浄空法師説法研究

浄空法師の説法に学びながら、日本語に翻訳して紹介しています。

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『弟子規』を提唱した因縁

2016-06-04 | 【伝統文化の復興】


提倡《弟子規》的因緣 / 『弟子規』を提唱した因縁
文摘恭錄—二零一二淨土大經科註(第一六九集)2013/2/9 檔名:02-040-0169

我們提倡《弟子規》,這個原因是從大陸有些人提倡讀經,小朋友讀經,小朋友讀經出了問題,好像不少年。出了什麼問題?小朋友對於四書五經有人能背的,結果發生瞧不起父母、瞧不起老師。這個問題浮出來之後,王財貴先生到香港來見我,那個時候我住在跑馬地,談到這個事情。我就告訴他,要從《弟子規》下手,要從《感應篇》、要從《十善業道》,這個教起,孩子他懂禮,他知道怎麼做人。
私たちは『弟子規』を提唱しています。その原因は、(中国)大陸のある人たちが読経を提唱したところ、子どもたちが読経するようになりました。子どもたちが読経すると問題が出て来ました。何年もそうだったようです。何の問題が出たのでしょうか?ある子どもが四書五経を覚えてしまい、その結果両親や先生を見下すようになったのです。この問題が出てきた後、王財貴先生が私に会いに香港に来ました。その頃私はHappy Valley(香港の地名)に住んでいました。この事について話し合いました。私は彼に、「『弟子規』から着手しなければならない」と言いました。『太上感応篇』、『十善業道経』からです。ここから教えれば、子どもは礼を理解します。人としてどうすべきかを理解します。

中國古人講知恩報恩,誰對他有恩?把他生下來帶大,父母。古人能做到,為什麼今人做不到?古人考中狀元,回家第一樁大事祭祖先,不忘祖宗之,不忘父母之恩。祭祖之後就得去拜老師,不忘師恩。老師是哪一個?啟蒙的老師,不是拜成就他學術的老師,啟蒙老師。就是我念小學一年級那個老師,拜他,他是根。對這個老師都尊重,當然所有老師都尊重。這是中國教育。
中国の古人は「恩を知り、恩に報いる」ことを重んじました。恩があるのは誰でしょうか?その人を生み育ててくれた、父母です。古人にはそれができたのに、どうして今の人にはできないのでしょうか?古人は状元(科挙の最高の試験である「殿試」の第一位の者をいう)に合格すると、帰郷して第一の大事は先祖を祭ることでした。祖先の徳を忘れず、父母の恩を忘れません。祖先を祭った後は先生に挨拶しに行きます。師の恩を忘れません。先生とはどの先生でしょうか?基礎的な教育の手ほどきをした先生です。彼の学術を成就させた先生ではなく、基礎の手ほどきをした先生です。つまり小学校一年生の先生です。その先生を訪問します。その人が根です。この先生さえも尊重するのですから、当然すべての先生を尊重します。これが中国の教育です。

教小孩的時候沒有別的,端正心念,要把小孩的愛心激發出來。中國的教育是愛的教育,源起,我講過很多次,源於父子有親。父母對兒女那個親愛是天性、是自性,在佛法講是自性,這比什麼都重要。這不是哪個人教的,沒有任何力量壓迫你的,全是自動自發,這天性。古人有智慧,這是好事,怎樣把這個親愛,這種天性的親愛,保持一生都不變,那就要靠教育。教育教什麼?就是這個愛心永恆不變,而且發揚光大。從愛父母,擴大,愛兄弟姐妹、愛祖父母、愛堂兄弟、愛族兄弟,愛這個家族,然後再擴展,鄰居、鄰里鄉黨,到最後,凡是人皆須愛。
子どもを教える時は他の事はありません。心を正し、子どもの愛する心を引き出すことです。中国の教育は愛の教育です。その起源について、私は何度も話しています。起源は「父子親有り」(親子の親愛の情)にあります。父母の子どもに対する親愛は天性であり、自性【注1】です。仏法で言う自性です。これは何よりも重要です。これは誰かが教えたことではありません。あなたを抑圧するものは何もありません。すべて自然に発せられるものです。これは天性です。古人には智慧があります。これは良い事だと思えば、どのようにこの親愛、このような天性の親愛を、一生涯保って変えないようにするか。それは教育にかかっています。教育とは何を教えるのでしょうか?この愛は永久不変であり、大いに発揚しなければなりません。父母を愛することから始まり、更に広げて、兄弟姉妹を愛し、祖父母を愛し、いとこ兄弟を愛し、親族を愛し、更には隣の人、郷里の人、最後には人としてすべての人を愛するということです。
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 【注1】 自性(じしょう)・・・・各人に内在する真如(しんにょ:宇宙の根源的な存在、永久不変の真理)。本来具えている性質。
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地球を安定させるには人心を正さなければならない

2014-11-01 | 【伝統文化の復興】


地球的安定需要端正人心  地球を安定させるには人心を正さなければならない
文摘恭錄—淨土大經解演義(第二O六集)2010/11/26 檔名:02-039-0206

古人真有學習的方法、有學習的智慧、有學習的經驗、有學習的效果,值得我們取法。今天我們居住這個地球,遭遇有史以來空前的災難,社會混亂不安,地球災變頻繁。我也聽說有些人談到要改革,怎麼改?我的看法,愈改愈亂。問題到底出在哪裡?出在人的心上,不是出在別的地方,人心不能回頭、不能端正,再好的法都沒用。
古人には本当に学習の方法、学習の智慧、学習の経験、学習の効果がありました。私たちが手本とするに値するものです。今日私たちが住むこの地球は、有史以来の空前の災難に見舞われ、社会は混乱しています。地球には災難が頻繁に起きています。私もある人たちが改革について言及していると聞きました。どのように改めるのでしょうか?私の考えでは、改めれば改めるほど乱れます。問題は一体どこから生じているのでしょうか?人心から生じています。他の場所ではありません。人心が改まらず、正すことができなければ、どれほど良い法も役には立ちません。

古人的法,早年我在很年輕的時候,我的老師告訴我,《周禮》,十三經裡面的《周禮》,周公訂的,周朝的憲法,方東美先生對這部書讚歎備至,跟我講了很多遍,叫我看看。我對政治沒興趣,所以我從來就沒有看它,三禮裡頭,我只看了《禮記》,《周禮》、《儀禮》沒有涉獵。他告訴我,他說這部書太好了,在古今治國的大典裡面,它可以說是第一,這方老師的話。他說如果周朝後代的子孫,世世代代都遵照這部法典來治國的話,他說現在還是周朝。可是我學佛了,對這個沒興趣,我們想到極樂世界去,不想在這個世間搞這些把戲,不想幹這個事情。但是我知道,老師說好一定是有道理的,老師不會欺騙我們。
古人の法について、昔私が若い頃、私の老師は仰いました。十三経の中の『周礼』は、周公が修訂したもので、周朝の憲法です。方東美先生はこの書物をこの上なく称讃され、私に何度も話して下さり、私に学ばせようとしました。私は政治に関心はありません。ですからそれまで読んだことはありませんでした。「三礼」の中では、私は『礼記』を読んだだけで、『周礼』、『儀礼』には目を通していませんでした。方老師は、「この書物は素晴らしい。古今の治国の大典の中で、それは第一級である」と仰いました。方老師の話です。方老師は、「もし周朝の子孫が代々この法典を遵守していたなら、今もまだ周朝だったかもしれない」と仰いました。しかし私は仏法を学んで、これに関心はありませんでした。極楽世界に行くことを思えば、この世間でこれらの雑芸に興じようとは思いません。そのような事をしたいとは思いません。しかし私は、老師が良いというなら必ずその道理があると思います。老師は私たちを騙したりしません。

可惜周幽王完全背叛祖宗的教誨,所以他亡國了。周亡在秦始皇,可是秦始皇不用道仁義,他完全用法治,商鞅提供他用法治,十五年亡國,這值得我們深思的。中國傳統是以道仁義來治國。周家的法,我相信是很好,因為我看了當中這小小的這一段,他怎樣培養太子,真用心,真不容易。所以末代皇帝都是違背祖宗的教誨,違背祖宗所訂的這些規章,他才會亡國。他要是依據祖宗的成法,認真去做,人民不願意造反。人民造反是你逼他,逼得不得已他才造反,人民能忍受的,他都願意忍受,都不願意造反,這是人之常情,這一定要懂得。逼到不能忍受的時候,那沒法子!所以人同此心,心同此理。這就是取法於古人。你看阿彌陀佛建立極樂世界,也是取法於古人,取法於一切諸佛如來的剎土。都同一個道理!不是自己在家裡想出來的,實地去觀摩、去考察。
残念なことに周の幽王(前781-前771)は完全に祖先の教誨に背いて、国は滅びました。周の滅亡は秦の始皇帝(前259-前210)によるものですが、始皇帝は道徳・仁義を用いることなく、完全に法治を採用しました。商鞅(しょうおう:前?-前338)は始皇帝に法治を提供し、十五年で国は滅びました。これは深く考えるに値することです。中国の伝統は道徳・仁義で国を治めることです。周家の法、私はこれは良いものだと思います。少しばかり目を通してみると、彼がどのように太子を養育したのかが分かります。本当に気を遣っています。容易な事ではありません。末代の皇帝はすべて先祖の教誨に背いています。先祖の定めた規範に背いて国を滅ぼしたのです。祖先の法律に依拠して、真摯に実践していれば、人民は謀反(むほん)を起こそうとは思いません。人民が謀反を起こすのは、為政者が追い詰めたからです。追い詰められてどうにもならなくなって、ようやく謀反を起こすのです。人民が耐え忍べることを為政者も耐え忍ぼうとするなら、謀反を起こそうとは思わないものです。これは人情の常です。これを必ず理解しなければなりません。耐え忍べないことを突き付けられれば、どうにもなりません!「人此の心を同じくし、心此の理を同じくす」(大多数の人は、考え方や感じ方にさほど隔たりはない)。これが古人を手本にするということです。阿弥陀仏は極楽世界を建立しました。これも古人を手本にしています。一切諸仏如来の刹土を手本にしています。すべて同じ道理です!自分の家で思いついた事ではありません。実地に行って見学し、考察したのです。

