もう1つの感性の本棚

書くことを仕事にしている者として、日常をどのような感性で掬い取るか。

締め切りという感覚その6~深夜早朝に密かに書くべし、か?

2006-04-25 17:48:53 | 締め切りという感覚
大型連休と決算発表期到来で、企業発表が何かと騒がしい。大手経済紙が人力を活かして細かい企業のトップ人事まで抜くものだから、そのフォローにも追われる。
きょうは、日中も外注原稿執筆の時間があると踏んでいたら、もうこんな時間になってしまった。
過去最高益を更新する企業も多く、株価も高い。今まで沈没していて浮上が著しいのが資源分野だが、株価も最高値を付けるところがあり、そういう企業の人は見るからに嬉しそうにしている。情報開示後は、基本的に自社株の売買は自由だから、家の購入資金に充てるケースも実際出ている。実業やってて株価上昇の恩恵を受けるのは嬉しいだろう。
今までの割安感が消化された後、どうなるのか分からないが、中国など新興国の需要拡大から素材原料市況も含め、高水準が続くスーパーサイクル説もある。
バブルか本当の構造変化か見極めが必要だが、この分野は株価500円以下の企業がいまだゾロゾロいる。化ける株はまだまだあるのだろう。

さて世間のそうした騒がしさとは別に、深夜早朝の原稿書きが待っている。
きょうはどれだけ進めるか。

  

締め切りという感覚その5~まずはエンジンがかかった

2006-04-25 12:40:20 | 締め切りという感覚
朝の四時半から外注原稿に取り掛かり、八時近くまでやってから出勤。
実質3時間はやっていないと思うが、とりあえず溜めてきた作業にエンジンがかかってきた。
このペースを守らないと大型連休は悲惨なことになるので、気を緩めずやり通したい。
結局はやる気にリズムが付けば進む。何事もね。

締め切りという感覚その4~朝4時半に

2006-04-25 04:38:09 | 締め切りという感覚
やばい、やばい。
昨夕、原稿を送ると言っておいて、通常の仕事で手一杯のまま懇親会に出かけてしまった。
この期に及んで、嘘を付く結果になっている。取り戻すべく、こんな時間にPCを立ち上げ、原稿を書き始めている。
一夜漬けの受験勉強を思い出す、ちょっとトホホな感じ。
世間が動き出す前に出来るだけ多くをこなして、メールで送らねば。
今週はこういう「非常事態」が続く。自業自得ってやつだ。
ちなみに、原稿の内容は、ある分野の製品群の概略を一般向けに文章やグラフ、地図などで説明するものでその数40。
現段階での進捗率は一桁台。受注額は約600万円で、会社に上納する粗利が約半分、作図費やレイアウトなどの制作費が3分の1、残りが原稿料や受注歩合で自分のものになる。
日頃の取材経験を生かした別枠の仕事。日中は他の取材・原稿書きがあり、いわばアルバイト。

実は、連休にインドに遊びで出かける予定。ほぼ暦通りの休みにおさまる短期間のツアーだが、それまでにヤマを越えてないと、ますますやばくなる。
ここ数日は、締め切りとの格闘実況中継をお送りする。
なお、インドは今、猛暑の季節に入りつつあり、摂氏40度あるという。




 

締め切りという感覚その3~ほとんどマゾ

2006-04-24 11:58:12 | 締め切りという感覚
 以前、締め切りが迫っている原稿が進まないと書いたことがあるが、来ましたよ、クライアントから、「どうなっているんだ」と。
 実は、内容の一部した出来上がったイメージを伝えておらず、不安を募らせているようだ。
 大型連休も差し迫り、当たり前の話。
 データが集まらない、他の仕事が忙しい・・・言い訳するにしてもこの程度。流せるものではないが、無理な内容ではないし、ただ、自分の中で優先順位を上げてこなかった、つまり逃げてきた。
 どこかに行ってもノートPCを携え、自分に対して仕事をするフリをし、精神的には追い込まれているのを先延ばしにしてきた。
 引き受けた仕事に対するこういう態度はプロではない。
 開き直りは美しくないが、放り出さないとすれば連休直前の今週がヤマ場。
 ヤマ場をどう登頂するか、当面、その記録を記すことになる。



締め切りという感覚その2~手が出ない

2006-04-06 01:13:37 | 締め切りという感覚
いや正直困る。

600万円近い原稿の締め切りが刻々と近づいてきているのに、一向に手が付かない。
躊躇している暇はなく、時間を絶対的に掛けて行くしかない、PCと資料にかじりついて、どんどん書き上げていくしかないのに、何だかのんびりした気分で、この状況を楽しんでいるような感覚。

ただの逃避でしかない。

東大出身の女性歌手が、一般紙の予備校の広告でこんなことを語っていた。
「いったん逃げ始めたら後はもう逃げ続けるしかない」
課題を目の前にした姿勢を、受験勉強の勝ち組として奢るでもなく、冷静に言い当てていると思う。

この姿勢こそが偏差値を超える力だと思う。多分、東大だとかという肩書きはその後に付いて来るもので、世の中で通用するのはこの力なのだ。

さあ逃避が深まっている。
いったん載せ始めた小説『風の原野~北関東署事件簿』の執筆に没入していきたいという願望も、追い込まれた末の逃避願望と融着している。

まあこれまで破綻した仕事というのはないのだけれど、何歳になっても陥穽はどこででも待ち構えている。気を付けないと。

あなたはどんな締め切りを抱えているだろうか。
私はスリルを味わっています。

ライターという仕事における雑感は本タイトル『締め切りという感覚』で、生活における雑感はタイトル『街の縁取り』で、創作は完結するまで『風景の原野~北関東署事件簿』で続けます。
北関東署事件簿は、中仙道を実際に歩いたり、取材で同エリアを往来したことから得た着想によるもので、短編連作で北関東の風景を表現したいと思っています。

















締め切りという感覚

2006-02-27 20:38:45 | 締め切りという感覚
締め切りのない原稿は完成しない、とよく言われる。
原稿を仕事と言い換えてもいいだろう。
人生は、実は区切りのない時間の連続だから、事あるごとに節目を人は欲するのかも知れない。
締め切りはその中でも、とても日常的で繰り返しやってくる。
この締め切りという感覚。
友と言っていいのか、仕事仲間と言っていいのか、仇と言っていいのか。

書くという仕事

2006-02-25 20:41:14 | 締め切りという感覚

仕事とは、それが食べるためという結果だとしても、だからこそ生きるという過程を体現していると思う。

書く仕事とは、そこに実在しないものに縁取りを与え、内実を吹き込もうとする行為の積み重ねである。虚業の最たるものではあるが、実業がそこに実在しなければ内実を作り出すことが出来ないのに対し、虚業の良さは、自分が存在する場所が実在に縛られないところだ。

それを自由と言っていいのか、実業に比べて充実感がどうなのか判別し切れない面はあるが、書くという仕事が、実在とその内実に向け、言葉というボールを懸命に投げ続けることでしか世界に関わっていけないのは確かである。

世界がボールを受け止めてくれることを祈って。

まったく世界に届かない力量であったとしても、実業に比べそれを知る上で期待や幻想が介在しやすいとしても。

誰もが表現者であり、様々な表現方法もある中で、ブログを選んだ。自分は、ある分野において書くことで食べている一人だが、もう一つ新しく文章表現を選んだ。 何かが自分を突き動かしている。