五倫
中國文化的根本是倫常,中國的民族是五倫的民族。五倫是什麼?五倫就是整個民族一家人。倫理是人與人之間的關係,是「父子有親,君臣有義,夫婦有別,長幼有序,朋友有信」,這五個綱領就是我們常說的五倫。
中国文化の根本は倫常であり、中国の民族は五倫の民族です。五倫とは何でしょうか?五倫とはすべての民族が家族であることです。倫理は人と人との関係です。「父子に親あり。君臣に義あり。夫婦に別あり。長幼に序あり。朋友に信あり」。この五つの綱領が、私たちが言うところの五倫です。
五倫存於心就是道,是性,是天性;五倫是最基本、最堅固的團結。在世界四大文明古國中,中國所以沒有滅亡,就是靠儒家傳統教育的落實。從家人、朋友、鄰居一擴展就是國家,國家民族是一個五倫的社會整體。「四海之內皆兄弟」,整個國家民族要團結得像一個人,這是儒家將近兩千年來的教育。
五倫が心に存することは道であり、性徳(しょうとく)【注1】であり、天性です。五倫は最も基本的で、最も堅固な団結です。世界の四大文明の古い国の中で、中国が滅亡しなかったのは、正に儒家の伝統教育の実践によるものです。家族、友人、隣近所を拡大すれば国家になります。国家民族は五倫社会の全体です。「世界全体みな兄弟」(四海之内皆兄弟)。全国家民族が一人の人のように団結すること。これが儒家の二千年来の教育です。
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【注1】 性徳(しょうとく)・・・・衆生が本性として具えている生まれつきの能力。
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夫婦に別あり(夫婦の異なる役割)
五倫是從夫婦開始,「大道肇端乎夫婦」。夫婦人道有,畜生道也有,餓鬼道也有,欲界天也有。夫婦同處一室,室外就是家庭。家庭中有父子、兄弟。家外面就是社會、國家,有君臣、有朋友。不同身份的人,要盡不同的義務,父慈子孝,兄友弟恭,君仁臣忠,大家建立這樣的共識,社會才祥和,天下才太平。
五倫は夫婦から始まります。「大道の発端は夫婦にあり」(大道肇端乎夫婦)。夫婦は人道にあり、畜生道にもあり、餓鬼道にもあり、欲界天にもあります。夫婦は一室に同居します。室外は家族です。家庭の中には親子、兄弟がいます。家の外は社会、国家であり、君臣、朋友がいます。異なる身分の人が、異なる義務を果たします。「父は子を慈しみ、子は父に孝行する。兄は弟を可愛がり、弟は兄を敬う。君主は臣下に仁を施し、臣下は君主に忠義を尽くす」(父慈子孝,兄友弟恭,君仁臣忠)。誰もがこのような共有の認識を持っていてこそ、社会は穏やかになり、天下は太平になるものです。
古時候男女結婚婚禮非常隆重,也非常繁瑣。為什麼?因為兩個人的結合,對於整個社會國家都有密切的關係,草率不得。結婚不是兩個人的事情,要慎重其事。結婚,在家庭要對祖宗、對後裔負責任;在外界要對社會、對國家負責任。社會的安定,國家的興衰,與結婚有關係。一對夫妻就像大樹上的一片樹葉,樹葉長得好,這棵樹才能壯大;樹葉壞掉了,對於整棵樹的生存就是一分傷害。所以婚姻是道義,要懂得大道,懂得義務。
昔の男女の婚姻は非常に厳粛で、また非常に煩雑でした。なぜでしょうか?なぜなら二人の結びつきは、全国家社会に対して密接な関係があるからです。いい加減には扱えません。結婚は二人の事ではないので、慎重にしなければなりません。結婚は、家庭における先祖・子孫に責任を負わなければなりません。外においては社会、国家に責任を負わなければなりません。社会の安定、国家の盛衰は、結婚と関係があります。夫婦はちょうど大樹の葉のようなものです。葉が生い茂っていてこそ、大樹は大きくなります。葉が枯れることは、大樹の生存を少しだけ傷つけます。ですから婚姻は道義であり、大道、義務を理解しなければなりません。
現在的婚姻是亂愛,把倫理道全都破壞了。基礎動搖,社會哪有不動亂的道理?尤其現在,男女婚姻觀念非常淡薄,離婚率高。離婚之後,兒女所受的傷害很大,身心發育不正常,將來危害社會、危害國家。換言之,離婚就害了國家、害了社會。離婚把倫常道破壞了,把性的根破壞了,這個因果責任比什麼都重!社會的安定,世界的和平,根在夫婦,所以說現在人不懂得自愛,自己愛自己都不懂,哪裡能夠愛別人?