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私塾の社会に対する貢献

2014-07-10 | 【伝統文化の復興】


私塾對社會的貢獻 / 私塾の社会に対する貢献
文摘恭錄—淨土大經科註 (第三二四集) 2012/5/6  檔名:02-037-0324

學校是家庭學校,就是私塾。那個時候這些秀才們,考中秀才國家就給你一份俸祿,給你生­活費用,你就安心教學,安心讀書,這就是你的工作,將來再參加高等考試。秀才是縣考,­這是第一個國家考試的;再參加第二個層次的,省考,省考舉人,考中了就是舉人。舉人就­有資格做官,接受政府的任命,可以做個縣市長,舉人。再更高的國家考試叫殿試,主考官­是皇上,考取了叫進士。進士大概外放做官,最低的都是像現在國家講的市長,他要管好幾­個縣,管十幾個縣,在從前叫道臺、府,就是知府。這是國家考試取人才,來用你。
(昔の)学校は家庭学校でした。つまり私塾です。その頃は秀才【注1】に合格すると国から俸禄(給与)を支給されました。生活費が与えられ、安心して教学し、安心して学ぶことが出来ました。これが仕事になります。将来再び高級試験を受けます。秀才は県の試験です。これは最初の国家試験です。更に第二段階の試験、省の試験を受けます。省は挙人【注2】の試験です。挙人は役人になる資格があり、政府の任命を受けて、県長や市長になることができます。更に上の国家試験を殿試と言います。主な試験官は皇帝です。合格すれば進士と言います。進士はだいたい地方に回されて役人になります。最低でも現在の国で言われる市長です。十数か所の県をしっかりと治めなければなりません。昔は道台、府と言いました。つまり府知事です。これは国家試験で人材を採用するものです。
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 【注1】 秀才(しゅうさい)・・・・科挙(官吏登用試験)の試験科目の一つ。或いは合格した者。
 【注2】 挙人(きょじん)・・・・明・清代、科挙の郷試(きょうし)に合格した者。
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  書是你自己念,國家不辦學校,學校是家庭辦。所以中國從前的家對社會的貢獻太大了!人­民,誰教好的?家把他教好了。每個家長都希望自己的子弟將來能夠出人頭地,做聖人、做賢人,光大門楣,我這一家出聖賢。聖賢人哪有不發達的?做大官的很多;他有智慧,他能­夠經營事業,所以發大財的也很多,稱為世家。家裡面的家長都把自己的子弟教好了,社會­上人人是好人,事事是好事。所以從前三百六十行,做官最舒服,每個讀書人都想做官。做­官怎麼樣?地位很高,待遇也不錯,沒事情辦,沒有案子辦。都是好人、都是好事,哪有案­子辦?一個月有三、五件案子很多了,你怎麼有這麼多的事情?當時地方官員只是拜訪這些­大家,就是家管得非常好的,表揚他們、鼓勵他們,讓別的家都向他學習。
書物は自分で学びます。国は学校を運営しません。学校は家庭でします。ですから中国の昔の家の社会に対する貢献は非常に大きなものです!人民は誰が教えたのでしょうか?家でしっかりと教えたのです。どの家長も自分の子どもが将来頭角を現して、聖人になり、賢人になって、家門を輝かせることを願いました。自分の家から聖賢を出すのです。
聖賢であれば発展しないことがあるでしょうか?役人になった人はたくさんいます。その人には智慧があり、事業を経営することができます。ですから財を成した人もたくさんいます。世家と言います。家の家長が皆自分の子どもをしっかり教えれば、社会の人は誰もが良い人になり、物事はすべて良くなります。ですから昔の三百六十行(各種職業の総称)では、役人になるのが最も気楽でした。どの読書人も役人になりたいと思いました。役人になるとどうでしょう?地位が高く、待遇も良く、処理すべき案件もありません。誰もが良い人で、物事がすべて良い事であれば、どこに案件などがあるのでしょうか?一か月に三つ、五つの案件があれば多い方で、どうしてこれほど多いのかというほどです。
当時の地方の役人はこれらの大家を訪問するだけです。家の管理がしっかりしていれば表彰し、彼らを励まして、他の家にも見習うようにするのです。

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家庭教育は何を教えるのか(上)

2012-10-29 | 【伝統文化の復興】


家庭教育教什麼(上集) / 家庭教育は何を教えるのか(上)
文摘恭錄—大方廣佛華嚴經(第二O九三)2010/1/26 檔名:12-17-2093

我們現前的社會現象。無論是貧富貴賤,都是有危懼無樂,尤其是年歲大了,使我們想到養老育幼的教育。老人沒有人照顧,子女長大了,各人為他自己的小家庭忙碌。確實有許許多­多做父母的人,被子女遺棄了,晚年住進老人院,老人院裡面的情況,你不去參觀,你不了解,你看了之後,確實會感慨萬千。在中國,幾千年來從來沒有發生過這種事情,沒人養老­。現在發生了,為什麼?從前的人,人生價值觀不一樣,一個人生活在世間,為什麼?
今の社会的な現象として、貧富・貴賤を問わず、安心感がないことを危惧しています。特に年を取ってからは、お年寄りを養い、子どもを育てる教育に思い至ります。お年寄りを面倒見る人がおらず、子どもは大きくなると、それぞれ自分の為に家庭を作って忙しくしています。確かに多くの老夫婦は、子どもに顧みられません。晩年は老人ホームに入りますが、老人ホームの状況は見学しなければ理解できません。あなたは見学した後、間違いなく感慨を覚えるでしょう。中国では数千年来、お年寄りを面倒見る人がいないという状況になったことはありません。今はそうなってしまいました。なぜでしょう?昔の人は、人生の価値観が違いました。人が世間で生活するのは、何の為でしょう?

過去的人都會說為家庭,現在家沒有了。以前家庭是大家庭,小孩從小就養成孝親、敬長,這一­生要做的是榮宗耀祖,所以他一生努力都為了家庭,大家庭。我們在前面也做過很多次的報告,一般家庭,這一家人口大概都在三百人左右,五代同堂。人丁興旺的,六、七百人。家­庭是個社會族群,所以古講修身齊家,齊家就能治國,治國就能平天下。
昔の人は誰もが家族の為だと言いました。今では家がなくなってしまいました。昔の家は大家族で、子どもは幼い頃から親孝行し、年長者を敬うように育てられ、この一生でする事は祖先の名を輝かせることでした。ですから一生の努力はすべて家庭、大家族の為でした。私たちは前にもたくさん話してきましたが、一般の家庭の人数はだいたい三百人くらいでした。五代同堂(五世代にわたる一族が同居する)です。人数が増えれば、六、七百人にもなります。家庭は社会的な集団でした。そのため昔の徳を積んだ人は、身を修め(修身)、家を整え(斉家)、家が整えば国を治めることができ(治国)、国を治めれば天下を平らかにすることができる(平天下)と説いたのです【注1】

中國幾千年來,長治久安,家庭的貢獻最大。我們中國人的家是在第二次世界大戰之後消失,二戰之前還有­,我們還眼見過,二戰之後沒有了。家沒有了,家破人亡,這一個家族幾百人逃難,流浪到四方,過一代、二代,彼此都不認識。這是中國人的悲哀。在古時候,養老、育幼都是家庭­肩負起的重擔。我們現在感到危懼無樂,果報現前。家道、家規、家學、家業都沒有了。
中国が数千年来永く治まってきたのは、家庭の貢献が最も大きいのです。私たち中国人の家は第二次世界大戦の後失われました。それ以前にはまだありましたし、私たちは見たことがあります。第二次大戦後にはなくなりました。家がなくなり、家は没落四散しました。数百人の家族が災難を避けるために避難して、各地に流浪しました。一世代、二世代と過ぎて、お互いに分からなくなってしまいました。これは中国人の悲しみです。昔は、お年寄りの面倒を見て、幼い子を育てることは、家庭が担っていた大任でした。私たちが今安心感がないと危惧しているのは、果報が現れたのです。家道、家訓、家学、家業、すべてなくなりました。

<注>
1.修身(しゅうしん)斉家(さいか)治国(ちこく)平天下(へいてんか)。(『礼記』「大学」より)
  身を修め、家を斉(ととの)え、国を治め、天下を平らかにす。
  天下を治めるには、まず第一に自分の行いを正しくし、次に家庭をととのえ、次に国家を治め、そして天下を平和にすべきである。

>>家庭教育は何を教えるのか(下)につづく。
http://blog.goo.ne.jp/fayuan/e/38feb03fdde0ea988af5aaa024c4ae7a

第一回更新 2012-10-29
第一回訂正 2014-11-19

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家庭教育は何を教えるのか(下)

