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マシュマロ’sエンディングノート

~At the end of a marshmallow-like life~

終活に向けて手放したことやモノの話

2020-09-22 | 終活(モノの整理、心の整理、社会的整理)
不要なモノを、いろいろと処分している私ですが、終活を意識して処分したモノもかなりあります。
今回は、その終活を意識して処分したことやモノのいくつかについて、綴ります。


ネット銀行
30代くらいまでは、ネットオークションを時々利用していたので、ネット銀行の口座を持っていました。
出品の経験も、落札の経験もありますが、どちらもネット銀行口座があると金銭の受け渡しがスムーズになるので、1口座だけ持つことにしました。
しかし、オークションのやり取りを続けるうちに、だんだんとやり取りや出品の手間が面倒くさきなり、いつの間にかオークションの利用をしなくなりました。

その後、しばらくはオークション用のアカウントとネット銀行口座を持ち続けていましたが、結局ネットオークション以外では、持っておくメリットが全くなくなってしまったので、まずオークション用のアカウントを削除しました。
それが、5年位前の話です。
しかし、ネット銀行口座は何かで利用するかもしれないと思い、残高8,000円程度をずっとそのままにしておいたのですが、終活を始めるにあたりネット銀行口座の存在は厄介だという自分なりの結論に至り、2年くらい前に解約しました。

ネット銀行口座の何が厄介だと思ったかというと、私が旅立った後に、存在を見逃されてしまう可能性が高かったから。
ほんの数千円ですが、放置しておくわけにはいきません。
一応、現在の法律では10年以上出し入れがなかった銀行口座の残高は、国庫に移動されることになっていますが、それでも本人もしくは親族への最終通知はあるらしいので、いずれにしろ後のお世話を頼む人に手間をかけてしまいます。
これが、実店舗がある銀行であれば、通帳やカードの存在さえきちんと管理しておけば、すぐに手続きしやすいはずですので、そういった手続きをするであろう人の手間を無くすために、ネット銀行口座を解約しました。

ネット銀行口座を解約した理由は、もうひとつあります。
それは、私がいつまでもネットを利用できる状態であるかどうか、予想がつかないからです。
もしも、私が認知症になった場合、パソコンやスマホの操作が難しくなるでしょうから、きちんとした管理はできなくなってしまうでしょう。
実店舗の通帳も、認知症になってしまえば成年後見人制度を利用するなどしなければ管理は難しいのですが、通帳が存在していれば、窓口で対応してもらうことになる分、犯罪などに巻き込まれていることに気が付きやすいはずですし、直近の出し入れの確認もしやすいはずです。

私が結婚していて、子どもがいれば、このようなことを考えることなく、子どもに銀行口座の状態を伝えておけばいいだけなのですが、配偶者も子どももいない現状では、なるべく私が残す金品については、手続きが簡単に済むようにしておく必要があるという考えから、まずネット銀行口座を解約しました。

ポイントだけを貯めるカードを処分
私がこれまで所有していたポイントが付くカードは、以下のとおりです。

 ・ANAとJALのポイントカード(クレジット機能なし)
 ・Tポイントカード(クレジット機能なし)
 ・nanaco
 ・ポンタカード(クレジット機能なし)
 ・各種クレジットカード
 ・スーパー専用のカード(電子マネー機能あり)
 ・交通系ICカード
 ・携帯キャリアの電子マネーカード

この他にも、アパレル関係や雑貨店のポイントカードなども多数持っていた時期がありましたが、今は全て処分しました。

つい先日、所有しているポイントカードを整理して、使っていないカードは切り刻んで廃棄しました。
廃棄したカードは、

 ・ANAとJALのポイントカード(クレジット機能なし)
 ・Tポイントカード(クレジット機能なし)

この2種類(計3枚)です。
また、映画館のポイントカード(3回鑑賞したら1回分の無料鑑賞券になるオリジナルカード)も持っていたのですが、COVID-19の流行により、映画館へ足を運ぶ機会がめっきり減ってしまったので、貯めるのをやめました。

航空系のポイントカードをやめた理由は、カード自体を使うことがほとんどなくなってしまったからです。
カードが出始めた頃は、チェックインする際に必要でしたので、毎回搭乗するたびに持ち歩く必要がありました。
しかし、今は航空便をネットで予約したら、支払いをしたクレジットカードさえあればチェックインできますし、QRコードやバーコードの取得でもOKな時代ですので、カードそのものは保管している場所から出すことがまずありません。
たまに必要になるのは、ID番号くらいですが、それもスマホやパソコンで管理しておけばすむことですし、万が一ID番号を忘れてしまっても、一般枠で航空券を買えば済みます。
ポイントに関しては、主に利用する航空会社が大手2社ではないため、ポイントがほとんど貯まらない状況ですし、搭乗ポイントにかんしては、ネットで申請できますから、クレジット機能が付いていないカードは必要ありません。

Tポイントカードも、クレジット機能が付いていないので、無ければないで何も困ることがありません。
以前は、利用していたガソリンスタンドがTポイントの提携店だったので、ガソリンを入れる際とTポイント提携の飲食店などでポイントを貯めていましたが、あまり外食をしなくなってしまってからは、まったくポイントが貯まらなくなりましたし、ガソリンスタンドも今は楽天ポイント提携店で入れているので、必要なくなってしまいました。
TSUTAYAでの利用も、私はレンタルをしないし、書籍もたまにしか購入しませんので、ガソリンスタンドで使わなくなった途端に、不要品になってしまいました(苦笑)
飲食店などで無理して貯めることも疲れてしまいますから、廃棄することにしました。

それから、今はまだ所有していますがnanacoカードも使うのをやめるつもりです。
以前はよくいくレジャー施設内で使えるので、遊びに行く際は必要な金額をチャージしておいて、施設内ではキャッシュレス支払いだけをするようにしていたのですが、その施設が交通系電子マネーも使えるようになってからは、交通系でのキャッシュレスに切り替えました。
交通系が使えると、往復の交通費にも使えるため、交通系電子マネーが1枚あれば財布の厚みも軽減します。
コンビニの利用頻度も、かなり低い生活をしているので、ポイントが貯まる前に失効期限が来てしまいます(苦笑)
ですから、今チャージしている金額を全て使い切ったら、廃棄するつもりです。
ただ、コンビニ利用頻度が低いため、なかなか使い切れずにいます(苦笑)

使わなくなった大きい家具
家具をかなり処分した際のことは、当ブログで何度も触れているので、内容の繰り返しになりますが、改めて備忘録として綴っておきます。

不要品をたくさん処分した結果、いくつもあった収納家具のほとんどが空になり不要になりました。
中には、親戚に譲ったモノもありますが、そのほかは全て粗大ごみとして処分しました。
最初に家具を処分したのは、20代後半でしたが、2年くらい前からできるだけ家具を減らしていこうと考え始めました。
終活を意識するにあたり、私の場合は家具をとにかく減らさなければいけない、という感じで自分自身を追い込むようにしています。
理由は、今であればまだ身体が動くからです。
大型家具は無理ですが、隙間収納や小さな収納であれば、ひとりで運ぶことも可能な今のうちに、とにかく処分できる家具は全て処分しておきたいです。

昨年から今年の初めにかけて、大型家具は良心的な便利屋の方にお願いして処分してきたのですが、数か月前に廃業してしまわれたので、今後はできる限り自分で何とかしたいと思っています。
無理せず、別の業者を探せばいいのでしょうが、廃業してしまった便利屋が本当に良心的な金額で引き受けてくださっていたので、今後は節約の意味でも、なんとか自分で運び出すことにしています。

現在、家の中に残っている家具で、自分で運ぶのが無理そうなモノは、ソファくらいですね。
他の家具は、以前1年間だけ家具店でバイトをしていた経験から、なんとか工夫すれば運び出せそうです。
冷蔵庫も大きいし重たいので、持ち出しは難しいですが、現時点で手放す気はないので除外です。

私の人生計画では、母が先に旅立った後に、

 ・母が使っているローチェスト
 ・母が使っている隙間収納棚
 ・母が使っているリビングテーブル
 ・母が使っているテレビとテレビ台
 ・ソファ(主に母が占領している)
 ・押し入れ用タンス
 ・食器棚
 ・洋服ラック2台
 ・リクライニングチェア(母のお気に入り)
 ・和室用の椅子(オットマンとしても使える)

これらを処分するつもりでいます。
また、買い替えを計画しているのが、

 ・ダイニングテーブルと椅子のセット
 ・レンジラック
 ・冷蔵庫

ダイニングテーブルは、現時点でガタがきているので、母が旅立つのを待たずに買い替える可能性が高いです。
レンジラックは、食器とオーブンレンジが置けるような仕様のモノに買い替えたいです。
もしくは、私の自室で使っている、父が手作りした棚を転用してもいいかもしれません。
冷蔵庫は、今使っているモノよりもサイズダウンする予定です。
ただ、こちらも10年以上使っているので、そろそろ寿命かなと思いますので、本格的に故障したら即買い替えます(笑)

老後に残す家具として考えているのは、

 ・私のベッド
 ・私の机(雑作業用)
 ・冷蔵庫
 ・オーブンレンジとそれを置く収納家具
 ・洗濯機
 ・調理台になる机かテーブル
 ・パソコン

こんなところでしょうか(一部家電品が混ざっています)
テレビと録画機器は、いずれ手放すつもりでいます。
これは願望でもあるのですが、あと10年もしないうちにカスタマイズなしで、パソコンやモバイルですべての地上波視聴が標準装備になるような気がするので、テレビ本体は廃れていくような気がしています。
もし、そうならなかったとしても、現状私はケーブルテレビの番組をみる時間が多いので、いずれはテレビを手放してネット配信の番組視聴に切り替えようと思っています。

動けなくなってしまう前に
一応、私は少しでも長く自分で考えて自分で動けるように努力するつもりでいますが、年齢的にいつ何が起こるかわかりません。
ですから、終活(生前整理の意味も含めて)は思い立ったときにすぐ着手しておきたいと思っています。
なかなか、思い通りにいかないときもありますが、今突然私に何かがあった際に、少しでも後のことを頼む人が困らないようにはしておきたいので、毎日何をどうすればよいか、考えています。
体調さえよければ、家のメンテナンスもしますし、不要品が見つかれば(ある日突然、使っていたモノが不要品に見えることもあります)分別のことまで考えて、処分しています。

まだ先が長いのに、生前整理をするなんて寂しいからいやだ、と思う人もいるようですが、私は自分が必要としていなかったモノを、サクサクと処分していくと、気持ちがさっぱりして、清々しい気持ちで老後を迎えられるような気がしているので、今後も身体が動かなくなるまで、自分で考えられなくなるまで、終活は続けていくつもりです。


今回は、これまで処分してきたモノを振り返りつつ、終活への自分の気持ちを再確認しました。
まだまだ、思うようには手放せないことも多いですが、気楽に暮らす老後のために頑張っていきます。

恒例の捨て曜日に処分するモノ

2020-06-01 | 終活(モノの整理、心の整理、社会的整理)
明日は家庭ごみの回収日なので、本日は捨て曜日です。
今回処分するモノと、改善を試してみた収納の話を綴ります。

迷ってできなかった写真を処分
以前、自分が写っている写真(中学生以降の写真)や、自分で撮影した風景写真などの大半を処分したのですが、一部自分で撮影した写真で、処分できなかったモノがあり、本日やっと決心がついて処分することにしました。

処分をする気になったのは、とある動画を見ていて、過去の思い出に執着すると、思考を過去にとらわれてしまう、というようなことを話しており、今の私もそうかもしれないな、と思ったからです。

前回のブログでは、デジタルカメラを処分することにした、と綴ったのですが、デジタルカメラも写真も、過去の思い出がしっかりと絡みついたモノ。
しかし、今後いつ撮影を再開するかもわからないカメラを持ち続けるよりは、きちんとしたカメラで撮影がしたくなった瞬間に、気に入るカメラを探しに行くほうが、自分にとっては絶対にいいはずなのですよね。
だって、明らかに性能が違うし、以前から持っていたカメラよりもきれいに撮影できることは、間違いないですから。

