ちました。
パサパサのマッシュポテトが混ざったカチカチのごはんなど、私が残りを食べてあげましょう、なんて気になるわけがありません。

だから、やめる
朝から、母に声を荒げて、このことについて「いい加減にしてくれ」と言いましたが、母は「もう食べないから捨てて」と平気で言います。
時には「私のお金(母の年金)で買っているのだから、何をしようと勝手だ」とも言います。
しかし、そういう問題ではありません。
私は、食べもしないモノを作り、それを平気で残す母の態度や行動を改めろと言っているのです。
お金があるから、自由にしていいわけではありません。
今のご時世、食べるモノは大切に消費してほしいのです。
たくさん作っても、全部食べてくれるのなら、それでいいのです。

しかし、それを言っても母は理解ができません。
認知症になっているからではなく、もともと母がそういう考えの持ち主だということは、ここで一旦補足しておきます。
そういう母ですから、いまさら何を言っても無駄なのだとは、私もわかっているのですが、久々にやらかしてくれたために、怒りを抑えることができませんでした。

以前、プラスチックの保存容器を処分した話をしたかと思うのですが、その際は、母が冷凍していたパンを一日で消費してしまったため、保存容器を使う意味がないと、腹立たしさの勢いで捨てました(苦笑)
今回も、似たような理由で、大きい保存容器は処分することにしました。

そもそも、私が大きな容器に大量のごはんやおかずを保存しておくから、このような食品ロスを生み出すのです。
母も、残っている料理や食料が少なければ、それなりの量しか食べないし、変な料理(?)も少量で済み、訳の分からない食品ロスは、最小限にとどめられます。
ですから、今後はまず、おかずの作り置きはしない(以前から実行はしています)ことと、今回は新たに、ごはんは都度食べる分だけしか炊かないことにしました。

はっきり言って、ガス代もかかるし、私の手間も増えます。
毎食、ごはんを炊かなければいけませんからね。
しかし、訳の分からない、食べられなくなるような料理(?)に替えられてしまい、挙句の果てに捨てることになるくらいなら、母が言う「私(母)のお金」はガス代に消費することにしました。
なんだったら、少量炊きの炊飯器の購入も考えています。

そして、乾物や保存食を無駄に使ってしまうこともやめてもらいたいので、今後は乾物などは一切買わないようにするつもりです。
本当は、乾物がある方が調理の際に便利なのですけれど、食材を無駄にされるくらいなら、最初から買いません。
代わりになるものは、いくらでもあるし、乾燥野菜は生の野菜に換えて、都度調理することにします。

私の手間を減らす方法を模索中
しかしながら、私の手間が増えてしまうと、今度はそのことでストレスが溜まりそうです。
そもそも、料理を多めに作ったり、ごはんを多めに炊いたり、乾物を利用していたのは、調理の回数や手間暇を省略するためだったのですが、今回の母のことがあり、手間を減らせる別の方法を考えることにしました。

いちばん簡単なのは、すべての料理をインスタントやレトルト、料理の持ち帰りやデリバリーにすることですが、それは経済的にも無理です。
しかし、私はいずれ仕事を再開しようと考えていますから、その時は毎食ごはんを炊いたりおかずを作ったりする時間が確保できないと思います。
その時のことも想定して、しばらくは手作り食とインスタントやレトルトのベストなバランスを、研究しておこうと考えています。

受け入れがたい母の考え方と価値観
このブログを開設する際に、なぜたくさんのモノを処分し始めたか、という理由に触れていたかと思います。
その理由のひとつとして、母との関係性がありました。

私は、おそらく小学校高学年になったくらいから、母の価値観や考え方に疑問を持ち始めていましたが、子どもだったために、自分でもよくわからずに高校卒業をするくらいまで、モヤモヤした気持ちを抱いていました。
大学に通うようになり、それまでに経験した人間関係だったり、自分とは違う価値観に触れる経験が増えて、自分なりの価値観や考え方を、はっきりと言葉や形にできるようになっていきました。
すると、母と自分との価値観の違いや考え方の違いが、かなり大きなものであるということがわかってきました。

今回の食事に対する態度、行為に現れているように、母はかなり自分本位に暮らしています。
ですから、母が家事を担っていた時は、常に父も私も文句ばかり言われていました。
そのくせ、私や父が家事を手伝おうとすると、邪魔だから手を出してくれるな、という人です。
自分本位なので、時には矛盾した考え方を押し付けてくることもありました。

ひとつひとつは、小さな出来事だったと思います。
しかし、長年一緒に暮らしてきた中で、私もうっぷんが溜まっていった結果、とある日に母の言動を許せなくなりました。
そして、母から買い与えられたものは、時間がかかってもいいから、すべて処分してしまおうと決め、それがモノを処分し始めたきっかけのひとつとなりました。

今でも、正直なところ、母の考え方や価値観は全くもって受け入れられない自分がいます。
そして、それはもう、本人に訴えても修正できないのだということも、理解はできています。
しかし、やはりこちらにも我慢の限界というものがあります。
母の行動、言動、考え方、価値感は、いまさら修正できないとなると、もう環境や常態化した習慣を変えていくしか、方法がありません。
ですから、今回は大きな保存容器を処分することで、母の悪い癖(行動)を最小限にすることにし、今後も母の悪い癖が発動した際は、まず使用品の見直し、そして処分や買い替えをしていくことで、私のストレスを減らそうと考えています。

母との今後の接し方
実の母に、これだけ怒りが湧くのですから、私は他人と暮らすことなど、本当に無理だと思いました(苦笑)
まあ、実の母だからこそ、怒りが湧くのかもしれませんが。
受け入れがたい考え方や価値観を持った人と、一緒に暮らすというのは、とても大変なことです。
おそらく、母も私に対して、いろいろ思うところがあるでしょう。
口には出しませんが、気に入らないことも多いはずです。

そんな二人が、心穏やかに暮らすには、あまり接点を持たないことが、大切だと感じています。
特に、ニュースは一緒に見てはいけません(笑)
報道に対する意見を言ったり聴いたりすると、ますます価値観と考え方の違いに、イライラが募るからです(苦笑)

私は、この先、母を介護する日が来るかもしれません。
どのような状態での介護になるかは、想像がつきませんが、世間で言う介護疲れを起こす可能性だって十分にあります。
しかし、自分の身内に手をあげたりするようなことは、絶対にあってはいけません。
それは、人道的に許されることではありませんから。
ですから、私は今から、母に対し、怒りや不満、ストレスを感じるような出来事が起こらないよう、暮らし方を工夫していく必要があると思いました。
そのひとつとして、モノの処分は有効な方法のひとつだと思います。


今回は、少し内容がヘビーになってしまいました。
本当は、違うテーマにしようと思っていたのですが、自分の感情を吐き出す手立てとして、ブログに綴るのも1つの手段かな、と思い、ちょっと自分の家庭の闇をご紹介しました(苦笑)
まあ、今後も同じような怒りや不満は、絶対に出てくるのですが、一旦これにて、気持ちを収めたいと思います。

今一番強く望むのは、母の健康状態が安定していること

2020-05-02 | 母のこと
COVID-19感染拡大が収まる気配を見せない今、私の一番の懸念事項は、母の健康状態です。
母は、なんだかんだで毎年のように救急搬送されるほど、体調が悪化することがあります。
普段の生活で予防できそうなことは、なるべく実行しようと思いますが、その予防とは別に体調が悪化してしまうこともあり、非常に難しいと感じています。

母の持病
母の持病は、糖尿病とそれに伴う心臓の病気です。
また、高血圧もあるので血圧を安定させる薬も服用しています。
最近では、ポリープの炎症と出血によって貧血が誘発されて、昨年手術をしましたが、現在は経過観察中で、たまに貧血と思われる症状も見受けられます。

昨夜倒れた母
昨夜、といっても深夜2時過ぎでした。
私は眠れずに、自室で夜ふかしをしていたのですが、突然ダイニングで大きな音がしました。
驚いて様子を見に行くと、母が倒れていました。
すぐに声をかけると、返事もあり意識もあったので、上半身をサポートして起き上がらせました。

何をしようとしていたのか、と問うと、よくわからないという答え。
おそらく、一瞬意識が飛んでいたのでしょう。
はっきりとはわかりませんが、貧血の可能性が高いです。
しかし、そこまでひどくはなかったのか、何とか這いずって寝室まで自力で移動しました。

ここで、少し言い訳をしますが、母は太っていて、とてもではないですが私が抱え起こすことはムリです。
今回は、立ち上がることはきつかったのですが、上半身を起こすことは可能だったので、這って移動してもらいました。
もし、これで意識がもうろうとしていて、上半身すら起こせない状態であれば、間違いなく救急搬送要請です。