2012-10-29 | 【伝統文化の復興】


家庭教育教什麼(下集) / 家庭教育は何を教えるのか(下)
文摘恭錄—大方廣佛華嚴經(第二O九三)2010/1/26 檔名:12-17-2093

古代的中國人,沒有不知道教育重要,尤其是家庭教育,教什麼?教人發揚性,人性本善,《三字經》上第一句話,「人之初,性本善」。如何把這個本善的性,在人一生當中能­保持不失去?這是教育第一個目標。所以中國的教育是愛的教育。也就是說人不能不知道自愛,自愛,愛什麼?愛自己的本善,這叫真正自愛。
古代の中国人は、教育の重要性を知らない人はいませんでした。特に家庭の教育です。何を教えるのでしょう?人の性徳【注1】を発揚することを教えます。人の本性はもともと善であり、『三字経』の第一句には「人は生まれつき、その本性は善である」(人之初,性本善)とあります。どうすればその本来善である性徳を、一生涯失うことなく保ち続けられるのか?これが教育の第一の目標です。ですから中国の教育は愛の教育です。また人は自分を愛すること(自愛)を知らなければなりません。自分を愛するとは、何を愛するのでしょう?自己本来の善を愛すること、これが真に自分を愛するということです。
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 【注1】 性徳(しょうとく)・・・・衆生が本性として具えている生まれつきの能力。
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那本善是什麼?父子是親,是本善,父­子有親,那個親愛,那是本善。君臣有義,那個義是本善,夫婦有別,別是本善。長幼有序,朋友有信,本善。現在沒有了,父子沒有親,君臣沒有義了,夫婦沒有別了,長幼沒有序­了,朋友不講信了,這就是無自愛。你本性裡面的善,你統統丟掉了。這五倫。第二個是五常,五常是本善,仁、義、禮、智、信。現在在禮丟掉了,無禮,不義,不仁,不智,也­不信。這五常沒有了。於是四維八也自然消失了,這些就是古聖先賢所講的本善,八有兩個說法。
それでは本来の善とは何でしょうか?父子の親は、本来の善です。父子の親、それは親愛です。それは本来の善です。君臣に義あり。その義は本来の善です。夫婦に別あり。その別は本来の善です。長幼に序あり。朋友に信あり【注2】。これらは本来の善です。今はなくなってしまいました。父子には親がなく、君臣には義がなく、夫婦には別がなくなり、長幼に序がなくなり、朋友は信を重んじません。これは自分を愛していないことです。あなたの本性である善の徳は、ことごとく失われてしまいました。これは五倫です。二つ目は五常【注3】です。五常は本来の善です。仁、義、礼、智、信。今では礼が失われ、無礼、不義、不仁、不智、そして不信です。この五常がなくなりました。そのため四維【注4】、八徳【注5】も自然に失われました。これらは古の聖賢が説かれている本来の善であり、八徳には二つの言い方があります。
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 【注2】 五倫(ごりん)・・・・父子の(親孝行)、君臣の(忠義)、夫婦の(役割の区別)、長幼の(上下の秩序)、朋友の(信義)。(『孟子』滕文公上より)
 【注3】 五常(ごじょう)・・・・(慈愛)、(道義)、(礼節)、(善悪を見極める智慧)、(信義)の五つの道徳。(『漢書』)
 【注4】 四維(しい)・・・・(礼節を知る)、(道義を守る)、(心清らかで寡欲である)、(恥辱を知る)。これらの国家を維持するのに必要な四つの大綱。(『管子』牧民)
 【注5】 八徳(はっとく)・・・・下記。
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我們如果講四維八,那就完整的,就全包,四維是禮義廉恥,八是孝悌忠信­仁愛和平。唯有自愛,他才知道愛人。知道愛人的人,他才知道愛家,愛族、愛家族、愛鄉、愛國、愛眾生。大乘佛法裡面,把這愛更擴大了,愛天地萬物,這是圓滿的天倫之樂。在­過去,如何把這樁大事做得圓圓滿滿,完全是家教。所以中國人從小,就十二歲之前,嚴格的教育,教規矩。
私たちがもし四維・八徳を重んじていれば、それは完全です。すべてが含まれています。四維は礼・義・廉・恥、八徳は孝・悌・忠・信・仁愛・和平です。自分を愛していてこそ、人は人を愛することを知るのです。人を愛することを知る人であってこそ、家を愛し、民族を愛し、家族を愛し、故郷を愛し、国を愛し、衆生を愛することを知るのです。大乗仏法ではこの愛を更に広げて、天地万物を愛します。これが円満な天倫【注6】の楽というものです。昔は、この大事を如何に円満に成し遂げたのかといえば、すべて家庭の教育でした。ですから中国人は小さい頃から十二歳までは、厳格に教育し、規則を教えてきたのです。
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 【注6】 天倫(てんりん)・・・・自然に定まった人倫・秩序のこと。天地自然の条理。
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<注>
八徳
(はっとく)
 ①忠孝仁愛、信義和平
  *中華民国政府はこの「八徳」を国訓とし、「四維」を各学校共通の校訓としている。

 ②仁義礼智、忠信孝悌
  *日本では「八徳」というとこちらを指すようである。
 (慈愛)、(正義)、(礼節)、(智慧)、
 (忠義)、(信義)、(孝行)、(年長者に従順に仕える)

<参考>
五倫
http://blog.goo.ne.jp/fayuan/e/b7f30775ee46f9683691ce9da2a761c4
五常
http://blog.goo.ne.jp/fayuan/e/daeed54678d44baaefee80e87d83612a

第一回更新 2012-10-29
第一回訂正 2014-11-19

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なぜ『弟子規』を提唱するのか

2012-01-11 | 【伝統文化の復興】


為什麼要提倡《弟子規》 / なぜ『弟子規』を提唱するのか
文摘恭錄—淨土大經解演義(第三OO集)2011/2/24

中國傳統的文化教育,講仁義,仁是存心,仁是仁愛,推己及人,想到自己就得想到別人;義是循理,我們表現在外面的做法合情、合理、合法。存仁行義,心是仁,行為是義,這都屬於饒益有情戒。我們今天印送《四庫全書》、印送《四庫薈要》,這是送給國家,世界上許多國家。印送《國學治要》、《群書治要》,幫助全世界的人認識中國傳統文化,認識大乘佛法。
中国伝統の文化教育は、仁義を説きます。仁とは心根であり、仁とは仁愛のことです。自分を顧みて人のことを推し量ることです。義とは道理に従うことです。私たちの外に現れる行為が情に適い、理に適い、法に適うことです。仁の心で義を行う。心は仁であり、行為は義です。これはすべて饒益有情戒(にょうやくうじょうかい)(脚注1)に属するものです。私たちは今『四庫全書』、『四庫薈要』を国や世界各国に贈っています。『國學治要』、『群書治要』を贈ることは、全世界の人が中国伝統の文化や大乗仏法を認識する助けとなります。

我們真正做出來,即使就在這一點,我們依教奉行,從哪裡做起?一定從《弟子規》做起。不從《弟子規》做起,一點效果都收不到。有人不相信,不相信的人很多,連一些著名的教授都不相信,曾經來問過我,問我為什麼要提倡《弟子規》?儒家的東西四書五經十三經分量那麼多,為什麼不提倡別的,提倡這個東西?
私たちは本当に実行します。たとえ少しであっても、教えに従って実行します。どこから始めれば良いでしょう?必ず『弟子規』(脚注2)から始めなければなりません。『弟子規』から始めなければ、ほとんど効果を得ることはできないでしょう。ある人はそのことを信じません。信じない人はたくさんいます。著名な教授でさえ信じないようで、以前私のところに来て「なぜ『弟子規』を提唱しているのですか?」と質問したことがあります。「儒家の書物は四書五経、十三経などたくさんあるのに、なぜ他のものを提唱せずに、これを提唱するのですか?」と質問しました。

我的解釋很簡單,我說我們擺上天平,稱一稱分量,這邊就放一本《弟子規》,一千零八十個字;這邊四書五經十三經、《四庫全書》,一大堆擺在這邊,它一樣重。聽的人呆了,怎麼會一樣重?我就告訴他,我們老祖宗講得好,這邊一大堆的四書五經十三經、《四庫全書》,是博學、審問、慎思、明辨在這邊;《弟子規》那邊是篤行。這一大堆東西學了,你沒有做到等於零,還不如它!這個比喻他懂,他明白了。
私の説明は簡単です。天秤に並べて重さを量るとすれば、こちらに『弟子規』(1,080字)を一冊置き、こちらに四書五経・十三経・『四庫全書』を山ほど置いても、それは同じ重さだからです。それを聴いた人はあっけにとられていました。どうして同じ重さなのでしょう?私はその人に言いました。私たちのご先祖様は良いことを言っています。この山ほどある四書五経・十三経・『四庫全書』、こちらは博学であり、深く追究し、熟慮し、道理を明確に説いたもので、こちらの『弟子規』は誠実に実行するものです。山ほどのことを学んでも、実行できないのであればゼロに等しく、それでは『弟子規』にも及びません! この比喩を話すと、その人は理解しました。

<脚注>
1.饒益有情戒
(にょうやくうじょうかい)・・・・大乗仏教の菩薩の戒、三聚浄戒(さんじゅじょうかい)の一つ。
 【三聚浄戒】
  ・摂律儀戒(しょうりつぎかい)・・・すべての悪を断ずること。
  ・摂善法戒(しょうぜんぽうかい)・・・すべての善を実行すること。
  ・饒益有情戒(にょうやくうじょうかい)・・・すべての衆生を救済すること。

2.『弟子規』(でしき)・・・・儒学の祖、孔子の教えを基に学生の生活規範を編成したもの。「入則孝」「出則悌」「謹」「信」「泛愛衆」「親仁」「余力学文」からなる。中国清朝の李毓秀(1662年~1722年)によって書かれた。
  『弟子規』日本語訳: http://blog.goo.ne.jp/fayuan/c/a722958c71e3a93383e029ee8a788c84