そう考え出したら、今度は処分するカメラで撮影した写真も、その時は自分なりにいい写真が撮れたと思っていましたが、今見返してみたら、ピントが微妙だったり、構図がいまいちだったりして、いつまでも持っておくほどいい写真ではないかもしれない、と思うようになりました。
そして、写真は一瞬を写したモノかもしれませんが、自分の中では好きな番組を録画している感覚に似ていたのかな、とも思っています。
一度LIVEで見た風景や人物を、後からもう一度見返すためのツール。
それが、写真なのかな、と思い始めたら、自分でその風景や人物の表情に満足した時点で、もう持っておく必要はないように思えてきました。

録画した番組は、よほど気に入った内容でない限りは、視聴し終わったら消すようにしています(以前は、いつまでも消さずにいましたが)
写真も、その感覚でいいのではないかな、と思うようになりました。
番組も、写真に写る風景も、しょせんは過去のモノ。
大切な思い出がたくさん詰まった写真は別として、いつどういうシチュエーションで撮ったのか思い出せないような写真は、きっともう手放していいモノですし、それを見返すことは何年もありませんでしたから。

見直した収納方法
私や母の癖として、細々したモノをポーチやジッパー付きビニール袋へ入れる保管方法があります。
同じような人は、もしかしたら案外多いかもしれませんが、ふと気が付くと、引き出しのあちこちにポーチや袋があり、さらにその中に“何か”が入っている状態になっています。

それらが、引き出しだけでしたら、引き出しの中を整理して、細々した不要品を処分すればいいだけなのですが、私は以前はよく旅行に出かけていて、いちいち旅行用の準備をせずに済むように、旅行時に必要になるモノを、キャリーケースや旅行用の大きなリュックへ入れていて、それらは小さなポーチやジッパー付きビニール袋に入れていました。

今年は、家庭の事情に加えて、外出自粛要請や緊急事態宣言もあって、半年以上旅行には行けず、キャリーケースやリュックの出番がない状態となっていました。
よくよく考えてみたら、旅行に必要といいながら、実は持って行く必要のないモノも入れているような気がするし、何よりもいろいろなモノを細かくカテゴライズして、ポーチやジッパー付きビニールに入れています。
今回は、しばらく旅行する予定もないし、キャリーケースやジッパー付きビニールに入れっぱなしにしていたモノを見直して、ついでに収納方法も見直すことにしました。

私が旅行の際にだけ、持っていくモノの中に、カトラリー類があります。
折りたためるスプーンとフォーク、プラスチック製のフォークとナイフ、割り箸、普通の箸、そして今まではプラスチックのコップも入れていました。
実を言うと、旅行用といいつつエマージェンシーバッグの役割も考えていて、ちょっとした衛生用品やソーイングセット、筆記用具なども入れており、自分の身元がわかるようにと、期限切れの免許証なども入れていました。
ただ、これらを毎回旅行の度に持って行くのも、なんだかなあ、と思うようになり、今回はとりあえず旅行に必要のないモノは、出すことにしました。

出したのは、ムダに数が入っていたジッパー付きビニール袋(笑)
これは、災害時であれば、活躍すると思うのですが、旅行となると必要になったら買えばいいので、入れておく必要はないかな、と。
それから、プラスチックのコップも出しました。
宿泊施設によっては、備え付けのカップが汚かったりするので、念のためコップも入れておいたのですが、これも紙コップを買えば済むことなので、要りません。
筆記用具も、出しました。
災害時は、スマホが使えない場合があるので、持っておいた方がいいのですが、旅行先では必要ありません。
それから、ソーイングセットを処分しました。
これも、何かしらの役には立つと思いますが、今まで活躍したのは小さな鋏だけ。
旅行先でボタンが取れたところで、ボタンがなくなってしまったら、もう新しく買い替えた方がスッキリするので、付け替えることもしないと思いますし、なくても困らないような気がするので、一旦処分します。
もし、必要だと思えば、また買います。

逆に、入れたままにしているのが、カトラリー類と洗面時に使える衛生用品(綿棒、コットン、コンパクトタオル、ティッシュ)と、使い捨て下着、そして期限切れの免許証です。
あと、テレフォンカードも入れています。

カトラリー類は、以前コンビニで食べ物を買った際に、カトラリーを貰い忘れて、手づかみで食べる羽目になったことがあったので、それだけは避けたいし、いざというときに割と使えるアイテムです。
衛生用品の中でも、綿棒とコットンはケガをした際にも使えるので、入れておきました。
ちなみに、コンパクトタオルというのは、圧縮されていて水分を含むと広がって不織布のタオルになる、という商品です。
私は、100円ショップで購入し、海外旅行へ持って行きました。
使い終わったら捨てられるので、長時間の外出時や少し長めの旅行では、洗濯する手間を減らせて便利です。
使い捨て下着は、実を言うと使い古した下着を数枚、捨てずに取っておいて、旅行時に使い終わったら捨てています。
もちろん、中身が見えないようにして捨てますよ。
期限切れの免許証は、先ほども書きましたが、身分がわかるモノとして入れていて、テレフォンカードは万が一スマホが使えなくなった場合(電波障害など)に、公衆電話を使うためです。

このような感じで、まずキャリーケースの中を見直した後、旅行用リュックの中を整理して、今はリュックに旅行用グッズを入れた上で、キャリーケースの中にそのリュックを入れています。
これは、収納スペースを有効に使いたいと思ったからで、旅行の準備の際には少し面倒にはなりますが、今後改善しながら、また収納方法は考え直そうと思っています。

処分するとわかること
結局、今回の捨て曜日は一番大きなサイズのごみ袋がいっぱいになりました(苦笑)
写真を保管していた箱や、ポケットファイルフォルダーが要らなくなったので、その分カサが増しました(笑)
しかも、写真は紙なので割と重いです。
実は、書類も整理しようと考えていたのですが、今回は処分するモノが多くなってしまったので、違う機会に見直します。

今まで、どうしても手放せなかったモノを、決心していざ処分することにすると、あっという間にごみ袋が埋まります。
そのごみ袋を見て、また重たさを感じて、いつも思うのは

「これを、他人に片付けさせなくてよかった」

ということです。
他人にとっては、どうでもいいくだらないモノを、重たい思いをしてごみ袋もたくさん用意させて処分させるのは、さすがに心が痛みます。
そして、私自身の所有物を処分していてるのに、なんでこんなにあるの?なんでこんなに重たいの?と、自分で自分に愚痴りたくなります(苦笑)

処分するまでは、いろいろな葛藤がありますが、いざ処分するときになると、自分自身のことであっても、何故早く捨てなかったの!という思いと同時に、割とスッキリ感があります。
このスッキリした感覚があるということは、深層心理の中に「処分したい」という気持ちが眠っていたからに他ならないと思っています。
もちろん、処分しなければよかった、と思うモノもあるとは思うのですが、今のところ、これまで処分してきたモノに対して、もう一度手元に戻したい、と思ったことは一度もありません。
モノを処分しても、意外と後悔しないのは、私の中で将来の目標が決まっているからだと思います。
(老後は、必要最小限のモノしか残さない、という目標)
もし、どうしても処分できないモノがある人は、自分の将来の目標や夢を考えてみて、それの達成や実現には影響なさそうだと思えるモノは、一度手放して見るのもおススメです。


ということで、今回は捨て曜日に捨てたモノの備忘録と、収納の見直しについて綴りました。
収納の見直しは、まだまだ納得ができる形になっていないので、もう少し頑張って収納計画を立てようと思います。
それには、やはりこまごました不要品を、まずはしっかり処分しなければいけませんね。
次の捨て曜日、また頑張ります(笑)

捨て曜日を前にデジタルカメラとカメラ周辺機材を処分

2020-05-31 | 終活(モノの整理、心の整理、社会的整理)
スポーツ観戦(LIVE)しながら、プレー中の写真を撮るのが好きだったのですが、いろいろ考えた末、一度カメラを処分して手放すことにしました。

カメラで撮るのはスポーツと風景
スポーツ観戦をしながら、写真を撮るようになったのは、知り合った友人の影響が大きいのですが、気が付くとスタンドでカメラを構えている人は割と多く、そういったことも刺激になり、20年以上スポーツのプレーシーンを撮っていました。

初めて私専用のカメラを買ってもらったのは、中学生の時。
新入生歓迎遠足で、友達と写真を撮りまくったことを覚えています(笑)
以後、遠足や修学旅行はもちろん、友達と遊びに行く際も、自分のカメラを持参して、スナップ写真や風景写真を撮るようになりました。

社会人になってからは、風景とスポーツを中心に、たくさんの写真を撮ってきたのですが、少し前に終活の一環として、プリントしたモノのほとんどを処分し、デジタルデータが残っているモノだけ、クラウドサービスに預けることにしました。
以前も、少し触れたのですが、今プリントされている状態で残っている写真のほとんどは、父が撮影した家族写真と、両親が持っていたそれぞれの家族の写真です。
私が撮影したモノは、ほんの少しだけ残していますが、それもいずれは全て処分するつもりです。

最近はスマホで撮る画像ばかり
スマホを持ち始めてから、カメラをわざわざ持ち出して撮影する機会が減りました。
それでも、写真を撮ることは好きなので、気になる風景に出会うとスマホのカメラレンズを向けてしまいます。
それらは、撮影したその日にクラウドサービスに預けて、本体には残さないようにし、プリントもしません。

以前は、カメラや携帯電話で撮影した画像は、すべての人にメール添付やSNSを利用した共有ができるわけではなかったので(機能の話ではなく、扱う人の知識や経験や技術が伴っていなかったから)、私の機種で写した画像を、相手にプリントアウトして渡す必要があったりしましたが、今は全て電子ファイルでの共有が可能なので、もう何年もプリントはしていないですね。

ふと気が付くと、持っているデジタルカメラは、もう2年くらい使っていませんでした。

撮りたい気持ちはあるのだけど
写真を撮ることは好きなのですが、この2年ほどは撮影に出かける気力が少しも湧きませんでした。
スポーツ観戦する際も、カメラを構えるより、試合に集中したい気持ちが勝ることが多く、出かける直前まで迷うのですが、結局カメラは持参せずに出かけていました。

どうしても、画像に収めておきたい一瞬がある場合は、もう全てスマホカメラで撮影しています。
望遠機能は、カメラに劣りますが、普通の画像であれば、きれいに撮れますから、特に不満もありません。
そんな感じなので、撮影するためだけにカメラや三脚を準備して、外出することをしなくなってしまいました。

ずっと考えていたデジタルカメラの処分
私が持っているデジタルカメラは、見た目が一眼っぽいコンパクトデジタルカメラです。
正直なところ、まったくコンパクトではないのですが(笑)
一眼ほどではないですが、ズーム機能が優れているので、技術のない私でもまあまあの画像が撮れます(笑)

しかし、コンパクトデジタルカメラであることには変わりがないので、もし下取りや売却をする際は、二束三文以下。
場合によっては、無料で引き取ってあげてもいいですよ、と言われかねないモノです。
購入価格を考えてしまうと、手放し方が実に悩ましいのですが、私が知る限り下取りをしてもらえたとしても100円、メルカリやジモティーなどであれば、多少の言い値で売却も可能かもしれませんが、そのような手間は嫌いです(笑)
また、自治体が実施しているデジタル機器等のリサイクルに出すことを考えたのですが、私が持っているデジタルカメラは微妙にサイズオーバーでした。

さて、どうしたらよかろう?と悩み続けていたのですが、結局廃棄することに決めました。
環境問題の観点からすると、廃棄しない方がいいのですが、引き取ってくれる人を探す時間が面倒くさいので、思い切ることにしました。