その後、少しの間横になっていると、何をしようとしていたのか思い出したといい、ラーメンを探していた、と。
これが、母の困ったところなのですが、昼間はほとんど寝ているために夜に活動しがちで、とんでもない時間にお腹を空かせて、食べるモノを探すのです。
何度もやめる努力をするように言ったのですが、聞き入れてくれません。

また、母は自分が立ち上がることがOKかNGか、という体調の変化を、自己判断できません。
というより、しようとしません。
いつまでも、自分が健康ですぐに立ち上がって行動できるものだと、思い込んでいる節があります。
自分の衰えを、認めたくないのでしょうか?
よくわかりませんが、母の世代はムダに我慢をする人が多いのか、気が付いたときには体調が悪化してしまっています。
もう少し、動ける状態のときに病院へ行ってくれたらいいのですが、本当にそういうところは、私も困り果てています。

とはいえ、今は病院へ行くのも難しい
平常時であれば、母を今日にでも病院へ連れていきたかったのですが、今は不要不急の外出自粛要請が出ています。
体調不良による受診は、要だし急にもなるでしょう。
しかし、COVID-19の感染が蔓延している今、病院へすら行くことが怖いです。
私はいいのですが、母が感染してしまった場合、持病のこともあり病状が重症になるリスクが高いと思われますし、死に至る可能性も高くなるでしょう。
病院へ行くことで、感染してしまう可能性も否定できませんし、しかし持病の症状が重症化してしまうと、また救急搬送要請しなくてはなりませんから、非常に悩ましい問題です。

母が感染してしまうと、とにかく大変なことになってしまうことだけは、私も想像できるので、私自身外出を控えていますし、買い物は1週間に1度にしています。
それでも、感染しない保障にはなりませんから、もしも母の持病が悪化してしまった場合の取るべき行動を、頭の中でシミュレーションしています。

母の持病が悪化したら
このブログを書いている時点で、すでにゴールデンウィークに突入していますから、とにかく連休が終わるまでは、母の持病が悪化しないことを祈っていますが、もし病状が悪化した場合は、以下のように行動することがベストかな、と思います。

【母の意識がありある程度動ける場合】
 1.かかりつけ医に電話相談後、指示に従う
 2.かかりつけ医に連絡が付かない場合は、いちばん近い救急指定病院の救急外来に電話相談
 3.来院を指示されたら、車で病院まで連れていく

【母の意識がない、あるいは自力で起き上がれず体力も消耗している】
 1.近くの救急指定病院へ電話相談
 2.電話相談の結果、緊急性があると判断されたら救急搬送要請(119番へ)

以上は、COVID-19に感染していないことが前提になります。
もしも、持病とは無関係と思われる症状が出ている場合(発熱、全身の倦怠感、咳、呼吸異常など)は、感染している可能性も高いので、自治体が指定している相談窓口に連絡することになります。

母もしくは私が感染していた場合
私たちのうち、どちらかが感染してしまったら、当然もう一方も感染疑いとなります。
この時、いちばん困るのは母が入院してしまう場合です。
私にも感染疑いがある以上、2週間の自宅待機を余儀なくされるため、母の入院期間中の様々な手続きや入院時に必要なモノを補充することができません。
近くに住む親せきに頼む方法もありますが、それは親戚に外出させることとなり、感染リスクを背負わせてしまいます。
その場合、自分はどう行動すべきか、サポートしてもらえる方法はあるのか、と考える毎日です。

我が家だけの問題ではない
我が家は、たまたま2人世帯ですが、COVID-19感染に関しては、何人家族であろうと私と同じ悩みに突き当たると思います。
家族が入院してしまっても、他の家族は自宅待機となると、入院している家族へのケアができなくなります。
このウイルスは、本当に恐ろしいです。
死に至るかどうかも当然のことならが、家族がフォローできない部分が他の病気よりも多すぎる。
誰かが罹患した瞬間に、お互いフォローしたくてもできない状態になってしまうのは、とてつもなく心苦しいと思います。

志村けんさんや岡江久美さんのご家族も、きっと苦しい思いをなさっていたでしょう。
また、いくら気を付けていても、感染してしまう可能性が決して低くないことを考えると、果たしてどれだけ家族を守ることができるか、不安にならない訳がありません。

しかし、悩んだところで自分たちにできることは限られています。
今は、とにかくCOVID-19に感染しないことを優先して考えて、母の持病については、頼むから数か月先まで安定していてほしい、と願うしかないです。


私のように、ご家族に持病があったり、あるいはご自身に持病がある方は、本当に不安な毎日だと思います。
私も、深刻にはなってはいませんが、今までにない状況にどこまで対応できるか想像もつきません。
本当に、一日でも早くCOVID-19の感染が落ち着くことを、願うばかりです。

母の食事は用意しません(ボイコット宣言)

2020-02-15 | 母のこと
母と少々衝突しました。
その勢いで、母へのフォローのひとつであった食事の用意をボイコットすることにしました。

きっかけは私のストレス
私は、料理があまり得意ではありません。
かといって、不得意かというと、標準的な料理は作れますし、料理を不味いと言われた経験はないので、そこそこの味は出せているのでしょう。
それでも、やはり料理の支度は面倒だと感じているし、できることなら外注で済ませたいです。

母が貧血で入院し、胃のポリープが見つかったので切除治療をしてもらい、退院してからは、なにかと食事にだけは気を付けてきました。
なるべく鉄分の多い食材を使い、筋力が衰えているので、たんぱく質を補うよう意識し、高血圧の薬も飲んでいるので、塩分量をかなり気にしながら、食事を作ってきました。
加えて、母の偏食ぶりはかなりひどく、本人は食べられるという食材や料理でも、結局は好きなモノしか食べない人なので、それを何とか食べさせるように、かなり頭を悩ませながら、メニューを絞り出してきました。

料理が得意とは言えない私が、ここまで料理のことで頭を悩ませて、ストレスが溜まらない訳がありません(苦笑)
そのストレスが、溜まりに溜まっていたのでしょうね。
とうとう、感情が爆発してしまいました。

ストレスが爆発した経緯
2日前、私が健康診断を受けに行った日、帰りが遅くなってしまったので、夕飯の支度が遅くなるな、とは思いながら帰路につきました。
帰宅すると、母が何やら鍋で煮ていました。
見ると、冷凍していたごはんを2杯分、たっぷりの醤油で煮ています。

その瞬間に、私の中で、自分が努力してきた塩分調整を台無しにされたと感じたこと、加えて、食べられもしない量のごはんを使ってしまっていたことに、とてつもなく腹が立ってきました。

客観的に見たら、それくらいのことで、と思うところなのですが、こういったことがずっと繰り返されてきた結果が、糖尿病や他の病気を引き寄せているわけですから、本気で病気の改善をしようとしてない母に対し、怒りが蓄積していました。

私の帰りが遅くなったことが、母の行動のきっかけでもあるのですが、そもそも母は17時前から夕飯を食べようとします。
私が帰宅したのは、17時を少し過ぎたころ。
普通は、17時に夕飯を食べることすら早いですし、そんなに早く食事をすると、結局夜遅くにおなかが空いて、また何か食べようとしてしまうので(母は間食の回数や量も多いです)、それを避けるためにも、夕飯は遅い方がいいのです。
そのことは、毎日のように言っていたのですが、その時は「はいはい」と返事をしても、結局は自分勝手に何かを食べようとします。

一応、言っておきますが、これは母に認知症状が出ているからではありません。
母のでたらめな食習慣は、昔からなのです。
だから、糖尿病になったのだろうと、私は思っています。

母の食習慣のでたらめさに、私はずっと今まで、イライラしていたような気がします。
それでも、本人が勝手にやっていることと、見て見ぬふりをしてきました。
しかし、母の体力が衰えて、長時間の料理ができなくなったので、どうしても私が食事の用意をしなければならない状態になりました。
正直、母の食事の用意は、私以外の人でもきっと苦労します。
好き嫌いが多いだけではなく、食べない日と食べる日の差も激しく、入院している最中は、看護師の方から食が細いと心配されましたが、おそらく病院の食事に、自分の好きなモノが出ていなかったから食べなかっただけだと思います。

そういう母なので、とうとう私も母の行動(たっぷりの醤油でごはんを煮ていたこと。本人は、ぞうすいを作っていると言っていました)に、怒り爆発です。
声を荒げて、もう二度とあなた(母)の食事は作らない、と宣言してしまいました。

一夜明けて冷静になって考えたこと
昨日、怒りの感情も少し落ち着き、冷静になって考えてみました。

私の帰りが遅いからと、母は簡単なモノとはいえ、自分で食事を作っていました。
ということは、私がわざわざ、イライラしながら母の食事の用意をする必要は、すでになくなっていたのではないか、と。
そもそも、貧血の症状がぶり返すかもしれないという懸念から、調理により長時間立たせることが不安でもあったので、今回のことで、少しくらいの料理は、母自身でできるではないか、と。