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家庭教育の社会に対する重要性

2012-01-05 | 【伝統文化の復興】


家教對社會的重要性 / 家庭教育の社会に対する重要性
文摘恭錄—淨土大經解演義(第一四五集)2010/9/16 

佛在這部經上講的是非常有道理,真是通情達理,這幾句話好像就是對現在人說的,「先人無知」,我們父母不知道,祖父母也不知道,曾祖父母也不知道,大概總到高祖父母他們曉得。滿清亡國,民國成立之後,社會就動盪不安,先是軍閥割據,然後就遇到跟日本人抗戰八年,這個大的動亂,這麼長的時間,把我們傳統文化疏忽了,中國傳統這個家再也看不到了。
仏様が仏典で説かれていることは道理があります。本当に事理に通じています。いくつかの言葉はまるで現代人に対して説かれているかのようです。「先人無知」、私たちの両親が知らず、祖父母も知らず、曽祖父母も知らず、おそらくその先の先祖であれば知っているでしょう。清朝が滅んで中華民国が成立した後、社会の情勢は不安定でした。先に軍閥が割拠し、その後日本人との抗日戦争が八年ありました。大きな動乱が長く続いて、私たちの伝統文化は疎かになりました。中国の伝統的な家は、もう見ることができなくなりました。

我在我們的老家江南還看到遺跡,從前這個大家庭房子還在,江南還保存一部分,人沒有了,教育也沒有了,正是古人所說的,「人存政舉,人亡政息」,我們看到很傷心、很痛心。中國這個家,對社會、對國家貢獻太大了,幾千年來長治久安靠什麼?就靠家,靠家教,現在沒有了。能不能恢復?不可能。從前家是血緣的關係,一個大家庭五代同堂是普通的,所以從前講九族,從自己上面高祖父、曾祖父、祖父、父親到自己,自己下面有兒子、有孫子、有重孫、有玄孫,所以九代,九族!那真正有天倫之樂。
私の故郷の江南では遺跡を見ることができます。昔の大家族の部屋がまだあります。江南にはまだ一部保存されていますが、人がいなくなり、教育もなくなりました。正に古人が説くように「人存すれば政挙がり、人亡すれば政息(や)む」(脚注1)というものです。私たちはそれを見て心が痛みます。中国のこの家というのは、社会や国家に対して非常に大きな貢献をしています。数千年来の平穏は何を拠り所にしているのでしょうか?それは家であり、家庭の教育です。今はなくなってしまいました。それを復興する事はできるでしょうか?それは不可能です。昔の家は血縁関係であり、一つの大家族には五世代が同居しているのが普通でした。昔は「九族」(脚注2)と言われ、自分の上には高祖父、曽祖父、祖父、父親がいて自分に至り、自分の下には息子、孫、曾孫(ひまご)、玄孫(やしゃご)がいました。ですから九代、九族です!そこには本当に一家団欒の楽しみがありました。

那個家庭如果說沒有教育、沒有規矩,那還得了!那不就亂成一團了嗎?所以從小就學,人人都是為家,我生到這個家庭,活在這個世上,為什麼?為家族,榮宗耀祖,我要為我家庭光。人活在世間,他有目標、有目的。現在沒有了,現在人活在世間,現在我常常聽說小學生都自殺,他為什麼?活著沒意思,為什麼活著不曉得。從前知道,從小就曉得為什麼活著,從為家庭、為家族,然後是為社會、為國家,這個教育的底子厚!所以一定要曉得,中國教育是聖賢教育。
その家庭にもし教育や決まり事がなければ、どうなるでしょう。それでは大変なことになりますね?ですから幼い頃から学び、誰もが家の為に生きることを学びます。この家庭に生まれ、この世に生きるのはなぜでしょう?それは家の為に、祖先の名を輝かせ、自分の家庭の誉れを高める為です。人がこの世に生きるのには、目標があり、目的があります。今ではそれがなくなってしまいました。私はよく人から聴きますが、今の人はこの世に生きて、小学生までもが自殺をするそうです。なぜでしょう?生きていても張り合いがなく、なぜ生きるのかを理解していないからです。昔の人は知っていました。子供の頃からなぜ生きるのかを知っていました。それは家庭の為、家族の為に生きることであり、さらには社会の為、国家の為に生きることです。この教育の基礎は重厚です!中国の教育は聖賢の教育なのだということを、知っておかなければなりません。

<脚注>
1.「人存政舉,人亡政息」
・・・・人存すれば政挙がり、人亡(な)ければ政息(や)む。
  『中庸』第七章より
  其人存、則其政挙、其人亡、則其政息。
  其の人存すれば、則ち政挙がり、其の人亡(な)ければ、則ち其の政息(や)む。
  しかるべき人がいれば政治は立派に行われ、しかるべき人がいなければ政治は廃れてしまう。

2.九族・・・・高祖・曾祖・祖父・父・己・子・孫・曾孫(ひまご)・玄孫(やしゃご)の、九世代のこと。

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女性の家庭と社会における重要性

2012-01-05 | 【伝統文化の復興】


女子對家庭和社會的重要性 / 女性の家庭と社会における重要性
文摘恭錄—淨土大經解演義(第二九八集)2011/2/23 

四千五百年前,國家正式設立機構,教化人民。從哪裡教起?從懷孕教起,叫胎教,這是外國人作夢都想不到的。根本的教育,就是紮根的教育,從出胎到三歲這一千天,這是紮根教育,誰教的?母親教的。所以在中國古禮,母親就太偉大了。現在有很多人誤會,說女子在中國社會是被輕視的,大錯特錯,這不讀書之過,你冤枉了古人。中國對婦女這個教育,對婦女的重視,超過男子。
四千五百年前、国は正式に組織を設立して人々を教化しました。いつから教え始めるのでしょう?それは妊娠してからです。それを胎教と言います。これは外国人は夢にも思わないことでしょう。根本の教育とは、根を張る教育であり、生まれてから三歳までの一千日のことです。誰が教えるのでしょう?母親が教えます。中国の古礼において、母親は非常に偉大です。今は多くの人が、中国の社会では女性が軽視されていたと誤解しています。これは大きな間違いで、古書を見ることなく古人に冤罪をかけてしまっているのです。中国の女性に対する教育、女性に対する重視の仕方は男性を超えています。

你看古禮裡面講的,丈夫你能不尊敬你的妻子嗎?你的妻子她的使命是替你們這一家族養育下一代,你能不感恩嗎?你能不尊敬嗎?你不尊敬她,就是不孝父母、不孝祖宗,這話說得多重!對待你的兒女,兒女是你的祖宗接班人,你接你的祖宗,他接你的,你要把他斷掉之後,你這個家後代就沒有了。話說到這個地方!
古礼の中では、夫は妻を尊重していたでしょうか?妻の使命は夫に代わって次の世代を養育することです。感謝しないでいられるでしょうか?尊重しないでいられるでしょうか?もし妻を尊重しないなら、それは両親への不孝であり、先祖への不孝です。これは重大です。自分の子どもに接するのも、子供は祖先の後継者ですから、あなたが祖先から受け継いだものを、子どもはあなたから受け継ぎます。あなたがそれを断ってしまえば、あなたの家には子孫がいなくなります。話はここに至るのです!

歷史上都用周家的三太做榜樣,三位大聖人,太姜、太任、太姒。太姜是文王的祖母,太任是文王的母親,太姒是文王的夫人,叫三太。以後先生稱妻子為太太,典故從這來的,太太是聖人,她給你養的兒子,文王、武王、周公,都是孔子心目當中一等的聖人,哪裡來的?母親教出來的。女子所負的責任相夫教子,你家裡頭能不能出賢人,能不能出聖人,關鍵就在婦女,婦女的使命比男人的使命大得太多了。國家有聖賢從哪裡來的?母親教出來的。
歴史上、周家の「三太」は模範とされています。三人の大聖人。太姜、太任、太姒です。太姜は文王の祖母であり、太任は文王の母親であり、太姒は文王の夫人です。これを「三太」と言います。その後、夫が妻のことを「太太」(タイタイ)(脚注1)と言うようになったのは、ここに由来しています。「太太」は聖人です。彼女が育てた子ども、文王、武王、周公はすべて孔子の心の中の第一級の聖人です。どのように現れたのでしょう?母親に育成されたのです。女性が負っている責任は夫を助けて子どもを教育することです。あなたの家から賢人が出るかどうか、聖人が出るかどうか、その鍵は女性にあります。女性の使命は男性の使命よりもはるかに大きなものです。国の聖人賢者はどこから現れるのでしょうか?それは母親に育成されて現れるのです。

<脚注>
1.太太
・・・・中国語で「奥さん、妻」のことを太太(Taitai/タイタイ)と言います。(筆者)

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教育は上が実行すれば下に効果がある

2012-01-05 | 【伝統文化の復興】


教育就是上行下效 / 教育は上が実行すれば下に効果がある
文摘恭錄—淨土大經解演義(第一三七集)2010/9/8

現在這個社會真出了問題,這在古時候人想都不想不到的,現在這個社會是比比皆是,到處你都看到,也不懂得什麼叫教育。中國「教」這個字的本義,長善救失,現在沒人講了。什麼叫教,幾個人能懂得?失是過失,如何來拯救你的過失,如何長你的善心、善行,這是教育,上行下效。最重要的手段還是身教,孩子從小,你就做出好榜樣,他在旁邊看就看會了,就學會了。
今この社会は本当に問題が生じています。これは昔の人には思いもよらないことです。今この社会では問題が至る所に見られます。また教育とは何かを理解していません。中国の「教」という字の本義は、「善を伸ばして過失を救う」(長善救失)【注1】ことですが、今では誰も言わなくなりました。「教」とは何か、どれだけの人が理解しているでしょうか?「失」とは過失のことです。どのようにあなたを過失から救うか、どのように善心・善行を伸ばすか、これが教育です。上に立つ人が実行すれば下の人に効果があります【注2】。最も重要な手段は、やはり身をもって教えることです。子どもが小さい頃から、あなたが良いお手本になれば、子どもは隣で見ていて、やがてできるようになります。