一度リセットしてみることに
カメラに関しては、自分が所有すること自体を一度リセットしようと思いました。
というのも、2年間もカメラは持ち出さず、心のどこかでは、いつかいつかと思いながら、結局月日だけが過ぎていたので、もしかしたら、もう私にはカメラは必要ないのかもしれないな、と思ったから。
とはいえ、スマホでは撮るわけですから、私にとってはそれで十分なのかもしれない、と。

もし、またどうしても必要になったら、その時は躊躇なく新しいカメラを買えばいい。
新しく買うときに迷うようであれば、それは必要のないモノだし、今もカメラを持っておく必要がない状態なのだと、やっと自分を納得させることができました。

これまで、サクッと手放せなかったのは、写真を撮りたいという気持ちがモヤモヤと残っていたからです。
しかし、使わないカメラを持っていても、意味がありませんよね。
もっと早くに手放す決心をしていたら、売却することもできたし、買う人にとっても比較的新しい状態で手にできたはずなのに。
いろいろな事を考えると、一度カメラは手放して生活してみた方がいいな、と思いました。

実はiPhone11Proがほしい
カメラを手放す気になったのは、iPhone11Proを買おうかな、という気持ちも理由のひとつとしてあります。
スマホでの撮影が増えた今のライフスタイルだと、カメラ機能が上がったiPhoneに買い替える方が、新しいデジタルカメラやデジタル一眼を買うより安上がりだと思いますし(スマホとしての価格は高いですが)、モノが増えない点でも選択肢として正しいかな、と思っています。

まだ、今使っているiPhoneが使える状態なので、次世代機種(5G)の選択肢が増え始めたら、11Pro以降の機種への変更を検討するつもりです。


カメラを手放すことにしましたが、おそらく私のこれからの暮らしには、影響しません。
手放すにあたって、三脚やカメラの入れ物も不要になり、一緒に廃棄することにしました。
カメラ以外にも、小さいモノをごみ袋へ入れ、気になっていたモノが減りスッキリしました。
まだまだ、モヤモヤを感じるモノはあるのですが、それらもサクッと処分して、もっとスッキリしていこうと思います。

なくても困らないモノの残し方(大切な人のモノ編)

2020-05-25 | 終活(モノの整理、心の整理、社会的整理)
なくても困らないモノの残し方、今回で一応一段落です(笑)

前回の『頂きモノ編』をアップした後、やはり頂きモノは基本的には残したらいかんと思うから、わざわざ残し方について綴る必要はなかったな、と思いました(笑)

ということで、今回の残し方は『大切な人のモノ編』です。

※前回までの3記事は、以下にリンクを貼り付けています(タイトル『』をクリック)
『なくても困らないモノの残し方(趣味のモノ編)』
『なくても困らないモノの残し方(思い出のモノ編)』
『なくても困らないモノの残し方(頂きモノ編)』前回
『なくても困らないモノの残し方(大切な人のモノ編)』←最後のテーマはコレ

『大切な人のモノ』とは
大切な人のモノって、定義がかなりあいまいで幅広いですよね。
ただ、大切に思える人というのは、関係性が一番強くかかわってくると思っています。
今回、前提として『大切な人』を、以下のような関係性の人たちとして、話を綴りたいと思います。

『大切な人』とは
 ・家族(血縁関係に拘らず、家族の形となっている関係の人)
 ・恋人や配偶者
 ・親友
 ・親交がある尊敬する人物

ざっくりと4つの関係を想定しています。
ただ、どの関係をとっても、あやふやでいつ崩れるかわからないのが人間関係ですから、あくまでも話を進めるにあたっての定義といたします。
なお、全く親交のない尊敬する有名人や著名人は、今回外して考えます(カテゴライズは、私の場合『趣味のモノ』にしますね)

さて、本題ですが『大切な人のモノ』が現在手元にあり、処分しようかするまいか、悩んでいるモノがありますか?
また、何故手元にそれがあるのですか?

やはり最初はカテゴライズから
前々回に綴った『思い出のモノ』は、今回の『大切な人のモノ』と少し重なる部分があります。
互いの贈り物や、一緒に購入したり作ったりしたモノなどは、思い出の品でありながら、大切な人のモノでもあったりしますので、どちらにしようか迷う場合は、フォーカスするのは人物なのかモノなのかで、決めていいかもしれません。

大切な人のモノを思い浮かべたとき、私の場合は以下のようなモノを想像します。

 ・遺品
 ・相手の家族のモノ(家族ではない大切な人の場合)
 ・相手から託されたモノ(大切に持っていてほしいと言われたモノ)
 ・相手が大切にしているモノだと知っているモノ(身に付けていたり、毎日手入れをしていたりするモノ)
 ・相手が手にしたときに喜んだモノや気に入っているモノ

もちろん、所有品全てが『大切な人のモノ』になるわけなので、1つや2つで済むわけはありませんし、上記のようなカテゴライズで収まるわけはありません。
しかし、いざ片付けてモノを減らすとなると、大切な人のモノだからという理由だけで持ち続けるのは難しいのも現実ですから、気持ちの上では厳しい判断かもしれませんが、気持ちに整理が付いたら、まずはカテゴライズから始めてみたらいいかな、と思います。

まずは相手の気持ちを知る
大切な人のモノを片付ける立場になったとき、その人がまだご存命であり、意思決定ができる状態であれば、必ず相談から始めましょう。
自分に用がなくても、相手は一生大切にするつもりかもしれませんから。
そして、相談した結果、相手が処分を迷った場合はそのまま残し、数日あるいは数か月してから、また同じ相談を持ち掛けてみましょう。

私の経験から言うと、人から言われて処分を迷うモノは、大体時間が経つと手放せるようになります。
他人から、処分するかしないかを問われると、きっと客観的な視点が本人に生まれるのだと思います。
私が、頻繁に片付け動画を見るのも、そういう効果を期待してのことです。
実際に、片付け動画を見たおかげで、処分する決心がついたモノもありますから。

ですから、今生きて生活をしている人のモノは、必ず所有者本人にしっかりと確認するところから始めて、そのあとの行動に移りましょう。
もし、それが面倒だと感じる場合は、日ごろからお互いのモノをそれぞれの判断で処分してもよい、というルールを決めておいたらいいかもしれません。

例えば、独立した子どものモノ。
実家に、大量のモノを残す子どもはたくさんいます。
親からしてみれば、大切な子どもが残しているモノは、全て大事だと思ってしまい、いつまでも置いたままです。
また、親や配偶者が施設に入所した場合も、同じことが言えます。
施設には、限られたモノしか持って行くことができないので、おそらく大量の私物が家に残り、不要品を見分けることは本人以外は難しいことが多いです。
子どもの場合も、大人の場合も、もし本人が家からいなくなり、一部の私物が残るのであれば、事前に話し合いをしておくことが必要です。

では、ここからは、相手の気持ちがきちんと把握できた後の、モノの残し方について、私見を並べていきます(笑)

子どものモノの残し方
親にとっては、子どものモノはどんなに見た目がガラクタやごみに見えても、すべてが大切なモノですよね。

とある既婚の女性タレント(子だくさんなご家庭)と、スポーツ選手の母親が、生まれて初めて取れた耳垢や鼻くそさえもいとおしいから保管したい(している)と、テレビで言っていました。
正直なことを言うと、子どもを持たない私は「不衛生すぎる」と、まず衛生面が気になり、まったく共感できませんでしたが、本人たちはいたってまじめに語っていました。

このように、大切な子どものモノは、すべて持っていたいと思う場合でも、よほどの豪邸に住まない限りは保管が難しいので、いつか減らさなければならないときがやってきます。
そんな時は、今までのようなカテゴライズでは、納得して処分するのは到底ムリでしょうから、本人が絶対に取って置いて、といったモノだけを残す努力をお願いします(笑)
そして、もう誰しもが同じことを言うかと思いますが、処分すると決めたモノに関しては、画像を残しましょう。
何なら、動画でもいいですよ。
動くおもちゃなどは、動かしているところを動画に収めて、あとはクラウドサービスに保管しましょう。
これで、実体を処分したとしても、画像や動画は残りますから、気持ちとの折り合いも付きやすいですね。
耳垢も鼻くそも、衛生面が気になるので、画像で残してください(笑)

施設に入った家族のモノの残し方
必要なモノだけを施設に持ち込んだら、家に残っているのは本人にとって実質不要品です。
しかし、家族は本人ではないので、自分のモノ以上に判断を迷うと思います。

この場合も、まずは本人が残しておいて、といったモノだけにフォーカスして残したらいいと思いますが、高価な品物だったり、自分が家族と過ごした際の思い出の品などが見つかったりすると、手放し難いですよね。
ですから、この場合は自分の気持ちが割り切れるようになるまで、まずは待ちましょう。
そして、片付けたい気持ちが強くなってきてから、片付けに着手してください。

子どものモノと違って、大人のモノは、全て画像に残すのはどうかと思います。
だって、本人が使っていた下着とか部屋着を画像で残しても、見返さないでしょう?(笑)
ですので、最初はまず、これは買い替えができないな、と思えるモノを残しましょう。
理由は、後先考えずに処分してしまったら、後悔の念が大きいからです。
自分のモノであれば、後悔してもあきらめがつきますが、家族のモノだとどうしても、処分してはいけなかったかもしれない、といつまでも気になってしまいます。
ただ、日常的にどこにでも売ってそうなモノは、処分してしまって怒らせたり悲しませたりしても、新しいモノを買ってあげたら機嫌もよくなると思いますので、本人が特別に思っていないモノに関しては、それでいいと思います。

ただし、いつでも買うことができるモノでも、配偶者の形見だったりする場合は、絶対に他者が処分してはいけませんから、所有者本人への相談は必須です。

大切にしてね、と言われたモノの残し方
これ、意外と難問なのですよね(笑)
宝石や金、骨とう品や美術品などのように、いずれ資産として運用できるモノであれば、迷わずに済むのですが、そうではない場合が、本当に難しい。

具体例として、昔女友達と議論になったことをお話ししますね。
そのときの議論は、

 「元彼に貰った指輪を、手放すか持ち続けるか」

でした(笑)
ひとりは、今の彼に申し訳ないから、人にあげたり売ったり、価格がそれほど高いモノでなければ捨てる、と言いました。
ひとりは、私が貰った時点で私のモノだから、気に入っていれば持ち続ける。
高価なモノであれば、いつか売却してお金にもなるから、持ち続けると(笑)
どちらが正解かは、私もわかりませんが、どちらの意見も尊重できるのは、元彼から貰った指輪やアクセサリーは、売却するのが一番、ということかな(苦笑)
ちなみに私は、別れが確定した時点で、元彼に返却します。
本人が拒否しても、無理やり返します(笑)

まあ、どのみち元彼に未練が残っていない場合の話ではあるのですけれどね(笑)
でも、もし未練が残っていた場合は、どうしますか?
おそらくですが、それは当然、手放せないと思うので、まあ気持ちの整理が付くまでは、目につかないところに保管しておいて、としかアドバイスできないかな。

恋人ではなく、友人や尊敬する人物から貰ったり預かったりしたモノも、最終的な判断を自分に託されたら、これもまた残すか処分するか、難しいですよね。
いずれ必ず返してくれ、と言われているのなら残しますが、そうではないモノ、例えばお互いの記念品として同じモノを持っておきましょう、となった場合などですよね。
しかし、自分の中ではもう思い出だけで十分になっていて、モノは残っていなくてもいいかもしれません。
こういう場合は、相手に忖度するかどうか、というところかと思いますが、処分した際の後悔の度合いが大きそうなうちは、残しておいた方がいいでしょうね。

