goo blog サービス終了のお知らせ 

マシュマロ’sエンディングノート

~At the end of a marshmallow-like life~

老いは少しずつ進むという話

2021-02-01 | 母のこと
夕方になって、母の体調が少し悪くなりました。
悪いと言っても、いつも調子はよくないのですが、例えば、通常はトイレへ行く際に、ゆっくりではありますが支えや手すりがなくても歩いて行けますし、トイレの介助をする必要もないのですが、本日は立ち上がるだけでフラフラして、数十センチを歩くのさえおぼつかないので、身体を支えてあげる必要があります。
それでも、トイレは自分でできるので、このような状態のときはトイレのドアを開けっぱなしにさせて、用を足すように言っています。

考えられる万が一に備えて
トイレのドアを開けっぱなしにする理由は、トイレの中で倒れて、ドアを開くことができなくなったら大変だからです。
外開きなので、動けなくなった場合は開けることができますが、倒れてしまうとドアの取っ手を壊す可能性もあるため、ドアを開けられたとしても時間がかかる可能性があります。
これまで、そういったことは起きていませんが、想定できる範囲で気を付けておく必要があります。
ちなみに、私もドアが壊れて内側から開けられずに、閉じ込められかけたことがあるので、少しだけドアを開けて用を足しています。

母は、調子がまあまあの日は、玄関前の共有廊下に出て外の空気を吸ったり、歩けそうなときはエレベーターのある場所までだったり、エレベーターでエントランスまで下りていくこともありますが、最近はそれさえも億劫になってきている様子です。
季節がら、身体が縮こまって動かしにくいということもあるのかもしれませんが、身体を動かさないとますます筋肉が衰えていくので、春先や夏場には、また少し体力と筋力が落ちてしまっていると思います
かといって、心臓が悪いため運動らしい運動もさせられない事情があるので、正直なところ家庭での体力維持は難しいと感じています。

以前から、大型の家具を次々処分したのは、使わないからというだけではなく、もしかしたら母がふらついて家具に身体をぶつけたり、身体を支えるためにムリに力を加えたりした場合に、家具が倒れてきたり、母が家具の角に頭をぶつけたりする可能性もあったからでもあります。
普通は、身体を支えるために低い家具などは手すり代わりに使うことができるのですが、我が家には背の低い家具が少なくて、結局大型家具が次々となくなっていっただけになってしまいました(苦笑)
ですから、もしかしたら手すりを付けてもらう必要が出てくるかもしれませんね。

床も、いずれ今とは変える必要があると思っています。
現在、床に敷いていたカーペットを取り払ってしまったので、床の上を直接歩いている状態ですが、いずれ母の歩き方に問題が出てくれば、クッションフロアやコルクのフロアにする必要があるだろうと思っています。
そうすることで、母が倒れた場合に少しは身体への負荷が和らぐかもしれないと思っています。
計画を立て難いことでもあるので、今はただ悩んで考えるだけになっていますが、いざというときのためにいろいろと情報を集めている最中です。

ゆっくりとできなくなっていくのが老いるということ
母は、記憶力も低下していますが、身体の使い方も下手になってきています。
ご飯をお茶碗によそうときも、みそ汁をお椀につぐときも、上手く掬うことができなくなりました。
歩くことも、日に日にゆっくりになっていきます。
立ち上がるときも、勢いをつけないと立ち上がれないときがありますし、地べたに座ったら最後、自力では立てなくなるので、椅子やソファ、ベッドといった家具は必需品になります。

しかしながら、これらはある日突然できなくなったわけではありません。
気が付いたら、今の状態になっていたというのが正解です。
私が、母の老いを急激に感じ始めたのは、父が亡くなった後に母が入院したときからです。
母くらいの年齢だと入院が引き金になって、認知症の症状が出ることがあると、医師からは言われていましたが、確かに退院後から、記憶力が著しく低下したことは、感じています。
また、入院生活自体は1ヶ月と少しでしたが、その間に体力だけは目に見えて落ちていきました。

その後は、何度か入退院をすることがあって、そのたびに体力は落ち、今まで母ががうるさく言っていた家事や家庭内のルールを忘れて適当になってしまい、今は私から口うるさく母に言う日が多くなりました。
昔は、私や父が少しでもルールを守らないと、火が付いたように怒る母でしたが、今は平気で自分からルールを破ります。
これも、だんだんと数が増えてきて、私もどこまで母に従うべきか、母に合わせるべきか迷っていますが、これも老いるということを受け止めるために必要な悩みというか、プロセスなのだろうと考えたりもします。

今後考えられること
今の状態だと、いずれ母も介護が必要な身体になるでしょう。
現状は、私が家事全般を引き受けて、母をたまにサポートする程度で済んでいますが、母は長時間目を離せる体調ではないため、少しの時間でも外で働くことは難しいのかな、と思っています。
母のサポートをしながら外で働くという器用なことは、私にはできそうにないし、したくないというのが本音でもありますが、もし介護が必要になり、常に誰かの手を借りる必要が出てきたら、今度はヘルパーやデイケアを頼んで、私は外に働きに出るという選択肢が出てくるので、本当はその方がいいのかもしれません。

今後、公共のサポートを受けることと、家の中を介護や介助をしやすい状態にリフォームしたり整えたりすることは、大きな課題です。
具体的な方向を決めることはできませんが、今からありとあらゆることを想定して動く必要があることだけは、いつも考えて覚悟を決めています。

老いは、本当にゆっくりと進んでいきます。
今はまだ大丈夫、と言っている間に、状態が進んでしまっていることもあるでしょう。
だからこそ、取り越し苦労でもいいから、いろいろ考えておかなくてはいけないな、と思うのです。


本日は、ブログ内容を短めに終わらせるつもりでしたが、今の私の心境と母の状態は記録しておいた方がいいかな、と思ったので、いつもどおりにタラタラと書き綴りました(笑)
なんだかんだいいつつも、ある日突然調子を取り戻すこともある母なので、今後も様子を伺いながら、いろいろと老後の世話について考えていこうと思います。

人のルールに振り回される話(母のルールは不要なモノだらけ)

2020-12-20 | 母のこと
母と私とでは、必要とするモノが違います。
それぞれ、個人的なモノであれば構わないのですが、共有しているモノや生活する上での行動では、どうしても互いに譲れずにぶつかります。
本日は、家族がぶつかってしまう「不要なルール」について、私の思うところを綴ります。

どうしてそうなの?
母のルールで、どうしても考えが合わないのが、3つほどあります。
どれも、私が妥協すればいいのではないの?と言われそうな、ほんの些細なことなのですが、最終的に私が振り回される羽目になることなので、正直なことを言うと、母の方からも歩み寄ってほしいと思っていますし、何度もお願いしているのですが、頑として修正してはくれません。
その3つのルールとは、

 ・湯沸かし電気ポットのお湯を少しでも使ったら、新しい水を追加して満杯にしようとする
 ・トイレの便器のフタを閉めない
 ・湯沸かし器のスイッチを消したがる

この3つのルール、字面で読むだけだとほっとけばいいのに、と思うレベルですが、私の母はこの3点については私を巻き込むことが多いので、本当に辞めてほしいと思っているルールです。

湯沸かし電気ポットルール
我が家の湯沸かし電気ポットは、満杯で2.2リットル入ります。
普通に家族2人が、温かい飲み物を飲むのに、そんなに急激に減る量でもありません。
しかし、母はほんの2~3杯の湯を使っただけで、水を入れようとします。
私は、半分以下になったくらいに、ぼちぼち水をいれようかなあ、くらいに構えているのですが、母は自分のタイミングで水を加えたいので、私がキッチンで食事の用意をしていようが、母が使った後に私が温かい飲み物を飲もうとしていようが、お構いなしに水を汲んでポットへ入れようとします。
はっきり言って、迷惑です(苦笑)