這真的與識字不相干,與讀書不相干。嬰兒從出生到三歲,還沒有讀書的能力,也沒有識字的能力,可是這個基礎教育,倫理道因果這個時候紮根。一百年前,一個世紀之前,中國人家家戶戶都懂得,滿清亡國之後,傳統教育的影響大概還延續了二十五年。
これは読み書きとも、勉強とも関係がありません。赤ん坊が生まれてから三歳までは、まだ勉強や読み書きをすることはできません。しかし、倫理・道徳・因果といった基礎教育の根はこの時に張るのです。百年前、一世紀前には、中国人はどの家の人も理解していました。清朝が滅んだ後、伝統教育の影響はおそらく二十五年ほど続きました。

保存最完整的都在農村,農村保持到二十五年的樣子,都市裡面大概要差十年,也就是一般都市裡在十五年還能看到,十五年以後逐漸淡薄了,農村是從中日戰爭,八年抗戰之後,農村就沒有了。所以現在我們懂得,知道這個重要,恢復太難太難了!怎麼個恢復法?傳統教育不能恢復,社會就永遠不可能有安定,這是一定的道理。
(伝統教育が)最も完全な形で残っていたのは農村です。農村では二十五年は保たれていたようです。都市部ではだいたい十年差があり、普通の都市でも十五年は見ることができました。十五年以降は少しずつ失われていき、農村では中日戦争、八年の抗日戦争の後には失われました。今私たちはこの重要性を理解していますが、復興するのは非常に難しいことです!どのように復興すれば良いのでしょう?伝統の教育を復興できなければ、社会を安定させることは永遠に不可能です。これは必然の道理です。

<脚注>
1.長善救失・・・・善を長じて失を救ふ。(善を伸ばして過失を救う)(『礼記』学記より)
  学者有四失,教者必知之。
  学なる者に四失あり。教ふる者必ず之を知るべし。
  学習する者が陥り易い四つの過失がある。教える者は必ず知っておかなければならない。

  人之学也,或失则多,或失则寡,或失则易,或失则止。
  人の学なるや、或ひは失するに則ち多く、或ひは失するに則ち寡(すくな)く、或ひは失するに則ち易(やす)く、或ひは則ち止む。
  人の学びには、多くのことを学ぶ過失(結局何も身につかない)、少ししか学ばない過失(もう十分だと満足してしまう)、簡単だと思う過失(軽く考えて疎かにする)、途中でやめてしまう過失(努力を継続できない)がある。

  此四者,心之莫同也。
  この四者、心の同じことなきなり。
  この四つの過失は、心持ちが異なっている。

  知其心,然后能救其失也。
  其の心を知り、然る后に能く其の失を救ふなり。
  その心を理解してこそ、その過失を救うことができるのである。

  教也者,长善而救其失者也。
  教えなる者は、善を長じてその失を救ふ者なり。
  教える者とは、善を伸ばして人を過失から救う者のことである。

2.上行下効・・・・上が行えば下に効果がある。上に立つ者のすることは、下の者が真似をする。


第一回更新 2012-01-05
第一回訂正 2014-11-14

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中国の教育は愛の教育

2011-12-30 | 【伝統文化の復興】


中國教育是愛的教育 / 中国の教育は愛の教育
文摘恭錄—淨土大經解演義(第一四五集)2010/9/16 

中國立國的精神,教育的精神,就是五倫裡頭第一句話,「父子有親」,親是親愛!教育的目的,第一個目的,是這種親愛如何能夠永遠保持,不會變質。父子之愛是天性,從什麼時候看?三、四個月,嬰孩三、四個月。我是有一年到日本去開會,有十幾位同修跟著我,就日本那邊的華僑。有個年輕的媽媽推著一個兒子,推個小車,四個月。我走在路上豁然想到,我說:你們大家來看,你看這個母親對這個孩子那種愛心,你看眼光神情;然後你仔細再看看小孩,你看小孩那個眼光、動作及神情,對他母親的愛,那沒人教他的,天性!
中国の立国の精神、教育の精神とは、五倫の一番初めの言葉「父子有親」(父子に親あり)です(脚注1)。「親」とは親愛です!教育の第一の目的は、このような親愛の心をどのように永遠に保って、変わらないようにするかです。父子の愛は天性です。いつから見られるのでしょう?三、四ヶ月の赤ん坊からです。私はある年日本で会議があり、十数人の信徒が私に同行しました。日本にいる華僑です。ある若い母親は、乳母車を押していました。(子どもは)四ヶ月です。私は道を歩いていて急に思い至りました。私は、「皆さんよく見てください。あの母親の子どもに対する愛の心、眼差しと表情を見てください。それから子どものあの眼差し、動作や表情をもう一度よく見てください。母親に対する愛、それは誰が教えたものでもなく、天性です!」

在佛法裡面講這是性,自然的。教育就是如何能把這愛心能保持永遠,你一生不會變質,中國教育頭一個目標。第二個目標是能把這個愛心來發揚光大,讓他能夠用愛父母的心,愛兄弟姊妹、愛他的家族、愛鄰里鄉黨,慢慢擴大,愛社會、愛民族、愛國家,到最後「凡是人,皆須愛」。所以中國自古以來教育是愛的教育,這個我們不能不知道。
仏法の中で説かれている性徳は、自然のものです。教育とは如何にこの愛の心を永遠に保って、一生変わらないようにするかということです。中国の教育の第一の目標です。第二の目標は愛の心を大いに発揚することです。両親を愛する心を用いて、兄弟姉妹を愛し、家族を愛し、隣近所の人を愛し、少しずつ広げて、社会を愛し、民族を愛し、国を愛し、最後は「凡是人、皆須愛(脚注2)に至ります。ですから中国では古来より教育は愛の教育だったということを、私たちは知っておかなければなりません。

在全世界大家就知道,過去曾經有四大文明古國,那三個都沒有了,都消失了,唯獨中國存在,靠什麼?就是這個教育。從小就培養大公無私,因為從前是大家庭,不能有私心,有私心,你就會家破人亡。普通一個家庭至少都有三百人左右,你起心動念是為全家著想、為全族著想,他不是想一個小家庭,不是的。所以家就像一個社會一樣,能治家就能治國,《大學》上說,「修身、齊家、治國、平天下」,他治國那一套本事就是在治家當中學習出來的。
全世界の誰もが知っているように、かつて四大文明がありましたが、その三つはなくなってしまいました。ただ中国だけが存在しています。何を頼りにしているのでしょう?それがこの教育です。子供の頃から公平無私な態度を養います。昔は大家族でしたから、私心を持つことはできませんでした。私心があれば一家を没落四散させることになります。普通の家庭には少なくとも三百人くらいいて、すべて家の為に心を傾けて、全体のことを考えていました。(少人数の)小さな家族を考えていたのではありません。ですから家はまるで社会のようなものでした。家を治めることができれば、国を治めることができます。『大学』には、「修身(しゅうしん)、齊家(せいか)、治國(ちこく)、平天下(へいてんか)(脚注3)と説かれています。古人が国を治める能力というのは、正に家を治める中で学んだことなのです。

所以中國人最懂得教育,有教育的智慧,有教育的方法,有教育的經驗,有教育的效果、成就。這樁事情,我們在國外,英國湯恩比博士常常提到,讚歎中國人智慧,這是一個研究文化史的人,是個歷史哲學家,非常受人崇敬的。他曾經說過,解決二十一世紀社會問題,整個世界的,只有中國孔孟學說跟大乘佛法。英國人講出來的,這話不是隨便說的,他真了解、真懂得。所以這是父子有親,是中國教育的源起。我們才真正了解中國教育是愛的教育。這個愛是從自性裡頭發的,不是哪個人創造,不是哪個人的理想,也不是哪個人發明,本性,《三字經》上講,「人之初,性本善」,本善。
ですから中国人は最も教育を心得ています。教育の智慧があり、教育の方法があり、教育の経験があり、教育の効果と成果を得ています。このことはイギリスのトインビー博士がよく提起して、中国人の智慧を讃嘆しています。この人は文化史の研究家であり、歴史哲学の研究者で、人々から尊敬されています。彼はかつて、「二十一世紀の全世界の社会問題を解決するのは、ただ中国の孔孟学説と大乗仏法である」と言いました。イギリス人が言ったこの言葉は、決して無責任に話したのではありません。彼は真に理解していたのです。ですからこの「父子に親あり」は、中国の教育の根源です。私たちはようやく中国の教育が愛の教育であることを理解しました。この愛は自性(じしょう)(脚注4)の中から現れるもので、誰かが創造したものではなく、誰かの理想でもなく、誰かが発明したものでもありません。本性です。『三字経』では、「人之初,性本善(脚注5)と説かれています。もともと善なのです。

<脚注>
1.五倫
(ごりん)・・・・父子の親(親孝行)、君臣の義(忠義)、夫婦の別(役割の区別)、長幼の序(上下の秩序)、朋友の信(信義)。(『孟子』滕文公上より)