でもまあ、いずれにしろ、今生きている人のモノは、本人に確認する勇気を持つのが、一番の解決方法ですね。

遺品の残し方
これも、故人を偲ぶとなかなか残すモノと処分するモノの判断が進まないと思います。
私の場合は、他界した父のモノがこれに当てはまるわけですが、基本的には何も残さなくていいと、自分は思っています。
しかしながら、母は違いますから、母の希望したモノだけを残している状況です。

遺品の価値は、金銭的なことだけにとどまりません。
故人との思い出がたくさん詰まったモノは、処分したくないですよね。
ですから、まずは、誰の基準でモノを残すか、を遺族間で話し合いましょう。
遺族全員の希望を聞いてしまうと、結局ほとんどのモノが残る事態になってしまいますから、まずは誰の意見を尊重するか、を決めましょう。
そして、その人物が決まったら、その方が希望するモノだけを残しましょう。
(ただし、かなりの時間をかけて話し合うことになる覚悟は必要)

それは、母親かもしれないし、故人の長子かもしれないし、故人の兄弟姉妹かもしれないし、いろいろなパターンが想定されますが、もし自分に決定権を任せられた場合は、次のステップとして、自分の価値観を再確認しましょう。
価値観とは、すなわち故人との思い出を優先するか、モノの市場価値だけにフォーカスするか、という部分です。
ここがブレると、残さなかったモノに対して後悔と未練が生まれてしまいますから、心を無にしてドライな心情で市場価値に目を向けるか、故人との思い出を遺品と共に残しておきたいと思うのかは、はっきり自分の中で決めておきましょう。
自分の価値観さえ確認できれば、あとは残すモノを大切に保管したり飾ったりすればいいだけです。

と、まあ、言うのは簡単ですが、そこに至るまでのプロセスは、かなり大変ですよね(苦笑)
ただ、遺品に関して私が言えることは、本人の意思は確認できない、ということ。
生前に、何かしらの意思を示していたモノであれば、それに従えばいいですが、そうではないモノは、今生きている人が判断していかなくてはなりません。
そして、もし、その遺品が原因で、生きている人たちの暮らしが荒れてしまうようであれば、モノを残しておく必要はないのかな、と思います。
モノが原因で、問題が発生しているのであれば、モノは早めに手放した方がいい。
そうしないと、今の自分の人生を楽しむ時間が削られてしまいますからね。
亡くなった人に気を遣って、今の世が生きづらくなるのは、どうなの?と思うので、もしも、思い出だけで十分だと思うのであれば、その記憶だけ残したらいいと思っています。


さて、これで4つの記事に分けた『なくても困らないモノの残し方』シリーズは、一応終了なのですが、私的には、モノを残す場合でも処分する場合でも、持ち主本人の意思を優先したらいい、という結論です。
自分以外の人の所有物について、あれこれ悩むのは、はっきり言って時間のムダだし、人生のムダにもつながります。
自分で判断できないモノは、とにかく持ち主や託してきた人に確認する。
故人であれば、故人のモノの要不要を判断する人を1人だけ決める。
自分に決定権があるのなら、自分が決めたルールで残すモノを選別する。
処分できないのなら、まず残すモノを決める。
いずれ、残したモノを手放すときも来るでしょうから、うじうじ悩むのならはっきりした意思で残したらいい、そんな風に思っています。

なくても困らないモノの残し方(頂きモノ編)

2020-05-24 | 終活(モノの整理、心の整理、社会的整理)
マシュマロ流モノの残し方、第3回目です(笑)

『なくても困らないモノの残し方(趣味のモノ編)』前々回
『なくても困らないモノの残し方(思い出のモノ編)』前回
『なくても困らないモノの残し方(頂きモノ編)』←今回はココ
『なくても困らないモノの残し方(大切な人のモノ編)』

尚、前回の記事で1回目のリンク先が間違っていたので、貼りなおしております。

では、本題(笑)

頂きモノはどれくらいありますか?
ということで、今回は頂きモノの残し方を綴るのですが、一応定義としては、記念日や特別なシチュエーションでの贈り物に関しては前回の『思い出のモノ』にカテゴライズし、今回は「なんとなく貰ってしまったモノ」を『頂きモノ』としてお話ししますね。

私が私物や家の中のモノを片付けていた際、自らの意思で購入あるいは手に入れたモノ(有料無料関係なく)と、なんとなく頂いてしまったモノの比率が、5:5あるいは4:6で、頂きモノのほうが割と多かった気がします。
引き出物や何かの返礼品、おまけやノベルティ、そして人様が下さると言ったモノ(欲しくないけど忖度して貰ってしまったモノ)などに加えて、期限付きポイントの交換品として入ってきたモノもありました。

今の私であれば、これらのほとんどは、貰わないか貰っても即処分(廃棄、売却、寄付、リサイクル、譲渡)します。
過去の私や家族は、貰ったことをラッキーなことと考え、使うか保管しておくかしていましたが、結局使い勝手が悪いとか、すぐに破損して使えなくなったとか、保管しておいたことを忘れてしまったとかで、ほとんどの頂きモノは活躍していませんでした。
特に、おまけやノベルティ関係は、いわゆる便利グッズのようなものが多く、自分たちの暮らしの中では「不要な便利さ」でしかなく、活用することはありませんでした。

基本的に頂きモノは全部要らない
まあ、おそらく誰しもが、本当はわかっているのですが、自分が望んで頂かない限りは、頂きモノは要らないモノなのですよね(苦笑)
しかし、どうしても貰ってしまう条件として、

 ・配送品
 ・商品から外すことができないおまけやノベルティ

のように、強制的な拒否権を与えられていない頂きモノがあります。

また、気持ちの上で

 ・困っている人から貰う(多く買いすぎたから貰ってほしいなど)
 ・相手に忖度してしまう(貰わないと相手が悲しんだり激怒したりするから)

のように、拒否権があるにも関わらず、貰わないと気まずそうな雰囲気に負けて、貰ってしまうということもあります。

そして、勿体ないと思ってしまう気持ちも、モノを貰ってっしまう条件のひとつとしてありますよね。
それこそ、期限付きポイントの交換は、ポイントを使わないと勿体ない、という心理が働いて、欲しいわけでもないけれど、保有しているポイントで交換できるモノを探して、その中で一番よさそうなモノと交換したりします。
本当は、ポイントってどこからともなく湧いてきた幻のお金(と同じ効力があるモノ)なので、無理やり使う必要はないのですけど、失効するとお金を無くした感覚に陥ってしまいますよね(苦笑)

しかし、まあ、今回は頂きモノは全部処分しろ、というお話ではありません。
頂きモノであっても、どうしても処分を思いきれない場合に試していた、私の方法をお話ししますね。

頂きモノのカテゴライズ
頂きモノの中でも、いろいろなジャンルに分けられると思うのですが、私の場合は

 ・日用品として使うモノ
 ・消耗品
 ・飾るモノ
 ・身に付けるモノ
 ・使い方がわからないモノ

などのような分け方をしています。
もちろん、これに当てはまらないモノもあったりしますが、そういう場合も、無理やりどこかのカテゴリーにぶち込んでいます(笑)
そして、基本的には最初の2つ(日用品として使うモノと消耗品)に当てはまるモノだけを残して、あとは処分します。

私の場合は、最終的にモノを残したくないので、なかなか捨て時がわからない、飾るモノと身に付けるモノと使い方がわからないモノに対しては、勿体ないとかまだ使えるとか考えないようにしています。
そして、日用品であれ消耗品であれ、自分が好きな使い勝手ではない場合は、使っている途中でも処分してしまいます。

しかし、飾るモノや身に付けるモノに関しては、もともと欲しくて購入を考えていたモノが、偶然手に入る場合がありますよね。
そういう場合は、ありがたく頂いてすぐに使い始めるようにしています。

頂きモノを残すのであれば
私の場合は、モノは不要品がほとんどだという気持ちがあるので、新品であろうが未開封であろうが、今の暮らしに必要がないと判断したら、さっさと処分してしまいますが、残したい気持ちも理解しています。
ですから、頂きモノを残す条件としては、

 ・現在進行形で使っているモノに近いモノは残す(ストックとして)
 ・数日のうちに必ず使い始めるモノは残す
 ・そろそろ交換しようと思っていたモノであれば残す
 ・思いのほか気に入ってしまったモノは残す

の、以上4点が妥当なところかな、と考えています。
これは、誰かから貰ったモノであろうと、おまけやノベルティであろうと、同じ条件を適用します。
ただ、誰かからの頂きモノって、少し高価なモノだったりする場合がありますから、そういう場合は迷わずに、貰ったらすぐに売却か寄付を考えた方がいいですね。

残す条件に絶対に入れてはいけないこと
残す条件は、人それぞれの事情で違ってくるとは思うので、私が考えている条件と異なってもまったく問題ありませんが、絶対に条件に入れてはいけないこととして、

 ・まだ使えるモノ
 ・開封していないモノ
 ・いつか使おうと思うモノ
 ・ある程度は高価なモノ
 ・自分では買わないモノ

この5つを挙げておきます。

理由は簡単で、この5つの条件は、使わずにしまい込んでしまうモノの条件と重なるからです。
また、特に慎重にならなければいけないのは、5つ目の「自分では買わないモノ」です。
自分では買わないから、頂けてラッキーだ、と考える人は多いと思いますが、よく考えましょう。
自分で買わないということは、お金を出してまで手に入れようとしていない、ということですよね?
ということは、そもそもなくても生活できている、ということでもありますよね?

この「自分では買わないモノ」の罠は、特に高価なモノに当てはまりがちです。
いちばんわかりやすいのが、ブランド品です。
自分では、お金を出して買おうとは思わなかったけど、たまたま頂いてしまった。
高価なモノだし、自分の懐を痛めずに手に入れられたのだから、ラッキー。
そういう気持ちが、湧いてきてしまうのが、ブランド品(笑)
もともと、お金が貯まったら絶対に買おう、と思っていた品ならいいのですが、大抵自分が欲しいと思っていたモノとは、少しだけ違うモノであったりするのも、ブランド品(笑)

市場価値や小売価格がどれだけ高くても、自分がお金を出して買おうとはしていないモノは、暮らしにも精神衛生的にも不要なモノなのですよね。
ですから、自分では買わないモノは、残す候補から外すようにしましょう。
たとえそれが、高級ブランド品であっても、です。
もっとも、ブランド品なら何でも好き、という人に関しては残してもいいと思います。
ただし、同じ用途のブランド品ではないモノを所有していたら、そちらは手放して、ブランド品の方をどんどん使っていきましょう。
将来売りたい、と思って使わずにタンスの肥やしにするのは、絶対にダメですよ。

こんな残し方もあります
基本的に、頂きモノは全て手放してもいいモノなのですが、もしも定期的に、バザーや寄付をする機会に遭遇しているのならば、そのために頂きモノを保管しておくのは、有りだと思います。
保管場所のスペースが必要にはなりますが、バザーや寄付の時期に全て手放すのであれば、暮らしにも影響は少ないと思います。

もっとも、私のように終活の一環としてモノを減らしているような場合は、バザーや寄付のような素晴らしい企画にすら、乗らない方がいいと思います。
理由は簡単で、そのバザーや寄付に回すモノを、全部捌いてから旅立つとは限らないからです。
もし、モノの数量がマックスの状態で旅立ってしまったら、後を片付ける人たちの負担になりますからね。
どうしても、寄付やバザーのために、モノを確保しておきたいのであれば、遺言書やエンディングノートに、バザーの出品先や寄付先を記して、保管状態もわかりやすく工夫しておくべきかな、と思います。

だけどやっぱり全部不要です(笑)
ということで、私なりの『頂きモノ』の残し方を綴ってきましたが、基本的には『頂きモノ』は全て不要です(笑)
もともとの暮らしに入っていなかったモノが、ある日突然自分の意思とは関係なく入ってくるのですから、正直使い方や活用の仕方に迷ってしまいます。