そもそも、そんなに慌てて水を入れなくても、十分入っていますし、温かい飲み物を入れてから秒で次の温かい飲み物を飲みたくなることも、そうありません。
それでも、キッチンで私を押しのけてまで、水を汲みたいのです。
私が、今キッチンを使っているから後にしてくれ、というと、今度は終わったらすぐに入れろと言います。
いやいや、すぐに入れないと、なにか恐ろしいことでも起きるんか!?と言いたくなります(苦笑)

それが嫌で、水差し代わりに使っているやかんを、母の手の届かないところへ移動させて、私のタイミングで入れられるようにしたところ、本日私がくつろぎ中にやってきて、ポットに水を入れてくれと言ってきました。
私は、今すぐ入れなくてもまだ湯はある、といって入れずにいたら、そのあとまた私を呼びます。
一体何なの?と思って行ってみると、水を入れる際にコンセントが外れたらしく、本体側のコンセントをつなぐ位置がわからないと。
ちょっとまって、その前にどうやって水入れたの?と聞くと、使ってほしくない容器を使って水を入れたと言います。
それは、あまり清潔ではないから使ってくれるな、ということと、そんなに慌てて水を入れてどうするのかと、私の怒りが沸点に到達しまして、少し言い合いになりました。

母は、身体が普通に動かせていた昔はとにかくせっかちで、人がいつまでも自分(母)の言ったことをしないと、かなりキーキー言う人でした。
まあ、よくありがちな母親の姿かもしれません。
しかし、冷静に考えて、今すぐやらなくていいことは明らかなのに、とにかくキーキー言う人なのです。
それがいまだに続いているので、身体がきびきびと動かせない分、私が振り回されることになるわけです。

便器のフタは開けるルール?
母は、昔から洋式トイレの便器のフタを閉めない人でした。
子どもの頃は、それが当たり前だと思っていましたが、大きくなりフタは閉めた方がいい場合もあると知り、以来私は臨機応変にトイレのフタは閉めるようになりました。

そして、数年前、詰まりやすくなったのを機に、自動洗浄機能が付いた便器に交換したのですが、この便器はフタをした方がいろいろと都合がいい便器でした。
まず、消臭機能が付いているので、用を足した後はフタを閉めた方が、臭いがトイレ庫内に充満しにくくなります。
また、便座のウォーム機能をオンにしている際は、フタをしておかないと便座の温度が下がってしまいますので、寒い冬はとにかくフタは閉めておかないと、省エネにもならないし、便座が冷えてしまうのです。

そういう事情もあって、新しい便器にした際に、フタは絶対に閉めてほしいとお願いしたのですが、まだ一度として守ってくれたことがありません。
今は、私も家にいるので、いちいち声を掛けたり、私がわざわざ閉めに行ったりしていますが、私がもし働きに出て長時間家を空けるようになったら、寒い冬場は帰宅しても冷めた便座に座る羽目になるでしょうねえ。
まあ、それは私が我慢すればいいだけのことなのかもしれませんが、たかだか便器のフタを閉めるだけのことを、頑なにしようとしない母もどうかと思っています。

母は、よそへ行っても同じようにフタを閉めないので、そのお宅が便器のフタをきちんと閉めるご家庭だったら、母は物凄く不躾な人間に見えるかもしれませんね。
まあ、母が他人からどう思われようが、どうでもいいのですけどね。

湯沸かし器のスイッチは常に消すルール?
母のおかしなところは、何故か電気代だけ気にして、あちこちの電気のスイッチを切りたがる点です。
まあ、普通に節約だからと考えれば、どうということはないのですが、その他のことに関しては、使い方が荒いというかそんなに使わなくてもいいんじゃないの?という使い方をします。
例えば、水道は洗ったモノを時間をかけてすすぎますし、ペーパー類も必要以上に枚数を使いたがります。
なのに、電気だけはこまめに消さないと勿体ないと言い、あちこちで電気を点けっぱなしにしていると、消して回っては私に文句を言ったり、消していいかと険しい顔で聞いてきます。

湯沸かし器のスイッチについても、同じようにスイッチがオンのままだと電気代がかかるから、消したいらしいのですが、私は今の季節は冷たい水で手を洗ったり、洗い物をしたりするのは嫌なので、オンのままにしています。
オンのままにしている理由としては、我が家の構造上の問題なのか、つけたり消したりしていると、温水がなかなか出てこないのですよね。
オンにしておくと、それが少しマシになるので、つけたままにしているのですが、母は毎日何度も「消していいのか」と聞いてくるようになり、そのたびに「水が冷たいのは嫌だからつけておいて」と返事をしています。
正直、このやり取りに最近ウンザリしています(苦笑)

母は、いわゆる老害的な考えが強い人で、私が温水で洗い物をしたりすると、昔は冷たい井戸の水で...なんて話をし始めまるのですが、私は根性で冷たい水に耐えて洗い物をする気はさらさらないので、徹底抗戦の構えです(笑)
そもそも、そこの電気代を気にするくらいなら、湯沸かし電気ポットの湯を少し使うたびに水を差して、日に何度も湯を沸かす方が、絶対電気代が高くついているはずなのですが、そのことには全く気が付いていません。
というか、何度か私がこの説明をしたのですが、理解できていないようです。

電気代を節約したいのなら、そもそも湯沸かし電気ポットそのものが不要だと思うのですけれどねえ。

私も意地になりすぎ?
まあ、無視できることであるなら、そうしたいところですが、そうなると私がどう行動するのか、ということを考える必要があります。
自分としては、もう電気湯沸かしポットのことは母に丸投げにして、私は一切かかわらないようにしたいところですが、先に言いましたとおり、私の邪魔をしてまで水を汲もうとしますから、無視できません(苦笑)
トイレの便器のフタは、私が冷めた便座に座ることを我慢すればいいだけのことかもしれません(臭いについては、強力な消臭剤を買う?)
そして、湯沸かし器のスイッチについては、これも私が温水になるまで水をずっと出しっぱなしにして、我慢します?

というか、この3点については、私がとにかく我慢するしか今のところ解決方法がないから、私にストレスが溜まっているのですよねえ(苦笑)
まあ、他の小さな母ルールに、なにもそんなことにこだわらなくてもいいのに、と思うことが多々ありますが、いちばんのストレスは、今回挙げた3点です。

ああ、もう本当に、せめてトイレの便器のフタだけでも、きちんと閉めてくれたら、少しはストレスが軽くなる(と思う)のですけれどねえ。

家族の人数分だけルールがある?
家庭のルールは、大体は両親(祖父母が居れば祖父母も含めて)が決めて、自分の子どもたちに守らせることで、家庭の秩序を形成していきます。
しかし、どう考えてもやりすぎなルールというものは、多かれ少なかれ存在するのかな、と思ったりもします。
友人の家庭の話を聞くと、そのルールを我が家で適用されたら、私は我慢できないかもしれない、と思ってしまうこともあったりします。
家族間で、言い争いが多い場合は、おそらく一人一人のルールに微妙な違いがあって、意見のすり合わせができない状態なのでしょうね。
私は、母との間にそのことを強く感じています。
そして、自分が一番正しいと信じている母に対して、大人になった今でも反抗心が強いです。
母は、今までそのルールで生きてきて、誰からも指摘をされないまま、過ごすことができていたのかもしれません。
だから、それが正しいと思い込んでいるのでしょう。
しかし、私から見ると、どうでもいいことにギャーギャー言いすぎだと思ってきましたし、今も思いますから、大人げないのですが、私も私のルールを母に押し付けて仕返しすることも多いのですよ。

もちろん、私のルールも他人から見たらどうでもいい、守るに値しないルールだろうということは承知の上です。
でも、せめて少しくらいは反抗させてほしいと思いつつ、母との関係について考える日々なのです。