そういうことであれば、買い物だけは私がするとして、母の食事は母自身が用意すれば、私は自分の食事の用意だけをすればよくなります。
そうすることで、間違いなくストレスも軽減されるはずですので、これからは母の食事の用意はせずに、他の部分だけフォローを続け、そのスタイルが定着したら、私は仕事を探すことに本腰を入れようと、考えています。

母が、食事の用意だけでも、自分でするようになったら、少しは認知症状の進行を防げるのではないか、とも考えています。
よく耳にするのは、何もしなくなると、認知症状が進むという話です。
もし、母の物忘れのひどさと、生活スタイルがリンクしているのなら、元の生活に少しでも近づけたら、症状が改善する可能性はあります。
それは、時間をかけて判断しなければならないので、ゆっくり見守りながら考えていこうと思います。


今回のこと(母に対する怒りと食事の用意のボイコット)は、私の大人げなさから起こったことです。
そして、前回のブログ内容で触れた「承認欲求」が強かったことも、自分自身で自覚しています。
考えてみれば、母が何を食べようと、それで体を壊そうと、どうでもいいのです。
母には健康でいてほしい、というのは、私の勝手な感情です。
それに応える義務は、母にはありません。
好きなモノだけを食べて、それで病気になって辛い思いをするのは、本人の勝手です。
それに対して、私が努力するのは、私の自己満足でしか無いのです。
そう思ったら、私も母のために割いていた時間(食事の用意)を自分のために使おう、という気持ちになりました。
もし、これで少しでもストレスが減るのであれば、お互いが心穏やかに生活できます。
同居している実の母娘でも、結局は他人と同じ。
これからは、母の世話をする、という気持ちではなく、ひとりの老女とシェアハウスで同居している気持ちでいようと、心に決めました。

母、退院後の経過について

2020-01-18 | 母のこと
母が極度の貧血で入院し、原因ははっきりしませんでしたが、胃にできたポリープから出血していることがわかり、内視鏡で切除したのち、通常の生活に戻ってもよいということで、退院をしたのが12月17日。
その後の母について、少し綴ります。

退院直後
ポリープを切除してから、1週間で退院となった母。
院内では、一人で歩くと貧血で倒れる可能性が高いので、看護師が常に注意しておかなければならない患者として入院していたためか、リハビリが思うように進んでいなかった様子でした。
リハビリは、入院しているとどうしても運動量が減り、そのため筋力等が衰えて、日常生活に戻るときに支障が出てしまう可能性があるので、それを防ぐために行われます。
また、ずっとベッドに寝たままの状態だと、静脈血栓塞栓症(エコノミークラス症候群と呼ばれていた時期もありました)になる可能性もあるため、それを防ぐためにも、リハビリ(運動)が必要になります。

ポリープ切除後も、母の体調が劇的に回復している様子はありませんでしたが、一応歩いてトイレへ行くことは許可されました。
この、回復している様子が見られない状況について、少し補足すると、もともと母は日常的に夜型生活をしており、日中の体調は悪いときが多いので、おそらく入院中も昼間は起きることができずに、リハビリを中止した日が多くあったと思います。
毎日見舞いに行っていたのですが、リハビリの担当職員の方が、調子のいい状態の母を見て驚いていました。
母は、調子のいいときと悪いときの差が、かなり激しい人です。
家族である私は慣れているので「またか」と思う程度。
もっとも、それが仇となり極度の貧血状態に気が付かなかったので、救急搬送という結果になったのかな、とも思います。

それくらい、母の体調は普通の人の状態に当てはめることが難しいのです。

さて、退院直前も調子がとことん悪かったり、逆に散歩に行きたいなどというくらい元気だったりしましたが、帰宅してからは調子が悪い状態が、ずっと続いていました。

母の体調(12月半ば)
母のもともとの体調(夜型)もあり、計画通りにリハビリが進まないまま退院したので、帰宅してからしばらくは、家の中の移動も私の補助が必要な状態でした。

足が思うように動かせないことに加え、貧血状態もまだ改善していないように見えました。
眼がうつろになっていて、歩いている最中に目をつぶってしまい、そのまま動けなくなります。
おそらく、この時は貧血による一時的な意識消失状態だったのだと思います。
一瞬のことなので、話しかければ返事はしますし、母自身も動こうと頑張りますが、私から見たら全く歩けていない状態ですし、立っていることすら辛い状態だということは、明らかでした。
しかし、母は自分では大丈夫だと思い込んでいて、さらに歩こうとしますが、とても1人で歩かせられる状態ではなかったのが、毎日のように続いていました。

このため、私は長時間の外出を控え、買い物は徒歩5分で行けるスーパーに限定し、買い物もさっさと済ませるような毎日でした。

母の体調(年末から年始)
正直、まだ貧血がまったく改善されていないのだな、と感じながら、しかし何もできない状態で、ただ安静にさせて薬を飲み忘れないように言い聞かせ、食事も病院と同じくらいの時間に摂らせるようにしました。
病院と同じタイミングの食事時間にしておけば、夜型の母でも少しくらいは体調がよくなるのではないか、という淡い期待があったからです。

また、母はもともと糖尿病なので、糖質の過剰摂取はNG。
糖尿による合併症で心臓も悪く、高血圧でもあったので、塩分の過剰摂取もNG。
退院時は、食事制限なしと言われましたが、私にはどうも、食事の内容で母の日中の体調が決まってくるように感じていたので、主食はごはんをメインにし、母が好きな麺類は極力控えました。
麺類は、糖質が多いことに加えて、つゆの塩分と麺に練りこまれている塩分もあるので、塩分摂取が増えます。
どうしても食べたがるときは、分量を半分にし、野菜を多く入れて、つゆはだし汁のみにして、醤油などの味付けはしないようにすることにしました。
焼きそばのように、炒めて食べる場合は、ソースや醤油などの調味料の量を減らしました。
ごはんは、糖質は高い食品ですが、ミネラルや食物繊維があるので、小麦粉を使ったパンや麺類よりは、母の現在の体調には適していると思っています。

おかずも、なるべく塩分を使わない調理を考えて、砂糖は使わずにみりん風調味料の糖分で味付けするようにしました。
ただ、みりん風調味料は、食塩も入っているので、実は味付け時に気を付けなくてはいけないのですよね。
みりん風調味料を使う場合は、塩分もかなり減らすように努力しました。

食材には、鉄分が含まれている葉物野菜やカボチャをメインに、たんぱく質は魚と大豆製品を使うようにしました。
そして、筋力が酷く落ち込んでいるので、気休めではあるのですが、退院直後からプロテイン入り飲料を毎朝飲ませるようにしました。
朝の摂取が正しいのかどうかは、不明ですが、母はそもそも朝食を少ししか食べないので、プロテイン入り飲料で喉を潤しつつ、栄養補給をしている感じです。

おやつも、塩分と糖質の少ない菓子を選ぶようにしていたのですが、どうにも難しく、最終的にはナッツとキャンディーを頻繁に買うようにし、たまにケーキや和菓子を買う程度にしていました。
菓子類は、大袋を買ってしまうとあるだけ食べてしまうので、甘いものを買ってくる際は、必ず食べ切れる量を買い、一日一度だけ食べるような状況にしました。
もし、数個入りの菓子を買った場合は、残りを隠して毎日1個ずつ出すようにしていたのですが、振り返ると、菓子の味を覚えた子どもが、過剰に菓子を食べないように、手の届かないところへ置いておくママのようでしたね(笑)

そんな努力が実ったのか、ただ薬の効能が現れただけなのか、母はいつの間にかふらつくこともなく、一人で家の中を歩けるようになっていました。
貧血状態になることも、少しずつ減っていったので、母を1人にして外出する時間も取れるようになり、クリスマスや年末にはケーキを買いに行ったり、おせちを買いに行ったりできるようになりましたし、少しの時間ですが、私のための外出時間も取れるようになりました。

母の体調(1月になって)
現在の母ですが、一人で出歩くのはまだ怖いとのこと。
足が、思うように動かせないようです。
ただ、外の空気を吸いに、玄関の外までは出られるようになりました。
たまに、家の中を意味もなく歩き回っているので、何をしているのか聞くと、少しでも歩いて足腰が弱らないようにしたいと言っています。
自分で、なんとかしようとする意識も出てきたので、完全な回復はムリでも、今の状態よりは改善してくれるといいな、と思っています。

金曜日に、定期健診にかかりつけ医の内科と白内障の手術をした眼科を受診しました。
この日は、朝から起きていて(当たり前のことですが、母には珍しいことです)、歩くのも私の支えは不要だった様子でした。
もし、体調が悪く一人では歩けない状態ならば、内科だけ受診して薬を貰ったら帰宅しようと考えていましたが、大丈夫そうだったのでそのまま眼科へ連れて行きました。

