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マシュマロ’sエンディングノート

~At the end of a marshmallow-like life~

終活はモノを減らすことにあらず(Short diary)

2021-06-16 | 終活(モノの整理、心の整理、社会的整理)
中尾彬さんと池波志乃さんご夫婦の、終活に対する姿勢に共感しました。

終活は、今まで使っていたモノを整理して(処分したり手放したりして)これからの人生で必要なモノを買いましょう、という姿勢であるということ。
本当に、そのとおりだと思いました。

これまで手に入れたモノでも、今後の人生には不要だと思ったら、手放す。
この姿勢、常に意識しておきたいですね。

※今回も、日付が変わった後の更新になってしまいました。原因は、のんびり過ごし過ぎたせいです(苦笑)

引越しまであとわずか!というあなたへ言いたいこと

2021-03-22 | 終活(モノの整理、心の整理、社会的整理)
3月もあと9日です。
今月引っ越しを予定しているのに、持っていくモノが決まらない、荷物がまとまらない、あと数日しかない、時間がない、という方は多いですよね。
私のブログ記事も、最近は片付けやモノを処分するテーマの投稿へのアクセスが増えています。
きっと、何かヒントになることがないかと、読んでくださっているのだと思います(思い込みます(笑))

ということで、本日は引越しする方へのメッセージ的な内容で綴ります。

貴重品をまずひとまとめにして
貴重品というと、頭ではわかるけれど、いざまとめようとすると「これ、貴重品?」と迷うモノも出てきたりします(笑)
でも、絶対に持って行かなくてはいけないモノは、大体の人が同じだと思いますので、私が考える貴重品をリストアップしておきます。

 ・現金
 ・年金手帳(※)
 ・通帳(※)
 ・キャッシュカード(※)
 ・クレジットカード(※)
 ・届出印(※)
 ・保険証(△)
 ・免許証(※)
 ・資格証(※)
 ・契約書(※)
 ・携帯電話、スマートホン(※)
 ・マイナンバーカード(※)
 ・公的に保存義務のある書類(※)
 ・貴金属宝石類(※)
 ・資産やお金の運用に関係している書類(※)
 ・パソコン内のデータ(※)
 ・新しい職場や学校へ持って行くべき書類(※)
 ・処方箋かお薬手帳(※)
 ・学校で使うモノ(※)

これくらいかな?
ちなみに、現金以外は持っていない人もいるかもしれないので(※)を付けました。
保険証は、どこへ引越すかにもよるため、各自治体へ確認が必要という意味で(△)を付けています。
また、携帯電話、スマホについては、充電器とか充電用ケーブルとかも必需品じゃないか、と思われるかもしれませんが、持って行くのを忘れたところで、買いなおしができるので、貴重品には入れていません。
パソコンも、本体自体は高額かもしれませんが、それよりも大事にしなければいけないのがデータです。
私は、パソコンを失うよりもデータを失うことの方が嫌だし怖いので、パソコン本体ではなくデータを貴重品としました。
最後に入れた、処方箋とお薬手帳は、持病があって薬が途切れてしまうと命の危険がある人を前提としていますので、風邪薬や鎮痛剤のような、ドラッグストアで買うような薬は対象外です。

貴重品をまとめたら
では、貴重品をまとめることができたと想定して、次の作業です。
といっても、あとはあなた次第(笑)
貴重品以外は、私の中では「買えるモノ、買いなおせるモノ」であると思っていますから、もしうっかり捨ててしまっても、何とかなるというスタンスでいます。
ということは、逆に貴重品以外は全部処分して、本当に必要なモノだけ買いなおしたらいいとさえ思っています。

とはいえ、お金がないのにそんなことムリに決まってる!と思った人もおられるかと思いますので、貴重品以外のまとめるべきモノを、ざっくりとリストアップします。

 ・貴重品に関連したり付属したりするモノ
 ・コンタクトレンズ(※)
 ・眼鏡(※)
 ・キッチンで使う家電品と取扱説明書(※)
 ・靴
 ・3日分の衣類と下着
 ・掃除機か掃除道具
 ・45リットルのポリ袋
 ・非常時の持ち出し袋

これくらいですね。

コンタクトレンズとメガネは、ないと生活に支障が出る場合があるので入れておきました。
貴重品に関連したモノというのは、例えば貴金属の鑑定書や鑑別証、保証書などで、携帯電話やスマホであれば、充電器や充電ケーブル、ポータブルWi-Fiなどですね。
また、先ほどパソコンのデータが貴重品だと書きましたが、データだけ引越し先へ持って行く人は稀でしょうから、パソコン周辺の付属品や機器類、取扱説明書、保証書などはまとめるべきでしょうね。

キッチンで使う家電(取扱説明書も含む)はリストに入れて、キッチンで使う調理器具は何故入れないの?と、言われそうですが、私の経験から言うと、食器や調理器具よりも必要なのは、電子レンジと湯が沸かせるポット類です。
なぜなら、最初の数日間は買ってきたモノを食べたり、インスタントやレトルトを食べることが多いからです。
ここは、思いっきり手作りを食べることは諦めて、手軽に食事を摂ることを優先すべきと思うので、調理器具よりも電子レンジや湯沸かしポットなどを優先してまとめましょう。
鍋やカトラリーや食器は、あとから買えるので、まずはキッチンの家電品で持っていくモノを決定しましょう。

衣類の3日分は、3パターンとかでもOKですが、とにかく洗濯する量が少ない方が引越し先で楽になるはずです。
服は全部持って行きたいの、という人は多いと思いますが、私は引越しを機に新しい服を買い揃えるのもいいかな、と思います。
職場や学校の制服、決まった服装のパターンがある場合は、それにプラスして普段着を3日分か3パターンあれば、引越し先では十分です。

あとは、掃除機や掃除道具、ポリ袋をリストに入れましたが、引越しをするとどうしても部屋が頻繁に散らかるし汚れるので、掃除機、掃除道具、ポリ袋は引越し荷物の中に入れておいた方がすぐに使えて便利です。
ただ、引越し先の近くにホームセンターや家電量販店(生活雑貨売り場あり)がある場合は、なくてもいいと思います。

非常用持ち出し袋については、買いなおしできるモノではありますが、引越し先で思わぬアクシデントに遭遇した時に、非常用持ち出し袋に入れている道具が役に立つはずです。
引越し先では工具が必要かもしれない、と思っても、非常用持ち出し袋に工具のマルチツールなどが入っているのであれば、ムリして工具を持って行く必要はありません。
非常用持ち出し袋って、普段使いできる道具で構成されているので、あれもこれもと悩む前に、非常用持ち出し袋に入っているモノと使用目的が重複しているモノは、ムリして持って行くのはやめましょう。

最後にまとめるモノ
もう、ここからはそれこそ個人個人で自由に選択してほしいのですが、先にまとめたモノを全てまとめてから手を付けてほしいと思います。
そうしないと、いざ本当に必要なモノを引っ越し荷物へ入れ忘れてしまう可能性が高いですからね。
逆に、先にまとめたモノ以外のモノは、全部処分しても問題がないという気持ちでいてください。
問題がないというのは、あくまでも「生活に支障がない」ということが前提ですから、もし引越し先が山奥の一軒家だったりするのであれば、それなりの生活雑貨をそろえていく必要がありますしね。

ただし、家具は本当に最後まで持って行くかどうかを検討してからまとめてほしいです。
というのも、きちんと大きさや面積を把握していても、いざ家具を置いてみたら部屋が狭くなって他に予定していた家具が置けなかった、ということは多々あります。
そして、家具店で働いた経験から言わせてもらうと、大きな家具は一度手放した方がいいです。
よほどのビンテージ家具で何百万円もしたというのであれば話は別ですが、似たような家具はどこにでもありそうだという家具については、手放すことでもっといい家具と出会える可能性の方が高いですから、大好きでもない限りは手放してみてください。
というのも、家具店で勤めていた際は、大半のお客様が「今使っている家具があまり好きではない、少し使い勝手が悪い」という理由を言われていたからです。
もちろん、破損した場合の買い替えで来られるお客様もいますが、それでも「気に入ってなかったから(壊れて)ちょうどよかった」とおっしゃる方が多かったです。
引越し先へ持って行く家具が減れば、その分引っ越し代も安くなる可能性もありますから、家具に関してはまずは手放すことを前提に考えてみてください。

で、ここまで読んで「え、待って、タンスやチェストは持って行かないと、服やその他の雑貨が入れられない」と思われた方、多いですよね?
そういう方は、申し訳ないですが今回の記事を最初から読み直してください(笑)
私は、ほとんどのモノは買いなおせることを前提にお話を進めているので、そんなに多くのモノは引越し先に持って行かないということも、自然と前提になっています(笑)
ですから、必要な家具は、最初にまとめてほしいと書いたモノが入る容量があればいいわけです。

それから、テーブルとイスは?と思われた方もいますよね?(笑)
そうですね、もし家にコタツがある方は、コタツ1セットだけあれば十分だということを、言わせていただきたいです。
テーブルとイスは、食事で必要だと思いがちですが、もし1年中使えるタイプの家具調コタツを持っているのであれば、イスとテーブルは買いなおし対象にして、コタツを優先して持って行きましょう。
コタツさえあれば、とりあえずの数日間は食事もできるし作業もできます。
テーブル、イス、机の類は緊急性がない限りは、持って行かなくても大丈夫です。
それに、コタツは脚を折りたためるので、荷物が嵩張らない点でもいい仕事をしてくれるのですよ(笑)

一度手放してほしい家具TOP3
いろいろと綴りましたが、そんなこと言っても全部買いなおす費用なんてないから、結局ほとんどのモノを持って行かなくてはいけないのよ!
という人も、たくさんいると思いますが、私個人としてはこれだけは一度手放してみてほしいという大型家具がありますので、検討してみてください。

 1位 ソファ(ソファセット)
 2位 タンス
 3位 食器棚

この3つの家具、大体どのご家庭にもあると思います。
食器棚とタンスについては、最近は収納力が高い物件も増えていることもありますし、それこそモノを減らせば必要なくなるかもしれないので「あった方が便利かも」という考えは捨てて「なくても大丈夫かもしれない」という気持ちで、持って行くか行かないかを決めてほしいです。
食器棚やタンスがない方が、スペースを広く使えることは目に見えていますし、実際この2つの家具がないお宅にお邪魔したこともありますが、まったく困っている様子はありませんでしたので、一度チャレンジしてみてください。

そして、1位にしたソファ(ソファセット)ですが、はっきり言って日本人はソファセットがなくても暮らしていけると確信しているからです(笑)
理由はいくつかありますが、まずソファセットがあるにも関わらず、床に座ってリラックスしている方、多いのではありませんか?(笑)
私が知る限り、ソファで家族全員がくつろいでいる家庭って、ほぼお目にかかったことがないです(苦笑)
「いや、ソファがないと困る」という場合のほとんどは、ソファに寝そべってテレビを見ている人がいるか、ソファで昼寝をする人がいるからです。
でも、それってソファを占有している人が存在しているってことでもありますよね?
もしも、家族団らんのためにソファセットを持っているつもりであれば、一度家族の様子を思い出してみてください。
そして家族団らんには、ほとんど使っていないな、という場合は、強制的に手放して人をダメにするソファに買い替えてください(笑)

ソファは、家具店などで見るよりも、家の中に入ってきたときの方が何倍にも大きく感じられます。
そのため、他に置きたい、使いたい家具を別の部屋へ置くことになったり、手放すことになったりもします。
でも、ソファは必需品では決してありませんから、優先順位は下の方でいいのです。

ソファを置くことを前提に設計した新築物件やリフォーム物件であれば、問題はないですが、そうでない場合、日本の物件はソファセットがない方が部屋の空間を広々と使えますので、広さを取るか、ソファがある見栄えのよさを取るか、考えてみてください。

買いなおしする費用はありません、という方へ
そうですよね。
ここまで綴った内容は、まず買い替えられることを前提に、引越し先へ持っていくモノを厳選することをお勧めしてきましたが、実際はそんな費用を出せない人が多いはず。
でも、そういうご家庭でも、絶対に必要なモノ、絶対的に使うモノって、案外少ないと思います。
たしかに、購入した当時のことを考えると、おいそれとは手放せないと思いますが、持っていても支払った購入費は戻ってきません。
だから、使い倒すんだ、という考え方もありますが、そこにとらわれて快適な暮らしが難しくなってしまうのであれば、やはり思い切って手放してほしいと思います。