ということで、母のルールに振り回される話を綴りましたが、家族と住むとなぜかそれぞれの家人が謎のルールを持っていますよね。
何?そのルール、というものが、割とたくさんある気がします。
そのルールについて、少しずつ歩み寄れる場合はいいのですが、頑固な母にイラつく私だと、いつまでも妥協点が見つからないまま、平行線をたどってしまうようです。
もう少し、穏やかに暮らしたいと思いつつ、明日もきっと同じことで、イライラしてしまいそうなので、自分へのマインドコントロールの方法でも調べようかな、と思ってしまう夜なのでした(苦笑)

最近、袋が切れなくなってきた母の指

2020-12-16 | 母のこと
本日は、最近になって現れた母の変化について綴ります。

ほんの数日前の話
私は、最近母が粉系の飲料を作る際に、微妙にこぼしてしまう(ぱっと見はわからないけれど、よく見ると粉が落ちている)ことが増えたので、粉系飲料はスティックタイプを買うようにしました。
最近のスティック袋は、切り口が手指で簡単に切れるモノが多くなってきましたよね。
有名なメーカーの商品であれば、大体切り口が切れやすくなっていて、大した力も入れずに口を開けることができます。

今、季節は冬。
温かい飲み物が欲しくなる季節ですから、ココアは用意しておきたいところ。
スーパーでは、大袋入りの粉ココアが安価ですが、母のことを考えてスティックタイプを購入して、いつでも飲めるようにしておきました。

数日前、ダイニングにいた母から呼ばれたので行ってみると「開けられない。開け方がわからない」と言って、ココアの粉が入ったスティックを1本持っています。
私は、開け口の位置を教えて、そこから簡単に切れるよ、と言いました。
母は、私が言うとおりに、開け口の印が付いているところを指で挟んで、切ろうとしますが切れません。

「え?切れない?力を入れる必要はないんだけど、切れない?」

私は、何度か母にトライさせたのですが、一向に切ることができませんでした。
仕方がないので、私が切ってみせて

「ほら、力入れなくても簡単に切れるよ」

と言うと、母は

「何で切れなかったんだろう?」

と、本人も納得いかない様子でした。

紅茶のティーバッグも?
私が紅茶好きなので、常にティーバッグを置いています。
今飲んでいるのは、トワイニングの5種類のフレーバーを楽しめる商品です。
この商品は、ティーバッグが個包装されていますが、包装している袋の素材は紙です。
紙ですから、手で切れますし切り目も入っていますから、これもまた力を入れずに封を開けられるはずです。

ところが、本日母が紅茶を飲もうとティーバッグを手にすると、また

「開かない」

と言い出しました。
紙の包装ではありますが、茶葉の風味を損なわないように、内側には防水や湿気を防ぐ加工がされていますから、切り口以外の場所からだと、少し開けにくいかもしれません。
ですから、私はてっきり開け口の切り目ではないところから、母が封を開けようとしているのかな、と思ったのですが、母はちゃんと切り目に指をかけていました。
そして、ココアの時と同じセリフが交わされることに(苦笑)

そして、ふと考えました。
いよいよ、衰えが目に見えて進んでいるのかもしれない、と。

寒さが原因?
一昨日から、急に寒くなってきました。
私も、暖房をつけたり厚着をしていないと、手足が冷えてしまって、上手く手指を動かせないことがあります。
しかし、それは単に手指がかじかんでいる状態であるからです。
少し温めれば、すぐに回復します。

もしかしたら、母も手指がかじかんでいたのかもしれない、と考えてはみるのですが、やはり母の衰えが原因のような気がしています。
もともと、母は開けにくい袋は全てハサミを使う習慣があったのですが、かといって手で切れないわけでもなく、つい先日までは、スティックココアの袋も自分で切ることができていました。
ですから、本当に急にできなくなった感じなのですよね。

かといって、麻痺があるかといえば、それはない様子なので脳梗塞などの可能性はなさそうです。
ただ、急に寒くなってきたので、体調不良に陥る可能性は十分にあります。
私も、なんとなく不調の度合いがいつもより大きいですからね。
私も若くないし、母はもっと気を付けなくてはいけない年齢ですから、年末年始は少し気を付けておこうと思いました。

少しずつ出来なくなっていく
私が家事全般をするようになってから、徐々に母はできなくなってしまったことが増えてきたように思います。
出来なくなったというより、忘れてしまっていることが増えたといった方がいいかもしれないです。

特に、家電の扱い方は、昔は私たちが使い方を誤ると、烈火のごとく怒っていたのですが、最近は立場が逆転していて、母は電子レンジで温めたらいけない器で料理を温めたり(何度かありました)、絶対にラップをして温めなければいけない料理を、ラップなしで温めてレンジ庫内が大変なことになったりしました。
少し前まで結構きれいだったオーブンレンジは、あちこちに料理の焦付きができ、ちょっとみすぼらしいです(苦笑)

そういえば、レンジ庫内に入れる飲食物の量も、よくわからなくなってきているようで、先日はマグカップ満杯に注いだミルクを温めようとしていましたね。
しかし、最近は母が出鱈目なレンジの使い方をしているので、使っていないときはコンセントを抜くようにしていたため、母が私にコンセントを入れてと言いに来て、ミルク満杯のマグカップに気が付くことができました。
もしも、コンセントを抜いておらず、母がそのままレンジのスイッチを入れていたら、間違いなく吹きこぼれて、私の仕事が増えるところでした(苦笑)

ちなみに、コンセントの位置は母の背丈では届かない場所にあるので、私がいないとレンジのコンセントを入れることができません。

迷う脳外神経外科の定期受診
昨年の10月、母は一度脳神経外科を受診して、認知症の検査を受けています。
その際、MRIで脳の中を撮影していただいたのですが、脳の異常は見つからず、その時点では認知症ではないとの診断でしたが、ただ脳の血管が通常よりも細いのか、画像に映らなかったと言われました。

脳に異常が全くなかったのは、まあ、いいことなのかもしれませんが、母のモノ忘れは認知症を疑うレベルです。
たしか、チェックリストの結果も、ほぼ認知症だろうと思われるレベルでしたから、医師も少し不思議な顔をして診断結果を教えてくれたのですよね(苦笑)
そして、一応前回は何の処置もせず、薬の処方も見送って、一年後に再度経過を診るための受診をして、と言われて、10月で1年が経ったのですが、実はいろいろ面倒に感じて、まだ受診していないのですよね。

受診していない理由は、予約が面倒くさいということと、私自身は母が認知症になったら、それなりの覚悟で自宅介護か施設に入れるかを決めようと思っているので、できることならはっきりとした診断が下る症状になるまで、様子を見たい気持ちがあります。
というのも、もし、また受診して脳に異常なしと言われてしまうと、介護や支援の申請をしたとしても医師の診断書が「異常なし」では、おそらく認定が下りないのです。
母は、体力的に家事ができませんが、その他の生活は自立しています。
お金の使い方はわかっているので、体調がいい日は1人でコンビニへ行って買い物をし、食べたいモノや飲みたいモノを自由に選んでいます。
今のところ、店でトラブルを起こしていないので、おそらく問題なく買い物はできているのでしょう。

そうなると、ますます介護や支援の認定は下りないでしょうから、とにかく中途半端なまま、私は母のサポートをすることになってしまうわけです。
おかしな話ですが、以前のようなしっかりした状態に戻るか、いっそ認知症の診断を下してもらう方が、私の行動も決めやすいのです。
酷い娘だなあ、と自分でも思ったりしますが、行政のルールにしても、介護や支援をしてくれる施設やサービスにしても、医師の診断が裏付けとして必要になる以上、私のように考えてしまう人は、少なからずいるのではないかと感じています。

今年中か年明けか
脳神経外科の再受診を渋っているうちに、いつのまにかCOVID-19の感染者が増加してしまい、インフルエンザも怖いので、今年中の受診は、とりあえず見送ろうかと考えていますが、それも単なる言い訳に過ぎません。
本当に、母のような状態の人は、この世の中に一体何名くらいいるのだろう?と思いつつ、資料になるモノも存在しないし、同じような状態の人の家族や関係者は情報発信をしていないのか、SNSなどで見つけることは困難です。
せめて、母と似たような症状の人のエピソードが見つかれば、なんらかの手が打てそうなのに、と思う日々です。
とりあえず、母と相談して、受診日をそろそろはっきりさせたいと思います。