途中で、疲れて具合がわるくなるかな、と心配していましたが、家に帰るまで一人で歩けていたので、退院直後からしたら、かなり回復しているとみていいかもしれません。
ただし、外出時間が長かったためか、帰宅してからの昼寝がかなり長かったです(苦笑)

再び認知症疑惑
認知症の検査のため、MRI検査をしたのは10月のこと。
検査結果としては、認知症に見られる疾患や脳の状態は一切ないとのことでした。
ただ、脳の血管が驚くほど細いという指摘があったので、脳梗塞などの危険性は高いです。

認知症に見られる疾患はなかったのですが、口頭での問診では、おそらく認知症の疑いが高いとの結果になっています。
実際、母は数分前にした自分の行動や、私が言ったことを忘れます。
日付も、よくわかっていない状態。
部屋を暖房で暖かくしていることも原因かもしれないのですが、ときどき「今は、何月?冬?」と質問してきます。
家の中では薄着で十分なので、冬であるという感覚になっていない様子です。
最近になって、やっと玄関先に出るようになったため、今が寒い季節だということを自覚し始めている状態です。

今、インスタントコーヒーをスティック入りのモノに替えているのですが、数日前に母がそれを手に取って、これは何?と聞いてきました。
コーヒーだと答えると、
「どうやって入れるの?」
と言います。
母は、スティックコーヒーを見るのは、初めてではありません。
ですが、入れ方がわからないと言いました。
少しびっくりして
「スティックコーヒーの入れ方も忘れた?」
と、私の口調も少しきつくなってしまいました。
ただ、ビンや袋に入った粉状のコーヒーやココアは、入れ方を忘れることなく、勝手に自分で入れて飲んでいます。
どうも、あまり習慣付いていない行動(スティックコーヒーはめったに買わないので)に関して、忘れてしまっている様子が伺えます。

また、自分で作ったルールを実行できずに、私に確認してくることがあります。
ルールと言っても、大したことではないのですが、母は自分が過ごす部屋のテーブルに、白湯の入ったティーポットを置いて、常に飲める状態にしています。
ティーポットが空になったら、キッチンの電気ポットからお湯を入れて、部屋に戻るのがルーティン。
ですが、最近になって、空のティーポットを持ったまま、キッチンで戸惑っていることが、何度かありました。
どうしたのか聞くと、
「私はコレ(ティーポット)に何を入れたらいいんだっけ」
と言ってきました。
スティックコーヒーのときと同じように、最初はびっくりしたのですが、最近は好きなモノを入れたらどうか、と返すようにしました。

そもそも、ティーポットへ入れる飲み物など、好きなモノを入れたらいいのです。
それを、母は白湯を入れると決めていただけのこと。
水を入れたいのならそうすればいいし、お茶をいれたいのなら、そうすればいい。
ですが、母は自由に選ぶことに戸惑ったようで「わからない」という言葉を、数回連呼していました。

ふと、夫婦でうつ病になってしまった漫画家のドラマを思い出しました。
ドラマの内容は、こうです。
最初に、漫画家である妻がうつ病と診断されるのですが、そのうちサラリーマンの夫もうつ病と診断されるようになります。
その夫は、とても貴重面な性格で、毎日のお弁当を自分で作っていて、曜日ごとに入れるおかずを決めていました。
きれい好きなので、お掃除もきちんとするし、几帳面なので部屋にあるモノの配置にも気を配ります。
ところが、ある日、お弁当を作ろうとして、今日は何を入れていいのか突然わからなくなります。
毎日のおかずは、表にしてキッチンに貼り付けています。
それでも、その日にお弁当へ入れるおかずが解らなくなってしまった夫。
また、掃除も手順が解らなくなり、パニックになるシーンもありました。

私は、このドラマを見て、うつ症状には一時的な健忘症状が出ることもあると、知りました。
そして、今の母はもしかしたら、うつ症状に近いのかもしれない、と思いはじめています。
認知症とうつ症状による健忘は、見分けがつかないとも聞きます。
また、認知症の人には、うつ症状が出てくることもあるそうです。
だから、問診と検査で判断していくわけですが、さて、もし母にうつ症状が出ているのだとして、どのタイミングで何科を受診させたらいいのか。
ちょっと、今は手探り状態になっています。

ただ、母はもともといろいろな事を、わざわざ面倒くさくする人ではありました。
例えば、電気ポットへ水を足すときは、やかんを使わないといけない、と言いますし、そのやかんには常に浄水を入れておけと言います。
考えてもみてください。
ポットに水を足す道具など、ミルクパンでもピッチャーでも、水分を入れられる容器であれば、なんでもいいじゃないですか?
水も、常に入れておく必要はなく、入れるときに汲んだらいいですよね。
このように「こうでなければいけない」という母独自のルールが我が家には山ほどあり、それは大概アクションが多くて面倒で遠回りな方法です。

私は、母が決めた面倒くさいルールを、自分が家事を任されるようになってから、こっそりやめてきました(苦笑)
少しでも時短をしたい、なおかつ効率化もしたい私にとって、母のやり方は全部面倒に見えています。
この、面倒くさいやり方、アクションが多い行動が、今の母にとって、覚えきれないルールと化してしまっている可能性はあると思います。

この面倒なルールを少しずつ改善させて、行動をシンプルに過ごしやすい状態に誘導していけば、もしかしたら自分の行動が解らなくなる、といったことが減るかもしれない、と考えています。
例えば、視界に入ってくるモノを厳選する方法。
飲み物は、ビンか袋に入った粉状のモノだけに厳選するとか、そういったことですね。

ただ、今のところ、この忘れる行動は飲みモノだけに限定されているようにも思えます。
なぜなら、食品については、袋の開け方がわからないとか、食べ方がわからないとか、そういったことは言ってきません。
眼が悪いので、容器を見ただけでは何が入っているのかわからないときはありますが、中身が何かを教えれば、普通に開けて食べています。
曜日、日付、季節はいまいちわからない、数分前や少し以前の出来事は忘れる(かなり昔のことは思い出せる)、しかし、服はきちんと着ることができるし、女優や俳優の名前は憶えているし、簡単な暗算もできる。
このような状態ですから、どうも認知症状とは少し異なっている印象が拭えず、病院を受診させるかどうか、迷ってしまうわけです。

結局は経過観察するしかない
今は、私もいろいろ考える気持ちの余裕がない状態です。
自分の体調が、毎日のように上下しますし、体調が悪いときは何もする気になれません。
母の症状を、自分なりに調べようとしても滞ってしまう状態ですので、とりあえず異変を感じる母の行動があれば、メモしていくことにしました。

この先、どうなっていくのか、全く見当もつきませんが、今は母の体調(貧血)が改善されたように感じるので、それだけで良しとしておくことにしました。
今思うことは、母と私が快適に過ごすことができる環境づくりを、していかないといけないな、ということ。
来週には、中身が空になった家具を業者に頼んで廃棄するので、母の視界に入るモノがかなり減ることになります。
余計なモノがない部屋で、余計なことを考えずに行動できる環境になれば、私も母も、シンプルで快適な暮らしができるようになる、そんな気がしています。


今回は、母の退院後のことを綴ってみました。
もう少し、簡潔にまとめるつもりでいましたが、またダラダラと綴ってしまいました。
この週末はお天気が悪いみたいなので、外出はできなさそうですが、来週、天気の良い日に母の体調がよければ、ちょっと外に連れ出してみようかな、と思っています。

退院後にはじめて外出した母の話

2019-12-19 | 母のこと
入院中、ほとんどの時間をベッドで過ごした母。
退院後、様子を見ていましたが、本日やっと退院後初の外出をさせました。

入院していた間の母
母の病状は、極度の貧血でした。
貧血の原因は、確実とは言えませんが、胃のポリープからの出血だろうとのことで、内視鏡による切除をしました。

入院中は、貧血による転倒が考えられたため、ポリープを切除するまでは、ずっと導尿カテーテルと紙おむつを着けられていて、一人でトイレに行くことができない状態。
しかし、トイレに行かないとなると、立ち上がって歩くという動作がほとんどなくなってしまいます。
一応、リハビリはしてくれていたのですが、母はもともと日中に調子が悪い人なので、昼間にリハビリをしましょうと言ったところで、起きられずに中止になった日が、何日もあったことが予想されます。

トイレは一人で行ってはいけない状態な上に、リハビリもしないとなると、当然足腰が弱っているだろうとの予想はしていましたが、案の定、退院後はこちらの予想以上に歩くことが困難になっていました。