そして、なによりも、今現在引越しの予定日が迫っていて、荷物が多すぎてまとめられない、という方は、最悪荷物に入れ忘れても大丈夫なモノを、消去法で排除していくのが一番いいと思います。
もしくは、これだけは絶対に持って行く、と決めているモノを先にまとめて「どうしよう」と少しでも悩むモノがある場合は、それは置いていくか手放しましょう。
そうしないと、荷物、まとまりませんよ?(苦笑)


本日は、引越し荷物がまとまらない人に向けて、背中を押してみました(笑)
荷物がまとまらないのは、持って行くべきかそうでないのかが、判断できないからだと思います。
ですが、引越し荷物の決まりなんて、どこにも存在しないしセオリーもないから、仕方がないですよね。
私のアドバイスに対しても、納得できる人とできない人がいて当然ですが、何かを考えるきっかけ位にはなるかな、と思い、少し強引な提案をしました。
でも、本当のところは、すべてを手放すなどムリな話だと思いますから、暮らす上で大切なモノと社会的に大切なモノだけは忘れないようにして、引越し荷物をまとめてください。

あなたのお引越しが無事に済みますよう、陰ながら応援いたします。

目の前にあるモノを不要品と認定する作業の話

2021-03-09 | 終活(モノの整理、心の整理、社会的整理)
3日ほど前のブログ記事で、遺品整理は生前から考えておく方がいいという、私見を綴ったのですが、今回はそのことに絡めて、目の前に溢れているたくさんのモノを、不要品として認定して手放すにはどういうステップを踏んだ方がいいのか、私の経験を踏まえて、考えを綴ります。

親の所有物が多すぎて困る
私もそうでしたが、家の中にあるほとんどのモノは、両親のモノか両親が購入したモノです。
私は、たまたま独身を貫いてずっと同居していたので、ある程度は自分の所有物がありますが、長い年月をかけて、今は使うモノの数や種類を減らすことができました。
とはいえ、ミニマリストだとか、シンプリストだというわけでもなく「それがなくても、生活できるよね?」と人から突っ込まれるようなモノも、まだ持っています(笑)

家を出て、ひとり暮らしをしている人、結婚して自分の家族と生活をしている人の場合は、実家が丸ごと両親のモノと言っていいですよね。
まあ、自分が実家に残したまま処分していないモノがあったとしても、子ども部屋に収まる数量のはずですから、8割から9割は親のモノです。
実家に帰るたびに、いろいろモノが増えて少しウンザリしている人、片付いていなくてイライラしてしまう人、モノが多すぎて危ないから子ども(孫)を連れて行きたくない人、いろいろ事情はあると思いますが、実家を片付けたいと思っている方は、結構多いのではないでしょうか。
動画サービスを視聴していても「実家の片付け」というワードは頻繁に出てくるので、子どもは親の、孫は祖父母の家を、少しでも快適な空間にしてあげたい、という気持ちが強いのだろうと感じます。

なぜ実家を親のモノを処分したいのか
私はずっと同居ですが、不要なモノを処分し始めたいちばんの理由は、私自身が将来この大量のモノを処分しなければならないのか、と考えたときに手間と時間がどれくらいかかるのか、自分が年老いてしまってから着手していては確実に手遅れだ、と思ったことが大きかったです。
とはいえ、最初にモノを処分し始めた頃は、以前も綴ったことがありますが、母への嫌悪感と災害への不安感と恐怖感から、背の高い家具から順次着手したという理由もありましたから、結果的にはその理由が家族の(というか母と私の)安全を確保することに繋がったと思います。

しかし、私のモノではないモノを処分するのは、本当に大変でした。
まず、数が多すぎて要不要を判断しようとしても、いつまでかかるの予測ができず絶望的な気持ちになります(苦笑)
そして、いざ処分しようと思っても、私の所有物ではないので確認が必要なのですが、簡単に「処分していいよ」などと言ってくれることは、ほぼありませんでした。
たまに、すんなり許可が出るモノは、母基準の「ガラクタ」のみ(笑)
私の母は、少し面白いところがあって、例えばパン切り包丁は使うかもしれないから捨てるなと言いますが、食事をする際のナイフは「要らない」のです(笑)
どちらも、頻度で言えば同じくらい使わないモノなのに、母にとっては食事用ナイフは不要、パン切り包丁は必要なモノなのですね。
そんな感じでしたから、私の判断では処分できないモノも多かったですね。

それでも、ここ数年の間に家の中をスッキリさせることができたのは、ただただ根気強く、ことあるごとに「これは、不要なモノである」という根拠を淡々と伝え続けたからでした。
最終的には、母も折れてというか、どうでもよくなってしまったのでしょうね(苦笑)
私が要らないなら、全部処分していいと言ってくれるようになりました。

しかし、いちばん大事なのは片付けをしたいと思っている人が「絶対に片付けて、スッキリした家にするんだ」という強い意志、ブレない目的を持つことが大事なのかな、と思います。
そうじゃないと、親を長い年月をかけて説得することなんてできませんから(笑)

親は、長く生きてきた分頑固で、自分の生き方暮らし方が正しいとプライドを持っているわけですから、その自分が購入したモノ、集めたモノを、子どもが簡単に(本当は簡単ではありませんが)捨ててしまおうとすれば、自分を否定されたように感じてしまうでしょう。
だからこそ、片付ける側は親の生き方や暮らし方を否定しているのではなく、不要なモノを取り除いて今からの暮らしをアップデートしてほしいのだ、と根気よく伝えることが必要なのだろうと思います。

【本題】不要品と判定するまでのステップ1
前置きがとても長くなりましたが、ここからが本日の本題です(笑)

今、目の前にあるモノは、あなたにとって必要なモノですか?それとも不要なモノですか?
家族はどうですか?
パートナーにとっては?子どもにとっては?親にとっては?必要なモノですか?

モノを処分し、家の中を片付けようと思ったら、こういう自問自答は必要な作業になりますよね。
しかし、人によって要不要の考え方やモノに対する価値観は違います。
たまに、そういうことも考えずに、例えばパートナーが集めていたガンプラを単なるおもちゃだと判断して、勝手に捨ててしまう人の話などは、ちょくちょく見聞きします(苦笑)
そういう人は例外として、ほとんどの人は自分が不要だと思っても「これは、家族が必要としているかもしれない」と考えると思います。
でも、やはり少しでも家の中を片付けてスッキリしたいですよね。
そういうとき、最初にするべきことは

自分のモノだけをひたすら仕分ける

本当は、家族が持っているムダな不要品を捨てるか売るかしたいかもしれませんが、とにかく最初のステップは、自分のモノをとことん削ぎ落して、本当に必要なモノだけにすることです。
そして、それは必ず家族の目につくところで作業したり、集めて置いたりしてください。
何故なら、自分の本気度を理解してもらうために!

ただし、1つだけ注意点があります。
それは、処分する気満々で1ヶ所に集めておくと、家族がそれを漁って自分のモノにしてしまう危険性をはらんでいるということですね(笑)
まあ、それはそれで、最初は目をつぶっていいかと思いますが、もし再度自分の視界に入る場所に放置してあったら、そこは容赦なく処分していいです。
だって、もともとあなたの持ち物ですから。
これは、今の家庭でも実家でも同じやり方で構わないと思います。
実家の場合は、自分が使っていた部屋やスペースに「もうすぐ、これらのモノは処分しますよ」ということが分かるようにしておいて、数日間もしくは数週間は放置してください。
そして、次回実家に帰ったときに実家から持ち出して、捨てるなり売却するなり譲渡するなり、自分で考えた方法で処分を開始してください。

【本題】不要品と判定するまでのステップ2
ステップ1の方法だと、家族や親がいつの間にか不要品を救出していることがあります。
その理由は、たったひとつ「勿体ないから自分が使う」です(笑)
でも、実際は使われないまま放置されることがほとんどです。

私の母は、私が大量のぬいぐるみを処分しようと袋にまとめて玄関先に置いていたら、いつの間にか数体抜き出して押し入れの中にしまい込んでいました(後の不要品探しのときに見つけました)
母からしてみたら、可愛いから捨てたら可哀そうだとか、自分(母)が大事にするから欲しいといった理由があったのですが、見つけたときに「これは私が不要と思った私のモノなので、返してね」といって、そのまま処分しました。
私の所有物に関しては、主張を絶対買えずに「欲しいならあげるよ」ではなく「私のモノを私が不要だと判断したのだから、どうしようと私の自由」という態度が大事です。
そうしないと、いつまでたっても家の中、片付きませんから。

それでも、やはり不要なモノを放置しておけば、家族の誰かが持ち去ってしまう可能性は否定できません。
ですから、私は次の方法として

売るモノと捨てるモノに分ける

ということをしました。
実際売却したいモノが少なくても、この売るモノの中には譲渡するモノや寄付するモノも混ぜて1ヶ所にまとめてください。
しかも、わかりやすく貼り紙をしたり、何度も念押しをしておいてください。
すると、不要品の救出率が少し下がります(笑)
おそらく、売却することを強調しておくと、いずれお金に換えるのだな、という気持ちから、それで何か新しいモノを買ってもらおうとか、おいしいモノを食べに連れて行ってもらおうとか、都合のいいことを考え始めるからだと思います(笑)

また、自分にとっても「本当に捨てていいモノかな?」と考える時間となるので、仕分けてしばらく置いておくという作業は、モノを減らすために必要な考え方だと思います。
よほど、緊急に片付けなければならない事情がない限り、仕分けて置いておくことは悪いことではないと思いますので、試してみてください。

でも、この段階では、まだ自分のモノしか手を付けてはいけませんよ。

【本題】不要品と判定するまでのステップ3
自分のモノが、ある程度納得できるまで減らせたら、ひとまず自分がつかうスペースをきれいに整理整頓してください。
それも、家族みんなが「スッキリしたね。それいいね」と思ってもらえるレベルまで(笑)
片付けのプロセスも、できれば見せつけて、不要なモノを手放したおかげで、スッキリと作業できるようになった、ということを強調してみてください。
この段階で、モノを減らすとこんなに快適になるんだね、と思ってくれたらこっちの思うつぼ(笑)
徐々に、相手の気持ちを軟化させるために、少しずつでいいので、モノを減らすメリットを伝えて行けば、相手も不要なモノを少しずつでも手放してくれるようになると思います。

ただ、片付け方がわからないから、散らかるんだ、モノが増えるのだ、という方もいらっしゃるはずですから、そういう場合は、片付けのスペシャリストにアドバイスをもらうとか、関連書籍を参考にするとかして、頑張ってほしいとしか言いようがないので、ごめんなさい。

しかしながら、そもそも片付けを目の前でされることに拒絶反応を示す人も一定数います。
片付けていると、いつも嫌味を言ってきたり嫌がらせをしてきたりする家族に悩まされている人、きっといますよね?
また、専業主婦(夫)だったりした場合は、誰のお金で買ったと思っているのだ、あなたが勝手に捨てるべきではない、と主張されてしまうことって、ありますよね。
これはとても厄介な問題で、特に配偶者の場合は頑なにモノを捨てるな、売るな、譲るな、寄付するな、と言ってくる性格の人もいます。
でもね、これは明らかに「モラハラ」だと思いますから、もし頑張れるのであれば、戦ってください。
モノを所有している人にこそ、それを持つか手放すかを判断する権利があるわけですから、自分のモノを処分するのに配偶者や親の許可は、本当は要らないのです。
そのことだけは、絶対に忘れないようにしていてくださいね。
きっぱりと言いますが、モノを処分することに、罪悪感を感じる必要はありません。