本日は、母の様子を久しぶりに綴りました。
歳を重ねれば、どうしても身体の不調は現れてきますし、症状も増えていきます。
健康管理ができていたとしても、避けられない症状や病気も存在します。
この先、母にしても自分にしても、健康面がどのようになっていくのかは、想像が難しい部分もありつつ、少しでも元気に楽しく暮らせるように、考えていきたいですね。

薬の管理と保管方法に迷い続ける話

2020-11-10 | 母のこと
母は、たくさんの薬を服用しなくてはいけません。
特に朝は、7種類もの薬があるので、間違えないようにしないと大変なことになります。
本日は、薬の管理と保管方法について、試行錯誤を繰り返すも、なかなか良い方法が見つかっていない話を綴ります。

母の薬
胃のポリープが原因と思われる貧血を起こして以来、切除後もずっと貧血を改善する薬を服用しているため、昨年末から薬の数が増えています。
現在は、糖尿病、心不全、貧血と、血圧を安定させる処方薬が必要で、飲む数は以下のとおりです。

 朝:7種類
 昼:1種類
 夜:3種類

この中で、血圧を安定させる薬は、朝昼夜の毎食後なのでわかりやすいのですが、朝と夜の2回飲む薬と朝だけ飲む薬は、用意する私も時々混乱するので、間違えないようにいろいろと考えています。
母自身に任せきりにすると、必ずどれかを飲み忘れてしまうので、丸投げができません。
毎月、薬を貰うたびに結構疲れます。

ちなみに、昨年入院した際に服用している薬を申請したら、医師がひとこと「薬、多いなあ」と言いました(苦笑)
いや、でもこの病院(総合病院)で処方された薬を継続してるだけなんだけど...と、本気で苦笑いしましたよね。
母に限らず、年配になって物忘れが多くなる人には、薬の数が減らせないか、定期的に検査してほしいと思ったりします。

薬は1回分ずつの小分け
数が多い上に、朝昼夜と全て数が違うので、朝昼夜で1回分ずつ小分けにして保管しています。
処方された薬を、まずハサミで1回分ずつに分けていき、小さなジッパー付きの透明な保管袋へ入れています。
毎回、薬を貰ってきた日は、この作業に時間を取られます(苦笑)

小さな袋へは、「1」から「31」までの番号を、朝、昼、夜の分にそれぞれ書き込んでいき、日付に合う袋から取り出すようにしています。
本当は、1ヶ月分毎日の薬を入れられるピルケースを使いたいのですが、薬の数が多いためはみ出してしまいます。
ですから、袋に日付を入れる方法しか、今のところ思いつきません。

つい昨日までは、この小分けが完了した袋を、仕切りが付いた透明の箱に立てて、日付順に並べていたのですが、少し使い難さを感じていたので、本日から保管方法を少し変えることにしました。

箱に並べる方法から袋に入れる方法へ
これまで、仕切付きの箱で保管していたのは、取り出しやすさを考えたからでしたが、思いのほか使い勝手が悪く、また保管に適してそうな箱を探すも、見つかりませんでした。
昨夜、ふと「ジップロックで保管しよう」と思い立ち、本日さっそくつまみ付きのモノを購入してきました。
指で押さえるタイプは、しっかり閉められないこともあるので、細かい薬を保管するならば、つまみ付きかな、と思いました。

ジップロックは、朝と昼と夜の薬がそれぞれ管理できるように、3袋使うことにしました。
袋には、いつ飲むのか、誰が飲むのかを油性ペンで書きました。
これを用意することにしたのは、母が入院した日に慌てて用意しなくてもいいようにするためでもあります。
箱に入れていると、箱から出して入れ替える必要がありますが、袋に入れて名前と服用時間を記入しておけば、入院時でも災害時でもすぐに持ち出せるので、いろんな場面にも対応できるようになったかと思います。

実を言うと、以前もジップロックを使っていたのですが、つまみのついていないタイプを使っていたため、すぐにファスナー部分がダメになってしまい、出し入れが面倒くさい状態になってしまったので、箱への保管へ変えた経緯があったのですが、結局ジップロックに戻ってしまいました(苦笑)

袋は引き出しに10日分は小引き出しに
今月に入って、母が使っている収納の中がかなり空いたので、今まではチェストの上に出して並べていた薬は、チェストの引き出しに入れることにして、直近10日分だけ、透明アクリルの小引き出しに入れておくことにしました。
ストックをチェストの引き出しに入れて、すぐに服用する分を小引き出しに入れておくイメージです。
ちなみに、小引き出しは100円ショップの商品です。

小引き出しに入れている理由は、1つは母が探し回らなくてもいいようにするためです。
物忘れが年々多くなっている母は、引き出しに入っているモノを思い出せないことがありますが、透明アクリルで目につく場所に置いておけば、私が用意できない状況になっても、自分で用意できるのではないかと考えたからです。
もっとも、そうしていても飲み忘れてしまうので、本当に困っているのですが、本人が自分で飲み忘れを防ぐ方法があったら、すぐにでも試したいと思っています。

まずは貧血の薬が不要になることが目標
今は、まだ貧血が完全に改善されているとは言えない状況なので、貧血の薬を止めることは保留になっていますが、数値に余裕があったら(今はギリギリの数値です)服用をやめる予定になっています。
もし、貧血の薬をやめたとすると、夜の薬が2種類減って1種類だけになり、管理もかなり楽になるのですが、1年近く経った今も、まだ数値がギリギリなので、なかなか止めることができない状況です。
食事でコントロールするのも難しいので薬に頼るしかないのですが、年が明ける頃には貧血が改善されていてくれないかな、と思っています。


持病の数だけ、薬の種類も増えますが、できれば少ない薬で済むようになってほしいですよね。
1粒でいろいろな症状に効果がある薬があったらいいのにな、と思います。
そして、私は薬のお世話にならないように、今から気を付けて生活をしていきたいと、強く思っています。
薬は、本当に手間がかかって面倒くさいです。
発症原因がはっきりしない病気は仕方がありませんが、生活習慣病だけは本気で阻止したいです。
そのためにも、毎日の運動と食事のバランスには気を遣わなければいけませんね。

母を病院へ連れていくと疲れがドッと出る話

2020-10-09 | 母のこと
昨日と本日、母を病院へ連れていきました。
何故、2日続けて病院へ行ったかという話を綴ります。

始まりは2日前
2日前に、母が「歩けない、足が動かせない」と言い出しました。
また、貧血かな?それとも、低血糖で調子が悪いのかな?と思いつつ、トイレへ行く際は付き添い、痛いという部分に液体シップを塗ったりしましたが、一向に和らぐ気配はない。

少し、いつもと様子が違う感じを受けたので、母の足を触ってみたら、まるで作り物のように固くなっていて、これはむくみか?と思い、ごく弱い力で押してみたら、これでもか!というくらい、痛がります。
これは、やはり普通じゃないと思い、とりあえず足を高くして横になっているように言い、トイレに行けるように水分をこまめに摂らせましたが、夜まで全く改善する様子がありません。
これは、明日(昨日のこと)病院へ連れて行かねば、と思い、来週行くつもりだったかかりつけ医院へ行くことに。

翌日(昨日のこと)の朝は、少し足も柔らかくなっていましたが、まだ押すと痛い箇所がありました。
もしかしたら、このまま改善するかもしれないとも思いましたが、もし悪化してしまうようだと、とんでもなく面倒なことになるので(救急搬送とか入院とか諸々)、かかりつけ医に話をすると、血栓が詰まったのかもしれない、ということで、紹介状を書いてもらい、総合病院へ行くことになりました。

