粗茶淡飯

中国・台湾・日本のお茶に関する色々。執筆者・徳田志保。

緑茶の産地で作られる紅茶…宜興紅茶③

2016-08-15 00:36:18 | 紅茶(中国茶・台湾茶)



中華人民共和国建国後、計画経済が始まり、お茶も一気に組織化、制度化されていきます。

国務院直轄で、主に生産や流通の計画を立て潤滑な運営を促す「中華供銷合作総社」、国内の食料の流通・加工・販売、輸出入を取り仕切る中粮集団傘下の「中茶公司(現中国茶葉股份有限公司)」、農畜産物の対外専門商社である中国土産畜産進出口公司傘下にある「中国茶葉進出口公司」、そして生産現場には農林庁、研究所、園地、集荷拠点、機関工場、末端工場などが置かれ、様々な政府直轄企業、国営企業、国有企業が茶業に関わって行きます。(*)

その流れの中で、宜興の茶産業では生産拠点として、市内の茗嶺、張渚、湖(氵父)が選ばれ、栽培、品種育成、生産の研究、技術革新が進み、急速に発展をし始めました。

紅茶そのものの生産は、記録によれば1937年に日光萎凋→脚揉み→静置・発酵→日干しにて作られた記録がありますが、研究が盛んになって、本格的に生産に入ったのは60年代に入ってからで、紅砕茶(LTP・CTC)の研究・生産において実績が認められます。この事から、この地の紅茶は「蘇紅」と名付けられ、1964年には中国国内にある6つの紅砕茶品質研究拠点の1つとなりました。

つまり、現在、中国茶の世界で時々教科書等に出てくる「蘇紅」とは、私達が現在見る小さく柔らかな芽を使ったホールリーフのものではなく、当初は紅砕茶(LTP・CTC)だったということになります。

さて、小難しい話が続きましたが、
宜興紅茶の概要は終わりです。

お待たせ致しました。(苦笑)
次号はようやく日本の生産者も興味のある、
製造のお話になります。




(*)…中華人民共和国建国後の政府直轄企業や国営、国有企業などの制度のお話は、詳細を説明するとかなり複雑になり、お茶そのものの話題から離脱しがちになるので、あまり厳密には拘らず、少し粗い、大雑把な説明になっています。ご了承ください。





緑茶の産地で作られる紅茶…宜興紅茶②

2016-08-14 00:45:28 | 紅茶(中国茶・台湾茶)


江蘇省宜興市のお茶の歴史は長く、「旧唐書」「新唐書」「全唐詩」にはいくつかの記載があるそうです。また、唐代に献上茶を作っていた記録も残っているとか。盧㒰、白居易の詩にもこの地のお茶が「陽羨茶」として詠まれており、この地のお茶はストーリーには事欠きません。歴史に興味がある方は、是非日本茶の急須にあたる宜興紫砂壺と合わせて、調べてみてくださいね。

敢えてこのブログのテーマに合わせて
私が何か史実の中から挙げるとしたら、
金代に「金字末茶」、明清時代に「離墨紅筋」と呼ばれるお茶が作られたということでしょうか。

専門家の検証の結果、前者は何らかの原因で不均一に発酵した散茶だったらしく、辺境の地へ送られていたようです。後者は1988年に執筆された張志澄氏の「陽羨茶録」によると、途中までは現代の軽発酵の烏龍茶の作り方に近いやり方で作り、殺青時に敢えてエビ(✳︎)の状態にして完成させたお茶だったようです。

この地の紅茶作りの動きは中華人民共和国建国後、特に60年代に入って盛んになります。

(続く)



(✳︎)エビとは殺青が不完全で、茎や葉脈の太いところが赤みを帯びる現象

緑茶の産地で作られる紅茶…宜興紅茶

2016-08-12 22:26:25 | 紅茶(中国茶・台湾茶)




宜興紅茶は中国江蘇省宜興市で作られている紅茶です。
この産地は太湖の西側にあり、現在は清明節前(明前)からその少し後までは碧螺春や陽羨雪芽などに、その後は紅茶に加工されます。
この地は古くから緑茶の産地として有名でしたが
中華人民共和国建国以降、紅茶が作られるようになりました。

そこにはどんな背景があったのでしょうか?
緑茶の産地なのに、どのように紅茶の技術を確立して行ったのでしょうか?

宜興という名が出ると、真っ先にイメージするのは
「宜興紫砂壺」と呼ばれる後手の急須ですが、
今回はこの産地の紅茶にスポットを当てたいと思います。




日本で良質な烏龍茶が生まれない理由

2016-08-11 01:40:18 | 国産烏龍茶


4月中旬の午後に摘採し、日干萎凋後、17時過ぎにカレイに配置、室内萎凋を行いつつ、20時、22時、0時、2時に揺青を行い、翌朝9時前、殺青をする直前のウードン山の鳳凰単叢の葉っぱです。

栽培を熟知し、烏龍茶を自作したことがある日本の茶生産者でしたら、この1枚の画像だけですぐ、日本で烏龍茶を作ることがなぜ難しいのかがわかると思います。

日本式半発酵茶という言葉が出て来て一定期間が経ちますが、なぜ日干萎凋が必要なのか、何のために夜中に揺青するのか…という基本の基本を軽視しているため、恥ずかしくてとても本場の人に「これが日本式!」と、胸を張って言えないようなシロモノが毎年出来ています。

現時点で、「オススメの日本式半発酵茶はありますか?」と問われれば、私なら即座に「過去も現在もありません。」とお返事するでしょう。大人の事情を抱えているからと、ありとあらゆる売り言葉を尽くして取り繕っても、違うものは違う、ダメなものはダメ。

ユーザーの皆様、美味しい不味いはあくまでも個人の主観的判断です。プロも説得し得るような客観的判断と、具体的な改善策の提示が出来ない内は、生産者さんを褒めたり、けなしたりしないであげてください。結局最後に痛い目に遭うのはあなたの目の前にいる、その生産者さんだと思うのです。




茶畑の新規開墾@鳳凰単叢

2016-08-10 13:05:11 | 烏龍茶(中国茶・台湾茶)


ウードン村は今、家が増えています。
建て替えだけでなく、明らかに数が増えている…。

理由は分家です。

以前は茶業で得られる収入は限られていたので、
男の兄弟の誰か1人が残り、他は外地へ…が多かったのですが、昨今は茶業がかつて無いほど景気が良いため、多くの次世代が地元に残りたがります。

子を持つ両親はさぁ、大変。
息子が3人いれば、家も畑も平等に3つに分けなければなりません。当然、それぞれの収入も3分の1に減る…。
そこで所有する土地を出来る限り茶畑にし、更に新たに土地の使用権を買い、そこを開墾します。

そんな経緯があって、今やウードン山は原生林が急減してしまい、茶畑はウードン村から近隣の大安の方まで拡大しています。



分家というのは、所謂財産分与ですから、兄弟間で遺恨が生じる事も珍しくありません。私がこの地に通い始めた頃には仲の良かった三兄弟が、結婚して分家した途端、お互いを遠ざけたり、お嫁さん同士の仲が険悪になり、悪口雑言バトル…なんて類の話は今や日常茶飯事化しています。

私の懸念は今後です。分与を繰り返せば1軒あたりの耕地面積がどんどん小さくなります。土地は限られています。これは…この地の茶業にとって決して良いことだけではないと思うのです。