【本題】不要品と判定するまでのステップ4
自分の片付けに、家族が共感してくれたと想定して、ステップ4に進みます。

家族が片付けて不要品を処分したいと言い出したら、個人個人の所有物はそれぞれが自由に基準を決めて、要不要を判断するようにしてもらいましょう。
一緒に住む家族であれば、お互い話をしたり相談したりする機会があるかと思うので、自分の意見を言いつつも相手の意見を尊重して、無理強いしないように心がけてください。
そして、家族が片付けに疲れないように、プレシャーはかけないように気を付けてください。
家族が所有しているモノは、あくまでも本人のモノなので、口出しは無用です。
本人が処分する気になるまで、ひたすら待つ、ただそれだけです(笑)
そして、処分するかしないかで迷っていたら、ステップ2を提案してあげてください。
すぐに捨てるモノだと判断できるモノ以外は、保留でいいのですから、捨てる方向へ誘導する必要はありません。
保留品が増えてくれば、いずれ本人も嫌気がさして「もう全部捨てようかな」と言い出したりしますから、その時は思い切って背中を押してあげると、スムーズに不要品を処分できるかもしれません(笑)

しかし、離れて暮らしている実家の親になると、そうもいかないですよね。
そして、不要品を見分ける基準もブレてしまう可能性が高いですから、本気で実家を片付けたいと思うのであれば、頻繁に連絡を取り、実家に赴いて親とたっぷり話をしてほしいと思います。
その際、捨てることを前提にして話を進めてはいけません。
必ず、親の気落ちに寄り添ってから、でももう手元にあっても生活が落ち着かないのではないの?と、優しく問いかける感じがいいかもしれないですね。
また、買い替えが効くモノでめったに使っていないモノであれば、これは結構ガチな意見なのですが、家電品は特に使っていなくても経年劣化するので「私が新しいのを買ってあげるから、先に処分してスペースを作っておいて」という感じで、手放す方向に誘導してみてください。
型の古い家電品を使うと、ショートや漏電で火事の危険性が高まりますから、そのことを強調して新調することを提案しましょう。
そして、買うまでに少し時間を空けてください。
何故なら、それまでも特に使っていないモノであった場合は、処分した後に「また新しいモノを買うと邪魔かもしれない」と思ったりする場合があるからです。
しばらく買わずに様子を見て、新しいモノはいつ買ってくれるのか、と言い出したら、そのとき初めて購入を検討したらいいと思います。

家電品以外のモノも、一度「新しいモノを買ってあげようか?」と提案してみてください。
もしくは「新しくした方が、使い勝手が断然いいよ」とメリットになる情報を集めておきましょう(笑)
結局、モノをなかなか処分できない人、手放せない人というのは、手放すメリットを想像できないから拒むのです。
でも、処分することによって、何か自分にとってメリットが得られると確信できれば、そこまで頑なに持ち続けることもないです。
母は、まさにそれで落ちることが多かったです(笑)
結局、自分以外の家族や実家の親にモノを手放してもらうには、まず気持ちを解きほぐすことから始めるのが不可欠で、やり方や処分した後のメリットよりも、わかりやすい目先のメリットを伝える方が、こちらの思う形になりやすいです。

【本題】不要品と判定するまでのステップ5
一旦、ステップ5で終わりにします。

ここでは、一応家族や実家の親が片付けに意欲的になったところからの、具体的な作業です。
この段階まで持ち込んだら、家族や実家の親のサポートに回りましょう。
まず最初は、ステップ2を実行してもらい、捨てるモノと売るモノ(譲る、寄付するも同じでOK)を仕分けて一か所にまとめます。
次に、捨てるモノの分別(自治体の分別方法に則って)を手伝ってあげてください。
この時に、間違った仕分けをしたり、やはり捨てたくないと言い出したりされると、怒りがこみ上げてきますが、そこはぐっと我慢して、優しく間違いを正し、捨てたくないモノは保留のカテゴリーへ移してあげてください(苦笑)

集めた不要品全部の分別が終わり、無事捨てることが完了したら、次は売るモノの仕分けです。
この時は、まずどうやって売るのか、と聞いてあげましょう。
すると、アクティブな性格の人であれば、結構スピーディに売却方法を決めて、すぐに手配を始めると思いますので、その場合は完全に相手に任せてしまいましょう。
もし万が一、売れずに手元に残ったから、また所有すると言い出しても、イライラせずに「わかった」と理解を示すフリでもしておきましょう。
とにかく、相手に嫌な思いをさせないことを優先しておけば、いずれまた「この間のあれ、やっぱり要らない」という気持ちになりやすいと思います(笑)

で、問題は、売却方法にしても、そのあとの行動にしても、自分たちはしたくない、できる人にやってほしいという依存型の性格の人の場合ですよね。
こういう場合は、大体モノを減らしたらどうかと提案した人に頼ってきたり、丸投げしてきたりしますから、その場合はとことん念を押して、自分に一任する許可を得ましょう。
そして、まずとりあえず売りたいモノとして仕分けたモノ全部、リサイクルショップに持ち込むか、ネットのフリマに出品しましょう。
とても面倒くさい作業ですが、致し方ありません。
その作業を肩代わりするのが嫌なら、もうそこでEndです。
家族や実家の親のモノを処分することは、一度白紙に戻してください(え~)

いや、ほんともう私はずっとこんな感じで、なかなかモノが減らせなかったのですよ(苦笑)
でも、誰かが思い切って行動しないと、モノなんて減らないのですよ。
せっかく一任してくれるのなら、そのチャンス絶対に逃したらいけません。
相手に考え直す暇を与えないくらい、素早く行動しましょう(笑)

次に、もし売却できないモノが大量だった場合は、所有者本人に報告した上で、誰かに譲るか寄付するかの提案をしてみてください。
もし、誰それさんにあげたいと言い出したら、一度は頷いてください。
でも、簡単に譲ってはいけません。
何故なら、その人はそんなモノ要らないというかもしれませんから(笑)
そして、連絡もすぐにはしないで、まず譲りたいと言っているモノの査定を、ネット検索でしてみましょう。
大体のモノは、数百円で売れているか、全く買い手が付かないまま放置されているか、そもそも買取基準に満たないかもしれませんから、その現実を所有していたご本人に伝えましょう。
他人にとって、価値がないモノはたとえ無料でも要らないモノです。
相手に無理やり譲っても、相手に嫌な思いをさせるだけなので、それはぜひやめてあげてほしい、と訴えてみましょう。

これも、私が母と実際にやり取りした内容ですが、母は購入金額が高かったモノや新品同様のモノは、売れなくてもいいから誰か貰ってくれないだろうか、と言い出すことが多く、そのたびに「私だったら要らない、他人ならなおさら要らないと思うけど、それでも欲しい人探すの?」と問いかけていました。
よく、要不要を考えるときに、もしリサイクルショップにあったら自分は買うだろうか、買ってでももう一度手に入れたいと思うだろうかと考えて、それはしないと思ったら捨てましょう、というアドバイスを見聞きしますが、私の場合は、無料でも要らないかどうか、をとことん考えてもらうようにしていました。
自分が手放すのだから、もう一度手に入れることなんてしないという確信もありましたし、母の場合は自分のモノは他人に譲ろうと必死になりますが、他人から何かをあげますと言われると、渋りがちです(笑)
本人が、モノを貰うことに抵抗があるのに、人には譲りたいだなんて、どれだけ虫がいいんだという話ですからね。

まあ、この段階で説得しきれなかったら、また一度中断して、しばらく間を空けましょう。
この間を空けることって、実はとても大事です。
自分のストレスも一旦収めることができますし、相手に考える時間を与えることができますからね。
納得していないうちに、モノを処分させてしまうと、絶対に後からいろいろと言われるので、そこはやはり根気よく進めて行きましょう。

そして、売却も人に譲ることも諦めたら、次は思い切って処分なのですが、ここで自治体のルールによっては、無償で古着や不要品を回収していることもあるかもしれませんから、その場合は回収に出すことも検討してみましょう。
でも、これはあくまでも検討ですからね。
所有者本人が「もう、捨ててくれ」と言っていたら、迷わず捨ててください(笑)
無償の回収に回すのは、あくまでも本人が最後の最後に捨てることを渋っている場合のみです。
これは、気持ちに整理を付けてもらうための提案ですから、かならず実行すべきことでもありません。
もちろん、エコロジーの観点から簡単には捨てたくないというのであれば、なるべく捨てないような方法を探していただいていいのですが、それをする気力も体力も残っていない、回収に持って行くには数が多すぎるなど、実行するのが少し難しい場合は、もう思い切って捨てましょう。

そして、予定していた不要品を全部処分できたら、一度お疲れ様の意味を込めて、美味しい食事を一緒に食べに行き、これまでの経緯を思い出したり、今後はムダなモノは買ったり貰ったりしないようにしようね、と話をして一旦終わりにしましょう。
その段階で、まだ捨ててほしいモノがいっぱいあったとしても、それはそれ。
手放すと決めたモノを、全て手放しただけでも前進していると思うので、次はまた落ち着いてからでいいと思います。


今回は、またもや長い内容になってしまって、途中で読み飽きた方もいますよね(苦笑)
どうしても、モノを処分する、不要品を手放すということに関しては、いろいろ思うことが多くて、つい長くなります。
でも、今家の中を片付けたい、モノを減らしたいと思っている人は、きっと私と同様にいろいろと思うことが多いのだと思います。
だって、何も考えてなかったら、モノが多かろうと溢れていようと散らかっていようと、気にしませんからね(笑)
モノを処分するって、それだけ精神的に大変なことなのです。

遺品整理は生前に考えておいてほしい話

2021-03-06 | 終活(モノの整理、心の整理、社会的整理)
久しぶりに、モノを処分することに関連した内容で話を綴ります。
最近、私のブログ記事で片付けや整理整頓やモノの処分をする内容が頻繁に読まれています。
おそらく、家の中を片付けたりモノを捨てたりしたいけれど、決心がつかない、やり方がわからないなどで、検索してみたら偶然ヒットした、という感じだと思いますが、私が個人的に感じたり思ったりしたことが誰かのお役に立つかもしれないと思ったので、本日は特に遺品整理のことについて綴ります。

実の親でも義理の親でも生きているうちに
病気や事故で突然無くなる場合は別ですが、順番としては歳を重ねている人から旅立ちます。
当然、自分の親は自分よりも早くに旅立ってしまいますが、その時になっていざ故人の所有していたモノを相続したり処分したりするとなると、お別れの悲しさや寂しさがどこかへ追いやられてしまうくらいに、体力と精神力を奪われます。

かといって、まだ元気で誰の手も借りずに暮らしていける人の所有しているモノの処分や相続を考えるなんて、なんだか人としてダメなこと、罪深いこと、無慈悲なことのように思えますよね。
しかし、遺品整理って本当に大変なのです。
モノを処分したり売却したりと、行為そのものは手順を踏めば終わることですが、そこには家族や親族や親しくしていた友人の感情や生活習慣や常識といったことが必ず絡んでくるので、一筋縄ではいかないのが現実です。
もしも、自分の家族、特に親のことであれば、お別れの際に少しでも悲しみや寂しさ、思い出に思いきり浸れるように、できる限り生きているうちに、いろいろと考えたり調べたりしておくことが必要だと思っています。

ただ、ひとつだけ気を付けていただきたいのは、考えたり調べたりするときは、自分だけで、あるいは理解を示してくれる家族や親族とだけ情報を共有してください。
そうでないと、必ず批判してくる人が現れますから。
大事なのは、いちばん近い人、いちばん理解している人が頑張って考えて調べておくことです。
批判してくる人は、実際は何もしてくれません。
泣くだけ泣いて、悲しむだけ悲しんで、いざ遺品整理するというときに、おいしいところだけを持って行かれてしまうことが多いです(全員がそうとは言い切れませんが)

少し話が逸れますが、私の母は何故か母の実の姉(私の伯母)の一生の面倒をみろと、他の義理の親族から言われたことがあるそうで、母は6人兄弟姉妹なのに何故母が実の姉の一生の面倒をみろと言われてしまったのか、いまだに謎です。
結局その伯母は、伯母の子どもたち(私のいとこ)がしっかりと見送ったし、孫たちからも暖かく見送ってもらいました。
その話を思い出したのは、所詮血のつながりがなかったその義理の親族にとって、家族を見送るまでの面倒なことは全て人に押し付けておけばいいと考えてたからなのかな、と最近になって合点がいくようになりました。