それでも、頂きモノを使ってみたら、思いのほか暮らしの格が上がった、なんてことになれば、本当にラッキーなのですが、まあ、頂きモノで暮らしが向上することは、1回もありませんでした(苦笑)

ですから、基本は全部不要、だけどどうしても気になるモノがあるのならば、自分で条件を設定して残したらいいかな、という程度です。

そもそも残さん方がええよ、というモノの残し方を考えるのは、逆に難しいですね(苦笑)
条件を付けろと言っても、その条件すらなんだかあやふやでぼんやりしてきてしまいます。
基本的に自分でお金を出して手に入れたモノや、大事な人からの贈り物については、いくらでも迷っていいと思いますし、絶対に処分しろ、とは言えないですが、貰う意思のなかった頂きモノに関しては、プライスレスな価値がそもそも存在しないので、難しいです。


さて、次回やっと『なくても困らないモノの残し方』シリーズの最後です。
今回までの3編も、大した内容ではありませんでしたが、次回も大した内容ではないです(笑)
それでも、読んでくださる方がいるのであれば、なんとなく参考にしていただけたらいいかな、と思っています。

なくても困らないモノの残し方(思い出のモノ編)

2020-05-23 | 終活(モノの整理、心の整理、社会的整理)
前回に引き続き、マシュマロ流モノの残し方をお送りします(笑)
このテーマは、全部で4つの記事にする予定で、今日は2回目です。

『なくても困らないモノの残し方(趣味のモノ編)』前回
『なくても困らないモノの残し方(思い出のモノ編)』←今回はココ
『なくても困らないモノの残し方(頂きモノ編)』
『なくても困らないモノの残し方(大切な人のモノ編)』

ちなみに、わざわざ4回に分けたのは、書きたいことを短く上手にまとめられなかったからです(苦笑)

思い出のモノは何ですか?
思い出のモノって、たくさんある人もいれば、厳選された数個だけ、という人もいると思います。
何が思い出で、何が思い出でないかは個人差がありますが、ここは私マシュマロのブログなので、私が決めたルールを中心に、話を進めます(笑)

私がここで取り上げる「思い出のモノ」は、自分が写っている写真や画像、そのときが記憶に甦るモノ(身に付けるモノや購入品、造形物)、特別な贈り物などです。
ちなみに、誕生日、クリスマス、アニバーサリーの贈り物は、ただ恒例だから頂いただけのモノと、特別な年齢や状況で頂いたモノでは、価値が全く違ってくると思うので、思い出が鮮明によみがえるモノに限定します。

この思い出のモノの中には、前回の『趣味のモノ』と重複しているモノも、いくつかあると思います。
例えば、何かの記念日や記録達成の特別なグッズや、自分だけの特別なシチュエーションで手に入れたモノなどは、単なるグッズではないので、どちらにするか迷うところです。
そこで、私の場合は、趣味に紐づけられる思い出の品は『趣味のモノ』としてカテゴライズしました。
ただ、もしも、その趣味のモノが恋人や配偶者、特別な人からの贈り物で、特別な意味があるのならば『思い出のモノ』にカテゴライズしていいと思います。

さて、この記事を読んでくださっている方の思い出のモノは、一体何がどれくらいありましたか?

写真や画像の残し方
思い出のモノとして、いちばん真っ先に思い付いたのが、私の場合、自分が写っている写真(フィルムを含む)と画像でした。

写真や画像といっても、いろいろありますよね。
自分で撮影したモノ、人が撮影しプリントしてくれたモノ、卒業アルバム、写真館で撮影した特別なモノ。
今では、デジタルカメラやスマホのカメラ機能でフィルム枚数を気にすることなく、何百枚でも撮影できる時代なので、日常を気軽に写すこともできます。

しかし、その枚数、もうすでに管理できないくらい、たくさんありませんか?
私の場合、父が割とカメラが好きだったので、幼いころ(といっても小学生くらいまで)撮影した写真が、多く残っています。
それに加えて、自分専用のカメラを持つようになってから、さらに写真が増えていき、デジタルカメラを持つようになってからは、とにかく莫大な数の画像が増えていきました(笑)
そして、卒業アルバムや集合写真など、学校で撮影されたモノも、思い出の写真ですよね。

でも、その大量の写真や画像、本当に思い出の1枚なのかな?
という思いが、ある日突然過りまして、よし、どうでもいい写真は処分してしまおう、となりました。
この時、自分の中で決めたのは、父が撮影してくれた写真だけは残そう、ということでした。
そして、卒業アルバムや学校の集合写真、自分で撮影した風景や若い自分が写っている写真は、全て処分しました。

ここで言いたいのは、写真の大半を処分しろ、ということではなくて、自分で基準をはっきりと決めて、残すモノを選びましょう、ということです。
私の場合は、若いころの自分に興味がないということもありましたし、他人が映した写真では、特に思い出も甦らず、ただ私が偶然映り込んでいたから、プリントしてくれただけの写真も多数ありました。
そして、どうでもいいようなモノを映している写真も多くありました。
そんな中、自分が幼いころに父が映してくれた写真は、私にとっては特別なモノとして感じられたので、他の写真は処分したとしても、父が撮影した写真だけは、最後まで持っておこうかな、と思いました。

結果、いま手元にある私の写真は、小学校までの父が撮影した写真と、大学の卒業アルバムだけになっています。

特別な贈り物の残し方
毎年ある誕生日やクリスマス、年頃になればバレンタインにも贈り物をしあうこともあるでしょうから、きっと思い出深い贈り物はたくさんあると思います。

しかし、振り返ってみると特別な贈り物が、大量になっていませんか?
思いが込められた贈り物は、そもそも処分はしたくないですよね。
でも、もしそれがメンテナンスの難しいモノだったり、大き過ぎたり重量が重たかったりすると、少し憂鬱になったりもします(苦笑)

そういったモノは、無理して手放すことはしなくていいと思います。
他人にとっては、もしかしたらどうでもいいくだらないモノかもしれませんが、自分にとって特別なモノであれば、市場価値とか他人軸の価値とか、関係ありませんから。

ただ、もしモノが溢れていて、一部処分したいかもしれないと思うようでしたら、過去の思い出を基準とするのではなく、今の自分にどれくらいの刺激や影響をくれるモノかどうか、で判断してみてください。
私の場合は、今の自分が、その贈り物を見て、ポジティブ思考になれるかどうか、で残すモノを決めることにしたのですが、私自身の結論は

「実体は要らない」

でした。

たしかに、思い出深いモノではあるのですが、高級品ではないし、もし手放したとしても、思い出や贈ってくれた相手の気持ちは、自分の中にしっかりと残っているので、実体を処分してしまっても、大丈夫でした。
結局、大切にしたいのは、贈ってもらったモノではなくて、贈ってくれた思いだったな、と改めて感じたので、思いだけ残して、実体は処分しました。

私にとっては、実体は要らなかったのですが、そう簡単に思いきれるものではないということもわかっているので、もし全部処分できないのであれば、全部残してずっと持ち続けていいと思います。
ただ、モノに対する感情って、自分に変化があったときにがらりと変わる場合があります。
私が、実体がなくてもいいと感じたのも、そのためだと思っています。
ですから、今も昔も変わらない思いが甦るモノを残す、ということでも、いいのかなと思います。

自分で作ったモノの残し方
これは、一見簡単に残すモノを判断できそうですが、意外とそうできないモノのひとつですね(笑)
趣味のモノとも重複する場合は、趣味のモノとしてカテゴライズしたらいいだけですが、問題は、旅先などでモノづくり体験した際の作品です。
作品そのものが気に入っているかどうか、も重要ですが、旅の思い出としても残したいモノのひとつですよね。

旅行をして、写真を撮るのは割と誰でもしていると思うのですが、モノづくり体験となると、製作工程で苦労したことや完成時の達成感などが付加されて、より一層思い出が強く残ると思います。
また、思った以上に出来栄えがよかったりすると、部屋に飾って来客があった際に見てもらいたい気持ちになったりもしますよね(笑)

ただ、やはりこれも特別な1品だけに絞った方が、実はセンスが良く見えます(笑)
旅先でのモノづくり体験は、仕上がった作品よりかは、体験そのものに価値があります。
しかも、素人が指導者に教わりながら作ったモノですから、市場価値などもまったくありません(笑)
であれば、部屋のインテリアになじむ1品ないしは2品だけを飾っておいたら十分なのではないかと思っています。
作ったモノ全部ではなく、お気に入りの1品、家に馴染む1品、探して残してみてはいかがでしょうか?

思い出のモノ全般に言えること
写真以外の思い出のモノについては、私は共通した基準を設けることで、残すモノが厳選されると思っています。
その共通した基準は

 今の自分、そしてこれからの自分が大切にしていけるモノかどうか

ということです。
思い出のモノなのだから、大切にするに決まっている、と思われるかもしれませんが、実際はどうでしょうか?
もしかしたら、大切に「しまい込んでいる」だけで、メンテナンスをしたり、飾ったり使ったりしていないモノ、結構あるのではないでしょうか?
思い出のモノだからといって、箱に詰めて収納の奥にしまい込んで、目につかないところに置いていたら、ないのも同然ですよね。
また、飾ったり使ったりはしているけれど、いつの間にか扱いが乱暴になっていたり、思い出よりも使い勝手に気持ちが集中してしまったり、飾っていても普段見向きもしないのであれば、すでに思いがどこかに消えています。
だったら、本当に思い出が褪せない、今の自分とこれからの自分が、変わらずその思いを大切にできるモノだけを残していけば、気持ちが充実するような気がしています。


思い出のモノを処分するのは、とっても複雑で悲しくて寂しい気持ちが伴います。
でも、モノが溢れていて、切羽詰まっていて、とにかくモノは減らさなくてはいけない状況になったとき、じっくり時間をかけて思い出と向き合うと、残すべきモノがはっきりと見えてきます。
大事なことは、モノの価値には目を向けずに、思い出そのものに目を向けること。
その思い出が、単なる記憶でしかないのであれば、モノはなくても大丈夫です。
しかし、自分の現在や未来に影響する、鮮明な思い出が蘇るなら、それを残しましょう。
そして、引き続き思い出を大切にしていきましょう。

なくても困らないモノの残し方(趣味のモノ編)

2020-05-22 | 終活(モノの整理、心の整理、社会的整理)
これまで、私がいかに不要品を処分してきたか、ということに視点を置いて、処分の仕分け方や心持ち、タイミングなどについて自分が実践してきたことを綴ってきました。
しかし、なくても困らないモノだと頭では理解していても、心が処分をしたくないと思うモノって、たくさんありますし、処分したことによる後悔を思うと、なかなか行動には移せません。

そこで、今回は少し見方を変えて、マシュマロルール『なくても困らないモノの残し方』について、4回に分けて細かく綴っていきます。
4回分のテーマは、今回を含めて以下のように予定しています。

『なくても困らないモノの残し方(趣味のモノ編)』
『なくても困らないモノの残し方(思い出のモノ編)』
『なくても困らないモノの残し方(頂きモノ編)』
『なくても困らないモノの残し方(大切な人のモノ編)』

では、スタートです(笑)

まずは全てを把握しておこう
今回の趣味のモノに限らず、不要品を処分しようとする際は、必ず所有物全てを把握するところから始めます。
理由は単純で、残すべきモノをしっかりと認識した上で仕分けをするためです。
把握の仕方は、人それぞれでいいと思います。
メモに書き出すでもいいし、エクセルのような集計ソフトを使って管理してもいいし、そういったことが苦手だったりモノが多すぎて書き出すだけで何年もかかってしまいそうな人は、俗にいう「全出し」して視覚で把握しましょう。

私の場合は、ほとんどの所有物を記憶しているようなところがあるので、頭の中で所有物の確認をします。
いざ片付けるときに、忘れていたモノを発見したとしても、それは忘れていたのだから、迷わず処分対象です(笑)