とはいえ、家の中では、家具や壁に手をつきながら、なんとか移動できるので、トイレまでならなんとかひとりで行き来できるようにはなりました。
ただし、調子が悪いときは私のフォローを必要とします。

退院2日後で外出してみた
退院当日と翌日は、とにかく見るからに危なっかしい足取りで家の中を歩いていましたが、昨日の夕方くらいに少しですが歩みがスムーズになっている様子が伺えました。
この状態であれば、もしかしたら外出も可能かもしれない。

ということで、本日母の体調や機嫌を見ながら、買い物へ一緒に行くよう誘ってみたところ、母も乗ってきたので、少し遠くのショッピングモールまで行ってみました。
ショッピングモールを選んだ理由は、車椅子を借りることができるから。
近所のスーパーでも、借りることは可能なのですが、入院していた母がリフレッシュするには、少し面白くない風景になってしまうので、モールの方がいろいろなお店を見ることができ、リフレッシュしやすいとも思いましたしね。

ただ、どこかでお茶をする余裕はありませんでした。

車椅子を押しながらの買い物って難しい
我が家は、6階にあるのですが、エレベーターまでが遠いです。
そのかわり非常階段のすぐそばなのですが、今の母には使えないので、何かあったら結構大変だな、と思っています。

まあ、そんな場所にあるので、エレベーターまで歩くことが、退院後の母にとってはかなりハードです。
エレベーターに着くなり、大きなため息をつくほど。
とりあえず、1階エントランスまでは連れていき、駐車場の車をエントランス前に着けて、母を乗せて、いざ買い物へ。

エントランスまで下りることすら大変だったので、モールに着いてからは車いすを借りるつもりで、モールのエレベーターに近い3階駐車場スペースへ車を停めました(車椅子マークのスペースではないスペース)
駐車した場所から、なんとかエレベーターホールまでは、母も私につかまりながら歩けたのですが、エレベーターホールに肝心の無料レンタル車椅子が、ない!

仕方がないので、インフォメーションがある場所まで母を歩かせて、なんとか車椅子を借り、モール内のスーパーへ向かいました。

さて、車椅子を押しながらの買い物は、生まれて初めてです。
しかも、以前もブログに書いたことがありますが、母は見るからに“デブ体形”なので、結構重たい(苦笑)
ちょっとしたターンや、カーブを曲がることが難儀な状態。
しかも、使って初めて気が付く、

 車椅子には買い物かごを置くスペースがない

という問題。

ふと、日ごろ見かける車椅子ユーザーの方は、どうやって買い物なさっていただろうか?
と、記憶をたどってみましたが、思い出せません。
どう考えても、母の膝にかごを置く以外のアイデアは浮かびませんでした。
スーパーなどに置いているベビーカーには、かごを置ける仕様のモノもありますが、車椅子はそこまで考えられてはいないのですね。

母の膝にかごを乗せているので、あまり店内をウロウロする余裕が、私にもありません。
すれ違う人に、車椅子を当ててしまわないように神経も使っていたのですが、人ではなくて野菜を陳列していたコンテナの角に、車輪を当ててしまいました。
そんな感じだったので、買う予定だったモノだけをかごに入れて、早々とレジで計算して貰ったのですが、気が利く店員の方だったので、計算済みの商品が入ったかごを、サッカー台(荷物整理台)まで持って行ってくれました。

退院後初の外出は、母も私も体力と神経を使う結果となりました。

車椅子を押しながら買い物していて気が付いたこと
以前、仕事で車椅子ユーザーのフォローをしたことはあったのですが、日常生活の中で車椅子を押しながら行動したのは、私も初めてですし、母も病院以外で車椅子に乗って行動するのは初めてです。
使いながら、気が付いたことがあったので、もしも母が車椅子生活になった場合も考えて、綴っておきます。

 ・スーパーなどの買い物かごを置く(または固定する)仕様になっていない
 ・杖や長傘を収納する仕様になっていない
 ・標準仕様の車椅子は母の体重(重たい)だと動かしにくい?
 ・思った以上に車輪が大きい
 ・車輪が大きいので小回りがきかない
 ・多目的トイレは車椅子と介助者が一緒に入るとかなり狭い場合がある
 ・押して介助する人は荷物をたくさん持てない
 ・レジとレジの間が狭い店だと待機列への並び方が難しい
 ・車椅子ユーザー単独での買い物は常に横向きでレジの支払いをしなければいけない?
 ・車椅子ユーザー単独だとATMの操作時に操作盤が遠そう
 ・小さいお店は通路も狭いので車椅子だと最初から入ることを躊躇してしまう

思いつくのは、以上のようなことでした。
座りごこちなどは、貸し出し用なので今回は無視。

押していて、一番感じるのは幅が思った以上に広いということ。
まあ、大人が使用するわけですから、それなりの大きさがあって当たり前ですが、その大きさがあるがゆえに、入り辛い場所がかなりあります。
特に入れないなあ、と思ったのは、カルディ。
お店のコンセプトが統一されているので、どの店舗へ行っても同じだと思うのですが、商品陳列棚の間隔が狭いし、微妙な角度で棚が設置されていますよね。
私は、カルディで取り扱っている商品が好きなので、もしも自分が車椅子ユーザーになったら、ネットショップで購入することになるだろうな、などと考えていました。

それから、母の体重が重たいこともあったのですが、小回りがきかないので、通路などで人とすれ違うときに、端に寄ることが難しいです。
なるべく端に寄せて押しているつもりなのですが、コントロールできないときもあり、そういう時はすれ違う方を待たせてしまったりしました。
ごく普通に歩いているときは、こちらの動きに自由がきくため、無意識に端に寄っていたのだな、と気が付きました。

そして、強く感じたことが、押して介助する人は、あまり荷物を持たない方がいい、ということでした。
もともと、私は荷物が少ない方だと思うのですが、今回は小さめの斜め掛けショルダーに財布やマイバッグを入れていて、買い物のあとは、清算済み商品を入れたマイバッグを車椅子の取っ手にかけ、ショルダーを斜め掛けしていました。
買い物のあと、和菓子屋で団子と大福を購入したのですが、どうも財布を出したり、お釣りや商品を受け取る動作が、面倒でなりませんでした。

日ごろも、実を言うといろいろと面倒だな、と思うことが多々あったのですが、車椅子を押すという行為が加わっただけで、さらに面倒に感じるようになりました。
ここからわかるのは、私自身はもっと持ち歩くモノを減らし動作をシンプルにすべきだ、ということ。
財布が出しにくいのは、財布以外のモノが邪魔になっているから。
お金を出したり、お釣りを受け取るのが面倒なのは、現金で支払いをしているから。
商品の受け取りを面倒に感じるのは、他の持ち物が多いから。

これらを解決するためには、まず日ごろ持ち歩いているモノを減らすこと。
念のために持ち歩いているモノが、結構あるのかもしれないので、それを見直そうと思いました。
そして、いよいよキャッシュレス決済に積極的になるときが来たかと思いました。
今回は、たまたま母が和菓子を食べたがったので、和菓子屋で現金購入しましたが、今後は私が持っているキャッシュレス決済方法が使えるお店限定で、買い物をするように徹底しようと思いました。
そして何より、買い物では一度にたくさんのモノを買わない(買いだめしない)こと。
必要であっても、次に回せる買い物は購入を先延ばしにした方が、荷物が増えすぎなくていいと思いました。


今回、母を外に連れ出すことが第一の目的だったので車椅子を借りて買い物をしましたが、今後は少しずつ散歩に連れ出して、車椅子を使わずに済む体調に戻るようフォローしていこうと思っています。
あとは、母本人がどこまで頑張れるか、ですね。
少しでも、やる気が出るように、日ごろからいろいろ働きかけていかないといけないですね。

また毛布を捨てる話

2019-12-18 | 母のこと
現在、私は夏用の羽毛ブランケットの上から毛布を掛けて寝ています。
昨シーズンは、冬用の羽毛布団の上から毛布を掛けていたのですが、今シーズンは今のところ夏用羽毛ブランケットの上からで十分暖かいです。

私は、今使っている毛布を今後も使うつもりでいるのですが、捨てようと思っている毛布は母用の毛布です。

母の寝具
母はオールシーズン、夏用の羽毛ブランケットを使っていて、冬用の羽毛布団は使いません。
暑がりというのも理由のひとつですが、マンションの密閉性が暖房の暖かさを保ってくれるので、それで得られる室温で十分のようです。

しかし、退院してからすこし冷え性になったのでしょうか、今日は少し寒いというので毛布を出して掛けてあげたところ、重たいから要らないと(ちなみに、今日の福岡は外気温が18度くらいありましたので、寒くはありませんでした)
たしかに、私が使っている毛布に比べて、重たいという感覚は、私にもありましたが、毛布は私が使っているモノのほかにはそれしかありません。