何が言いたいかと言うと、結局一番近くにいる人、故人を思っている人が誰の意見からも左右されないようにしっかりと準備しておいた方が、気持ちを乱されずに済むし、穏やかな気持ちで見送ることができるのではないか、ということです。
そして、自分が最期を見送って、そのあとのことも責任を持って引き受けよう、という気持ちが固まったら、しておくといいと思うことを、次に綴りますね。

まずは法的手続きから
法的手続きについては、今すぐに調べ始めてください。
全国統一された手続きもあれば、自治体(親と離れて暮らしているのなら、親が住んでいる住所の自治体)でサービス内容が異なる手続きもありますので、まずそこは今すぐ調べておいた方がいいです。
また、人が亡くなったら、どのような手続きをするべきなのか、ということが詳しく紹介されているWEBサイトなどもたくさんありますから、暇なときに検索したり読んだりしておいてください。

一般的な手続きをざっくりと把握したら、次は具体的な手続きを想像する程度でいいので、考えてください。
例えば、不動産は大体どれくらいあるのか、動産はどれくらいあるのか、車は所有しているか、金融口座はいくつ持っているか、証券などは所有していないか、パソコンやスマホは持っているか、いつも大切な書類はどこにしまっているかなど、いざ遺品整理するときになって、これらを全部初めて知りました、となってはひとつずつ作業をつぶしていくだけでも大変な作業量になってしまいます。
詳しい手続きが解らなくても、それらを持っているかどうかだけでも知っていたら、次にすべきことがわかりますから、日ごろの雑談などで把握しておくといいと思います。

特に、パソコンやスマホは、ネット銀行やネット証券やネットでの株取引をしていた可能性が考えられるので、気を付けておかなければならないと思います。
また、最近になって問題になりつつあるのが、サブスクリクション契約をしていて、故人の口座が凍結されたことで引落がされずに、支払いが滞って負債になってしまうという例です。
サブスクに限らないのですが、月額払いや年額払いで何かを契約している場合は、故人がなくなってすぐに解約手続きをする必要がありますから、特に気を付けておいた方がいいと思います。

ちなみに、私は年会費を払っていることに「ファンクラブ」と言うのがありますが、これは会費が一定期間支払われなくなったら自然と退会ということになっているので、まあ放置していても大丈夫かとおもいつつ、いつか退会したほうがいいだろうな、とも思っています(笑)

相続の手続きが完了したら次は遺品整理
法的な手続きが完了したら、いよいよ遺品整理です。
ここで言う遺品整理は、故人が所有していたモノの片付けや処分のことです。
実は、法的手続きが完了していない場合は、故人が所有していたモノを勝手に処分したり売却したりすると、手続き前から相続をしていたとみなされるらしいです。
とはいえ、資産になるような貴金属や骨とう品や調度品以外は、細かく指摘されることはないと思いますが、法律を厳密に守るとしたら、相続の手続きが終わってから遺品整理をした方が、安心安全ですね(笑)

モノの遺品整理を経験した私としては、これはぜひ生前から処分方法とそれにかかる手続きや費用を、把握しておいてほしいというモノがあります。
それは、

重量のあるモノ
高価なモノだとすぐにわかるモノ
特別な分別が必要なモノ


この3種類です。

重量のあるモノ
これは、いろいろあると思うのですが、私が遺品整理した重量のあるモノとしてまず一つ目は

金庫

これ、我が家の場合はアタッシュケース型の金庫だったのですが、非常に厄介です!
まず、見た目がアタッシュケースの癖に異常な重さです(苦笑)
まあ、当然ですよね。
中に入れたモノを、衝撃や火災から守るために製造されたモノですからね。
ただ、我が家にあったのはアタッシュケース型なので、泥棒に持って行かれたらそれまでという、セキュリティに穴がある品物であったので、当然処分を考えました。
ところが、金庫って多重構造になっているので、鉄でもないしプラスチックでもないし、一体なにものとして処分したらいいの?と、散々迷いました(苦笑)
しかも、燃えないし......

結局、市の規定に従って処分することにはなりましたが、もしも据え置き型の大きな金庫だったら、専門業者に依頼する必要がありました。
もしも、大きな金庫が親の家にある場合は、まず引き取りをしてくれる業者の目星をつけておくことをお勧めします。

次に

碁盤、将棋盤

です。
これを所有しているご家庭は、そんなに多くないかもしれないですが、ここで言う碁盤、将棋盤とは、公式の大きな対戦で使われるような、テーブルのような形をした本格的なモノのことです。
テレビ中継などで見かける、あれですね。
私の父は、碁や将棋が娯楽のひとつだった世代なので、我が家はもちろん親戚の家にも立派な碁盤がありました(将棋盤はなかったです)
我が家にあったのは木製だったので粗大ごみで出せましたが、裕福な家庭であれば大理石や御影石などでできている盤もあるかと思います。
そうなると、自治体によっては粗大ごみで受け付けてくれないかもしれないですし、逆に高級な大理石や御影石であれば、売却するほうがいいかもしれませんが、できるだけ買い手が付きそうなところへ売却したほうがいいので、業者の下調べは必要になります。

それにしても、碁盤や将棋盤は自分がしないと何の価値もなくなるモノなので、遺品になければラッキーなアイテムだと思います(苦笑)

重量のあるモノの三つ目は

本格的な工具一式

以前のブログにも綴りましたが、本格的なDIYをする趣味がある場合は、工具類も処分が大変だということだけは覚悟をお願いします(苦笑)
まず、総重量が半端なく重たいです。
また、電動工具などがある場合は、それこそ処分方法に制限があるはずですので、まずは売却できるリサイクル店や譲渡できる人を何名かピックアップしておいた方がいいです。
我が家の場合は、金属製のモノは金属回収に出して、その他のモノは家庭ごみや粗大ごみに出しました。
たまたま電動工具は持っていなかったので、そのあたりの苦労はしませんでしたが、もし戸建に住んでいたらもしかして......と思うと、マンション住まいで本当によかったと思います(苦笑)

工具も、いろいろな素材でできているので、処分する際は自治体の処分方法をあらかじめ調べておくことをお勧めします。

高価なモノ
高価と言っても、人それぞれ価値観が違うかもしれませんし、興味のないアイテムだったら高価だかどうだかも判りませんから、この辺はぜひ日ごろから何気ない会話をして、把握しておいてください。
私も、あまり詳しくない方なので、時々「これもしかしたら簡単に処分できないのでは?」と思うモノが出てきたりしましたので、しつこくネットで調べて、最終的には「捨てても大丈夫そう」というモノは、躊躇なく捨てました(笑)
また、ブランドの食器などに関しては、箱がないとあまり高額では売れないので、これもサクッと捨てましたよね。
ちなみに、食器は遺品整理ではなくて、家の中を整理したくて処分したモノですが、まあ、母が亡くなる前にとりあえず手放したいという一心だったので、生前整理?

特別な分別が必要なモノ
金庫もこのカテゴリーに入りますが、金庫以外でも「これって、普通に捨てられないし、分別もできないし、粗大ごみでもなんだか怪しい」というモノは、必ず出てきます。
でも、こういうモノは実は日ごろから見えるところに置いてあることも多いです。
我が家の場合は、額に入った父の油絵ですね。
小さいモノであれば、普通ごみに出せるのですが、大きいモノはどうするの?と悩みましたが、最終的に額が木製なので粗大ごみに出すか、小さくバラバラにしたら普通ごみでもOKということがわかっています。
ただし、ガラスがはまっているので粗大ごみに出す方が楽ではありますね。

それから、今現在とても悩んでいるのが、大きな仏壇です。
正直、こんなに大きな仏壇は要らないのですが、簡単に処分できないのですごく悩んでいます。
我が家は浄土真宗なので、よく言われる「魂抜き」はしませんが「遷座供養(せんざくよう)」が必要だそうです。
ですから、処分するための諸費用に加えて経をあげていただく費用が必要になりますし、その段取りもしておかなくてはいけません。
なんだかいろいろと面倒くさいので、私個人はいまのところこの問題を放置していますが、もしも大きな仏壇がある家庭は、宗派をしっかりと調べて、引き取ってくれる仏壇店や業者、そして経をあげてくれるお寺を調べておいてください。

また話が逸れますが、今フジテレビで放送されているドラマ『朝顔』で、主人公である朝顔の祖父の家に、割と立派な仏壇があります。
ドラマの展開で、朝顔の祖父は余命が短く、今後劇中で亡くなるシーンもあるかと思います。
朝顔の祖母はすでに亡くなっているので、祖父が亡くなるとその家は何らかの形で処分したり売却したりするか、あるいは朝顔の家族が移り住むことになるはずです。
ドラマでそこまで描くことはないと思いますが、現実問題として家の中のあれやこれやは、どうするのだろう、とドラマを見ながら本筋とは関係ないことに気を取られがちです(苦笑)
そして、多くの子ども世代や孫世代は、この問題に直面していると思うと、モノはやたらと残しておくべきではないな、と改めて思ってしまいます。

私には子どもがいないので、当然孫もいませんが、私が1人で旅立っても、私の所有物は消えてなくなりません。
だから、私はなるべく「モノ」という形の遺品は残さないようにしておく必要があると感じています。

ストレスのない遺品整理を
今まさに遺品整理に取り掛からなくてはいけない人は、きっと何をどうしていいかわからなかったり、迷ったりしていることと思います。
故人の気持ちや故人との思い出を考えると、簡単にモノを処分することや手放すことは難しいかもしれません。
ただ、今生きている人たち、今生活をしている人たちが、思いのほか悩んで生活に支障が出たりストレスを抱えているようなら、できる限りモノは捨ててください。
もちろん、分別などはきちんと把握したうえで、できればお金に換えたいなどとも考えずに、捨ててください。

よく、テレビやネットで、家の中の不要品を売ったら何十万円にもなった、という話が紹介されますよね。
でも、あれは売却するまでのプロセスが長かったり、いろいろな手続きが発生したり、テレビの場合は面倒なプロセスを専門家や番組スタッフが代行してくれていることも多いので、個人的に何十万円も手にするには、莫大な時間と手間がかかると覚悟する必要があります。
ヘタをしたら、仕事以上に作業量が多いし疲れると思います。
それでも、何十万円を手にしたいと思うのであれば、頑張ってくださいね、としか言いようがないですが、多くの人は途中で嫌気がさして、結局多くのモノを手元に残したままになっていることも少なくないようです。

故人のモノに対する気持ちは、誰にもわかりませんし故人の声も聴くことができませんから、今生暮らしている人が幸せに楽しく暮らすことを優先してもいいはずです。
どうしても気になる気持ちは理解できますが、ストレスだけは溜めないように、またこの先遺品整理をする可能性がある人は、その時のために心と周辺の準備をして、ストレスを軽減できるようにしておいてください。


かなり長くなりましたが、遺品整理って本当に大変ですし、100人いたら100通りの遺品整理の形があると思っています。
全ての例に当てはまるわけではありませんが、経験した者として実感していることはしっかり残しておこうとすると、内容がくどくなってしまいました(苦笑)
もしも、片付けやモノを処分することに悩んだ末に、このブログにたどり着いた方は、ほんの1例として捉えていただけたら幸いです。

やってみて私向きではなかった家事の方法

2021-01-31 | 終活(モノの整理、心の整理、社会的整理)
家事をする中で、少しでも便利にしたいとか、自分が楽しくできるようにとか、いろいろと工夫している人は多いと思いますが、動画やテレビ番組で「この方法、私もやってみよう」と試してみたけれど、自分には合わなかったということも少なからずあるのではないでしょうか。
本日は、私が「自分には向てなかった」という家事の方法について綴ります。

揃いの容器に入れ替える
SNSにアップされている動画や画像には、買ってきたモノを好みの容器に入れ替えて使う人も多いですよね。
見た目が揃っていることも、きれいに見えて素敵ですが、周りのインテリアや壁の色などに合わせて、その部分に違和感が出ないようにする工夫でもあります。
また、密封するためにひとそろい買い揃えている人もいますよね。