そして本日、総合病院を受診させてきました。

総合病院は患者も多いし検査は長い
総合病院へ到着すると、さすが患者が多いという印象で、受付も待合室も椅子が埋まっていました。
今はCOVID-19感染予防のため、待合用の椅子は通常の半分の人数しか座れませんから、座れない患者もちらほらいました。

ちなみに、今年に入って初めての総合病院だったので、院内の感染予防はどんな感じかな、と思っていましたが、入口ではセンサーで体温を検知し、手指の消毒用ポンプやスプレーが増えていました。
また、入院患者への面会は禁止で、病院側からの呼び出しがあった家族のみ病院へ入ることができるとのことで、あちらこちらに、その旨を書かれた張り紙がされていました。
もし、万が一母が入院ということになっていたら、入院荷物だけ預けたら、呼び出しが来るまで母には会えなくなるところでしたが、そうなった場合、何が心配かというと、母が私の存在を忘れるかもしれないということ。
割と冗談抜きで、あり得ると思いました。

さて、総合病院の受付を済ませると、総合内科へ移動になりました。
問診時点では、足のむくみもひいて、触ると痛がっていた足も、痛がる箇所が減ってきているように思いました。
かかりつけ医の紹介状には、血栓が詰まっている疑いがあるとの記載があったようで、一応検査をしていろいろな数値を見ることになりました。
今回、診てくださった医師は、淡々と話をするタイプで、淡々と質問をして淡々と「ものすごく時間がかかりますが、検査します。血栓の疑いがあるって書いてあるし」と言っていました。
おそらくですが、触診する限りは、そこまで深刻な異常があるようには感じなかったのかもしれませんね。

検査は2時間強かかりました
検査内容は、採血、心電図、エコー、X線レントゲンの4つ。
検査の場合、入院患者と通院患者の両方が待合室で待っているので、順番を呼ばれるまでにかなり時間がかかります。
多分、問診が終わって検査科に移動してから、30分以上は待たされたと思います。
母は血管が細いため、採血に少し時間がかかりましたが、無事に終わりました。
採血の次は心電図ですが、これも15分くらい待たされたでしょうか。

心電図からエコーを取るまでは、私は付き添えないので待合室で本を読みながら待っていましたが、これまた30分以上待たされました。
母も、長いこと検査をしたために、疲れてしまったらしく、最後のレントゲン撮影室への移動は、車いすを借りることになってしまいました。
まあ、健康な人でも、健康診断や人間ドッグをフルメニュー熟すと、めちゃくちゃ疲れますからね。
疲れやすい持病を持っている母は、途中でギブアップしてしまったのでしょうね。

レントゲンは、待つ時間もなく、撮影も数秒で終わったので、最後は少し楽だったかもしれません。
レントゲンが終わると、本日担当してくださった医師に再度診察してもらって、終了です。
検査結果は、さほど酷い結果も出ず、特に薬も出さなくてよさそうだとのこと。
むくみも、座りすぎの時間が長かったか、歩いてない時間が長かったためだろうと。
最後には、食事の塩分をとにかく気をつけて、と言われて診察を終えました。

検査のあとはお腹ペコペコ(笑)
長い検査が終わって、支払いを済ませると、もう私も母も空腹に耐えられませんでした(苦笑)
ついさっき、医師から塩分を控えるように言われたのに、母の好きなうどんチェーン店へ行くことになりました。
うどん店では、母にはミニうどんと天ぷらの盛り合わせを注文させて、つゆは絶対に飲み干すなとくぎを刺して、うどんランチを満喫。
ちなみに、私は久しぶりにうどん店のカツカレーを頂いたのですが、カツが熱々の揚げたてだったので、口の中を少し火傷しました(苦笑)

私も母も、久しぶりにうどんを食べに行ったので(私はカレーですが)、お腹も気持ちも満腹になり、割と楽しい気分で帰宅しました(笑)
何しに総合病院へ行ったのか、よくわからない終わり方でしたね。

何事もなくてよかったが
今回は、たまたまむくみが酷かっただけかもしれませんが、母の年齢を考えると、あまり楽観視はできません。
次回、なにか様子が違うようであれば、またかかりつけ医に相談して、総合病院へ紹介状をもって受診する、という流れになると思います(その前に救急搬送される可能性もあります)
できれば、そういうことにすらならずに、少しでも健康だったころに戻ってくれたらいいのに、と思うのですが、もう年齢的にも、母の性格的にも無理かもしれません。
今さら性格や思考を変えろと言っても無理なので、私も医師も結構大変かもしれないです(笑)
それでも、時間を作って診てくださる医師の皆さまには、感謝ですよね。

母には、少しでもいいから、自分が医者に行かなくて済む方法を考えてほしいです。
そして、少しでも理解して暮らしと向き合ってくれたら、大嫌いな病院へも行かなくて済むのに、本当にどうしたらいいのでしょうね?
困ったものだ(苦笑)


ということで、昨日も本日も午前中は病院だったので、さすがに夕方くらいから疲れが出てきました。
今夜は、早く寝つけるかもしれません。
それにしても、本当に笑いが出てしまうくらい、疲れたなあ(苦笑)

おにぎりの包み問題について

2020-10-05 | 母のこと
今回は、大半の人が考えたことがないか、あるいは考えても「まあいいか」で終わっている問題について、綴ります。

海苔パリパリ派?海苔シットリ派?
コンビニやスーパーで販売されている、おにぎり。
ひとつひとつ丁寧に包まれていて、具の種類やごはんの種類が豊富で、私は大好きです。
日本代表の、優れた携帯食と言っても過言ではありません(過言かもしれないけれど...)

おにぎりについては、人それぞれ好みが分かれると思うのですが、私はシンプルな具なし塩にぎりや、梅干し、昆布の佃煮などの定番具材が入ったおにぎりが好きです。
海苔は、パリパリでもシットリでも、どちらでもいいです。
家で手作りする際には、海苔にオリジナルの醤油ダレをしみ込ませて、白むすびを包むのも大好きです。
基本的には、作るのも食べるのも「おにぎらず」よりも「おにぎり」が好きです。

自分で作るときは、海苔は大体シットリにならざるを得ないのですが、コンビニやスーパーで販売されているおにぎりは、パリパリ海苔とシットリ海苔の2種類か、味付きごはんのおにぎりの場合は、海苔で包んでいなかったりもします。
販売されている海苔パリパリのおにぎりは、自分ではなかなか同じように握れないので(時間が経つと、どうしてもシットリになる)、パリパリが食べたいときは、スーパーやコンビニで購入しています。

パリパリ海苔タイプの包み
購入した海苔パリパリのおにぎりは、たしかに美味しいのですが、私は以前から包みについて、とても気になっています。

基本的には、三角に成形されたおにぎりの頂点に「1」と書かれ、そこからフィルムの「ベロ(つまみ)」が出るようになっています。
その「ベロ」を引っ張ると、垂直に包みのフィルムが切れて、おにぎりの裏側半分くらいまで(商品情報が記載されているシールのところくらいまで)切れるようになっています。
次に「2」そして「3」と書かれた、底辺の角を番号順に引っ張ると、海苔とおにぎりを分離させて海苔の乾燥を守っていたフィルムが、スポッと抜ける設計になっています。

このタイプの包装になる前は、一度フィルムの半分を剥がして、海苔とおにぎりを分断していたフィルムを丁寧に剥がし、残りの半分に乗せているおにぎりを、フィルムを剥がした海苔の上に乗せ、転がして包む、という包装が大半でしたので、おにぎりがぽろっと落ちたりおにぎり部分に直接手が触れてしまったりしていました。
(今でも、このタイプの包装フィルムを使っているお店があったりしますね)
ですから、手も汚れず、おにぎりを落とすこともない「1-2-3」とフィルムを取り外していくタイプの包装が出てきたときは、なんて便利なのだろう、と感心しました(笑)