2.「凡是人、皆須愛」・・・・『弟子規』「泛愛衆」の第一節。凡そこれ人、皆すべからく愛すべし。
  人はみな愛し合わなければならない、の意。

3.修身斉家治国平天下・・・・修身(しゅうしん)斉家(せいか)治国(ちこく)平天下(へいてんか)。身を修め、家を斉(ととの)え、国を治め、天下を平らかにす。(『礼記』「大学」より)
天下を治めるには、まず第一に自分の行いを正しくし、次に家庭をととのえ、次に国家を治め、そして天下を平和にすべきである。

4.自性(じしょう)・・・・人が本来備えている真の性質のこと。本性。真如法性(しんにょほっしょう)。

5.「人之初,性本善」・・・・人の本性はもともと善である、の意。『三字経』のはじめの言葉。

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子どもはなぜ教育しにくいのか

2011-12-30 | 【伝統文化の復興】


孩子為什麼不好教 / 子どもはなぜ教育しにくいのか
文摘恭錄—淨土大經解演義(第一四五集)2010/9/16 

小孩從一出生就開始教。一出生,你別瞧不起他,他睜開眼睛會看,豎起耳朵他會聽,他已經在模仿、在學習。所以從出生到三歲這一千天,在中國古人說這是紮根教育,完全是母親教的。這個根紮下去之後,他接受的是五倫五常、四維八,都是做給他看的,不是講給他聽,他不會聽。父母做出好榜樣給他看,他統統看到了,統統學會了。
子どもは生まれてから教え始めます。生まれたばかりでも、見下してはいけません。子どもは目を見開いて見ることができ、耳をそばだてて聴くことができ、すでに真似をしながら学習しているのです。ですから生まれてから三歳までの一千日のことを、中国の古人は根を張る教育と言って、すべて母親が教えていました。この根を張った後で、子どもが受け入れるのは五倫五常、四維八徳ですが、すべて親がやって見せるものです。子どもに言い聞かせるものではありません。子どもは聴きません。両親は良い模範を子供に見せてあげてれば、子どもはすべて見ていて、身につけることができます。

六、七歲再上學,上學之後,老師做榜樣,所以老師的恩跟父母一樣。孩童是學會了,但是還不成熟,總得十二、三歲才成熟,在這段期間就是要靠好老師。所以家教、家學,家教是父母,家學這就是老師,從前的私塾。私塾多半都用祠堂做學校,因為祠堂只有春秋祭祀,平常都用不上,場地也很大,所以就辦學。這是非常之好,因為你辦學,你天天拜祖宗,在祠堂裡頭,這都是提倡孝道。
六、七歳で学校に通い、学校に通うようになった後は、先生が模範となります。ですから先生の恩徳は両親と同じです。子どもは学ぶことができますが、まだ未成熟です。総じて十二、三歳でようやく成熟しますが、この時期には良い先生に頼ります。ですから家庭教育は両親が、家伝の学問は先生が教えます。昔の私塾です。私塾の大半は祀堂(しどう/神仏を祭るおやしろ)で学校を開いていました。祀堂は春と秋のお祭りだけで普段は使っておらず、場所も広いので、学校にしていたのです。これはとても良いことです。なぜなら学校を開けば、祀堂の中で毎日祖先を拝むので、孝道を提唱することができます。

所以古諺語有所謂「三歲看八十」,你這個根,三歲這個根紮下去,八十歲不會變,不會學壞!是「七歲看終身」。現在這兩句話用不上了,為什麼?三歲他什麼都不懂,他現在從哪裡學?他現在從網路、從電視上學。小孩睜開眼睛看電視,電視裡教他什麼?教他暴力、色情、殺盜淫妄。所以現在很多做父母的來告訴我,小孩不好教;老師告訴我,學生不好教。當然,為什麼?沒紮根,他怎麼會好?
ですから古い諺のいわゆる「三歳看八十」(三歳で八十歳の様子が想像できる)、この根は、三歳でこの根を張っておけば、八十歳になっても変わることがなく、(悪い影響を受けて)悪くなることもありません。「七歳看終身」(七歳で一生の様子が想像できる)(脚注1)。今ではこの二つの諺は使えません。なぜでしょう?三歳の子どもは何も分からないうちに、どこから学ぶのでしょうか?子どもは今インターネットで学び、テレビで学んでいます。子どもは目を見開いてテレビを見ていますが、テレビが教えるのは何でしょうか?子どもに暴力を教え、色情、殺人、窃盗、淫乱、虚妄を教えているのです。ですから今、多くの親御さんが私ところに来て「子どもは教育しにくい」と言い、先生は「学生は教育しにくい」と言います。当然のことです。なぜでしょう?根を張っていないからです。それで子どもはどうして良くなるでしょう?

<脚注>
.「三歳看八十」(三歳で八十歳の様子が想像できる)、「七歳看終身」(七歳で一生の様子が想像できる)。
  ともに日本でいう「三つ子の魂百まで」(幼い頃の性格は終生変わらない)とほぼ同義。(筆者)

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三顧の礼

2011-12-19 | 【伝統文化の復興】


三顧茅廬 / 草庵を三度訪ねる(三顧の礼)
文摘恭錄—淨土大經解演義(第一五九集)2010/10/7 

所以,諸位要懂得中國傳統的這些概念,你就曉得,民主在中國行不通。到街上去宣傳,喊著說我行,你們都選我,他們都不如我,這個話怎麼能說得出口?讀書人絕對說不出來的,處處謙虛、謙讓,怎麼能這個說法?所以民主制度底下,君子沒有了,全部淘汰掉了,這是真的不是假的。真正把書念通的人,自己不可能有這種態度,你去請他,劉備請諸葛亮還三顧茅廬,為什麼?
皆さんは中国の伝統的なこれらの概念において、民主は通らないことを理解しておくべきです。街頭で大声で宣伝して、「私は素晴らしい。皆さん私を選んでください。他の人は私には及びません。」と、どうしてこのように言えるでしょうか?読書人(徳を積み学識ある人)であれば絶対に言えません。いたるところに謙虚、謙譲の心を持つなら、どうしてそのような言い方ができるでしょうか?ですから民主制度において君子はいなくなりました。すべて淘汰されてしまいました。これは真実であり、偽りではありません。本当に学問に通じている人は、自分でそのような態度を取ることなど不可能ですから、人に頼むことになります。劉備は諸葛亮の草庵を三度も訪ねて協力を要請しました。なぜでしょう?

不願意出來,出來辛苦,在家裡享福。三顧茅廬,看到他太虔誠了,真的是言聽計從這才出來。出來沒打算做很久,你看交代他的弟弟好好照顧,再幾年局面安定了,好回家來耕地。這是中國讀書人,請都請不動,怎麼會自己出來,哪有這種道理?所以你細心去觀察,古人跟今人差別很大,那真叫大同小康。今天亂世,比春秋戰國還差,連春秋戰國都比不上。
世に出ることを望まないからです。出れば苦労するので、家で幸福に暮らすことを望むからです。草庵を三度訪ねる劉備の敬虔で誠実な様子を見て、本当に “言うことを聴き入れ計画を用いる”(脚注1)ことを確かめてようやく出るのです。(草庵を)出るにしても長く留守にするつもりはなく、彼の弟にしっかり留守を守るよう引き継ぎ、数年して局面が安定したら家に戻って畑仕事をするつもりでした。これが中国の読書人です。頼まれても動かないのに、どうして自分から出て行くことがあるでしょう?そのような道理はありません。ですからよく観察して見ると、古人は今の人とはまったく違います。それが本当の大同小康(脚注2)というものです。今日の乱世は春秋戦国時代(B.C770年~B.C221年)よりも更にひどく、春秋戦国時代にも及びません。

春秋戰國還講義氣,打仗的時候,一定你陣布好,我才打你;陣布不好打仗,這個我丟人,我乘人之危來攻擊你,不能幹這個事,幹這個事缺,無理缺,這不能幹。春秋戰國那些將軍要現在打仗,肯定都打敗仗。所以這些理事都要搞清楚、搞明白。善知識今天沒有了,有也找不到了,怎麼辦?找古人,古人的典籍在,書本統統是善知識。
春秋戦国時代にはまだ義侠心がありました。戦争をする時には、必ず相手の布陣が整ってから攻撃を始めていました。布陣が整っていない相手を攻撃する事は、自分の面目を失うことになり、人の危機に乗じて相手を攻撃することはできませんでした。そのような不道徳で良心に反することはできませんでした。春秋戦国時代の将軍たちが今戦争をすれば、必ず負けてしまうでしょう。このことはよく理解しておくべきでしょう。今日では善智識(脚注3)がいなくなり、いたとしても見つかりません。ではどうすれば良いでしょう?古人の典籍を探すことです。(古人の残した)書物はすべて善智識です。

佛的經書就是佛菩薩,古聖先賢留下來的四書五經、十三經,這都是善知識。《四庫全書》是乾隆編的集大成,裡面好東西多,他是很精密的篩選,不好的東西挑掉了。就是《四庫》未選的,未選的很多很多,你看現在商務印書館有未選的書目,那些目錄都有,沒有被選的。精挑細選,像這些東西是好東西。
仏様の経書は正に仏・菩薩です。古代の聖賢が残された四書五経、十三経、これらはすべて善智識です。『四庫全書』は乾隆帝が編纂したものの集大成で、中には良いものがたくさんあります。彼は細かく選り分けて、良くないものは除きました。『四庫』の選に漏れたものはたくさんあります。現在、商務印書館には選に漏れた書物の図書分類目録があり、目録には選出されなかったものがすべてあります。 注意深く精選された、それらの書物は良いものです。