今の婚姻は乱れた愛です。倫理道徳を破壊しています。基礎が揺らげば、社会に動乱が起こらない道理がどこにあるのでしょうか?特に今は、男女の婚姻の観念が非常に希薄で、離婚率が高くなっています。離婚した後、子どもたちが受ける傷は大きなものです。身心の発育が不正常になり、将来社会を損ない、国家を損ないます。言い換えれば、離婚は国家を害し、社会を害します。離婚は倫理道徳を破壊します。性徳の根を破壊します。この因果の責任は何よりも重いものです!社会の安定、世界の平和は、夫婦がその根本です。ですから今の人は自愛することを知りません。自分で自分を愛することを知らずに、どうして他人を愛せるのでしょうか?
今天的社會,人與人的往來是利害,利害維持不長,專門看別人的過失缺點,天下就沒有一個好人。善人是專看別人的好處,不看別人的缺點,天下人都是好人。夫妻要懂得這個道理,彼此多看對方的善處好處,婚姻就不會破碎。
今日の社会は、人と人との往来は利害です。利害では長続きしません。他人の過失や欠点ばかりを見ていれば、天下に良い人は一人もいなくなります。善人は他人の長所だけを見て、他人の欠点は見ないので、天下には良い人ばかりになります。夫婦はこの道理を理解して、お互いに相手の長所を見ていれば、婚姻が破たんすることはないでしょう。
印光大師對這個事情講了很多,責備得也很重。現代婦女離開家庭,要做「職業婦女」,在社會上跟男人爭,要做女強人。在社會上去爭權、爭地位,就跟「火烘牡丹」一樣,雖然花開得很大、很美,只能榮耀一時,但沒有時間去教兒女,妳的後代就完了。所以,社會的安危,印光大師說,女人負一大半的責任。
印光大師はこの事に対してたくさん話され、厳しく咎めています。現代の婦女子は家庭を離れ、キャリアウーマンになります。社会で男性と競い、強い女性になろうとします。社会で権力を争い、地位を争い、真っ赤な牡丹のように、たとえ大きな花を咲かせ、美しく一時輝いても、子どもを教える時間はありません。彼女の子孫はお仕舞いです。ですから社会の安危は、印光大師が言うには、女性が半分の責任を負っているのです。
女人的職責,只要把丈夫、小孩管好,為國家社會培這育人才,總統由丈夫、兒子去做,這便是大功大。如果把自己本分職責丟掉,去做一些分外的事情,社會怎麼會不亂?這些大道理,從前人都能聽、能接受,現代人卻說我們頭腦太古董,不適合二十一世紀。可是我們冷靜思惟,覺得還是古人的大道理正確,能帶給社會長治久安。
女性の職責は、夫、子どもの世話をして、国家社会のために人材を育成することです。夫や子どもを総統にすることです。これは本当に大きな功徳です。自分の本分である職責を捨てて、本分以外の事をしていれば、社会が乱れないことがあるでしょうか?これらの大道理は、昔の人は誰でも聞くことができました。受け入れることができました。現代人は逆に、私たちの頭は固すぎると言い、二十一世紀には適さないと言うでしょう。しかし冷静に考えてみれば、やはり古人の大道理は正しいと思います。社会に長期的な安定をもたらすことができます。
男女結成夫婦,組成一個家庭,這是社會基層的細胞,兩人各有各的任務。家庭有兩樁大事,第一、經濟生活,賺錢養家,這是男子的本份。第二、「不孝有三,無後為大」,相夫教子,教育下一代,這是女人本份的工作,這比男人工作要重、要偉大。為什麼?傳宗接代要靠婦女。沒有婦女,千萬年前老祖宗一代一代相傳到這一代就完了,你能對得起祖宗?因此,婦女在古人心目當中有非常崇高的地位,她要生育、養育後代,是家庭命脈的主持人。