ところが、人というのはわがままな生き物でしてね、今主流となっているこの「1-2-3」と外していく包装に、最近になって不満を感じるようになってしまいました。

包みの開け方が気になったきっかけ
海苔パリパリおにぎりの包装が気になり始めたのは、母がきっかけです。
母は、数年前から食べ物などのパッケージの開け口が見えないくらい、眼が悪くなっています。
虫眼鏡を使えば、ある程度の大きさの文字は読めますが、長時間読むと頭痛がするそうで、開け口をさがすとなると、すぐに見つからない場合は、疲れてしまうとのこと。
そのため、箱に入ったお菓子(贈答用の箱は除く)を開けるときに、大体開け口のミシン目を無視した開け方をして、メーカーの心遣いが台無しなるパターンです(苦笑)
お菓子だけではなく、他の食品パッケージも同様で、袋に入っている商品でしたら、鋏で切って開けるので問題はないのですが、箱がそのまま保存容器になるような親切な設計の箱は、大体保存容器に出来なくなります(笑)

そんな感じなので、実を言うと店で購入した海苔パリパリおにぎりについても、最初のベロが見つからないため、後ろ側のシールが貼られている箇所のフィルムに鋏を入れて、おにぎりと海苔を取り出して自分で改めて包んで食べています。
本当は、手を汚さずに海苔で包むことができる便利なアイデア商品のはずですが、母にとっては便利でもなんでもなく、ただの面倒くさい包みとなってしまっています。

かくいう、私も開け方は理解しているのですが、海苔をどうしても破いてしまいがちで、いつも海苔のかけらが落ちてしまいます。
特に、「2-3」の包みの角を引っ張る段階で、思いっきり海苔を引きちぎってしまうことが多いです。
ですから、最近ではとてもゆっくりフィルムを引き抜くようにしていますが、それでもやはり海苔がちぎれてしまうことが多いです。
最近では、海苔がちぎれるくらいなら、海苔シットリおにぎりを買おう、となってしまっていて、母に買ってあげる場合でも、海苔シットリか、あるいは味ごはんの海苔なしおにぎりを選ぶようになり、ほとんど海苔パリパリおにぎりを購入しなくなってしまいました。

老いと海苔パリパリおにぎりの包み
母が海苔パリパリおにぎりの包みを上手に外せないのは、老いも大きく関係しています。
まず、視力が悪くなっているため、開け口がすぐに見つけられないこと。
これは、普通の近視や遠視であれば、眼鏡やコンタクトレンズでカバーできますが、母は老化と病気のダブルパンチで、眼鏡をかけても、正直言って難しいです。
次に、指先が上手く使えなくなってきていること。
指先が上手く使えないので、フィルム「1」の「ベロ」を見つけられたとしても、上手に指でつまむまでに、時間を要するようになってきました。
麻痺があるというよりは、老いによる皮膚の乾燥だったり、脳からの伝達が遅かったりしているためだと思います。

歳をとっても、若い頃と同じように行動できる人も、たくさんいらっしゃる中、どうしても手指の自由が利かなくなってきてしまう人も大勢います。
また、若くても手指の動きに制限がかかってしまう人もいますから、よくよく考えたら、便利に思えている海苔パリパリおにぎりの包みも、もしかしたら逆に厄介な包みになってしまっているのかもしれません。

同じように、三角サンドイッチの包みも、母は鋏で大胆にフィルムを切って中身を取り出します。
何故なら、やはりフィルムの開け口になる「ベロ」の位置を探すのに時間がかかるからです。
かくいう私も、開け口となる「ベロ」を引っ張りながら、実はとてもサンドイッチが取り出し難いと感じています。
私が特別下手くそなのかもしれませんが、数回に1回は、パンの端がちぎれてしまいます。
まあ、サンドイッチの場合、日本はパンが柔らかすぎるということも原因かもしれませんが、海外旅行でサンドイッチを購入した時は、もっとシンプルな包み方で付いているテープを取るだけだったり、プラスチックパックに入っていたりしたので、開けるのに苦労した記憶がありません。
しかし、日本のスーパーやコンビニで販売している三角サンドイッチは、毎回なんとかきれいに開ける方法がないだろうか、と思いながら開けています(苦笑)

ユニバーサルデザインでいいモノがあれば
今回綴っている内容については、ほとんどの人が「そんなこと、大したことじゃない」と思っていることと思います。
私も、今のところの不満は、上手に開封できないという1点だけなので、不自由があるわけではないのですが、母のように高齢に伴い身体のあちこちが思うように動かせなかったり、高齢ではなくても身体の動きに制限があったりする場合は、この大したことじゃないことが、大きな負担やストレスになったりします。
また、判断力や認知機能になんらかの障がいがあれば、包みを開ける手順そのものが理解できないこともあります。

海苔パリパリおにぎりの場合、本当は手軽にすぐに食べられるはずのおにぎりが、なかなかフィルムを剥がすことができずに、いつまでたっても食べられないため、手軽に食べられる食べ物ではなくなってしまいます。
それって、なんだか違うような気がして、最近お店のおにぎりをみると、モヤモヤしてしまうようになりました(苦笑)

できることなら全人類がシンプルに開けやすく感じる包装方法や素材を使ってほしいのですが、衛生面などで制限がかかってしまうのでしょうか。
そういった法律や条例については、私も知らないので、偉そうなことは言えないのですが、パリパリ感を損なわないための包装方法が、もっと他にあったらいいな、と思ってしまいます。
高齢化社会になれば、おにぎりの包装が上手に開封できない年配者も増えるわけですから、そろそろ新しい形の包装材が出てきてほしいものです。


今回は、重要なことをさも難しく考えているような内容になりましたが、単純に母のような人が簡単に手軽に開けられる包装が増えてくれたらいいな、という気持ちがあったので、ブログに残しておくことにしました。
フォローをすること(開けてあげるなど)は、簡単なことです。
しかし、できるうちは自分でおにぎりの包みを開けて食べてほしいので、包みを作るメーカーやデザイナーが、母のように器用に包みを開けられない人間に、寄り添ってくれたらうれしいな、と思っています。

最近の母の食欲について

2020-09-23 | 母のこと
最近、母の食に関する変化を感じています。
本日は、その話を綴ります。

母の好きな食べ物
母が、よく食べたいというものは、

 ・鯖や鰯のぬかみそ炊き(じんだ煮ともいいます)
 ・煮魚(特に鯖)
 ・天ぷら
 ・ラーメン
 ・にぎり寿司
 ・マグロ(赤身)の刺身
 ・煮豆(特に金時豆の甘煮)
 ・漬物類(たくあん、なます、キュウリ、ナス)
 ・芋(じゃがいも、さといも)の煮っころがし
 ・さつまいも(調理方法は問わない)
 ・かぼちゃ(調理方法は問わない)
 ・パン(菓子パンやジャムを付けた食パン)
 ・3大粉もん(たこやき、お好み焼き、うどん)

こんな感じです。
どうも、葉物野菜はあまり好きではないようで、ほうれん草の白和えや葉物野菜のおひたしなどは食べますが、キャベツの千切りやレタスなどが入ったサラダは、残します。
私としては、熱を加えないサラダが一番簡単なので、できるだけ食べてほしいのですが、作り損になることが多いです。

母は、好きな料理があれば際限なくそればかりを食べてしまう癖があります。
こちらが分量に気を付けて用意しておかないと、他のおかずやご飯を残してでも、好きな料理を食べつくそうとしてしまうので、とても厄介で面倒くさいです(苦笑)

ところが、最近になって食に関することが少しだけ変わってきました。

残すようになってきた料理
以前は、鯖の味噌煮やぬかみそ炊きは、1尾をぺろりと食べてしまっていたのですが、最近は1尾出すと半分残すようになってきました。
また、揚げ物は基本的に好きなのですが、たくさん食べられなくなってきていて、2回に分けて食べたりします。
にぎり寿司も、最近は1人前を食べ切れずに、残してしまうことが多いです。