必ずカテゴリー分けをしよう
全てを把握できたところで、今度はそれらを必ずカテゴリー分けします。
今回は、主に「なくても困らない」が「処分したくない」と思ってしまいがちなモノとして、「趣味のモノ」「思い出のモノ」「頂きモノ」「大切な人のモノ」の4つに分けてます。
把握している所有物を、この4つに分類し、これに当てはまらないモノについては、今回は除外して説明しますね。

趣味のモノはどれくらいありますか?
さて、カテゴリーに分けた結果、趣味のモノはどれくらいの数量がありましたか?
そもそも、趣味は1つですか?2つですか?もっとたくさんですか?(笑)

私は、趣味というものが1つだけ、という方は結構少数派だと思っています。
趣味に没頭できる人は、それに関連した違う趣味もたしなむ印象があります。
また、趣味がたった1つでも、それに使う道具やグッズを収集する人はかなり多いですよね。
例えば、ゴルフしか趣味がない、という人がいたとして、そういう人は道具も含めて、ウェア、靴、帽子、タオル、手袋
など、いくつも所有しています。
たった1着のウェアと靴と帽子、そして1枚のタオルと1組の手袋、道具も必要最小限だけという人は、あまり見たことがありませんし、他の趣味でも大体そうです。

私自身は、スポーツ観戦だったら野球とサッカー、自分でするスポーツはテニス、卓球、旅行も好きですし、インドアな趣味なら、漫画、映画(映画館、DVD、ケーブルテレビなどで鑑賞)、一部のアニメ、小説、音楽(音源購入、ライブ鑑賞)と、ほんの少しだけたしなむ程度のモノも含めると、かなり趣味の範囲が広いです。
私の叔母は、茶道、華道をするので、和服をたくさん持っていますし、デザイン系の短大を卒業しているので、絵画や日本画も趣味としていて、彼女の家は茶道、華道の道具と和服、そして絵画関係のモノで溢れています。

私や叔母のような人、ここからが本題ですよ(笑)

つい集めて溢れてしまうモノ
さて、趣味が1つであろうが複数であろうが、没頭してしまうとそれに関するモノも、つい集めてしまいがちですよね。
そして、知らず知らずの間に、部屋のスペースから溢れていきがちです。

私の場合は、集めることになんとなく義務感を抱いていることもありました。
そうして集めたモノは、手放し難いし、いろいろな思い入れがあります。
思い出というよりは、思い入れですね。
ですから、いざ処分しましょう、と決めても、結局迷う時間だけを消費してしまうので、最終的には保留という状況に納まってしまいます。

今の私であれば、処分する基準を明確にしているので、それに当てはめて仕分けることに専念すれば、保留していた趣味のモノでも、潔く処分出来るときもありますが、どうしても残したいと思うモノも当然あります。
しかし、自分の欲求だけに素直に従っていたら、いつまでたっても私の部屋は不要品だらけですし、私が終活で目指しているモノの数にも、到底近づきません。

そこで、昨年あたりから「残す基準」を設けることで、モノの整理と同時に心の整理もすることに決めました。

趣味のモノを残す基準
趣味のモノというのは、すべてが「なくても困らないモノ」「他人にとっては不要品以外の何物でもないモノ」です。
私には必需品だと思っていても、最低限の暮らしをするために必要なモノかと問われると、そうではないです。
でも、やはり趣味のモノがあれば、心が安らいだり、精神的にも身体的にもリラックスできたりリフレッシュできたりしますから「あってもいいモノ」でもあるのですよね。

そこで、「あってもいいモノ」すなわち「残すモノ」をじっくり考えて、今はその基準に従って、趣味のモノを少しずつ減らしていっています。

「残す基準」を設ける前に、まずしたことがあります。
それは、それぞれの趣味をランキング化すること。
趣味が1つしかない人は、これを実行しなくても大丈夫ですが、多趣味の方で趣味のモノを減らしたいと思っている人は、まずランキング付けをすることで、モノの価値をざっくりと決めてしまいましょう。
ランキングする際の基準は、人それぞれですが、私の場合はどのくらいの期間、その趣味を続けているか、を最初の判断材料にしました。

その結果、上位は1位:読み物(漫画、小説、エッセイなど)、2位:野球、3位:音楽(アーティスト)になりました。
今度は、それぞれの中身を細かく考えて、さらにそれぞれの中で優先順位を決め、それらを残すことにしました。

残し方の具体例(マシュマロ基準)
まずは、3位のアーティストから。
こちらは、つい最近CDを全て売却した話をしましたが、自分の中ではアーティストの音楽すなわち音源があれば、自分は幸せだと気付き、媒体は何でもいいのだということで、全て電子ファイルのみを持つことにしました。
グッズも、たしかに欲しい気持ちにはなるのですが、新しいモノは今は一切購入していませんし、過去に購入したモノは、壊れたり汚れたりすれば潔く処分し、使い勝手が悪いモノ、使い道が思いつかないモノ、全く使っていないモノも、全て処分しました。
今使っているのは、フロアマットと小物トレイ、小さなポーチ類(旅行用)です。

次に、2位の野球関連です。
野球は、もっぱら観戦するのみですが、応戦している選手のグッズや、観戦のときに使えるグッズを際限なく買っていた時期がありました。
当然、壊れたり汚れたり古くなったりすれば、処分はするのですが、グッズを減らすことを考えたときに、どれもこれも手放したくないモノだらけになってしまいます。
そこで、最優先に残すモノとして「本人から直接もらったサインが入ったグッズ」を選びました。
色紙を始めとして、いくつかのチームグッズや選手グッズにサインをいただいています。
特に、いちばん応援していた選手のサイン入りグッズは、最後まで残すことに決めました。
それ以外のグッズは、現在進行形で使っているモノを残しました。
ちなみに、サッカーもトートバッグとチームデザインのTシャツにサインを貰っていますが、観戦時に着用したり持って行ったりしているので、現役で使っているグッズとして残しています。

最後に1位の読み物です。
私は、最近は老眼が進んで辛いのですが、活字を読むのが大好きです。
ですから、読み物に関しては、まあ最優先に好きな書籍は残す、というだけですね(笑)
とはいえ、好きな漫画がもうそろそろ100巻に達しようとしているので、人から見たら「それこそ捨てなさい」と言われるかもしれません(苦笑)
しかし、すべての巻に伏線があると言っても過言ではないので、最終巻が出るまでは手放せません(苦笑)
それに、暇さえあれば手に取って読んでいますしね。
漫画作品としては、この100巻に近いモノを含めて、全部で3作品を残すことにしています。
他にも持っているのですが、ある程度の冊数になったら、売却予定です。
小説やエッセイについては、読みかけのモノと今から読みたいモノがあるのですが、読み終わったら売却します。
そういう意味では、漫画3作品のみが残すモノ、ということになりますね。

ランキング4位以下
私の趣味ランキング4位以下に、ドラマや映画のDVDがあるのですが、これは、好きな映画が3本と、再放送をしてもらえないドラマ(単発、連続含め)が10作品程度ですね。
ただ、これらもいずれは手放すつもりです。
手放すタイミングは、見飽きたときです(笑)

私は、好きなドラマや映画は何度も繰り返し見たくなってしまうので、再放送されないとわかっている作品については手放し難いです(苦笑)
映画は、3本のうち2本は本当に残したいと思って所持していますが、1本は持っていなくてもいいモノなので、もう一度鑑賞したら売却か捨てるかして、処分するつもりです。
残している2本は、主演俳優が大好きなので、購入しました(笑)
もちろん、内容も好きですよ。
ただ、レンタルや有料放送でも観られる作品ではあると思うので、そのあたりどうするかですよね。
モノを減らすという視点で言ったら、そろそろ有料放送のサブスクに移行したほうがいいな、と考えている最中です。

おまけ「ランキングの付け方」
ランキング付けに困ってしまう人、とくに製作関係の趣味は、なかなかランキングが付けられないかもしれませんね。
製作系に限らず、趣味にランキングなんてつけられない、という人は、モノだけにフォーカスしてもいいかもしれません。
例えば、道具の中でも特殊で出番がめったにないモノは、残さなくてもいいけど、常に使うモノは残さないと趣味が満喫できませんよね。
また、趣味そのものはランキング付けできないけれど、道具やグッズであれば優先順位が決めやすくないですか?
特に、用途が重複しているモノに関しては、使い勝手がいいモノしか使っていませんよね?
その段階で、優先順位が決まっているのと同じですから、いつも使っているモノだけを残しましょう。

フィギュアやインテリアを収集している人は、モノのランキングも難しいかもしれませんが、じっくり考えてみると、義務感のみで手に入れたグッズもあるでしょう?
そんなに好きじゃないけど、シリーズで集めているから手放せないとか、全部の色が揃ってこそ価値があるから、とか。
理由はいろいろあるかもしれませんが、本当に好きなモノは、おそらくその中の数個ではないですか?

もし、片付けたい気持ちが強ければ、きっと自問自答するうちに残したいモノがはっきりしてくるはずです。
もしも、はっきりしてこないのならば、それはまだ片付けてモノを処分する心情に達していないからです。
そういう場合は、無理にモノにランキングを付けなくていいですし、無理に残すモノと処分するモノを仕分けなくていいと思います。
一番大事なのは、自分の心。
今の自分が、モノを処分することによってどんな気持ちになるのか、モノを残すことによってどんな暮らしになるのか。
そういったことを考える中で、ふと気持ちに区切りが付いたら、そのときから片付けを始めたらいいと思います。


ということで、今回はモノの残し方についての私見、第1回目でした(笑)
次回は、思い出のモノ編ということで、またまた私見を綴ります。

紙袋の適正数について考えた話

2020-05-08 | 終活(モノの整理、心の整理、社会的整理)
紙袋のストック、家の中にどれくらいありますか?

我が家には昔、お店を開業してもいけるのではないか?というほど、紙袋のストックがありました(笑)
今回は、ストックする紙袋の適正数について、私の思うところを綴ります。

紙袋の話をする理由
突然、紙袋の話を取り上げたくなったのは、実家の片付けをしている動画をいくつか見ているうちに、

「紙袋、多いよなあ」

と、しみじみ思ったからです(笑)

おそらく、昭和のおかんあるあるなのでしょうね。
紙袋が貴重な時代もあったのか、丈夫な紙袋は絶対にすぐには捨てませんよね(笑)
使いみちは、それほどあるわけではないのですけどね。
また、若くてお洒落な人(女性が多いかな?)も、紙袋が溜まりがちだという印象があります。
特に、ブランドショップの紙袋は手放し難いようで、たしか10年くらい前に、ブランドの紙袋をサブバッグとして持ち歩くことが流行った時代もありました。
もっとも、すぐに廃れてしまった流行ですけどもね(笑)

所詮、紙でできた耐性の弱い袋なのですが、ブランドロゴが付いていたり、しっかりしていて破けにくい厚みだと、他に使い道があるはず、と思い込んでしまうのでしょうか。
それで、ついつい溜め込んでしまうのでしょうか。
そんなことを考えながら、そういえば、我が家にも山ほど紙袋があったよね、必要ないのに、という思いが過り今回の内容で取り上げようと思いました。

我が家の紙袋事情(今昔)
我が家に現在ある紙袋のストックは、10枚もないと思います。
数えていないので、はっきりとは把握していませんが、基本的には小さな紙の手提げ袋に入る枚数しか、ストックしないようにしています。

最近、また復活しつつありますが、ここ10年くらいは、お店でもらえる袋はプラスチック製のモノがほとんどで、紙袋が溜まっていくという現象は、昔ほどはなくなりました。

十数年前、家の中の不要品を出している際に、溜まっていた紙袋も整理してみました。
我が家は、私が生まれてから3回ほど引っ越しをしているのですが、幼少の頃に住んでいた家には、山ほど紙袋がありました。
当時は、まだプラスチックのレジ袋が、あまりメジャーではない時代で、また住んでいた地域にはスーパーがなく、専門店や酒屋で買い物をするような生活でしたから、入れてもらう袋は紙袋ばかりでした。
プラスチックのレジ袋を溜め込みがちな人って、必ずいますが、素材が変わっているだけで、紙袋も溜め込みがちなモノであることには変わりがなく、母はこれでもか!というくらい、紙袋をストックしていましたね(笑)