私も、そういう工夫をしたいと思い、まずは家にあった容器を使って詰め替えをしてみました。
詰め替えをしていたのは、調味料類、だしの素、粉末の飲み物(大袋)、お菓子、乾物、洗剤類、コットン、綿棒などで、慣れてきたら、見た目が好みである容器を買い揃えて全部入れ替えようと考えていました。

が、しかし、3回目くらいの入れ替え作業くらいから、どれもこれも面倒くさいと感じるようになりました(苦笑)
わざわざ揃いの容器を揃えて、いちいち移し替えていると、多かれ少なかれ、こぼしたり粉状のモノはちょっとした風圧で飛び散ったり、素材によっては容器にこびりついてしまい、カビなどの原因にもなるので、しっかりと洗う必要も出てきます。
その作業がとにかく面倒くさくて、容器の入れ替えをしないと湿気ってしまうとか変色してしまうとかではない限り、容器の移し替えはやめました。

それでも、容器に移した方が保存に向いているモノや詰め替え用商品の場合は、容器に移し替えていますが、揃いの容器は使わないことにしました。
現在、容器へ移し替えているのは、個包装になっていない菓子類(パッケージが密封できないタイプ)、だしの素(セール品が詰め替え用だから)、シャンプーとコンディショナー(大容量の詰め替え商品を購入しているので)です。
あとは、袋入りの漬物や佃煮のような、袋に入れたままだと取り出し難い食品や砂糖については保存容器に入れ替えていますが、その他のモノはできるだけ買ってきた容器やパッケージのまま保存できる商品を意識して購入しています。

容器を揃えて入れ替えをしている人は、大体「見た目」が揃っていてスッキリして見えることや、オシャレに見えるということから実践している人が多いようですが、私は買ってきた容器のまま使う方が脳内処理が早く済む(一瞬見ただけで何がそこに在るのかが認識できる)ので、時短になると感じています。
同時に、オシャレに見えるという点では、何故か日本人は輸入品など、ラベルやパッケージが外国語で書かれている商品は、そのまま置いておいてもオシャレだと感じるようですが(私もそう思います)、よくよく考えたら、外国の日本好きな人は、日本の商品をパッケージのまま置いていて、それがオシャレだと感じていることもあるのですよね。
ということは、私たち日本人が日本の商品をパッケージのまま使っていても、もしかしたら結構オシャレにみえているのではないかな、と最近になって思うようになりました。
要するに、他人が見てどう思うかを優先するより、自分が使いやすいかどうかを優先したほうが、家事効率は上がるので、余計な手間は増やさない、というのが私の考え方です(笑)

家事の順番をきちんと決める
これ、いちばん私が苦手なことです(苦笑)
家事の順番を決めてしまうと、イレギュラーな予定が入ったときに脳が疲れてしまうのですよね。
頭の中では、次の家事を考えていたけれど、突然来客があったりするとできなくなります。
お帰りいただいてから、家事の続きをしてもいいのですが、大体は来客があった時間帯の家事は結局できなくなってしまうことも、よくあることです。
すると、もともと意識していた自分の行動が全部崩れてしまうので、それが結構脳にも身体にも影響します。
準備していたことや心持ちを、どこで処理していいかわからなくなっている状態なのかな、とも思います。
多分、帳尻合わせが上手くできないのです。

私が完璧主義なわけではなく、結構私の知人や友人も、このことについては共感してくれます。
全く同じとは言いませんが、ワンオペで子育てしている主ふ(婦・夫)は、体力的なことだけでなく、きっと脳が疲労してしまっていて、残念な事故や事件が起こってしまっているのではないだろうかと、考えることもあります。
だから、自分のメンタル面での健康を保つためにも、約束したことや仕事以外のことでは、なるべくスケジューリングしないようにしています。

メディアのアイデアを実践する
全てが苦手ということではないのですが、メディアなどで紹介される家事アイデアは、私向きではないことも結構あります。
それこそ、少し前のブログ内容でも綴りましたが、卵の黄身と白身を分けるライフハックは、正直汚れ物が増えるし道具の準備も面倒くさいです(苦笑)
ですから私は、割った卵のカラを使って黄身と白身を分けています。

掃除の工夫も、実は面倒くさくてやめてしまったことがたくさんありまして、例えば割り箸の先にティッシュやキッチンペーパーを巻きつけて、輪ゴムで固定して、窓の桟のような狭い場所や細かいへこみの汚れを取る方法。
これは、道具の準備が面倒で1度試して以来実践していません。
窓の桟を掃除する際は、細かい場所の汚れは綿棒で掻き出して、あとは雑巾やペーパー類で拭き取っています。
まあ、それだと完全にはきれいにならない場合もありますが、もう気にしないことにしました(苦笑)
ちょっとした場所なら、つまようじでも十分きれいになりますし、綿棒やつまようじでは小さすぎる場所は、その辺にある細長いモノにペーパー類を簡単に巻いて(輪ゴムは不使用)拭いたりしています。

それから、時短レシピなども、結局分量が多すぎたりして材料が使い切れないこともあるので、最終的には時短レシピは参考にしていないことの方が多いですね。
ちなみに私の時短レシピは、半調理済み品や調理済み品を使ってシンプルな料理を作ること。
よく、缶詰を使って高級料理店のような料理を作るというコンセプトの時短レシピがありますが、私は高級料理店の料理は、高級料理店に行って食べたいので、家では再現しません(笑)

アイロンがけ
もう、とにかく準備が面倒くさい(笑)
どれだけ、簡単なかけ方が紹介されようが、便利なアイロンが販売されようが、そもそもアイロンがけが面倒くさいです。
だから、アイロンがけをしなくても大丈夫な生地の服しか買いません。
また、糊がパリッと効いたアイロンでピシッとしているブラウスを着ることが、学生時代から大の苦手でして、理由は襟元に糊が効いていてパリッとしていると、首筋が赤くなってしまうのですよね。
それが嫌で、両親にはアイロンはかけないように頼んでいました(アイロンがけは父がすることも多かったので)

補修
例えば、衣類の裾のほつれを縫ったり、壊れた道具を自分で修繕したりすることは、嫌いではないし不得手でもないのですが、そうやってまで使い続ける価値や意味があるのかどうか、ということを考えると、処分してしまう方がいいし、もしこの先何年でも使い続けたいモノであるなら、プロの手によって修繕してもらう方がいいのではないか、と考えるようになってからは、ムリして自分で補修することはやめました。
その、補修に費やしている時間が勿体ないと感じることの方が、圧倒的に多かったので、応急処置が必要な場合以外は、補修作業はしないですね。

布巾や雑巾を繰り返し使う
エコロジーの観点から言うと、布巾も雑巾も洗って繰り返し使うべきかもしれないのですが、私は使い捨てられる商品があるのであれば、そちらを使いたいです。
理由は、酷い汚れが付いた布巾や雑巾を洗うのが嫌だから。
汚れが落ちるまでに、時間と労力を使うので、正直効率が悪いと感じています。
キレイに洗う時間を、他のことに使いたいという気持ちの方が大きいこともあるのですが、衛生面についても少し嫌だなと思ってしまうので、酷い汚れが付いた布巾や雑巾は、すぐに捨ててしまいますね。
ですから、お掃除シートは私にとってはありがたい商品だったりもします。

大掃除
これ、最近はやらない人も増えてきましたよね。
正直に言うと、年末の大掃除なんて効率悪すぎて絶対にやりたくないです(笑)
ですから、私はちょっとした時間ができたときに、日々の掃除ではしない場所を1ヶ所だけ、集中して掃除するようにしています。
最近であれば、浴槽エプロンの内側とか、換気扇(の中やファンの部分)の掃除ですね。
とにかく、その時に思い付いた箇所を掃除するため、スケジューリングをしない方がフットワークが軽くなれるということもあり、家事の順番を決めていないことにもつながっていきます。


その他も、普通はやっているのではないか、という家事をしていなかったりしますが、基本的には家事に時間をかけたくないという気持ちが強いために実践していないことが多いです。
いくら、便利なグッズが出ていようと、簡単な方法が存在しようと、準備に時間がかかったり、わざわざ家にない道具をそろえる必要が出てくるのであれば、大体却下です(笑)
結局、なんだかんだで、シンプルな思考と行動が一番便利で時短なのではないか、というのが最近導き出した家事の工夫です(笑)

手放した今の心境(好きなモノ、趣味のモノ、グッズ系)

2021-01-30 | 終活(モノの整理、心の整理、社会的整理)
昨日は、家庭ごみ回収日でした。
出したごみの中には、やっと処分することにしたサイン入りのレプリカユニフォームが入っていました。
家の中には、使用しているモノ以外のグッズは全てなくなりました。
趣味で集めていたモノや好きなモノも含めて、処分してしまった今の心境を、振り返って綴ります。

これまで処分した好きなモノ、趣味のモノ、グッズ系
思い出すだけでも、かなりの種類と量がありますが、思い出せるだけ思い出してみると、アーティスト、アイドル、俳優、野球関係、サッカー関係、漫画やアニメ、ディズニー、絵本、ミニチュアとドールハウス、イラスト(描く方)、食器類、ぬいぐるみと、項目だけを書き出しても、かなりの数ですね(笑)
振り返ると、私の趣味範囲が広く浅いことを再認識します(苦笑)

この項目をさらに細分化すると、例えばアーティスト、アイドル、俳優だと、雑誌、CD、DVD、ライブグッズ、映画グッズ、出演CMのフライヤーやパンフレットなどまで集めていましたし、漫画やアニメとなると、原作本、映画グッズ、キャラクターグッズ(さらにここは細分化されます)、コラボ商品となりますし、スポーツ関係でしたら、チームグッズ、選手グッズ、録画した試合のDVD、サイン、スポーツ雑誌、スポーツ紙の切り抜きと、とにかく集めたい種類がたくさんありましたね。

ディズニーは、主に食器と文房具関係、絵本は自分が幼少のころ好きだった絵本や、かわいい絵の絵本を集めるのが好きで、当時はいつか絵本カフェでも開けたらいいな、という夢もありましたが、諦めました。
ミニチュアとドールハウスは、食器収集と少し動機が似ていて、憧れている暮らしを投影させていました。

ちなみに、イラストは漫画好きの影響でして、描いている当時はさまざまな画材で机の引き出しが満杯になっていました。
モノづくり系や創作活動は、作品と道具の両方が増えるので、雑多になっていましたね。

割と手放すことに抵抗がなかったモノ
いろいろなモノを集めていた中でも、手放すことについて抵抗がほとんどなかったモノがいくつかあります。

ひとつは、食器類でグッズ系やディズニーのモノです。
以前も綴ったことがあるのですが、これらは私が本気で好きだったというよりは、他人軸で集めていたら素敵だとか、持っていたら人から羨ましがってもらえるとか、そういった承認欲求が集めさせたモノだったので、ある日ふと興味がなくなってしまいました(苦笑)
興味がなくなっても、処分するまでには少し時間がかかりましたが(買取や譲渡先を探していた)手放したときは開放感を得ましたね。
中には、高い食器もありましたが、少しも未練がありませんでした(笑)

絵本も、すぐに手放せたモノのひとつですね。
本なので、まず古本屋に持ち込むことができますし、知り合いの子どもにあげたりもしたので、私が集めた絵本で笑顔になる子どもがいるなら、それで満足だと思いました。
若い頃は、自分に子どもを授かったら集めた絵本を読んであげようと計画していましたが、本はまた買えばいいし、絶版になっていたら図書館で探してもいいし、趣味で集める必要性がないと思ったので、手放した今も後悔はありません。

ミニチュアとドールハウスは、後悔うんぬんよりも、とにかく飾る場所が確保できないという部屋事情があったので、一度全部処分して、またどうしても作りたくなったら、いろいろと集めたり買ったりすればいい、という気持ちで手放しましたが、結局手放して以来ドールハウスは一度も作っていませんし、ミニチュアも集めたり作ったりするのをやめました。

ぬいぐるみは、自分が本当は生きた動物と暮らしたかったけれど、それが叶わなかった代替として集めていたことに気が付いたことと、途中で自分の感情に変化があったので、最後は単なるモノとして捨てましたね。