どうするのか、と聞いたら、結局毛布が無くても暖房だけでいいということになり、また押し入れに入れたのですが、もしかしたら、もう使わないかもしれないと思い始めています。

毛布が無くても冬は越せるか?
少し前に、サイズが大きい毛布は処分しました。
大きいだけではなく、重量が重たかったことも理由です。

今回捨てようかと思っている毛布は、サイズはシングルですが、重たいです。

環境に配慮したり、電気代を節約するためには、暖房はあまり使わない方がいいと思いますが、母の年齢や体調を考えると、夏の冷房、冬の暖房については、そこを無視して母優先に考えています。
ですから、毛布は無くても困ることは無いと思っています。

ちなみに、私が毛布を使っている理由は、単純に冷暖房機の暖房を使うと暑すぎるから。
寝ている自室が狭いのため、すぐに室温が上昇します。
寝る前に、1~2時間ほど温めておけば、あとは夏用羽毛ブランケットと毛布を掛けるだけで、朝まで十分です。
ただし、外気温が5℃を下回ってきた場合は、さすがに冬用の布団に切り替えます。
今は、まだ出さなくても大丈夫なようです。

今の我が家の状態を考えると、基本的に毛布は要らないかもしれません。
ということは、まずは重たい毛布は処分してもいいはず。
停電を想定すると、あった方がいいとも思いますが、その場合は何かで代用することを考えておきます。

処分する基準を再確認
もう何年も使っていなかったモノは、処分対象です。
今回の毛布も、実はずっと使っていませんでした。
たまたま、母が寒いと言い出したので出しただけ。
結局、必要ないと言われたので、もう処分対象として考えていいですよね。

加えて、重たいという時点で使い勝手が悪いので、これも処分対象の特徴。
それから、肌触りもあまりよくありません。
もしかしたら、経年劣化で悪くなっているのかもしれませんが、あまり良質なものではないのかも。
ということで、気に入らないので、処分対象。

こうやって、ひとつひとつ思い出していくと、もう処分することはずいぶん前から決定できたはずなのに、今日まで丁寧に保管していたなんて、スペースのムダ使い(笑)
他にも、このようなモノがまだまだ潜んでいるのだろうな、と思うと、まだまだ私の家はスペースが広がる余地があると実感しますね。
母も退院したことですし、また不要品の処分に精を出していきたいです。


毛布に限らず、もしものときに備えることは、大事なことではあると思いますが、もしものときがきても、使わない可能性が高いモノは、他にもたくさんありそうです。
先日捨てたブルーシートもそうでしたが、例え備えであっても、日常的に使うモノかどうか、がポイントになるのかな、と思い始めています。
たとえそれが備えであったとしても、数日間、数週間を過ごすために使うモノは、日常的に使うモノとイコールである方が、きっとストレスも軽減されます。
今一度、備えるモノについて、ゆっくり考えないといけないですね。

病室は大騒ぎ(母が入院していた病室の話)

2019-12-17 | 母のこと
本日、無事母が退院いたしました。
とはいえ、看護師の観察が必要な病状だったため、入院中は寝ていることがほとんどで、足腰が入院前よりも弱っている様子。
明日から、少しずつ散歩へ連れ出さなければいけないので、結構大変かもしれません。

母が入院していた病室
母が入っていた病室は、ナースステーションのすぐそばで、母のように観察が必要な病状(例えば起立した状態から急に意識を失ったりする可能性がある病状など)の患者や、トイレや入浴、食事などで自立が無理な患者、病状が重篤な患者が入っていました。

部屋の作りとしては、病室内トイレを挟んで3ベッドの部屋が2つ。
6人部屋ではありますが、実質3人部屋です。

患者の入れ替わりが多い
母が入院した当初は、母が一番奥のベッドで、手前と真ん中のベッドには、母と同年代かもしくは、かなり年上の方がいました。
そのお二人は、施設などに入居されていたらしく、3日くらいすると転院して出ていかれましたが、すぐに次の患者が入ってきたりして、常に誰かがいたような状態でした。

母の入院が10日ほどになったころ、母のベッドがトイレを挟んだもうひとつの病室へ移動になりました。
移動日当日は、隣のベッドにおひとりいたのですが、すぐに転院されてしまい、2日間くらいは病室が独占状態に(笑)
しかし、テレビのコンセントが壊れているという理由で、また最初の部屋へ戻され、今度は真ん中のベッドに。

その時点で、奥におひとり入っていたのですが、この方はどうも腰を骨折なさって入院したようです。
娘さんがお見舞いに来られていたのですが、聞こえてくるお話の内容から、翌日米寿を迎えられるとの事。
少しアルツハイマーも患っておられるのか、聞こえてくる母娘の会話が面白くて、母も私も笑いをこらえるのに必死(笑)
もしアルツハイマーだとしても、かわいらしくて面白いことを言ってくれるのなら、面倒を見る家族も多少は救われるのかな、などと思ったりしました。

退院する前日、すなわち昨日は、空いていた反対側のお隣にも新しい方がお入りになったのですが、この方は足を骨折なさったらしく、看護師から身体を触られたり動かされたりするたびに、叫び声をあげていました。
年齢は90代といったところでしょうか。
どうしても、処置をするために看護師が身体を動かさなければいけないのですが、そのたびに、もう触らないで、もうやめて、こんなことならもうしなくていい、と、少し気の毒になるくらい痛そうに叫びます。

そして、骨折している方の特徴でしょうか、それともご高齢の方の特徴でしょうか、奥の方も新しく入ってこられた方も、自分では動けないので、何かをしたいときはナースコールをする必要があるのですが、コールを押さずに、一生懸命声を出して、人を呼ぼうとします。
母の見舞いで病室にいた私は、見て見ぬ振りもできず、お隣のベッドまで行って、ナースコールの押し方をお教えしていました(苦笑)

退院当日の朝は大騒ぎ
午前中は、普段面会ができませんので、退院する本日、初めて朝の病室を訪れました。
母は、私が幼いころから朝が弱い人です。
朝食の支度はしてくれるのですが、家族が仕事や学校へ行く時間になると、寝ていました。

そんな感じなので、迎えに行くとまだ母はベッドに寝ていました。
やれやれ、と思いつつ、無理やり起こして着替えをさせ、病室に残っていたモノをバッグに入れて、入院費の請求書が出るまで、病室で待機していました。

この待機中が、もう大変な状態でした。
母が、ではなく、骨折で入院された両隣の方たちが(苦笑)
それぞれ、骨折は自覚しているのですが、ご自分でいろいろしようとなさいます。
しかし、動くことができないので、人を呼びますが、ナースコールは使いません(苦笑)
幸い、朝の時間帯は看護師や看護助手が慌ただしく病棟を行き来するので、気が付いた人が来てくれはするのですが、腰を骨折している方は、勝手にコルセットを外してしまうし、足を骨折している方は、看護師から処置されて、痛い痛いと叫びます。
そして、どちらの方も、いろいろ仰るのですが、その内容が面白くて、真ん中でカーテン越しにその会話を聞きながら、母と一緒に笑いを堪えていました。

入院した日は、同室の方たちがとてもおとなしい方ばかりだったので、退院するときのにぎやかさに圧倒されましたね。
しかし、ご高齢になってからの骨折は、結構きついと思うので、このお二人の骨折が、一日でも早く治ってほしいです。
ちなみに、腰を骨折された方は転院予定だと、娘さんが仰っていて、今朝病室でお会いしたので、本日転院だったようです。
母も退院して、もう一人の方もいなくなったら、病室には足を骨折した方だけになります。
特に仲良くしていたわけでもないですが、人気がなくなるとやはり寂しいものです。

一日だけでしたが、母も病室独占状態だったときは、少し寂しそうでした。
病院の大部屋で一人になると、寂しいのもありますが少し怖いんですよね。
だだっ広い部屋に、ポツンとひとりで眠るのは(苦笑)

残された、足を骨折した方は、今夜寂しい思いをしないかな、などど思ったりしています。

看護師と看護助手の皆さんにリスペクト
大騒ぎの病室でしたが、看護師と看護助手の方たちの対応や手際の良さには、本当に頭が下がります。
私の母も、大騒ぎはしないものの、年齢と共にわがままを言うことが増えてきました。
朝が弱いと言いましたが、同時に朝のご機嫌もことごとく悪いです。

例えば、退院する今朝も、着替えなければいけないのに、まだ眠ると言って起きようとしませんでした。
眠たいぐらいで、退院を先延ばしにするわけもなく、無理やり起こして着替えさせましたよ(苦笑)
おそらく、入院中も似たような感じで、皆さんに迷惑をおかけしていたかと思うと、本当に申し訳ないと同時に感謝しかありません。