その大量にストックしていた紙袋、実は引っ越し荷物の中にも入れていて、私にとって人生2軒目の家にも持って行っていて、さらに新たに過ごす地域では、紙袋に加えてレジ袋が加算されていくことになりました(笑)
引っ越し荷物に、紙袋って...なんてムダな荷物なのでしょう(苦笑)
この辺りまでお話しすると、なんとなくお察しいただけると思うのですが、その後も紙袋は新しい家に都度持って行かれ、今の家に引っ越した時には、特大の紙袋に2つ分と、まとめていない紙袋が数えきれないほどありました。

話が前後しましたが、その大量の紙袋を整理する際、全部処分してしまうとなんとなく問題があるような気がして、整理した当時は、取り合えず大きな紙袋に入る分だけ残しました。
まあ、その判断はあながち間違ってはいなくて、紙袋って割と必要なことが頻繁にありました。
例えば、壊れ物を捨てるとき、レジ袋では破けてしまう可能性が高いのですが、紙袋は割と耐えられます。
また、リサイクルショップへ不要品を持ち込む際にも、箱入りのモノを入れやすいというメリットがあります。
ですから、当時残した紙袋は、割と早い段階でほんの数枚にまで減りました。

現在は10枚程度しかストックしていないと書きましたが、そのストックは割と定期的に消費しています。

紙袋の使い道
紙袋は、主にガラスや陶器でできた食器、調理器具を処分する際に使います。
私が住む自治体では、陶器やガラスの食器は家庭ごみに分類され、リサイクルするシステムはありません。
他の自治体では、不燃物として処分しなければならないところもあるようですが、我が自治体では生ごみや燃えるごみと同じ袋に入れて捨てることになります。
ただ、割れ物をごみ袋にそのまま入れてしまうと、収集車に入れる際に割れて、ごみ袋を突き破ってしまう可能性があり、危険なので、新聞紙や紙袋で包んで廃棄するように注意が呼びかけられています。

我が家は、父が亡くなってからは新聞を取っていないので、頼りになるのはフリーペーパーと紙袋になるのですが、紙袋は特に割れやすいモノや、重ねると安定しない食器などを入れるために使っています。
紙袋に入れたら、ガムテープでぐるぐる巻きにして、中身が飛び出ないようにしています。

食器などを捨てる以外の使い道は、まあ使い捨てのサブバッグ程度でしょうか。
以前は、小物雑貨や小説の文庫本の収納として、厚手の紙でできていた紙ぶくろを使っていましたが、紙にはカミダニが付きやすいと聞いて、使うのをやめました(笑)
たまに、お片付け動画で、収納を買わなくても紙袋で代用しましょう、と言って紙袋の上部を切り取り、紙袋を箱型にして、そこにハンカチ、靴下、下着などを収納するアイデアが紹介されることがあります。
しかし、カミダニの話を聞いて以来、動画を見ながら「それはやめた方がいいよ」と独り言を言っています(笑)

食器の廃棄以外には、リサイクルショップへ持ち込むモノを入れるために、使うことがあります。
しかし、まあ、最近ではリサイクルショップへ行くこともなくなりましたから、もっぱら食器を捨てるためだけに使っています。

我が家での適正数(結論)
現状では、食器の廃棄時にしか使っていない紙袋ですが、今後のことを考えると、紙袋の適正数は2~3枚でいいような気がしています。
まだ、廃棄処分するかもしれない食器がいくつか残っていますが、フリーペーパーで包んでも十分対応できるので、紙袋である必要はありません。
もしかしたら、ゼロでもいいのかな、と思ったりもしますが、たまに必要になるときがあるので、まあ大きめのモノを1枚と小さめのモノを1~2枚持っていればいいかな。


ということで、今回は紙袋の適正数について考えてみましたが、子どもが居る家庭では、もっとたくさんの紙袋が必要になるかもしれませんね。
そこは、やはり家族の人数だったり、使うシチュエーションの多少で変わってくると思います。
ただ、カミダニのことだけは、気を付けてストックしてほしい、ということだけは最後に言わせてください(笑)
あ、そういえば、Gも紙が割と好きらしいです(怖)

粗大ごみを自己搬入した話

2020-04-03 | 終活(モノの整理、心の整理、社会的整理)
本日は、午前中にご粗大ごみ資源化センターへ、初めて行ってまいりましたので、そのお話を綴ります。

片付け日和(桜日和でもありました)
本日の福岡は、晴れ寄りの曇りといった天気で、桜もそろそろ8分から9分咲きくらいになってきました(まだ7分の樹もありますが)
気温も、寒すぎず暑すぎず、ちょうどよかったので、掃除や片付けにはうってつけの日ですね。

さて、昨日部屋の模様替えをした結果、不要になる家具が出現しました(笑)
まあ、家具と言っても、私が一人で動かせるくらいの小さな家具です。
もともと、粗大ごみに出す予定だった、キッチンワゴンと小引き出しと合わせて、今回は全て私の愛車N-BOXに積めそうだったので、一度トライしてみたかった粗大ごみの自己搬入をすることにしました。

いつ持って行こうか、と考えていたのですが、朝起きたら気温もちょうどいいし、雨も降っていないし、ということで、午前中に持ち込むことにしました。

家具の積み込み
今回、自己搬入する粗大ごみは、

 ・キッチンワゴン
 ・キッチンラック(木製)
 ・コルクボード(B2サイズ)
 ・小引き出し

以上4点です。

まず、昨日の段階で、キッチンラックとコルクボードと小引き出しを、積み込んでおきました。
キッチンワゴンは、少し大きいこともあり、積み込んでいた時間帯が夕方で、マンションのエレベーターが一番使われる時間帯でもあったため、今朝積み込むことにしました。

コルクボードは、趣味のモノをディスプレイして壁にかけていたモノですが、粗大ごみの自己搬入をするにあたり、処分することに、急遽決めました。
まだ、いろいろとディスプレイしていたのですが、昨日全て取り外して、違う場所へ移しました。
外して、車に積み込みながら、確かこのコルクボードは、バスで出かけた先にあった雑貨屋で購入して、配達はしてもらわずに自分で持ってバスに乗って帰ったなあ、と思い出しました(笑)
買うときも、持ち帰るのに苦労して、捨てるときも自己搬入で苦労する。
買わなければ、こんな苦労を2度もせずに済んだのに(苦笑)
まあ、言っても仕方ありませんけれどね。

廃棄物搬入申込書のダウンロード
昨年くらいから、受付での手間を省くためなのか、事前にパソコンなどで申込書をダウンロードして印刷したモノを受付に出すようになったそうです。
ですので、まずエクセルファイルでダウンロードし、パソコンで必要事項を入力して、申込書を完成させたのが昨日。
今朝は、USBに保存した入力済みの申込書を、コンビニのコピー機で印刷してから、ごみセンターへ行こうと思っていたのですが、いざコンビニで印刷しようとしたときに、ファイルをPDFへ変換していなかったことに気が付きました!
仕方なく、一度家に引き返して、ファイルをPDFに変換して、保存しなおし。
再度出発して、さっき寄ったコンビニとは別のコンビニへ。

無事、申込書の印刷を終えて、直筆サイン部分に名前を書いて、やっとごみセンターへ向かうことができました(苦笑)
こういう時に、タブレットなどがあると便利なのかな、とふと考えてしまいました。

粗大ごみ資源化センター
センターに着いたら、まずは受付にて停車します。
この時に、申込書を出しつつ、車の重量を量ります。
荷物を下ろす前の重量計測をしつつ、最後の精算時に必要なカードと現在の重量が記載された『計量票』という紙が渡されます。
粗大ごみを降ろす前の重量は、1,030kgでした。

精算カードと重量票を受け取ったら、案内のカラーラインに沿って、粗大ごみ用のピットへ向かいます。
ずっと進んでいくと、ピットの直前に再度受付所が現れます。
ここでは、捨てるごみの種類などを確認されました。
今回の私の場合は、小家具が4点のみでしたので、ハッチバッグドアを開けて確認することはなかったのですが、量が多かったりすると、一般ごみが混ざっていないか、などのチェックが入るようです。

ごみの確認が終わると、ピットの番号を教えられて、そこへ行くように指示されます。
粗大ごみの素材によっては、ピットの場所が変わるらしく、私は全て木工製品だったので、1ヶ所で大丈夫だったようです。
プラットホームと呼ばれるところへ入ると、係員の方が待機していて、停車場所へ誘導してくれます。
必ずバックで入れなくてはいけないので、バッグが苦手な方は要練習ですね(笑)

ピット前で停車したら、ハッチバックドアを開けて、積んであった家具を出してピット内へ入れます。
はじめてだったので、とりあえず全部出してからピットに放り込もうとしていたら、係の人から「どんどん(投げて)入れちゃって」と言われました(笑)
とはいえ、投げ入れるだけの力がないので、とりあえず落とす感じで、ピットの中に入れました。

全ての粗大ごみを捨てたら、入ってきたところとは逆方向に車を出して、そのまま今度は計量所へ向かいます。
計量所では、指定の場所に車を停車して、最初に受付で貰ったカードを計量精算機に差し込み、画面に従って操作すると、計量が始まります。
今回の計量結果は、受付時1,030kg→捨てた後1,000kg ということで、全部で30kgでした。
こちらのセンターの処分料金設定は、粗大ごみや一般ごみが、10kgごとに100円ですから、今回の私が支払うのは、300円ですね。
産業廃棄物や引っ越しごみなどは、また別の設定があるようです。

計量精算機にて、料金を精算し、車で出口まで進んだら、全て完了です。
精算機は、お札も使えるので、小銭をわざわざ準備しなくても大丈夫でした。
ちなみに、キャッシュレスは不可でした。
こういう場所こそ、本当はキャッシュレスの方がいいはずなのですけどね。
小銭で支払いされる人も多いと思いますので、管理側の手間を考えると、キャッシュレスは公的な場所ほど先に導入すべきなのに、などど思いながら、初めての粗大ごみ自己搬入は終了しました(笑)

自己搬入のメリットとデメリット
デメリットは、当然のことながら、ごみを積み込んで運び入れて、捨てる作業までを、全て自分で行わなければならない点ですね。
そこが楽にクリアできるのであれば、ごみの自己搬入はおススメかもしれません。

これまでは、家具が大きすぎたこともあるのですが、自分で搬入できる気がしなかったので、母の服や雑貨を大量に処分した際も、結局はごみ回収日に合わせて、少しずつ処分していました。
しかし、あの時に自己搬入にトライしておけばよかったな、と改めて思いました。
たしかに、車に積む作業は大変なのですが、いざ、センターに着いたら、係の人は皆親切に教えてくださるし、ピットでは何も考えずに、自分が搬入したごみを投げ入れるだけ。
数量が多い場合は、係の人も手伝ってくださるので、もし、センターが遠くないのであれば、一度利用してみることをおススメします。

また、処分料も重量で計算してくれるので、粗大ごみなどは指定の手数料券を買うよりも、ずっと安く済みます。
自家用の軽トラックや8tトラックをお持ちで、力仕事のできる方が2~3名いらっしゃれば、粗大ごみの廃棄は自己搬入の方が費用が安くて済みます。
ただ、人件費やガソリン代に換算してしまうと、あまり大きな差はない場合もありますので、処理場が遠くなくて、さらに人員は家族だけ、という状況が望ましいかもしれません(笑)