なかなか処分できなかったモノ
当ブログでは、何度も綴ってきたことですが、人(人間)絡みのモノは、正直に言うと親の写真を処分すること以上に、自分の心を納得させることに苦労します。
要するに、捨てることも売却することも躊躇するし、単なるモノであるにもかかわらず情や思い入れが強くなってしまい、簡単には手放せないのですよね。
ですから、本当に長い年月をかけて処分してきました。

特に処分することを決心するまでに時間がかかったのは、サインを貰ったグッズや色紙でした。
中には、なんとなく「これくらいは残しておこう」という軽い気持ちで残していたグッズもありますが、つい最近まで持っていたのは圧倒的にグッズ系だったことを考えると、モノそのものではなくて、人を応援する気持ちをモノを持つという形で大事にしたかったのだということに、気が付きましたね。

その後、気持ちはモノがなくても変わらないというマインドになれたことで、ほとんどのグッズやサインを手放すことができました。

それでも処分していないモノもあります
どうしても処分したくなくて持ち続けているのが、好きな漫画と再放送のない好きなドラマのDVDです。
ドラマに関しては、もしかしたら有料の映像配信で観られるかもしれませんが、今のところそういう情報は入ってこないので、とりあえず処分せずに持っていることにしています。

漫画は、もうどうしても読むのをやめられません(笑)
暇があると、何度でも読み返してしまいます。
かといって、やたらと集めていた10代20代の頃とは違って、本当に好きな数タイトルと原作から派生したスピンオフを所有しているだけです(が、巻数が多いので結果的に大量になっているのが悩み)

ドラマのDVDと漫画は、視力に異常が出て読めなくなったり観ることが困難になったりしたときまでは処分せずに持っておくことにしていますが、もしかしたらいつか心境の変化が訪れて処分するかもしれません。

処分したモノを思い出して後悔するのか?
もし、ワード検索でこの私のブログ記事にたどり着いた人は、少なからず趣味のモノやグッズ系を処分するかしないかで悩んでいると思いますが、どうでしょうか。
そして、どうやって手放すべきか、どの方法がいちばん手放す際に適しているのか、自分が納得できる手放し方があるのか、と悩んでいるはずです。

しかし、いちばん心の中で気になって仕方がないのは、

手放したら後悔するかも

ということで間違いないですよね?
少なくとも、私がいつも処分に迷っているときは、この感情がいちばん強かったです。
勿体ないとか、せっかく貰ったモノだから相手に悪いとか、値段が高いからとか、新品だからとか、全部ただの言い訳、こじつけ、体裁なのですよね。
処分がどうしてもできないのは、実は手放して後悔する感情に苛まれたくないからなのです。
要するに、自分を悲しませたくない、つらい気持ちにさせたくない、ということなのです。

それはそうですよ。
だって、好きなモノや趣味のモノに囲まれて、自分はずっと癒されてきたし、充実感を持てていたし、幸せも感じていたのですから、それを自ら手放してしまったら、後悔するのは当たり前だし、悲しい気持ち、辛い気持ちになるに違いないと思うはずです。
例えば、愛する人を失えば、いろいろな後悔もするし、悲しいし辛いし、心が押しつぶされそうになります。
その気持ちを、人は想像するだけで胸が苦しくなるようになっています(違う人もいますが)

でも、それは人に対する愛情と、モノに対する愛情を混同しているだけだったりもするのです。
以前も言いましたが、手放し難いグッズなどは、好きな人、応援している人(アーティスト、アイドル、女優、俳優、擬人ですが漫画やアニメのキャラクターも)の分身として大事にしている人が多いため、人を愛するようにグッズにも感情移入うしてしまうのだと思います。
また、趣味のモノに関しては、自己肯定と承認欲求が関係していると、個人的には感じていて、その趣味のモノを手放してしまうと、自分のアイデンティティが不安定になってしまうことへの不安も、私にはありましたが、趣味は永遠に手放さなくても、一度休んでまた再開したかったら、そのときに新たな気持ちと環境で始めればいいということに気が付いてからは、趣味のモノをあっさりと処分できるようになりました。

感情を込めすぎていたグッズ系も、大好きだった趣味のモノも、その他のモノも、処分し終わった後は思い出して後悔したでしょうか、と問われたら、

後悔はしませんでした

というのが、私の答えです。

自分でも、割と私ってクールだったな、と思うのですが(笑)
「あれを持っていたな、こういうモノを持っていたな」と思い出すことはあっても、処分しなければよかったと思うモノは、何一つありませんでした。
つい数日前に処分を決めた、サイン入りのユニフォームも、処分したことに関しては後悔していません。

ただ、後悔という点では、違うことを後悔している自分がいました。

最初から持たなければ
処分したことに関しては、後悔したことはないのですが、その少し前、購入したり貰ったりする段階で、何故貰ってしまったのか、何故購入してしまったのか、という後悔というか反省は、実は結構しています。

例えば、モノを購入していたことに関しては、使わないモノや、大して好きでもないけどグッズだから購入してしまったことがあったので、もう少し目的を持って購入できなかったのか、と思いますし、サインを貰うのは、その人と会話するための手段ということもあったので、もっとコミュニケーション能力を磨いて、サインを貰わずとも言葉を交わせるようになればよかったではないか、と思っています。

ですから、後悔というよりは、当時の自分の行動を反省していることの方が多いですね。

今の私がはっきり言えること
ずっと大事にしてきたモノを手放した、今の私がはっきり言えることは、手放すこと自体を後悔したことは、一度もないということと、処分したことで、本当に大切にすべきことがわかってきたということです。
大切にすべきこと、それは自分がストレスを溜めずに、気持ちよく暮らしていけること。
家事炊事の邪魔にならないとか、時間を有効に使うとか、時には使っているモノをブラッシュアップするとか、アップデートするとか、不要なモノは持たないとか、つまりは暮らし・生活を整える、ということなのだと思います。

そういう意味では、まだ私は整える途中という感じですが、モノを処分したことで、かなり整った暮らしに近づいたことは実感できています。
もしかしたら、モノを少なくすることは、暮らしを整えるための近道なのかもしれません。
いくら家事のやり方を変えてみても、模様替えをしてみても、モノを買い替えたり修理したりしながら使っていても、整った暮らしをしている実感は、あまりありませんでいたが、モノが少なくなってきた今、自分がどうしたいのか、どのように暮らしたいのか、家事はどうするのが一番合っているのか、ということが分かるようになりました。
おそらく、モノに向いていた注意が、暮らしと自分の行動に向くようになったからでしょうね。

もしも、モノを手放すことに不安があったり、大好きなモノを手放すことに気持ちを痛めてしまうのであれば、ムリに手放さなくてもいいですが、それ以上に「今」の自分の暮らしがしんどいと感じ始めたら、まずは買いなおしができるモノから処分してみてください(その際に勿体ないとか高かったとかは考えてはダメですよ)
それがきっと、暮らしを整える一歩になるはずですから。


本日は、好きなモノ、趣味のモノ、グッズ系を処分して後悔したかどうか、ということについて綴りましたが、やはりこういったことは個人差があります。
あくまでも、私の場合は後悔していない、というだけです。
私のしている処分方法や気の持ち方について、どうしても受け入れられない人もいるはずです。
でも、私はこの先の人生で、どうしてもモノを減らしたい気持ちが強かったので、これでよかったと思っています。
大事なのは、自分がしっかりと納得できるかどうか、最後はそれが一番なのだと思います。

写真の整理と処分の話

2020-12-24 | 終活(モノの整理、心の整理、社会的整理)
本日は、クリスマス・イブですね。
我が家は、ランチにご馳走とケーキを頂きました。
ご馳走は、もちろん買ってきました(笑)
というのも昼から、以前から取り掛かろうと思っていた写真の整理を予定していたからです。
写真の数が多いものですから、仕分けに時間と労力のほとんどを奪われて、夕方にはグッタリしてしまい、夜は、ランチの残りのサラダとレンジで温めるごはんを半分食べて、終了でした。

それでは、写真整理の本日の成果を綴ります(笑)

本日の写真整理の目的とポイント
今回の写真整理は、以前整理した後に見つかった、大量の父の写真が主な対象です。
仕事柄、仕事中の写真(記録写真)が多く、また父の部署では毎年集合写真を撮る必要もあったらしく、それはそれはたくさんの集合写真と、業務中の写真が出てきました。
しかし、この全てを私が保管していても、将来誰かが見て懐かしんだり、楽しんだりすることは100%ありません。
見て楽しめるのは、本人と仕事中の父を見ることができなかった家族くらい。
その私でさえ、父の職場での集合写真を見たところで、懐かしさなどはほとんど湧きませんからね。
いつまでも所有しておくのも、何か違うような気がします。

本日は、このたくさんの集合写真をどうするか、ということと、業務中の写真やポートレート類については、どういった写真を残すか、ということにポイントを置いて仕分けをしました。

集合写真の残し方
基本的には、父が1列目あるいは2列目に写っている集合写真だけを残そうと決めていました。
一番後ろや、中途半端な場所に写っている場合は、思い切って処分しようと、作業を始めて後悔しました。

集合写真、多すぎ

長年勤めていたから、父が昇級すると、自然と1列目や2列目にいることが多いのだということに、仕分け始めて気がつきました(苦笑)
これでは、いかんと思い、集合写真の仕分け基準を考え直しました。
そして、至った答えは、

私基準で一番カッコよく写ってる集合写真1枚だけ残そう

ということでした(笑)

ただ、職場の集合写真はそれで決定でよかったのですが、さすがに父の子どもの頃の集合写真(小学校や中学校)は、大切に保管することにしました。
これは、母の写真も同じで、本日ついでに整理したのですが、母が結婚した後に町内会の慰労旅行などで撮影した集合写真は、勝手ながら処分することにして、子どもの頃の集合写真は残しました。

集合写真を残すポイント
本日は、私の集合写真も一緒に処分をしたのですが、私自身の集合写真は、あってもあまり意味がないような気がしたので、割と簡単に仕分けられました。
以前、整理した時は、集合写真は学校や幼稚園へ通った証明書のように感じていたので、残していたのですが、今になって、集合写真ほど自分に魂がこもってない写真もないよな、と思い、あっさりと処分することができました(笑)

自分自身の写真は、どんな基準を設けようと、要らなくなったら処分すればいいと思っていますが、家族の集合写真は、そうはいきません。
しかし、故人の写真は本人に聞くこともできないし、母に聞けば全部残せと言われることは明白なので、基準を設けることで仕分けがしやすくなります(結局、その基準もあっさり崩れましたが)

今回の場合、私が心変わりしたので、基準があってないような感じになりましたが、最初に考えていた処分する基準は、以下のような感じでした。

 ・顔がはっきりしない写真(ピンぼけ、色褪せ劣化、遠すぎるなど)
 ・一瞥で本人を探せない写真
 ・写り方が気に入らない写真(笑)

顔がはっきりしない写真は、全て処分すると最初から決めているので、これは判断がしやすかったです。
次の、一瞥で本人を探せない写真という基準は、一生懸命探さないと特定できない写真に、あまり意味はないのかな、と感じているからです。
思い出深い写真なら、すぐにでも探せるでしょうが、私は自分自身の集合写真でさえ、私の居場所を探してしまいますから、集合写真って本当はなくてもいいのかな、なんて思ったりもします。
ただ、推理小説で謎の人物や重要人物の過去を探るときは、集合写真が役に立つので、そういう人生を想定するのであれば、残した方がいいのかもしれないですね(笑)
写り方が気に入らない写真という基準は、まあ、せっかく残すならかっこよかったり素敵だったりする写真の方がいいだろう、というだけのことです(笑)

職場の写真の残し方
これは、自分自身の写真であれば、気に入った写真だけを残して、あとはきっぱり処分でOKなのですが、家族が職場で撮った写真となると、難しいですよね。