私の友人も、看護師をしているのですが、本当に好きじゃないと続けられない仕事だと思いました。
ちなみに友人は、身体はきついけれど、面白いこともたくさんあるから、やめようとは思わないらしいです。
大変なことも、楽しみに変えられるからこそ、続けていられるのかもしれませんね。


これで、母の入院話はいったん終了ですが、まだ病院通いは続きます。
かかりつけの内科医、帯状疱疹でかかっている皮膚科、一年ほど前に受けた白内障の検診で眼科、もう満身創痍です。
母を見ていると、老後は少しでも不調の少ない身体でいたいと思います。
それには、日ごろのケアを大事にしていかないといけないですね。
老いとうまく付き合う方法を考えるのも、終活のひとつなのかな。

母が受けた内視鏡検査の結果

2019-12-08 | 母のこと
先日、母が極度の貧血で入院したことを記事にしました。
その後、内視鏡で胃の中を調べていただいたところ、以前からあったポリープから出血していることがわかりました。

胃のポリープ
昨年も、たしか10月ごろに貧血で入院しています。
その際、胃か腸から何かしらの出血があるかもしれないから、ということで内視鏡を入れて調べてもらいました。

その時の結果は、大きめの大腸ポリープがあり、そこから出血している可能性があるとのことで、切除してもらいました。
その後、順調に回復したので退院し、経過観察ということで、かかりつけ医に引き継がれました。

今年の6月に、経過観察のひとつとして、血液検査をしましたが、ヘモグロビンの数値は、低くはありましたがギリギリ標準値でしたので、その後普通に過ごしていたのですが、夏ごろから今回の入院までに2度ほど救急搬送してもらいました。
今回見つかった胃のポリープが、もしかしたら原因だったかもしれませんね。
ただ、2回の搬送でははっきりした原因がわからずに、点滴で回復できたので、その日のうちに帰宅した経緯があります。

今回見つかった胃のポリープですが、実は前回の入院時に内視鏡で小さなモノがいくつか見つかっていました。
ただ、ごく小さいポリープは自然に治癒することもあるとのことで経過観察となり、大腸ポリープのみを切除することになったと記憶しています。

内視鏡で切除します
今回は、胃のポリープからあきらかな出血が見られたので、この出血が原因で貧血になっている可能性は高いようですが、やはり確定というわけにはいかないようです。
ただ、出血しているため、血液でポリープが肥大したり破裂したりする可能性があり、今回は経過観察ではなく切除、ということになりました。

切除手術は、来週に決まりました。
切除後、ポリープの検査をして良性であれば、回復のスピードにもよりますが、1週間ほどで退院となるそうです。

現在の様子
入院中の母ですが、付き添いなしでは自由に歩き回ったらいけないということ以外は、家にいたときとたいして変わりがありません。
ただ、立ち上がると貧血で倒れてしまうリスクが大きいので、トイレへは行けません。
ですから、尿を取るための管を着けられていて、なおかつ大の方も行けないので、紙おむつ生活です。

尿を取る管が着いているため、調子が良くても歩き回ることができず、じっとしていることが辛く感じているようです。
家にいるときは、なんだかんだで自分でトイレも行っていたし、家の中を歩くので、今の状態は逆に身体が辛いかもしれませんね。

毎日様子を見に行くのですが、調子の悪いときは長時間寝ていて、調子が良いときは起き上がってテレビを見たり、私と話をしていますが、調子の悪いときを見ている看護師の方は、座って会話をしている母を見て驚きます。
しかし、実を言うとその調子の起伏は、家にいるときと全く同じ状態なのですよね。
トイレに一人で行かせてもらえないこと以外は。

ということは、母の体調は定期的に入院してもおかしくないレベルだったということなのかな?と考えてしまいました。

かかりつけ医で判断していただくことの難しさ
母の最近の体調については、かかりつけ医で何度か伝えました。
しかし、問診だけでは、症状を伝えても「持病(糖尿と心臓)の特徴だからしょうがない」と言われるだけでした。
こちらも、状態の伝え方がわからないので、そういわれたら、はいそうですか、と言うしかありません。
でも、今回のことで、もう少し何かアドバイスをしていただくことはムリだったのだろうか、とモヤモヤしている自分がいます。
もう少し、症状の重大さに気が付いていただけていたら、入院する前に大きな病院で検査して、酷くなる前に予防できたかもしれないのに、というモヤモヤ。
もう少し、自分が上手に伝えることができていたら、何かしらの対策をしてくれていたかもしれない、というモヤモヤ。

もしかしたら、問診だけで他の病状を疑うのは難しいのかもしれませんが、今回のことについては、もう少し何かしらの疑いを持ってもらうこともできたのではないか、という気持ちが払しょくできないので、今後のかかりつけ医とのかかわり方を、見直してみようかとも思っています。

もしもの話
胃のポリープを切除し、良性だった場合に望める母の体調は、

 ・貧血による立ち眩みや、全身の倦怠感が軽減される
 ・立ち眩みと倦怠感が軽減されたら、動き回る頻度が増える(体調の良い時間が増える)
 ・少しくらいの外出は一人でできるようになる

私が望むような回復をしてくれたら、私も仕事に出ることができるようになります。
母の体調は、長時間の作業が難しいので、家事ができない状態ですが、簡単な調理くらいはできるので、これまでのように私が準備しておく手間が減ります。
掃除洗濯は、私が休みの日にまとめてすればいいので(仕事していた時は、そうしていました)経済的にも少し余裕が出てきます。

しかし、もし悪性だった場合、それは「胃がん」ということになるので、今後の私たちの生活がどう変わってくるのか、想像もつきません。
治療も、いったいどんな治療が待っているのかわかりませんし、ステージによって内容が変わるでしょうし、治療費の心配も出てきます。
そうなった場合は、母へのフォローが増えることは間違いないのですが、私も経済的な面で仕事に就く必要が出てきます。
母へのフォロー時間と、働く時間のバランスがとれる就職先を探さなければいけないので、非常に難しい就活になります。

結果次第では、私の仕事の探し方も変わってくるので、少し覚悟のようなものが必要かもしれません。

家族の入院は大変
これまで、私の家族で入院経験が無いのは私だけ。
兄は、若いころから何度か入院生活を経験し、早死にしました。
どうも、身体が弱かったようで、学生のころからバイト先で倒れたりしていました。
たしか、心臓も少し悪かったと聞いています。

父は、私が子どものころは骨折で1度、盲腸で1度入院し、歳をとってから心筋梗塞で入院した後、脳腫瘍の治療で入院。
その後は、脳腫瘍で数度入退院を繰り返し、最期は救急搬送された病院で迎えました。
私が生まれてから、いちばん入院回数が多いのが父でした。

母は、50代に倒れて入院した際に糖尿が見つかり、その後糖尿病の合併症で心筋梗塞になり、入院。
最近数年間は、肺に水が溜まっていて1度入院、貧血で2度入院(大腸ポリープと今回の胃のポリープ)。
いずれも救急搬送です。

私といえば、兄が入院した当時は父と母が対処してくれて、私は大変さがよくわかっていませんでした。
母が糖尿で入院した際は、父が全て手際よくやってくれたので、こちらも私が大変な思いをした思い出はありません。
父が心臓で入院した際は、母が大変だったのですが、まだ兄がいたころだったので、私が忙しいときは多少のフォローをしてくれていたようです。

しかし、父が脳腫瘍で倒れたときは、すでに兄が他界しており、私はフルタイムで仕事をしていたので、母がかなり大変だったようです。
そのころは、母も体調が徐々に悪くなりつつあったと思うので、余計につらかったかもしれません。

今回、家族は私だけの状態で母が入退院を繰り返していますが、1年前の入院時は仕事をしながらの見舞いが辛かったです。
時間的な制限(面会時間)があるので、必要なモノを届けるにも、少ない時間で都合をつけなければいけませんでした。
今は、無職となり経済的な心配が大きいですが、時間だけは自由にあるので、自分の体調と相談しながら毎日病院へ様子を見に行っています。
もし、入院が長引いてしまったら、少し体力的にきつくなるかもしれませんが、今のところ精神面でも体力面でも余裕があります。

収入が無いのは、たしかに痛いのですが、今一番取り組むべきことは、母の回復に関すること。
余計な悩みを抱えるよりは、母のことに集中したほうが、悩みを増やさなくて済むかな、と思っています。
もし、これが仕事をしながら、職場のストレスを抱えて、なおかつ母の入院、看病となると年齢的にも私まで倒れて入院、なんてことも、ありえますからね。
今後はどうなるか、自分でも想像できませんが、もうしばらくは働くことは考えず、母のフォローを続けていこうと思っています。