また、好きでも嫌いでもない料理については、味付けで残したり全部食べたりしています。
醤油味やみそ味は、食が進むようですが、塩味であっさりめな味付けは、必ずと言っていいほど残します。
ソース味は好きですが、ケチャップ味はあまり好みではないようです。
たまご料理については、玉子焼きやオムレツには箸をつけないことが多いですが、目玉焼きや煮物に落としたたまご、ゆでたまごは完食します。
ただし、おでんのたまごは残します。
たまごに関しては、親子なのですが、好き嫌いの基準がよくわかりません(苦笑)

食事全体に関しては、完食することが結構珍しく、例えば今夜の食事は完食しましたが、前日は残しました。
毎日、一体どんな料理を残して、何の料理だったら完食しているのか、気を付けて見ているのですが、今夜の食事を完食した理由として考えられるのは、甘辛醤油味だったことと、食感が柔らかかったことです。
母は、総入れ歯なのですが、特別に硬い食べ物は別として、草加せんべいなどをバリバリと食べてしまう人です。
ただ、最近は料理が硬かったり弾力があったりすると、食べにくさを感じているように見受けられます。
顎や歯の強さとは別に、もしかしたら飲み込む力が関係しているのではないかと、思い始めています。

食事中にむせる回数が増えた
今年に入って、母は食事中にむせることが増えてきました。
なるべく、むせやすい食材(すりごまのような粉っぽいモノや辛みが強いスパイスなど)を使わないように、使う場合は汁気を多くして、和らげるように心がけるようになりました。

それでも、ついうっかり使ってしまうと、決まって食事中にむせてしまいます。
年齢的にも、COVID-19への感染リスクの点でも、むせることによる肺炎を起こしては、大変なことになってしまうので、私が作る場合でも、デリカテッセンを買ってくる場合でも、むせなさそうな料理を選ぶようになりました。

これが老いというものか?
母は酷い偏食なので、もともと好きではない料理は、一口だけ箸を付けて、あるいは全く口を付けずに、あとは父や子どもに分けていました。
子どもの頃は、自分が我慢して子どもに食べさせてるのだと思っていたのですが、大人になってから、母は自分が食べられないから人に食べてもらっていただけなのだということがわかりました(苦笑)
まあ、ちょっと癖が悪いですよね。

最近は、本当に食が細くなりつつあるようで、大好きだった食べ物は、外食すると必ず残してしまいます。
ならば、なるべく少ない分量の料理を選んでくれたらいいのですが、自分の胃袋の許容量がわからないようで、たくさん取ったり、多めの食事を頼んだりしてしまいます。
まだ、若いつもりで頼んでしまうようなのですが、絶対に残すのだから、そのあたり自分でコントロールしてほしいな、と思っています。

1回の食事量が少ないためか、間食が多くて困ります。
きちんとした食事を残して、間食をしようとするので、やめさせるのが大変です(苦笑)
しかし、1回の食事量が少ないので、栄養バランスが取れていないのも事実ですから、間食するモノで栄養が取れるようにしておきたいな、と考えるようになってきました。
ただ、やたらと甘いモノやしょっぱいモノを好む人なので、間食にバランスを考えたおやつを用意しても、食べてくれない可能性は高いですね(苦笑)

適したおやつを探し中です
どうしても、母は身体に悪そうなおやつばかりを好むので、母が進んで食べてくれて、なおかつ栄養バランスが取れる健康的なおやつが、どこかにないだろうか、といつも探しています。
いまのところ、あられ系せんべい系で、カロリーや塩分が低く、糖質もおさえられた商品を買うようにしていますが、毎回それだと、さすがに飽きると思うので、もっとバリエーションがあったらいいのに、と思います。
近所のスーパーでは限界があるので、もう少しリサーチして、通販などもチェックしてみることを考えています。

最近は、健康を考えた菓子類も多く販売されているので、これだ!と思える商品がいくつかあったら、ローテーションして購入したいですね。

これからのこと
今後、もっと食が細くなったり、嚥下が難しくなってくることもあるでしょう。
介護となれば、料理を柔らかくしたりペースト状にしたりする必要も出てくるかもしれません。
そのときがくるかどうかはわかりませんが、備えておく必要はありますよね。
もしもに備えて、介護食の作り方も今から勉強しておこうかな、とぼんやり考えています。
基本的に、食事の支度はあまり好きではないですが、仕方ありません(苦笑)

私の祖母(母の母親)は、くも膜下出血で倒れ救急搬送されて3日後くらいに亡くなりました。
それまで、大きな病気をしたことがなかったので、突然の出来事で落ち着いてお別れをできなかった記憶があります。
祖母は倒れる前日までは、普通に過ごしていたので、食事も普通にしていたし、当時身体が弱っていた祖父の食事の用意もしていました。
祖母もそうですし、祖父も祖母がなくなった半年後に容体が悪くなって入院して、1年経たずに亡くなったので、最後に好物が食べられたのかな、と考えてしまうことがあります。
母は、糖尿病と心臓病があり、血圧も上がりやすいので、食事には気を付けなくてはならないのですが、やはり好きなモノを食べさせてあげた方がいいのかな、と考えることもあります。
もちろん、制限がある中で好きなモノを用意する日もありますが、毎日となるとやはり身体に悪いし病状悪化の原因にもなりますから、身体が衰えてくると食事もいろいろ考えなくてはいけないので、難しいですね。

これは、母だけの話ではなく、自分もいつか好きなモノが食べられなくなる日が来るかもしれないので、余計に真剣に考えてしまいますね。
最後の最後に、本当に好きなモノが食べられたらいいのにな、と思います。


本日は、母の食欲について、備忘録も兼ねて綴りました。
少し、話が重たくなったような気がします。
老いについて、いろいろと考えさせられる年齢になったのだな、としみじみ思うのでした。

うっかりしていた母の診察日(Short diary)

2020-08-08 | 母のこと
西日本では、早い家庭では今週からお盆休みに入っているかと思います。

我が家は、帰省する故郷はないので、遠方へ出かける予定はないのですが、母が服用している薬が、ちょうどお盆明け(今年は8月17日くらい)に無くなるので、病院を受診しなくてはいけません。
お盆明けだと間に合わないので、来週行かなければいけないのですが、うっかり14日に行く予定を立てていました。
14日は、お盆のど真ん中の日です(苦笑)
慌てて、海の日の翌日に受診日を変更しました。

特に予約は必要のない町医者なので、我が家の予定を変えるだけでOKなのですが、うっかりが過ぎましたね(苦笑)
Stay homeを心がける暮らしが長引いたので、完全に時の流れが掴みにくくなっています。
いや、歳のせいかもしれない...

何にしろ、気を付けなくては...

母を病院ヘ連れていく日の話

2020-07-17 | 母のこと
母は、薬が欠かせない病気のため、月に1度通院する必要があります。
今回は、母を病院へ連れていく日がどのような日なのかを、綴ります。

たくさんの薬を処方してもらいに行く
母は、糖尿病と心臓病(糖尿病の合併症)と貧血の薬が欠かせません。
おそらく、貧血以外は一生治癒することはないので、旅立つその日まで薬を服用することになります。
ですから、月に1度のペースで病院へ行き、診察を受けて、薬を処方してもらう必要があります。

現在服用しているのは、8種類で1日3回の服用が1種類、1日2回の服用が1種類あり、残りの6種類は朝だけ服用しています。
多いですよね(苦笑)
しかも、朝昼夕と飲む種類も数も違うので、管理が面倒くさいです。
今は私が管理していますが、このように薬が多いと、もし施設などに入居した場合、ヘルパーの方が大変だなあ、と思ってしまいます。
なんとか、薬が減らせたらいいのに、と思うのですが、こればかりは私にもどうしようもありません。

数日前から予告する
母は、直近の記憶をなくしがちなので、1週間前くらいから毎日、病院へ行く日にちを予告しています(笑)
何度も言っておくと、直近の記憶も残るようで、病院へ行く日は、私が何も言わなくても支度しています。
ただ、病院へ行った後は、病院へ行ったことを忘れてしまいます。

