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シオニズム左派終了のお知らせ?

2009-02-13 20:58:35 | パレスチナかイスラエルか
2009年イスラエル総選挙の結果は、一応右派政党の躍進という形になった模様。
しかし、そもそもイスラエルに左派政治家がいたかどうか疑う見解もあるようで・・・。
・Does Zionism legitimize every act of violence?(2009年2月12日 Haaretz.com)

この論説を書いた Gideon Levy 氏は、今回の選挙結果を Kadima や労働党といったシオニズム左派[こう説明しないとおかしなことになるので・・・]の終わりと踏んでいる。
実際、Livni 外相や Barak 国防相のやったことは見事に裏目に出た格好だしな~。
その上で Levy 氏は、シオニズムの批判についても触れてるのだが・・・。

とにかく、この論説の日本語訳をでっち上げてみた。
例によって、訳文の正確性は一切保証しな(略
なお、文中の強調部分は俺の判断でつけた・・・。

---- 以下訳文 ----
シオニズムは全ての暴力を正当化するか?
2009年2月12日、Gideon Levy、Haaretz.com


イスラエルのシオニズム左派は2000年に死んでいた。
火曜日に死亡証明書が出され署名され張られ埋葬されるまで、棺が埋葬されず置かれている状態だった。
2000年の死者は2009年の埋葬人になった:国防相の Barak 氏だ。
パレスチナ側に協力する奴はいないという嘘をばら撒くことに成功した Barak 氏は[訳注]、この選挙で自らの果実を掴んだ。
葬儀は2009年2月10日に行われた。

イスラエルのシオニズム左派は死んだ。
過去9年間、和平陣営の名の下に行ったことは全て無駄になった。
労働党、Meretz、カディマは和平陣営の名を語る努力はしていたが、見かけ倒しで欺瞞であった。
労働党とカディマは 2つの戦争[訳注2]を起こし、西岸地区でのユダヤ系入植地建設を続けた;Meretz は2つの戦争を支持した。
対話をする相手など存在せず唯一の解決策は力 -- 戦争に入植地建設と暗殺 -- だと誤って考えてしまったイスラエルの有権者は、この選挙で高らかに表明した:労働党と Meretz の店じまいだ。
数少ない議席を確保できたのは、慣性力[昔ながらの支持基盤]だけだった。

この結果に関してはそれ以外の理由はない。
Sabra と Shatila の虐殺に怒りの声を上げた同じ広場で[訳注3]シオニズム左派からの抗議がほとんどない状態が長年続いた後では、抗議の欠落は投票箱に見事に反映されたのだ。
レバノン、Gaza地区、殺害された子供、クラスター爆弾、白燐弾、占領による残虐行為 -- どれをとっても臆病な左派が路上で抗議することは無かった。
だが、Ariel Sharon 元首相から Ehud Olmert 暫定首相が一度は過激だと発言したシオニズム左派の信条は、中道とシオニズム右派にすらわずかばかり見受けられた
だが、シオニズム左派の主張はシオニズム右派の手法を使った時でも左派の語り口だった。

隠されたボールの端っこは、賢明で勇気があるけど規模が小さく正当性が無い[議席を確保できなかった]隅に追いやられた左派に残った。
こうした人達とシオニズム左派との違いは、ただシオニズムだった。
Hadash、Gush Shalom、その他政党は蚊帳の外だ。
何故か?
「非シオニスト」だからだ。

そしてシオニズムの現状とは?
高尚で時代遅れなコンセプトは、認められたものと認められないものとの違いを記す[ユダヤ系と非ユダヤ系を厳格に分離する]巨大で幻想的な異なる現実で生まれた。
シオニズムは、[国連決議248で定義されたイスラエル]領土内の入植地を意味するのか?
占領?
犯罪行為と不正義の全てを正当化することか?
シオニズム左派は否応無く立ち止まった。
シオニズムへのいかなる批判も、占領に伴うシオニズムという批判すらも、シオニズム左派が破りたくない禁忌とみなされた。
シオニズム右派は、自己正当化に嵌ったシオニズム左派を置き去りにしてシオニズムを独占した。