<脚注>
1.言聴計従
・・・・言葉は聞かれ計は用いられる。

2.大同小康・・・・「大同」は国も階級もない自由平等な理想社会、「小康」は暮らし向きが安定していること。

3.善智識(ぜんちしき)・・・・人々を仏の道へ誘い導く人のこと。

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仁義礼智信と身体の関係

2011-12-13 | 【伝統文化の復興】


仁義理智信與身體的關係 / 仁義礼智信と身体の関係
文摘恭錄—大方廣佛華嚴經(第二O九八)2010/2/3

我們老祖宗知道,我們身心的健康與行有關係。所以《左傳》裡頭有一句話說:「人棄常則妖興。」常是什麼?常就是,五常是五種性,人必須要遵守的。為什麼?你身心健康­。古人所講的「修身齊家治國平天下」,這個行是修身,身心健康,你家就齊了,這個齊是你家就興旺了,修身齊家治國平天下與品的修養成正比例。
私たちのご先祖様は、心身の健康は徳行と関係があることを知っていました。ですから『左伝』の中には「人棄常則妖興」(人常を棄つれば則ち妖興る)注1とあります。常とは何でしょうか?常とは徳のことです。五常は五つの性徳であり、人が必ず遵守しなければならないものです。なぜでしょう?あなたの心身が健康になるからです。古人が言うところの「修身(しゅうしん)齊家(せいか)治國(ちこく)平天下(へいてんか)注2です。この徳行は修身です。心身が健康であれば、あなたの家は整います。整うというのは、あなたの家が盛んになることです。修身・斉家・治国・平天下と人の品性・道徳の修養は正比例するものです。
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 【注1】 人棄常則妖興・・・・(人常を棄つれば則ち妖興る)人が常識を失えば妖怪が栄える。(『春秋左氏伝』)
 【注2】 修身斉家治国平天下・・・・身を修め、家を斉(ととの)え、国を治め、天下を平らかにす。(『礼記』大学の言葉) 天下を治めるには、まず第一に自分の行いを正しくし、次に家庭をととのえ、次に国家を治め、そして天下を平和にすべきである。
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  五常,這基本的道觀念,五個字:仁、義、理、智、信。仁者愛人,我們有沒有用真心去愛過別人?愛人,是你的天性,是你的性。不愛人,這個就沒有了;不是沒有,是你疏­忽了。
五常注3、これは基本の道徳観念であり、仁、義、礼、智、信の五文字です。仁者は人を愛します。私たちは真心で人を愛したことがあるでしょうか?人を愛することはあなたの天性であり、性徳です。人を愛さなければ、この徳はなくなってしまいます。本当になくなるのではなく、自分で疎かにしているのです。
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 【注3】 五常(ごじょう)・・・・仁・義・礼・智・信の五つの道徳。(『漢書』)
  仁(慈愛、優しさ)、義(道義、義侠心)、礼(礼儀、礼節)、智(善悪を見極める智慧)、信(信義、信頼)の五つの徳のこと。
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仁在我們身體內臟裡面的對應,是肝臟。不知道愛人的人,自私自利的人,肝臟就有毛病,就不健康。
仁は私たちの内臓の肝臓と関連があります。人を愛することを知らない人は、自分勝手な人であり、肝臓に問題が生じて健康ではなくなります。

義,義是循禮。起心動念,言語造作,要合情合理合法,這就叫義。不義­的人,就是他起心動念、言語造作與情理法是相違背的,那不義的人。義對應內臟,是肺;換句話說,你肺一定出毛病。
義。義とは礼に従うことです。心の使い方や言葉や行為は、情に適い、理に適い、法に適っていなければなりません。これが義です。不義の人は、心の使い方や言葉や動作が道義に反しています。それが不義の人です。義に関連する内臓は肺です。言い換えれば、(義に反している人は)肺に必ず問題が生じます。

禮,禮是謙虛恭敬,無論是對人對事對物。如狂妄自大,傲慢­,這是無禮,無禮的人,心臟一定有毛病。
礼。礼とは人や物事に対する分け隔てのない謙虚、恭敬(きょうけい)の心です。もし尊大で傲慢ならそれは無礼であり、無礼な人は心臓に問題が生じます。

五常第四個是智,智慧,智者不惑,不迷惑。迷惑顛倒的人沒智慧,他腎臟就有問題。
五常の四番目は智、智慧です。智者は惑わず、迷いません。迷ってうろたえる人に智慧はなく、その人は腎臓に問題が生じます。

末後一個字是信,誠信,對人要真誠,要講信用。如­果沒有誠信,沒有誠信是欺騙別人,他的脾胃就有毛病。
最後の一字は信です。誠実さ、人に対して誠実で、信用を重んじることです。もし誠実でなければ人を騙すことになり、そのような人の脾・胃には問題が生じるものです。

所以,我們內臟一身要是出毛病的話,你就好好的去修這五個字,這五,認真的去修仁義禮智信。怎麼個修法呢?給諸位說­,全在《弟子規》裡頭。真正把《弟子規》學好了,統統落實了,你身體裡頭本來有疾病的,自然會好。
ですからもし内臓に問題が生じたのであれば、この五文字、この五徳をしっかり修めなければなりません。真摯に仁義礼智信を修めなければなりません。どのように修めればよいのでしょう?皆さんに言っておきますが、すべて『弟子規』注4の中にあります。本当に『弟子規』を学び、すべて実行すれば、あなたの体に疾病があったとしても、自然によくなります。
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 【注4】 『弟子規』(でしき)・・・・儒教の生活規範をまとめたもの。
 『弟子規』日本語訳:
 http://blog.goo.ne.jp/fayuan/e/d877ee1397e2bbee90443cda029b6679
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這個好,真正好的中醫,他懂這個道理,藥物對你的幫助只有三分,七分是你­覺悟了,你心態轉變了,我知道無條件的愛人愛物,仁民愛物。我懂得道義,我知道謙虛,我知道尊敬別人,我不再迷惑了,我不再欺騙人了,你的內臟裡面的問題統統會恢復正常。
これは良いものです。本当に優れた中医(漢方医学)は、この道理を知っています。薬の助けは三分に過ぎず、残りの七分はあなたの自覚によります。あなたの心が変われば、無条件に人や物を愛することを知り、人々に仁慈を施し、物を大切にします。道義を知り、謙虚な心を知り、人を尊敬することを知り、二度と迷うことなく、二度と人を騙すことがなければ、あなたの内蔵の問題はすべて正常に回復します。

<参考>
こちらのサイトで『黄帝内経』の理論を整理した相関図が見られます。ご参考まで。
http://douin.jp/kenkouhou.html
 五常: 仁 礼 信 義 智
      ↓ ↓ ↓ ↓ ↓
 五臓: 肝 心 脾 肺 腎

第一回更新 2011-12-13
第一回訂正 2014-09-20

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中国古代文明の全世界に対する最大の貢献

2011-10-05 | 【伝統文化の復興】


中國古文明對全世界最大的貢獻 / 中国古代文明の全世界に対する最大の貢献
文摘恭錄—淨土大經解演義(第二五五集)2011/1/28 

所以佛法特別是在現代,現代所謂是知識爆炸,原因是傳播媒體太進步。八十年前沒有這些東西,在中國農村,我生長在農村真是天真無邪,什麼都不知道。城裡面發生的事情,城市距離我們不遠,大概也就是圖文巴到我住的地方,我這十二公里,在中國華里二十五里,不就差不多遠嗎?就這麼個距離。
仏法は特に現代において、   現代のいわゆる知識の氾濫、その原因は報道メディアが進歩したことです。八十年前にはこのようなものはありませんでした。中国の農村では、私は農村で生まれましたが本当に天真爛漫で、何も知りませんでした。市内からは遠くなく、だいたいトゥウンバ(脚注1)から私の住まいまで12km、中国の華里(脚注2)では25里あります。それほど遠くありませんね?このような距離でした。

城裡發生事情,在鄉下可能半個多月才知道,要沒有人來告訴我們,不曉得城裡有什麼事情發生。日出而作,日沒而息,生活完全回歸到大自然。雖然鄉下也有私塾這個先生教書,教的都是古書。私塾裡面教小朋友的,都是童蒙養正,《三字經》、《百家姓》、《千字文》,念這些東西。報章雜誌沒聽說過,到大城市裡面才曉得有報紙、有雜誌,更大的城市才有無線電的收音機,聽到廣播的消息,沒電視。
市内で発生した出来事は、田舎ではだいたい半月経ってからようやく知ることができて、もし誰も伝える人が来なければ、市内で何が起こっているのか分かりません。「日が昇れば働きに出かけ、日が沈めば帰って休む」(脚注3)、生活は完全に大自然に回帰していました。田舎にも私塾の先生がいて勉強を教えていましたが、教えるのはすべて古書でした。私塾の中で子供を教えるのは、すべて道理を知らない幼い子供を養う、『三字経』、『百家姓』、『千字文』、これらを読んでいました。新聞雑誌などは聴いたこともありません。大都市に行ってようやく新聞や雑誌があることを知り、更に大きな都市では無線のラジオがあり、ラジオの情報を聴けました。テレビはありません。

那個時候偶爾大都市裡演電影,電影是白,無聲電影,沒有聲音的,只看到動作。我們從那個時代看起的,那就很稀罕。在那個時候中國的文藝節目還是很多,最平常的是地方戲曲跟平劇,偶爾還聽到崑腔。現在沒了,不但沒了,這些名詞可能一般人聽到都非常陌生。這種現象要說得不好聽,就是文化破產,流失了,這是非常可怕的一個現象。
その頃たまたま大都市で映画の上映がありました。映画は白黒で、無声映画でした。音はなく、動作だけを見ます。私たちはあの時代から見たのですが、とても珍しい事でした。あの頃、中国の文芸作品はとても多く、最もポピュラーなのは地方戯曲と京劇で、たまに崑腔(こんこう)(脚注4)も聴きました。今はなくなりました。なくなっただけでなく、この言葉はおそらく一般の人でも分からないでしょう。このような現象は言うのも辛いものです。これは文化の破産であり、流失です。これは非常に恐ろしい現象です。