私は、写真全般で処分する基準を「よく顔がわからない、本人だという判別がつきにくい」に決めています。
ですから、父の職場写真も顔がわからない写真と、本人だという判別がつきにくい写真を、まず処分しました。
本人だという判別がつきにくい写真って、どんな写真?となりますが、要するに家族には全体のフォルムや髪型などで判別できるけれど、他人が見たらわからないというレベルの写真です。
職場で写した写真は、被写体がはっきりしていないことが多いので、端っこに写っていても写真を持っていたりします。
しかし、それって撮影した人は、端っこだけど写っているから、差し上げなければ、と思ってしまうのでしょうが、自分が被写体ではないけれど、偶然写ってしまった写真って、要ります?(苦笑)
私は、要らないです(笑)
ということで、まず残すべきは、顔がはっきりしていて、家族以外の人が見ても判別できる写真、ということになります。

しかし、その基準でも、なかなか写真が減りません。
ですから、更に「ワンショットの写真」という基準を追加しました。
仕事中も社員旅行中も、結局家族が知らない人たちと写っていることが多いので、本人だけが写っている写真に絞ると、かなりの量の写真を処分することができたので、やはり処分する基準は、厳しめにしておかないと二度手間になってしまうな、と実感しました。

例外写真
仕分けの基準に合致していても、例外で残そうと思った写真があります。
それは、かなり以前に撮影された、父の両親や祖父母(私の祖父母や曽祖父母)の写真は、趣があってレトロな感じがステキなので、残しました。
父の両親や祖父母となると、大正時代や明治時代の生まれですからね。
写真が残っていること自体、とても貴重なはずですし、父と私のルーツになりますから、持っていてもいいかな、と思いました。
もちろん、母の両親(私の祖父母)の若い頃の写真も、きちんと残しています。

父と母の子どもの頃の写真も、残しています。
父は、早くに両親(私の祖父母)を亡くしているので、子どもの頃の写真が数枚しかないのですが、以前父の遺品整理をしている最中に、祖父(父親)に抱かれている1歳に満たない父の写真が出てきました。
私は、父方の祖父母のことは全く知らなかったので、初めてみる写真でしたが、父が両親(祖父母)から可愛がられていたことが伝わってくる写真でした。
そういった写真は、少しでも長く残しておいた方がいいと思い、私が最期を迎えるまでは持っているつもりです。
母は、父よりは写真が残っているのですが、兄弟姉妹が6人いたため、そこまで多くの写真は残っていないので、残しておくことにしました。

写真整理はとにかく疲れます
基準を厳しくして、処分する写真を増やしたら、小サイズの指定袋1つ分になりました。
数えていませんが、300枚はありそうです。

これだけの枚数を処分するには、もっと多くの写真を見ていかなくてはいけません。
一枚一枚見ては、残す残さないを判断するのは、頭も使うし眼も酷使するので、とても疲れます。
仕分け終わったら、何もする気がなくなるくらい、気力が奪われました(苦笑)
数が多すぎると、重みも増すので、体力も結構使います。
書籍の整理整頓や処分も、かなりの労力を使いますが、頭や眼はさほど使わないので、もしかしたら写真整理の方がよっぽどキツイ作業かもしれないです。

いっそ、全部残しておいて、あとは誰かに丸投げしたいと思ったりもしましたが、私の家族の写真は、やはり私がどうにかするべきだろうと感じているので、最後は20枚ぐらい残せたらいいかな、などと思っています。
私自身が写っている写真は、以前に整理して、社会人になってからの写真は全て処分しました。
何故なら、それを見て懐かしんだり、何かを思い出すのは私だけで、家族や友人が見たとしても、だから?と思われるだけですからね(笑)
その私でさえ、写真を見返して思い出に浸ったり、懐かしんだりすることは、時間もなかったししようとも思いませんでしたので、持っていてもあまり意味がないのかな、と思ったのです。
今、処分してしまったことに後悔はありません。
きっと、今でも過去を振り返って懐かしんだり、思い出に浸ったりする暇がないからだと思います。
私はいつも、この先どうするかを考えることが多いので、過去を切り取った写真自体、不要なのかもしれないです。


本日は、父の写真を整理をした話を綴りました。
ずっと気になっていたので、年内に整理ができてよかったです。
もう、これ以上我が家からは、眠っていた写真は出てこないはず。
次回整理するのは、きっと母が旅立った時ですね。
それまでは、もう写真の整理はしないつもりです。

処分したことで安心できること

2020-12-18 | 終活(モノの整理、心の整理、社会的整理)
不要なモノを処分して、スッキリとした暮らしをしている人たちが、SNSや動画でよく発信しているのが「捨ててよかったモノ(やコト)」の話です。
私自身は「捨ててよかった」という感情とは少し違っていて、「処分したことで安心を手に入れる(た)」という側面が大きかったです。
本日は、処分したことで、私が安心できたことについて綴ります。

不要品の処分を始めたきっかけ
私が、大掛かりな不要品処分に着手し始めたのは、20代の終わり頃でした。
その当時は、まだ私には体力もありましたし、腕力も脚力もかなり丈夫でした(笑)
ですから、セパレートになっている背の高いキャビネットの上部を外して下ろすことが1人でできましたし、粗大ごみを出すごみステーションへ運ぶのも、全て1人でしました(もちろん台車などを使ってですが)

私が自室の家具を処分しようとしたきっかけは、いくつかあったのですが、その中でも阪神淡路大震災を報道で目の当たりにしたことが、かなり影響しています。
阪神淡路大震災は、家屋の倒壊と火事による被害が大きかったのですが、後々家屋の中で、倒れてきた家具の下敷きになり命を落とした人が多くいたことは、未だに忘れません。
なんとか一命をとりとめた被災者の方々の、当時の様子をテレビなどで見ていて、とても恐ろしくなり、自分もいつかこの大きな家具の下敷きになってしまうかもしれない、という危機感を覚え、また他の理由も加わって、家具を処分することにしたのです。

家具の処分に伴い、中に収納していたモノも当然処分していきましたが、最近になって処分した家族が使っていた家具については、また違う気持ちがあって、処分を急いでいた部分があり、収納していたモノの処分も時には強引に進めました。

災害に遭遇したら
地震や台風、そして最近では異常気象に伴う豪雨などの自然災害に見舞われたとき、被害が大きい場合は全てのモノが奪われてしまう可能性があります。
避難する時間が多少なりともあれば、貴重品だけは持ち出すこともできますが、そのほかのモノは根こそぎ奪われてしまうかもしれません。

もしも、そうなったら、私はどうするだろうか?と考えると、少しでもモノは持っていない方がいいという結論に達し、同時に多くのモノを持たずとも、人は快適に暮らしていけるのではないか、とも思えます。

たくさんの不要品を処分して、私が今感じていることは、現金と通帳とカードと登録印、そしてマンションや土地の権利書と身分を証明できるモノだけを持ち出せば、あとは失っても何とかなるはずだ、ということです。
少し前の自分であれば、失ったら心が折れて取り乱してしまうかもしれない、失ったショックで毎日眠れないかもしれないと考えていました。
もちろん、思い出深い品を失えば、少し悲しい気持ちにはなると思うのですが、大事なのは私がきちんと覚えていられるかどうかなのだ、と考えるようになってからは、モノが壊れたり失われたりしても落ち込む必要はないと思えるようになりました。
そして、もし私が思い出を忘れてしまったら、モノがあったとしてもその程度の思い出なのではないか、とも思うので、結局モノに対して執着する必要はないのだと思っています。

このように考えることができるようになったことで、漠然と感じていた不安がなくなりました。
地震で家具が倒れてきたら、火災や台風や豪雨で大事な品を失ったら、私はそのときどうしたらいいのだろう、と考える必要がなくなったからですね。
たくさんのモノを持てることは、幸せなことなのかもしれませんが、同時にモノを失う不安も手に入れてしまうことになるのだな、と今では強く感じます。
たくさんのモノを処分して、将来の不安も処分できました。

自分が老いたら
家族の老いは、不要品を見極める大きなチャンスだと思っています。
私も、50代に入ってからは体調の優れない日が増えましたし、母は80歳になり(来年81歳です)持病も改善する気配はなく、年々足腰や手指が弱ってきているのが、目に見えて感じられます。

私が、家族のモノを大量に処分したいと思った理由は、1つは故人である父や兄のモノをいつまでも持っていても仕方がない、という思いがあったからですが、最も強く感じていたのは、自分自身の老いによる体力の低下です。
この先、何年も使わないモノや家具をそのままにしておいても、若い頃のように自分で運び出すことはできないし、そもそも残っていた家具は、重たいし大きいしで、体力に自信のある男性であっても、1人で処分することは難しいモノばかりでしたから、とにかく私がいろいろ考えて動けるうちに、大半のモノは処分しておこうと考えました。

いろいろ考えて、大体の処分するスケジュールが決まってからは、母を何度も説得し、説得しきれない場合は時間が経過するのを待って再度説得を試みたりして、とにかく私が自分でごみ置き場まで運ぶことが可能なモノは、できる限り早めに処分してしまうことにしました。
結果、昨年やっとのことで、家具に収納していたモノを処分したり整理したりして、家具そのものを処分することができる状態になったので、業者に依頼して処分していただきました。

大きな家具を処分したことで、私は2つの安心を手に入れることができました。
そのうちの1つは、私が老いて体力も腕力も思考力も低下してしまっていても、処分すべきモノの量が減ったことで、今までよりも楽に処分ができる状態に近づいたという安心です。
まだ、残っている家具はいくつかあって、そのうちの数台は私1人では持ち出せませんが、業者に頼むとしても数が少ないので、料金も安くて済みますし、運び出すのにそんなに時間もかからないはずなので、予算的な安心も得ることができました。

家族の老い
家具を処分して手に入れた安心の2つ目は、家族の安全です。
処分した家具のほとんどは、どこかしらが経年劣化のため、欠けたり破損したりしていました。
特に危険を感じていたのは、扉の蝶番です。
蝶番が緩んだり、その部分が破損していたりしていた箇所が結構多くて、いつ外れて扉が落ちるかわからない状態でした。
また、扉が閉まっている状態をマグネットで固定している家具に関しては、扉を開ける際にマグネットが上手く離れずに、家具を倒してしまう危険性もありました。

そのような危険を感じ始めたのは、母の老いによる衰えです。
母は、力が弱ってきていたため、扉付きの家具を開閉する際に、かなり強く引っ張るようにしていました。
また、私がモノの管理をするようになって、あちこちにモノを移動させたことで、母はあちこちを意味もなく開閉することが多くなっていました。
日に何度もあちこち開閉する行動に、イライラが募り、一時期はノイローゼになってしまいそうでした。
加えて、何度も開閉するあまり、あちこちの扉がきしむ音がするようになってきました。
これは、いつ壊れてもおかしくないな、と思った私は、なんとか母の行動をやめさせようとしたのですが、一向にやめてくれないので、最終的には「扉付きの家具がなくなれば解決や!」となり、家具の処分に勢いがつきました(笑)

家具を処分したことで、今は母が扉を壊して落とす危険性も消えましたし、倒す可能性もなくなりました。
そしてなにより、母があちこちを開閉するという行動が減り、私が精神的に楽になったので、気にかかる事案が減ったという安心を得られるようになりました。
危険が低くなった安心感と、私の精神的な安定を得られた、というわけですね。

モノが減ると時間と気持ちにゆとりができた
なにより、不要品を処分したおかげで、メンテナンスするモノが減り、時間と気持ちに余裕が生まれたことで、ホッとした気持ちになれる時間が増えました。
時間と気持ちにゆとりができたことで、不安感が減り、逆に開き直れるおおらかさを得ることができたような気がします。
まだ、暮らしの中で気に入らないことや納得いかないことも多いのですが、少しずつ心配事や悩み事が減ってきたことは、結構大きな変化ですし、気持ちの安定にも繋がります。

モノを減らそうとすると、どうしても処分したくない言い訳や理由を探してしまいますが、失う不安感や絶望感よりも、これから先、長い間暮らしていく中で、心配することが少ない方が断然幸せなはずなので、今モヤモヤとしている不安感の原因になっているかもしれないモノが判明したら、迷わずに処分してしまうつもりです。
そして、晩年は気楽で気持ちに余裕のある婆様になっていたいな、と思っています。


本日は、不要品を処分したことで得られた「安心」の話を綴りました。
今こうしてブログ記事を打ち込んでいる間にも、処分したいモノやそろそろ手放しても大丈夫そうなモノが、次々と思い浮かんできました。
来週の捨て曜日までに、不要品の処分を進めていきたいですね。