ユダヤ国家にして民主主義国家?
この 2つの差に気付かず優先順位をつけることに躊躇わず、シオニスト左派は自動的に「そうだ」と答えた。
全ての戦争の正当化?
シオニスト左派は再び否応無く立ち止まった -- 戦争を始めることには賛成し継続には反対するなりそれに近いことをやった。
難民問題と帰還権問題を解決する?
1948年の過ちを認める?
どれにも注意を払わなかったのだ。
こうして左派は、明らかに行き止まりにたどり着いた。

意義ある左派でありたいと願う人は、まずはシオニズムを変えなければならない。
シオニズムを再定義する勇気ある行動が主流派から表れるまで、左派の支持が広がることは無い。
右派の定義だけで共通点を持つ左派とシオニストであり続けるのは不可能だ。
入植地がシオニストのもので正当だとみなす一方で、入植地に対する[パレスチナの人達の]闘争が正当でないとみなすのは誰だ?

禁忌は破られなければならない。
今日広く定義されてるように、シオニストでないことは認められるのだ。
ユダヤ系が国家を持つ権利を信じることと、占領と結びついているシオニズムに対し抗議することは認められるのだ。
1948年に起きたことを理念に置くべきだと信じ、そこで起きた不正義に謝罪し被害者達[何人いるんだろう]の回復に動くことも認められるのだ。
建国時から行われてきた必要ない戦争に反対することも認められるのだ。
イスラエル国内に住むアラブ系[原文ママ]がユダヤ系市民と -- 文化的、社会的、国民的に -- 同じ権利を受けられると考えるのも認められるのだ。
イスラエル国防軍(IDF:原文ママ)を占領軍であるという像に関する問いを発し、Hamas との対話を求めることすらも認められるものだ。

これに躊躇うならシオニズムであり、躊躇わないのなら反シオニズムだ[訳注4]。
どのような場合でも、何年にも渡ってイスラエルの人達がシオニズム右派の狂気による犠牲者になるのを見たくない人達にとっては正当で基本的なことなのだ。
イスラエルで左派になりたい人は、右派に完全に支配されたシオニズムに「たくさんだ」と言わなければならない。


訳注1:この発言の一例は↓参照。
・Q&A with former prime minister Ehud Barak(2001年7月19日? Haaretz.com)

この時期は、2000年9月28日に Sharon 元首相がやった神殿の丘(Temple Mount)訪問に抗議するために生じた第二次インティファーダ(Al Aqsa Intifada)が続いていた。


訳注2:おそらく、Barak 氏が国防相として指示した2006年のレバノン侵攻と2008年12月の Gaza 地区に対する(略)の事を指してる。
実際には、第二次インティファーダへの報復(にしては派手な)西岸地区への攻撃も行ってるので3度目と書いたほうが正確か。

訳注3:この時は、Tel-Aviv で約40万人が Sharon 国防相(当時)の辞任要求も含めて抗議デモを行った。
・Circumstances of Massacres(Electronic Intifada)

訳注4:この部分、原文では『If you prefer, this is Zionism, and if you prefer, this is anti-Zionism.』となっている。
これじゃ何のことかさっぱりなので、2つ目の『if you prefer』を『if you do not prefer』に読み替えて訳文をでっち上げた。

---- 訳文以上 ----

今回のイスラエル総選挙ってのは、シオニズム左派が名実とも終わったことを意味するのかな?
元々、左派的信条と排他の論理を根本に抱えてるシオニズムがうまくやっていけるわけないけど・・・。

ただ、今回の総選挙の結果ではっきりしてるのは、対パレスチナ政策に関して誰の目から見ても明らかに強硬路線になることだろうな。
つまり、イスラエルで和平を望む陣営云々というややこしい表現を使わなくて済むってこと。
イスラエルの対パレスチナ政策に異議を唱える側にしてみれば、手加減の必要がなくなった格好かな・・・。


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