希望我們的學院十年之後,能夠真正步上軌道,名符其實的淨宗學院,淨宗學院可以附設中國傳統文化的講堂,可以附設一個。希望在這個地方能保存,能在圖文巴這個城市產生影響。只要我們認真把它做出來,就會影響這個地方居民,讓他們也能夠看到、聽到、聞到中國文化的氣氛,我相信沒有人不喜歡的。
私たちの学院は十年後には軌道に乗って、名実相伴う浄宗学院となることを願っています。浄宗学院は中国の伝統文化の講堂を設けて、ここで文化を保存して、このトゥウンバに影響を与えて欲しいと願っています。ただ私たちが真摯に活動する事によってのみ、この地方の住民に影響を与えることができ、彼らにも中国文化の雰囲気を見たり、聴いたり、味わってもらうことができます。私は嫌いな人はいないと信じています。

如果不同族群的文化,我們接觸到不喜歡,湯恩比怎麼能說得出來,解決二十一世紀世界社會問題需要中國傳統文化,他就不可能說這句話。他能說得出這句話,可見得中華傳統文化是世界一切人民所喜愛的,他才能說得出來,說這個話才有意義。中國人口多,在全世界幾乎每個角落都有中國人,希望這些中國人都能夠認真學習傳統文化,把傳統文化在全世界承傳下去,讓整個世界人民都能夠享受安定、和平、幸福、圓滿,這是中國古文明對全世界最大的貢獻。
もし異なる民族の文化の人々が受け入れられないようなら、トインビー博士はどうして「二十一世紀の社会問題を解決するには中国の伝統文化が必要」だと言えたのでしょうか。そのようなことは言えません。彼は中国の伝統文化は世界の人々が好むものだと認めたからこそ、そのように言えたのですし、それでこそこの言葉に意義があるというものです。中国の人口は多く、全世界のほとんどすべての場所に中国人がいます。これらの中国人がすべて伝統文化を学んで、伝統文化を全世界に伝え、世界の人々に安定と、和平、幸福、円満を享受してもらいたい。これが中国の古代文明の全世界に対する最大の貢献です。

 <脚注>
1.トゥウンバ
(地名)・・・・オーストラリアのトゥウンバ(Toowoomba)のこと。(片仮名表記では、タウンバと書く場合もある。)

2.華里(かり)・・・・=中国里。一華里は0.5km。

3.日が昇れば働きに出かけ、日が沈めば帰って休む・・・・「日出而作、日没而息」(日出でて作し、日没して息(いこ)ふ)。「没」は「入」として、「日入りて息ふ」とする場合もある。清代の詩集、『古詩源』の「撃壤歌」の冒頭部分。

4.崑腔(こんこう)・・・・中国の戯曲の一。明代中期に江蘇省崑山の魏良輔が創始した。清代中期まで行われ、京劇に大きな影響を与えた。山腔。崑劇。崑腔。

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聖賢は育成するものである

2011-09-25 | 【伝統文化の復興】


聖賢是教出來的 / 聖賢は育成するものである(意訳)聖賢は教育・育成して現れる、の意。
文摘恭錄—淨土大經解演義(第二一三集)2010/12/3

大乘經上我們常常讀到,世尊告訴我們「一切眾生本來是佛」,這句話是真的,一點不假。在中國,我們的老祖宗告訴我們人性本善,《三字經》上一開頭,「人之初,性本善」,跟佛講的是一個道理。人是教得好的,聖賢教出來的,佛菩薩教出來的。在中國古代社會,我們在典籍裡面看到,家教父母教,尤其是母親,長輩教,鄰里鄉黨都教,都會給底下一代人做好榜樣;社會教、國家教,所以聖賢君子多,才有大同之治。
大乗経によく見られますが、世尊は私たちに「一切衆生本来是仏」(一切の衆生はもともと仏である)と仰っています。この言葉は本当です。少しの偽りもありません。中国では、私たちのご先祖様が「人性本善」(人の本性はもともと善である)と説かれていて、『三字経』の始めには、「人之初、性本善」とあり、これは仏様の仰ることと同じ道理です。人は教育することができ、聖賢は育成されて現れ、仏や菩薩も育成されて現れるものです。中国の古代社会では、私たちは典籍の中に見ることができますが、家庭教育は父母が教えました。特に母親や年長者が教え、地域の人が皆で教えました。皆が次世代のために良い見本を示しました。社会が教え、国家が教えていました。そのため聖人君子が多く、理想的な統治(脚注1)ができたのです。

「禮運大同篇」裡面所說的不是理想,在中國實現過。什麼時候實現的?經書裡面記載的,堯舜禹這三代,禹傳位給他的兒子,兒子真正是賢人,得到人民的擁護、人民的愛戴,形勢所趨。可是王啟之後,中國就變成家天下,這不是禹的意思,所以王啟之後,在中國叫小康之治,三代,夏商周,都是傳給兒子。
『礼記』大同篇の中で説かれているのは理想ではなく、中国で実現したことがあります。いつ実現したのでしょうか?経書(脚注2)の中の記載では、堯・舜・禹の三代です。禹は王位を息子に伝えました。息子は本当の賢人で、人民の支持を得ていました。しかし(息子の)啓が王となってから、中国は世襲に変わってしまいました。これは禹の意思ではありません。中国では「小康之治」(脚注3)と言いますが、夏・商・周の三代はすべて息子に王位を伝えていました。

可是,他們對於繼承人那種教育,我們現在可以說是達到真正的圓滿。培養國家的繼承人,自己來培養,以前?以前是訪賢,到外面去找,找聖賢人。聖賢人不一定能找得到,王啟之後開始培養聖賢人,聖賢的接班人,不是沒有道理。你要是完全講那是私心的話,這個有點是侮辱別人,你不了解。賢人愈來愈少了,培養。
しかし彼らの継承者に対する教育は、真に円満に達していると言えるでしょう。国を継承する人を育成するのに、自分で育成します。それ以前はというと、それ以前は賢人を訪ね、外に出て聖賢を探していました。聖賢は必ず見つかるとは限りません。啓が王となってから聖賢の後継者の育成が始まりました。これには道理がない訳ではありません。あなたがもしそれを完全に私心によるものだと言うなら、それは少々人を侮辱しています。あなたは理解していません。賢人は益々少なくなっているので、育成しなければなりません。

周家的典籍非常完備,現在《四庫》裡面都收著有,我們看看周朝,他怎樣培養下一代接班人成為聖賢。武王死的時候,兒子只有十歲,有人說十三歲,也有人說十歲。三個老師,召公做太保,周公做太傅,姜太公做太師。這是什麼?這三個老師,來教導下面這個班子,主要是教太子,當然太子還有陪讀,那些文武大臣裡面優秀的子弟找來陪讀,就是下頭一個朝廷,底下一個朝廷,接班人。
周家の典籍は完備されており、現在『四庫』の中にすべて収められています。私たちは、周朝の人々がどのように後継者を聖賢として育成していったかを見ることができます。武王が死ぬ時、息子はまだ十歳でした。ある人は十歳と言い、ある人は十三歳と言います。三人の先生がいて、召公は「太保」、周公は「太傳」、姜公は「太師」(脚注4)でした。この三人の教師が次世代の継承者を育成する、主に天子を教えます。もちろん太子(皇太子)には学友がいて、文武大臣の中の優秀な子弟が学友になりました。つまり次世代の朝廷、次の朝廷の後継者たちです。

太保管什麼?我們今天的說法,是管體育,教你什麼?養生之道,你的生活起居,太保管這個;太傅管行,品的修養,教你這些,仁義道,五倫、五常、四維、八,他管的,太傅;太師,教你學術、經史、治國平天下的這些道理方法,古人的這些經驗,太師管。三個老師。三個老師之外,還有三個教練,老師教你,你是不是真幹?另外有三個老師跟你生活在一起,要把老師教的統統做到,我叫他三個教練,這三個教練名稱叫,少保、少傅、少師,這三個是跟太子生活在一起的,主要就是說,老師所教的東西你是不是真做到,這樣培養。
「太保」は何を担当したのでしょうか?私たちの今日の言い方で言えば、体育を担当しました。何を教えるかというと、養生の道、生活の起居です。太保はこれを担当しました。「太傳」は徳行を担当しました。人徳を担当し、人品の修養、仁義道徳、五倫、五常、八徳などを教えました。「太師」は学術、経史、天下を治める道理や方法、古人の経験などを教えていました。三人の教師です。三人の教師の他に、三人のコーチがいます。教師が教えた事を実行しているかどうか。他の三人のコーチは、あなたと一緒に生活して、教師が教えた事をすべて実行させます。三人のコーチは、少保、少傳、少師と言います。この三人は太子と一緒に生活します。教師が教えたことを本当に実行できるかどうか、それはこのようにして育成したのです。

<脚注>
1.理想的な統治
・・・・原文は「大同之治」。「大同(世界)」は『礼記』の礼運篇にみえる「理想社会」のこと。(筆者)

2.経書(けいしょ)・・・・中国古代の聖賢の教えを述べた書物。儒教の経典。四書・五経・十三経の類。

3.「小康之治」・・・・それなりの、まずまずの統治というニュアンス。「小康」とは、事態がしばらくの間治まっていること。(筆者)

4.太保、太傳、太師・・・・周代で最高の地位にあって天子を補佐する三人。三公。

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