粗大ごみの自己搬入を終えた後の心境の変化
今回は、小家具が4点だけでしたが、やっと廃棄できたので、気持ちも家の中もスッキリしました。
まだまだ、中身を片付けて処分したい家具はあるのですが、それもいつか機会を見て自己搬入したいと思っています。

と、ここまで記事を書いて、思い出したことがありました。
食器乾燥機を、持ち込むのを忘れていたことを!
食器乾燥機は、大きくはないですが粗大ごみ指定されているので、粗大ごみとして捨てなければいけません。
ということは、次回の自己搬入まで、持っておかなくてはならないですね。
ああ、うっかりしていた自分が残念過ぎる(苦笑)
仕方ないので、早めに次の粗大ごみを決めたいと思います。

話を戻しますが、昨日から自己搬入する家具を車に積みながら、ずっと頭の中を過っていることがあります。
それは、処分できないでいる趣味のモノ。
書籍に関しては、処分方法が決まっているので、今すぐ手放すことはなくても、いずれ手放しますし、人気がある作品であれば、どこかで再読する機会もあるので、あまり深くは考えていません。
ただ、趣味のモノ、具体的に言うと、記念パネルや記念の盾といった、誰かが記録を樹立したときや周年記念で作られた記念グッズの処分には、非常に迷いがありました。

しかし、ふと、思い出の品は画像に収めて本体を手放す、という片付けや整理収納のアドバイザーの人たちが言っていたことを思い出し、その方法だったら未練なく手放せるかもしれない、と思い始めました。
もともと、もう十分楽しんだな、と思えるモノは、画像にも残さずに手放してきましたが、逆に残そうと思っているモノを手放すときは、とても悩んでしまう性質です。
これでは、いつまでたってもモノが減らせない、という悩みにも繋がるのですが、画像に残してしまえば、手放すのもなんとなく容易かもしれません。

ですから、早速このブログを更新したら、試しに何点か画像に取ってみようかと思います。
さて、上手く手放すことができるかどうか。
自分でもわかりませんが、やってみる価値はあると思います。


モノを手放すと、正直スッキリしますが、自分にとって大事なモノ、しかも二度と手に入らないようなモノは、なかなか手放すことができません。
しかし、終活を始めている今、それらも残しておいてはいけないモノであることも、認識しています。
正直、手放すことを考えると、複雑な気持ちが入り乱れてしまいますが、それももしかしたら、手放してはじめて、気持ちがスッキリするのかもしれません。
なかなか、難しいですが、私だけが価値を感じているモノは、もう手元にあっても仕方がないのだと思う面もあります。
今現在、世の中はCOVID-19の感染拡大により、いつどうなるかわからない状況が、すぐそこに迫っています。
そのことも考えながら、もっとモノを減らしていこう、と改めて今考えています。

CDとDVDの集荷完了と過去を整理する話

2020-03-26 | 終活(モノの整理、心の整理、社会的整理)
予てより、このブログにて申しておりました、音楽CDと音楽DVDの買取集荷が、本日完了。
そのお話と、恒例の捨て曜日に処分したモノや、今から処分するモノについて、本日は綴っていきます。

CDとDVDの集荷
今回、買取を申し込んだのは「VALUE BOOKS」という、楽天買取にあるショップです。
私が出したのは、CDとDVDですが、本の買取に力を入れている印象を受けました。
送料は、買取希望数が5点未満の場合は送料がかかりますが、5点以上であれば、送料は先方負担となっていました。
なお、セット品(DVD BOXやCDとDVDのセット品)などは、1点としてカウントするとのことです。

私が今回出した点数は、実は数えていないのですが、200点近くはあったかもしれません。
とにかく、手放すなら未練が復活しないうちに!という思いから、ガシガシと箱詰めしたので、数えることを失念していた、というのが正しいかもしれません(苦笑)

集荷時間の指定は、午前中(9時~13時の間)にしていたのですが、宅配便の人が朝一で集荷に来てくれたので、そのあとの時間は、不要品処分に時間を割くことができ、とても助かりました。

さて、査定額は如何ほどになるのでしょうね?
査定結果は、後日またお話しします。

CDとDVDを手放した今の心境
自分では、最大限大切にしてきたCDとDVD。
手放すと決めるまでは、当然葛藤もありました。

買取を申し込んだのが、月曜日で本日が木曜日。
4日間、どういった想いで過ごしたかというと

 梱包した箱が邪魔(笑)

いやいや、自分の好きなアーティストのCDとDVDだよ?
ずっと大切にしながら聴いてきた、モノだよ?
邪魔って、どういうこと?

と、自分でも思いましたが、CDに関しては全てiTunesに取り込んでいますし、DVDは最後にもう一度だけ見ようと思いましたが、10枚超えたあたりから、頭に入ってこなくなっていたので、残りは見ずに処分することにしましたから、物体そのものに対する未練は、全くと言っていいほどなくなっていました(苦笑)

ただ、1本だけ未開封のままのDVDがあり、それだけは見ようかな、と思いつつも、新品だと査定額が少々アップする可能性もあるかな、と思い、そのまま出すことにしました。
他は、一度は見ているはずなので、内容は覚えていないけれど、まあ覚えていないのなら、その程度にしか興味がなかった証拠ですから、手放しても問題ないのだと思います。

もう、集荷は完了したので、手放したDVDは二度と見る機会がないはずですが、それでもいいと、今は思っています。
それよりも、これから先に、好きなアーティストの素晴らしいパフォーマンスが見られることに期待するほうが、なんだか楽しい気がしていますし、もし縁があれば、どこかで手放したDVD映像に出会うこともあるかもしれませんから。

CDとDVDを手放したことで変化したこと
手放したモノが、ジャンルで集めていたモノであれば、何十年も持ち続けることはしなかったと思うのですが、私が持っていたのは、大好きなアーティストのCDやDVDでしたので、手放す気になることもないだろうと思っていました。
しかし、自分の中で、好きなのは楽曲そのものなのだから、CDという形にとらわれなくてもいいのではないか、と思えるようになったので、今回やっと処分するという行動をとることになりました。

大好きなモノを手放すというのは、とても勇気が必要です。
勇気というのは、自分の中に生まれる負の感情に対して持たなければなりません。
つまり、自分の負の感情との戦いになります(笑)

日々暮らしている中で、少しでも多くの喜びや楽しみ、幸せを感じていたいので、明らかに負の感情が湧くであろう行動は、避けて当たり前です。
大切に思ってきたモノが、もしなくなってしまったら?と考えるだけで、悲しい気持ちが想像できますし、悔しさや怒りだって、時には感じるかもしれません。
それが解っているので、手放したくないのですが、いざ、手放してみたら、案外平気なのだな、と思えるようになったのは、私が歳を重ねてきたこともあるでしょうけれど、形ではなく自分の気持ちがどこに向いているのか、を理解できるようになったからだと思います。

今回は、好きなアーティストのCDとDVDですが、私がこれらを購入した本当の気持ちは、常にこの人たちの音楽を聴いていたいからで、形は何でもよかったのです。
今は、スマホひとつあれば、いつでもどこでも音楽が聴けますし、音楽を楽しめるコンテンツもたくさんあります。
つまり、私の好きな音楽は、違う形になっても楽しめるし、幸せを感じさせてくれるモノだということに気が付けたので、手放すと決めたときから躊躇がなくなったのだと思います。

音楽の他にも、私には好きなモノがたくさんあります。
本を読むこと、漫画、プロスポーツ観戦、好きな選手もいます。
それらに関連したグッズがあれば、これまでは、いろいろと買い集めていました。

それらも、少しずつ処分をしてきたのですが、今回CDとDVDを手放したことで、他のモノに対する気持ちにも変化がありました。
まず、グッズ系ですが、今まで処分をしてこなかったモノは、この機会に何らかの形で処分することにしました。
購入した時は、思い出だからとか、記念品だからとか、数量限定だからといった理由で、惜しげもなくお金を支払っていました。
しかし、購入した本当の理由は、私はこの人が好きですよ、このチームのファンですよ、この作品を読んでいますよ、という自己アピールと、好きな人や作者の収入につながるのなら、という、パトロン気分が混ざっていたようにも思います。
ただ、残念なことに、アピールする相手はいないし、お金を支払ってグッズ購入したところで、見返りがあるわけでもありません(グッズがそのまま見返りという捉え方もありますが)
だとしたら、楽しんでいるのは自分一人で、その自分が十分満足したのなら、手放しても大丈夫なのではないか、という気持ちが、とても強くなってきました。

今、ちょうどその気持ちがピークになっているのでしょうね。
これ、まだ持っておきたいな、と思っていたモノも、すんなりとごみ袋へ入れることができました。
そして、まだ残っているモノを、もしもある日突然、すべて失ってしまったら、と考えてみたときに、以前の私は、アレもコレもなくなったら嫌だ、と思っていたのですが、今は、お金と命さえ助かったら、それでいいと思うようになってきました(まあ、実際は必需品だけ残ってほしいですが)

そうだ、過去も処分しよう
お金と命さえ残ればいい、と思えるようになって、グッズや本などの嗜好品以外にも、これはもう思い切ってクリアにしてしまおう、と思えてきたのが、過去の私に関係があったモノです。
具体的に言うと、派遣会社時代に取り交わしてきた契約書的なモノや、ハローワークに通っていたころの資料、そして、効力を発揮することなく持ち続けていた、資格証や証明書の数々(パスポートや運転免許証などの身分証明書は別です)

つい、一年前までは、もう一度派遣会社にお願いして、仕事を紹介してもらおうと考えていたのですが、今はなんとなく、スーツやオフィスカジュアルで仕事をすることに抵抗を感じ始めていて、履歴書を作ることにも、嫌気がさしています。
そもそも、かっちりした服装が苦手なので、求職活動にスーツを着ることが苦痛です。
かといって、この先ずっと無職でいるわけにもいかないので、何か考えないといけないのですが、何かの役に立つかもしれない、と思い込んでいた仕事や再就職関係の資料などを、一度全てクリアにしてしまえば、もっといろいろな可能性が見えてくるのではないか、と思えてきました。

思うに、今まで働いてきた形跡や取得した資格を活かすことを優先して、仕事を探していましたが、逆にそれに縛られて、自分で自分を決めつけていたかもしれません。
そういえば、以前ハローワークでお世話になっているときに、就職アドバイスを受けるサービスを利用していましたが、その時の担当者が、教員免許を持っていることを知るや、教育関係に就職先を絞ったらどうですか、と言われたことを思い出しました。
当時、正直言って教師が余っている時代で(今となっては考えられない状況ですね)、資格だけ持っていても簡単に就職できる状況ではなかったので、あえてジャンルの違う職種を探していたのに、そのアドバイスです。
そのとき、私は教員免許が邪魔だな、と始めて思った気がします。

今となっては、その教員免許も全く不要になっている状態ですが、今まで何かの役に立つのならと、ずっと持っていましたが、今回、心境に変化があったので、仕事関係の役に立っていない資格証は、きっぱりと全て処分することにしました。
これで、自分自身を資格で縛り付けることもなくなると思います。
今後、何を始めるかは全くわかりませんが、まずは自分の価値をゼロにして、そこから足していけるモノ、私が本気で取り組めるものを、探したいと思っています。

まるで、まだ希望に満ち溢れている若者が言う言葉ですが、あと10年もしないうちに還暦を迎えますから、キャリアを初期化してしまうのには、いいタイミングだと捉えて、老後までの時間に備えたいと思います。


CDとDVDを処分すると決めてから、日に日に自分の心境が変化しています。
今も、もうアレも要らない、これも不要だ、と、頭の中で次々と浮かんできています(苦笑)
それがいいことだとは、正直なところ思いません。
なぜなら、それだけモノをムダに手に入れていたことになりますから。
そして、そのことに何十年も気が付かずにいた自分に対しても、残念な気持ちが湧いてきます。
これからは、本当に必要だと思えるモノを見極められるように自分を鍛えて、ムダなモノを手に入れないようにしないといけないですね。