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忙しかった一週間・・・・

2013年02月02日 | Weblog
2013 雪消月 2日

今週は忙しかった・・・・・

二日続けてお葬式があり
それもあって
パソコンの前に座っている時間が
まったく持てませんでした

ふたつや文具でお願いしている税理士さん
ふたつや文具のお客様のお寺の住職さん 

のお二人です

税理士さんとは父の代からお世話になり始めたので
父が亡くなってからもう30年

ですから もう 40年以上のお付き合いでしょうか?

僕が小学校のP,T,A,の役員をさせていただいて
区のP,T,A,連絡協議会
通称
区P連

に出席させていただいた時に
上座の真ん中に座っておられたのが
先日亡くなられた税理士さんで

僕の顔を見るなり
あれ~? ふたつやさん

と呼ばれ 僕もビックリした想い出があります

その後一年勤められた区P連の会長職
当然 出身母体の小学校の会長さんも税理士さんの仕事
と、多忙な日々を精力的に過ごされていましたが
アレは平成も始まってすぐの頃

と云うことは 僕とそんなに世代が変わらない事になる


病気も殆どしない 屈強な方でしたが
とても残念な事です

葬儀には沢山の弔問脚が見え
個人の人柄 お付き合いがしのばれました




住職さんとは もう20年近くのお付き合いになるでしょうか?

毎月檀家さんに配布される新聞の印刷等でお付き合いが始まり
とても 穏やかなご住職で
我が家と同じ
浄土真宗のお寺でしたので親近感も沸き
よくお話をさせていただきました

父 母
のお葬式を出し
その後の法事

と、お寺とのつながりも深くなり
次は僕の番かと 順番待ちの毎日ですが

僕の好きなお経の話になったこともあります
それは


「三帰依文」

人身(にんじん)受け難し、いますでに受く。
仏法聞き難し、いますでに聞く。
この身今生(こんじょう)において度せずんば、
さらにいずれの生(しょう)においてかこの身を度せん。
大衆(だいしゅう)もろともに、
至心に三宝(さんぼう)に帰依し奉るべし。

自ら仏に帰依したてまつる。
まさに願わくは衆生とともに、
大道(たいどう)を体解(たいげ)して、
無上意(むじょうい)を発(おこ)さん。
自ら法に帰依したてまつる。
まさに願わくは衆生とともに、
深く経蔵(きょうぞう)に入りて、
智慧(ちえ)海(うみ)のごとくならん。
自ら僧に帰依したてまつる。
まさに願わくは衆生とともに、
大衆を統理(とうり)して、
一切無碍(いっさいむげ)ならん。

無上甚深(じんじん)微妙(みみょう)の法は、
百千万劫(ごう)にも遭遇(あいあ)うこと難し。
我いま見聞(けんもん)し受持(じゅじ)することを得たり。
願わくは如来の真実義を解(げ)したてまつらん。




これは 法事のたびに教本が座布団の上に置かれ
それを 畳の上に置く事は許されない




イスラム教徒が
コーランを大切にするのと同じ

先日 永六輔さんが
イスラム教徒はテロリストではない

でも
テロリストはイスラム教徒だ





葬儀の時だけに読むのは
親鸞聖人の御文
と呼ばれる文章です


それ、人間の浮生なる相をつらつら観ずるに、
おほよそはかなきものはこの世の始中終、
まぼろしのごとくなる一期なり。

さればいまだ万歳の人身を受けたりといふことをきかず、
一生過ぎやすし。いまにいたりてたれか百年の形体をたもつべきや。

われや先、人や先、今日ともしらず、
明日ともしらず、おくれさきだつ人はもとのしづくすゑの露よりもしげしといへり。

されば朝には紅顔ありて、夕には白骨となれる身なり。
すでに無常の風きたりぬれば、
すなはちふたつのまなこたちまちに閉ぢ、ひとつの息ながくたえぬれば、
紅顔むなしく変じて桃李のよそほひを失ひぬるときは、
六親眷属あつまりてなげきかなしめども、さらにその甲斐あるべからず。

さてしもあるべきことならねばとて、
野外におくりて夜半の煙となしはてぬれば、
ただ白骨のみぞのこれり。あはれといふもなかなかおろかなり。

されば人間のはかなきことは老少不定のさかひなれば、
たれの人もはやく後生の一大事を心にかけて、
阿弥陀仏をふかくたのみまゐらせて、
念仏申すべきものなり。
あなかしこ、あなかしこ。




何故 こんなに 記憶に残っているのか?
と言って 記憶のままに打ったのではなく
当然 ネットで調べたのですが・・・・・

先ほども書いたように
浄土真宗では
お経の本を皆で読むのです

ですから 他の宗派のように
なんみょ~~~~~
なむ~~~~~
と云うように 聞き取れない
と云うことも無く
心にダイレクトに入り記憶に残るのです

そういえば


関東学院の
聖書の授業時間に

海老坪先生が 仏教の住職と話をして

キリスト教は良いね
イエスキリストの言葉を収めた聖書があって

仏教では一冊の本に収まらない

それなら 小分けにして本にすればよい

と、言ったそうだ

どの宗派の人に話をしたのかは知らないのですが
もんとものしらず
の門徒 浄土真宗は
何冊かの経典にしている



キリスト教はこの一冊に凝縮されている

と聖書の素晴らしさを教えてくださった

僕が好きな文章は
神様にこう祈りなさい
インマヌエル それは 神我とともにいます
と云う意味です


と云う語句が旧約聖書に出てくる
でも、ネットで見つからないので
僕の記憶のままです

これが僕の心のよりどことです

僕が毎週教会にも行かず
江ノ島に行ったとしても
インマヌエル

まあ、なんて勝手な解釈でしょう♪

と、自分でも思うのですが
僕の宗教に対する解釈はこんなものなので
お許しを・・・・



僕の人生の中で
二日続けて葬儀
と云うのは初めてで
どちらの式も心温まる式でしたので

僕の葬儀はどうしよう

と、考えてしまいました


こればっかりは・・・・・のりこちゃんにお願いしておこうか




占い

宗教
は根本が違う


僕は・・・・・・・・・
占い

と云うのは全く信じないが

宗教は信じるに値する 歴史の教科書のような存在だと思うのです


因みに
聖書に 預言者が出てきますが

テレビに出てくる 予言者とは

漢字を見ても判るように全く別物です

と云うわけで
僕は
予言も信じません

 バックツーザフューチャーⅢでドクも言っている
未来は この紙のように真っ白でこれから作っていく物だ

って


さー 明日の未来はどうなるんでしょう?





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