病院へ行く日だけでも、きちんと覚えておいてほしいので、予告だけはしつこくしています。
理由は、行く日に「さあ、行くよ」と言うと、予定していなかったことのため、行きたくないだの、身体がだるいだのと言い出して、ごねるからです。
子どもじゃないんだから、と思いつつも、老いとはこういうこと(わがままで自分勝手)なのかと、受け入れるようには努力しています。

マスクとアルコールでの手消毒の徹底
今のご時世、外出時のマスク着用と建物へ入る際の手消毒は、一般的なルールに変わりつつあります。
しかし、最近のルールなので、母は言わないと忘れてしまいます。
ですから、出かける間際に、マスクを必ず手渡します。
ハンカチやティッシュよりも、マスク優先(笑)
そして、病院へ着いたときと帰り際に、入口のアルコール液で消毒するように声をかけています。
なんだか、小さい子どもと一緒にいるような感覚です。
子育てと介護(やフォロー)は、似ている部分がありますね。

帰宅したらせっけんで手洗い
まあ、これは私が小さいころから習慣になっているので、あまり忘れることはないのですが、病院へ行ったことで母が物凄く疲れてしまうことがあり、そういう時は手洗いを省略しようとするので、一応声掛けだけはしています。
何もないときでしたら、一度や二度の手洗い省略は見過ごしてもいいのですが、今は絶対に忘れたらいけないので、徹底するように言い聞かせています。

薬を1日分ずつに分類
病院で受け取った薬は、家に帰ったらすぐに1日分ずつに分類します。
以前は、母が自分で管理していたのですが、今は一日の流れや時系列があやふやになってしまっていて、薬を飲み忘れてしまうので、私が管理して分類しています。
薬の種類が多く、私も混乱してしまうので、毎回1ヶ月分の薬を分類しています。
追加料金を払うと、1回分ずつに包んでくれるようなのですが、小さな町医者なので、頼んでいません。
割と時間を費やす作業なので、忙しくない日や時間を選んでいます。

病院へ行った日は手抜き料理
まあ、そうなりますよね。
手抜きというか、弁当や総菜を買ってきます(笑)
午前中に受診した場合は、その足でランチを食べに行きますし。
節約などとは、本当に縁遠い食生活です。
しかし、今は病院へ行く日くらいしか出かけさせないようにしているので、外食くらいはOKということにしています。
ちなみに、今日は朝一番で受診したので、コメダ珈琲店に遅めのモーニングを食べに行きました。


母を病院へ連れて行った日は、大体こんな感じです。
ご飯の支度は、以前はきちんとしていたこともあったのですが、最近は、病院へ行った日は外食かデリカテッセン(や弁当)にすると決めています。
そうすることで、時間のバランスと心身のバランスを整えるのが、マシュマロ流の家事なのです(笑)

月イチ母の病院通いと半年ぶりの眼科

2020-06-15 | 母のこと
本日も、絶賛更新遅延中です(苦笑)

母は、月に一度、内科を受診します。
また、半年ごとに眼科、今年の10月ころには脳神経外科で再診予定です。

月イチの内科
糖尿病と心臓、そして現在は胃のポリープ切除後の貧血が改善されているかどうかのチェックで、毎月内科を受診して、薬を処方してもらう母。
毎月貰う薬は、1ヶ月分しか処方してもらえませんから、どうしても毎月受診しなくてはなりません。
時に、それはとてもなく面倒臭く感じます(苦笑)
一応、主治医は1ヶ月きちんとあける必要はないと言ってくださいますが、薬の量が多く残薬の管理に混乱するので、いつも薬がなくなる1日前から3日前くらいに、受診しています。

もしかしたら、電話でのリモート診察も可能なのかもしれませんが、あえて通院しています。
理由としては、通院のために外出しないと、母は外出機会がほぼ奪われてしまうからです。
加えて、おそらく病院がいちばんCOVID-19の感染リスクが低いと思うからです。
我が家のかかりつけ医院は、待合室で待つ患者はせいぜい5人がMAX。
待合室の椅子は10人以上座れるのですが、そこがいっぱいになったのを見たことがありません(笑)
本日も、行ってみたら我々だけだったので、ソーシャルディスタンスも守れているし、何より衛生面では徹底している場所ですから、安心して出かけられる場所のひとつであります。
もしも、通院しているのが大きな総合病院だったら、リモート診察をお願いすると思います。

半年に一度の眼科受診
母は、白内障で両目を手術したので、半年に一度再診に訪れています。
本日、内科受診のついでに行ってきました。
経過としては、少しだけ出血が見られるとのことですが、日常生活に支障はないそうです。

眼科は内科と併設されているので、待合室には内科受診の患者と眼科受診の患者が入り混じっていますが、ほとんどが眼科の患者。
本日は、平日の午後だったので、年配の方が多く、私の母も含めて足腰がおぼつかない方が多くいらっしゃっていました。
もしも、自分が年老いて足腰がおぼつかなくなったとき、近くに病院があるというのはとても助かりますが、残念ながら眼科の場所は歩くと遠いです(苦笑)
いつも、母を車で連れていきますが、私が通うとしても歩くのは少ししんどい距離なので、近くに眼科ができるといいのにな、といつも思っています(笑)

10月は脳神経外科
脳神経外科は、昨年母の認知症を疑い受診した病院です。
初診で検査してもらった際は、認知症の傾向はみられないとのことでしたが、母のモノ忘れっぷりは、相変わらずです。
ただ、認知症が進んだ際の、例えばいつも使っているモノの使い方がわからなくなるとか、洋服の着方がわからないとか、そういった症状は見られず、忘れているのは経験したことや行動したことに限られているようです。

母は自分専用のティーポットを持っていて、いつもそれに白湯を入れて常備しています。
お湯は電気ポットから注ぐのですが、ときどきティーポットに何を入れていたのか忘れた、と言って私に聞きに来ます。
そもそも、ティーポットですから、好きな飲み物を入れて使えばいいモノなので、私は「好きなモノを入れたらどうか」と返すのですが、絶対的に入れていたモノ(白湯)があるはずだと確信はできている様子で、何度も何を入れたらいいのかを確認してきます。
少し意地悪をしてほったらかしておくと、無事お湯をたっぷり注いで、自分の部屋へ持って行っています。
それは、毎日というわけではなく、本当にたまにそういった行動になるだけなので、私も少し困っています。
そのうち、ティーポットに変なモノを入れ始めたら、いよいよだと思います。

相変わらず改善しないのが、自分の行動歴の記憶です。
ついさっき、自分が何をしていたのかを、すっかり忘れてしまいます。
テレビ好きなので、ほぼ一日中テレビを視聴しているのですが、毎日COVID-19関連のニュースを見ているにもかかわらず、繰り返し発信される感染者数を聴くたびに、初めて聞いたかのように驚いています。
ついさっきのこと、1時間前のこと、半日前のこと、昨日のこと、1週間前のこと、とにかく直近の行動は全て忘れている感じです。
しかしながら、かなり前に言ったことが記憶の隅から掘り返されるようで、今日は足の爪を切ってあげたのですが、以前忙しかったので後で切ってあげる、と言ったことを思い出し、それが昨日今日の記憶として認識しています。
まあ、当然、私の記憶としては、いったいいつの話だよ、というくらい前の話ですし、そもそも後で切ってあげると言ったことすら覚えていませんし(笑)

そんな感じなので、私自身もどう対応するのが正しいのか、よくわかりませんが、とりあえずこれは絶対的にアウトだろう、と思う行動をとり始めたら、本格的に覚悟しなくてはいけませんね。


ということで、本日は母の病院を2か所まわったので、少し疲れました。
当然夕飯は、テイクアウェイです(笑)
地元で人気のうどんチェーン店で、母には天ざるうどん、私は焼うどんを買って帰りました。
作らなくても食事ができるのは、非常に幸せです。
毎日、食事を作らなくて済むような生活、してみたいです(笑)