捨て曜日に処分するモノと購入したモノ(とうとうアレを処分することにしました)

2020-12-03 | 終活(モノの整理、心の整理、社会的整理)
明日が家庭ごみ回収日なので、本日は捨て曜日です。
今回は、今まで処分することを躊躇していたモノを処分する決心をしました!
そのことについて綴るとともに、新たに購入したモノについても少しご紹介します。

ずっと処分できずにいたモノ
老後は、必要最小限のモノだけで暮らしたいと言いつつも、いつまでも処分できずにいるモノがたくさんあります。
その中のひとつは、漫画(今のところ6作品)ですが、今回処分するモノは漫画ではありません(笑)
いや、むしろそれをまず処分しろ、と思われる方もおられるでしょうが、大好きなストーリーなので手放せないのです。
しかも、最近老眼のためか電子書籍化されたコミックスは、読み辛いのです(泣)
セリフ外の手書き文字や、細かく描き込んでいる箇所は特に苦労します。
いちいちズームするのも手間なので、大好きな漫画だけは書籍で所有しています。
将来、もっと目が悪くなって字を読むことがしんどくなるまで、処分せずにいるつもりです。

では、何を処分するのか?
実は、最後まで処分せずにおこうと思っていた、思い出の品である

 サイン(色紙、グッズ)を処分します!(一大決心)

実は、少し前に一部のサイン色紙とサインをもらったグッズを処分したのですが、どうしても残しておきたい選手(元選手です)のサインだけは、残していました。
ただ、やはり将来のことを考えると、どうしてもモヤモヤした気持ちが湧いてきます。
選手時代には、足しげく試合に足を運び、キャンプの見学も行き、グッズを買い漁り、チャンスがあればサインを貰いつつ少しだけでも言葉を交わそうと必死でした。
また、福岡のお土産を渡したり、バレンタインに便乗してお菓子やチョコレートを渡したりと、まあ、サックリ言うと「追っかけ」だったわけですが、選手としても人としても大好きな選手です。

サインのひとつひとつは、どのようなシチュエーションでどのような言葉を交わしたのかまで、はっきりと覚えているくらい、思い出深いモノばかり。
そんな思いと記憶が残っているモノを処分するのは、心理的なことが作用して、どうしてもできません。
処分できない主な心理的理由としては、

 ご本人の時間を奪ってまで書いて頂いたサインだから

ということが一番大きいような気がします。

これが、販売されているグッズに印刷されているモノなのであれば、思い出らしい思い出はないので、二度と手に入らないという価値観では手放し難いアイテムではあるものの、割とすぐに気持ちが切り替わって、処分することができます。
しかし、自分で直接サインを貰っている場合は、まずその人を足止めしてサインを貰っているという前提があり、しかも会話をしていただいてもいるわけですから、労力も使わせて気遣いまでさせてしまっているということになります。
そうなると、簡単に処分してしまうことは、ご本人にはわからないことだとしても、とてつもなく相手の好意を踏みにじってしまっている気持ちがしてしまうのです。

ところが、最近になってモノを次から次へと処分する中で、サインの処遇を幾度となく考える日が増えました。
おそらく、他の処分し辛いモノも思い切って処分したために、残したサインもいずれ私自身で処分しなければいけないのだという意識が、常に湧くようになってしまったからだと思います。

以前から、大好きなモノは最後まで残すけれど、処分は自分自身でしたいと考えていて、当ブログでも何度か触れたことがあったと思います。
今でもその気持ちは変わっていないので、私にとっては大事なモノでも他人にとっては何の価値もないモノに関しては、気持ちにスイッチが入ったら、すぐに処分するようにしています。

そして、今回とうとうスイッチが入ったのは、最後まで残していたサインだった、というわけです。

サインの処分方法
今回、処分すると決めたのは、色紙とボールと杉の木の端材から切り出したプレートです。
処分方法は、とても申し訳ありませんが「家庭ごみ」の中に入れて処分します。
売却や譲渡ということも、わずかに過りましたが、私が貰ったサインは私だけのモノで、サインを貰った際の思い出は私とその選手(元選手)のモノなので、いくら他の人が望んだとしても、お渡しするのは少し違うと思いました。
ただ、何もせずにただごみ袋に入れるのは、私も嫌なので、丁寧に包んでからごみ袋へ入れるつもりです。
まあ、そんなことをしても、ごみとして処分することに変わりはないので、ムダな行為かもしれません。
でも、せめてそうして自分を納得させて、気持ちを整理したいという気持ちがあるのです。

しかし、さすがに全く見られなくなることには抵抗があったので、スマホで画像撮影だけはしました。
こういうところが、まだ未練タラタラです(苦笑)

サインを処分する気になったスイッチ
サインについては、いろいろなモノを処分する際に手に取ってみて、やはりまだ処分できない気持ちが強くなり、元に戻すということを、何度となく繰り返してきました。
しかし、最近になって片付けの動画やモノを手放した人の経験談(これも動画)や、テレビ番組で生前整理の手伝いをする内容を見た際に、私以外の人が残す判断をできないモノは残すべきではない、という結論が見えてきました。
とくに、生前整理をしていた方(年配の男性。配偶者女性が最近ご病気で他界された)が、配偶者の女性の私物を手に取りながら「持っていてもしょうがない」「持っていたことさえ知らなかった」「自分では使わない(アクセサリーや服飾関係)」と言って、次から次へとごみ袋の中へ入れてしまう姿を拝見して

「ああ、そうだよな。大事だと思っていたのは買った本人だけで、他の人にとっては不要なモノだよな」

と改めて思いましたね。
そして、その年配男性が配偶者の私物を躊躇なくごみ袋へ入れる姿をみて、自分の私物も同じように誰かが処分するのだな、と思うと、他人に任せる前に自分でできるうちに処分しなければいけない、という気持ちが芽生えました。
それが、処分する気持ちのスイッチです。

楽しかった思い出はいつでも思い出せる
今回処分することで、サインが入ったモノのほとんどを処分したことになります。
あと、B1サイズのポスターに貰ったサインがあるのですが、こちらはフレームの処分が伴うので、時間があるときに改めて処分することにしています。

そういえば、執筆者(原作者)の方からサインを頂いた書籍もあるのですが、1冊はまだ読みかけなので処分できません。
もう1冊は、売却もできないので(一般人に宛てたサイン本は無価値です)、サクッとごみ袋へ入れます。
作家先生、ごめんなさい!
もう、他界されている方なので、あの世から睨んでいるかもしれませんね(苦笑)

サインは処分しても、それぞれ頂いた際のことは、こうしてブログを綴っている今でも鮮明に思い出せますし、あの時は楽しかった、幸せな気持ちになれた、と振り返ることができます。
思えば、その時のことを思い出すのは、特にサインを手に取ったり眺めたりしなくても、ふとしたときやテレビ中継される試合を観戦しているときだったりするので、サインは本当に単なるきっかけでしかなかったのだと思います。
そして、それはサインだけの話ではなく、いろいろな思い出の品全てに言えることなのかな、と感じました。
特に、写真は思い出がたくさん詰まっている人も多いはずです。
しかし、そのときその場所に自分がいて、素敵な思い出があったら、意識していないときでも思い出せたりします。
逆に、嫌な思い出は写真を見ないと思い出さなかったりしますから、写真がなくてもいいし、写真がない方がいいこともあるということです。
自分の子どもの写真は、さすがに処分することはできないと思いますが、本人が写真を撮影した当時のことを鮮明に覚えていたら、その写真の処分は本人に委ねてもいいのかもしれないですね。
私は子どもがいないので、その辺の気持ちは想像でしかないですが、子どもの立場から言うと、捨ててほしい写真もあったりしますからね(苦笑)

購入したモノ1つご紹介
サインは処分することにしましたが、本日新たに購入してしまったモノが1つあります。
それは、「鍋つかみミトン」です。
今まで使っていた鍋つかみは、汚れてしまって洗うことができない素材だったので、処分しましたが、その後必要とするシーンが多々あり(オーブンを使う食材を買いがちなので)、とても不便を感じていました。
一応、シリコーン製の鍋敷きを3枚持っていて、それは鍋つかみとしても使える製品なので、それを使っていましたが、いまいち使い難くて、プチストレスが溜まっていました。
ですから、早めに新しい鍋つかみを購入しなければ、と思っていたのですが、慌てて好まないタイプの鍋つかみを購入してしまわないように、ネットの口コミを頼りに、ニトリやホームセンター、そして100円ショップの製品情報を集めましたところ、100円ショップのモノで割と評判のいい製品があることを知りました。
逆に、ニトリは私が欲しいタイプのミトンではなかったので、店舗へは行きませんでした。

100円ショップは、いつも行くスーパーの隣にありますので、買い物前に立ち寄ってみました。
鍋つかみミトンが陳列されている売り場へ行き、ネットで評判がよかった製品を見つけると、その隣にネットで調べたモノとは少し違うタイプのミトンを発見。
鍋つかみミトンのほとんどは、表面も内側も綿素材か内側だけポリエステルなどで作られています。
私が本日見つけたのは、外側の素材にアルミを使っていて、耐熱性です。
私は、オーブンレンジのオーブン機能やトースター機能を週に最低1回は使うので、綿のみの鍋つかみは熱々の天板を持てない場合もあります。
ですから、新しく買う場合は、アルミ素材を使っていて耐熱性であることが最低条件でしたが、まさか100円ショップですぐに見つかるとは、思いもよらなかったです(笑)
まだ使用はしていませんが、明日の朝はパンをトーストする予定なので、早速使ってみます。


今回は、私の一大決心(大げさ)した処分品のお話を綴りました。
自分が思いを込めている、あるいは相手の思いが詰まっているモノは、処分することが一番難しいモノですが、一度他人の目線に立って考えてみると、モノに思いを託さなくても、本当に心の底から思っていたら、モノはきっかけに過ぎないのだということが見えてきます。
ずっと手元に置いておくことがいいとか悪いとかではなく、理屈でモノを見るか心でモノを見るかで、価値が変わってきますから、手放すにしろずっと持っておくにしろ、自分が納得できる状態にしておくことが一番だと思います。
ただ、せっかくの思い出の品をタンスや押し入れの奥にしまい込んで、自分が目にしないまま旅立ってしまうのは、それが一番悲しいと思いますから、もし大事な思い出の品を見えない場所へ保管しているのならば、今すぐ見える場所へ移動させて、いつも身近なところで思い出や気持ちを感じてほしいと思います。

『終活夫婦』ちょっと読んでみたいかも(Short diary)

2020-10-06 | 終活(モノの整理、心の整理、社会的整理)
お昼は、いつも母が昼食を食べながらテレビを視聴します(食べていないときでも視聴していますが)
本日は、ワイドショーのチャンネルをみていました(特に好きな番組はないので、毎日違う番組をみています)

ワイドショーの中で、俳優の中尾彬さんと女優の池波志乃さんご夫婦が執筆された『終活夫婦』(講談社)が紹介され、一部内容にも触れていました。

少し内容を聞いただけでも、手放しっぷりが豪快で潔くて、清々しいです(笑)
是非、この書籍は読んでみたいと思いました。
中尾さんと池波さんは、はたから見ると昭和感あふれるご夫婦なのですが、実際は結構先を行く未来のご夫婦像なのかな、と最近になって感じるようになりました。
子どもを持たないライフスタイルや、お互いが自由にしていて、でもお互いを気遣い、実はしっかりと寄り添って暮らしていることが、たまに垣間見せる中尾さんの言葉や態度から伝わってくるので、私は好きです、このご夫婦。

終活は、遺言書や大きな財産の整理だけではなく、大量のモノを手放すことも含まれます。
私は独り身なので、母を見送った後は私の基準で一斉にモノを処分するつもりでいますが、夫婦や家族がいると、意見が合わずに終活を進められないことも多く、時には揉めてしまうこともあるでしょう。
しかし、このご夫婦はお互いが納得してお互いを理解した上で終活をしておられるので、本当に理想的なご夫婦だな、と思います。

書籍で購入すると、またモノが増えてしまうので、電子書籍で購入してみようかな。