今回は、更新が少し遅れましたが、実は体調崩して母のお見舞いから帰宅した後、寝ていました。
これは、PMSによるものです。
もう、年齢も年齢なので、はやく閉経してほしいのですが、自分の身体のことなのに自分ではコントロールできないので、とても悩ましいです。
仕事をしているときは、結構無理して出勤して仕事をこなしていましたが、今思えばPMSのときは、一日でも半日でもいいから有休をとって身体を休ませるべきだったな、と思っています。
今は、好きな時に身体を休ませることができるので、無職って大変だけどいい面もあるな、と実感しています(笑)


母が極度の貧血で入院した話

2019-11-30 | 母のこと
母が倒れて、入院しました。

救急車を呼ぶまで
午前中、体調が悪かった母はずっと寝ていました。
朝食も、置いてあったパンを1つ食べただけの様子。

私は、10時前に遅めの朝食を食べ終えて、食器を洗っていましたところ、母が起き出してきました。
母の部屋は、ダイニングキッチンの隣です。
ダイニングを通り過ぎてすぐの場所に、トイレがあります。
母は、トイレに行きたくて起き出してきました。

ダイニングに到達した途端、唸りながら立ち止まったので、サポートするために手を取り、一緒にトイレに向かうと、トイレに着く手前で、沈むようにへたり込んで、そのまま後ろ向きにゆっくり倒れました。
そのとき私は、母が身体を床に打ち付けたり、頭を打ったりしないように、支えるのに必死でした。
母は、誰が見ても“デブ体形”です(苦笑)
支えるのも、かなりの体力と腕力が必要です。
私に腕力が全くなかったら、一緒に倒れて、どこか打ち付けていたかも。

でもまあ、何とかどこも打たずに床に横たわらせて、母に呼びかけました。

母は、数秒のけいれんを起こし、一瞬でしたが意識を失っていました。
これはマズい!と判断し、救急車を呼ぶことになりました。

救急搬送されてから
救急に運ばれてから、しばらくして処置室へ案内されました。
看護師の方か、医師の方かわからないのですが、血液を検査していて結果がわかるまでに時間がかかるので、それまで待ってくれと言われました。

当の母は、処置室のベッドで寝ています。
もし、一時的な体調不良であったら、点滴で回復したりするのですが(過去、点滴で体調が回復した時は、その日のうちに帰ることができました)、今回はずっと寝ていて、自宅に帰るのはムリそうです。
担当医師も「この状態では帰すことができないので入院です」と。

そうこうしているうちに、血液検査の結果が出ました。
結果は、

 極度の貧血

でした。

母は、そのまま救急病棟へ入院することに。
救急病棟は、重篤ではないけれど、様態が急変するかもしれなかったり、看護師のケアが常に必要な患者が入る病棟で、診療科の区分ができない病状の患者も入っています。
ここで検査を受けたり、様子を見ることで、最終的な診療科が決定するようです。
母の場合は、経過観察と言ったところでしょうか。

病棟に移動した直後、入院に必要な書類に記入している間、母はまだ寝ていました。
自宅から近い救急病院へ搬送してもらったので、私は母が寝ている間に帰宅し、当面の間必要な荷物を調えて、再度病院へ。
病室に戻り、看護師の方に常用している薬の説明と、帯状疱疹の塗り薬を渡し、すぐ使うモノを取り出して、母に声を掛けたところ、ゆっくり目を開けて目を覚ましました。

母に、今いる場所がわかるか聞きましたところ、病院にいるということはわかっていましたが、なぜ運ばれたのかは、わかっていませんでしたので、ことの経緯を伝えました。

目覚めた母は、点滴が効いていたのか、いつもの調子を戻しつつあり、お昼時に搬送されたために、昼食を摂っていなかったのですが、おなかが空いたと何度も言っていました(笑)
担当医の確認を取り、コンビニでおにぎりを買ってきましたよ。

これからの予定
担当医によると、極度の貧血は一体何が原因なのかを、週明けに調べるとのことです。
考えられるのは、消化器官のどこかから出血している場所があり、それが原因かもしれないということ。
内視鏡で、胃と腸を調べるそうです。

昨年に入院したときは、同じように貧血という診断で、内視鏡で調べた際に大腸ポリープが見つかりました。
原因として特定されたわけではありませんでしたが、ポリープのサイズが7ミリをこえていたため、切除する手術をしました。
そのときは、結局ポリープが原因だったかは最後まで分からず、数値も戻ったので退院した経緯があります。

今回の検査では、どのような結果が出るのかわかりませんが、もし前回と同じように原因が特定できない場合、いちばん困るのは私です(苦笑)
できることなら、原因をはっきりさせたいのですが、果たして検査で判明するのかどうか...

今までの不調はすべて貧血?
今回の入院以前から、母が調子の悪い日は、大体立ち上がって数歩、歩き始めたときに、全身の倦怠感や意識が少しもうろうとする感じでした。
見た目だけだと、糖尿病による血糖値の低下なのか、貧血なのか、頭痛なのか、判断がつきません。
ただ、今回の極度の貧血という診断に、今までの調子の悪さは、すべて貧血が原因だったのか、と思えてきました。

先日、脳神経外科で、脳の血管が細すぎるという診断結果を知らされましたが、それももしかしたら貧血が原因の可能性があります。
貧血になると、血液の循環がうまくいかずに心臓にも影響が出て、心臓から脳へ運ばれる血液や酸素が少ないと、脳の血管が細くなる場合もある、という説明もありました(うろ覚えなので、医師が言った言葉そのままではありません)

いろいろな診察結果を総合すると、母の体調は貧血さえ解決できたら、ある程度は元気になるのでは?と思い始めています。
もし、内視鏡検査でも原因がわからないとなった場合は、セカンドオピニオンも視野に入れておかなくてはならないかもしれませんね。

とにかく、今回の検査で貧血の原因がはっきりしてほしいと、切に願っています。

入院セットを準備しておこう
家族の入院というのは、バタバタしますね。
何度も経験してはいますが、手続きや揃えるモノを覚えているつもりでも、何か忘れています。
母の年齢になると、いつどうなるかわからないため、昨年の入院以来、母の入院セットを準備して、クローゼットへ入れておきました。
備えあれば憂いなし(笑)
今回の入院準備は、すこし楽でした。

災害避難セットも大事ですが、高齢の方と同居していらっしゃる方は、入院セットを備えておくこともお勧めします。
私が用意しておいた入院セットは、以下のような感じです。

 ・パジャマ上下 1セット
 ・下着 3枚
 ・フェイスタオル 4枚
 ・大人用紙おむつ
 ・プラスチックコップ(飲用)
 ・割りばし、プラスチックのスプーンとフォーク
 ・ビニール袋

これらのモノを、1泊できるくらいのボストンバッグへ入れて、クローゼットに入れておきました。
大人用おむつですが、必要ないと思っている方でも、治療の過程でトイレに行けなくなる場合がありますので、準備しておいた方がいいです。
フェイスタオルが、少し多いように感じますが、バスタオルを入れるとスペースを占領してしまうためと、洗濯が大変なので、フェイスタオルを数枚使うことで、バスタオルを使わずに済むようにしています。

本格的に入院が決まった際に改めて用意するのは、以下のモノです。

 ・入れ歯クリーナーと入れ歯ケース(入れ歯ではない人は歯磨きセット)
 ・シャンプー、コンディショナー、ボディーソープ、洗顔ソープ
 ・ウェットティッシュ
 ・ティッシュ
 ・クシやブラシ
 ・眼鏡など
 ・服用中の薬

これらのモノは、消費期限が気になるモノや、長期間使用していないと品質が変化しがちなモノ、そして日常的に使用していて、備えておけないモノです。
入れ歯やメガネは、入院セットへ入れてしまったら、普段の生活が不自由になってしまうので(笑)
クシやブラシもそうです。
入院セットに、いつものモノとは違うモノを入れていてもいいですが、使い慣れたモノの方が入院中は安心感があると思いますので、なるべく日常的に使用しているモノを、入院中も使ってもらうため、セットへは入れていません。

家族が健康なのに、入院に備えておくなんて、そんな失礼なことできない、とお思いの方は、避難セットの内容を少し変更したらいいと思います。
紙おむつ以外は、避難セットに少し似ていますから。
非常食や水は必要ありませんから、それらと紙おむつを入れ替えて病院へ持っていけば、準備が簡単です。
また、衛生用品(キズ用塗り薬や絆創膏など)も、入院には不要ですね。
だって、病院に入院するのですから、手を切ったりしたら看護師さんに頼めば解決です(笑)

ただし、ソロキャンプ並みの避難セットを用意している方は、減らすモノがかなりあるかもしれませんので、いま一度中身のご確認をお願いします(笑)


今回の母の入院ですが、命に別条がなくて何よりでした。
まだ検査があるので、安心はできませんが、結果が出るまでは気楽に過ごそうと思います。