男女は夫婦になり、一つの家庭を築きます。これは社会の末端の細胞であり、二人にはそれぞれ任務があります。家庭には二つの大事があります。一つ目は、経済生活です。お金を稼いで家を養うことです。これは男性の本分です。二つ目は、「不孝有三,無後為大」(不孝には三つあり、跡継ぎがいないことが最も大きい)。夫を助け、子どもを教えることです。次世代を教育します。これは女性の本分の仕事です。これは男性の仕事よりも重く、偉大なことです。なぜでしょうか?代々継承することは女性にかかっているからです。女性がいなければ、千万年前からご先祖様が代々伝えてきたものが、この世代で終わります。あなたはご先祖様に申し訳が立つでしょうか?このことから、古人の心の中では女性は非常に崇高な地位にありました。女性は出産して、子孫を養い育てます。家庭の命脈を取り仕切る人です。
聖賢從哪裡來的?母親教的。所以中國古時候的教育,教女特別嚴格,比教兒子要嚴格好多倍。女孩子教好了,有賢女必賢母,有賢母家就好,家族就好,國家就好。過去有很多母親不認識字,卻很會教孩子做人,教孝親尊師、友愛兄弟。人從小就教好了,一輩子都不會做壞事,都不會有惡念對人,這個社會多祥和!
聖賢はどこから来るのでしょうか?母親が教えたのです。ですから中国の昔の教育では、女子を特に厳格に教えました。男子を教えるより何倍も厳格でした。女子をしっかり教えれば、賢い女性は必ず賢い母親になり、賢い母親がいれば家は良くなります。家族は良くなり、国家は良くなります。昔の多くの母親は文盲でしたが、かえって人としての行いを子どもに教えることができました。親に孝行し、教師を尊び、兄弟を愛することを教えました。人は子どもの頃からしっかり教えれば、一生悪い事はしません。悪い考えを持って人と接することはできません。このような社会はどれほど穏やかなことでしょうか!
母親是孩子的第一任老師,紮根教育全靠母親。古人重視胎教,懷孕的時候,母親起心動念、言語造作都會影響胎兒。所以懷胎十月,心平氣和,舉止安詳,希望小孩能受到好的影響,生下來好教、聽話。現在西方的催眠術發現,胎兒在母親子宮裡面,頭腦很清楚,證明中國古人講的胎教是大有道理。
母親は子どもの最初の先生です。基礎教育はすべて母親にかかっています。古人は胎教を重視しました。妊娠した時、母親の心の動きや、言葉や行為はすべて胎児に影響します。ですから妊娠十ヶ月では、心を平静に保ち、振る舞いを穏やかにして、子どもが良い影響を受けることを願います。生まれて来ると教えやすく、話をよく聞きます。今では西洋の催眠術で発見されています。胎児は母親の子宮の中で、意識ははっきりしています。中国の古人の説かれた胎教は大いに道理があることの証明です。
小孩一出生,眼睛張開,耳朵豎起來,他就會看、會聽,父母跟大人的言談舉止都要守禮、端莊,讓他看到、聽到、接觸到的,全是正面的。小孩從出生就開始教,誰教?父母。他雖然很小,出世才二、三天,他眼睛會看,耳朵會聽,大人在他面前的言行舉止,他已經落了印象,「少成若天性,習慣成自然」,這就是他的根,這個根會起很大的作用。這個根要紮得深、要紮得牢,這是母親的責任。
子どもは生まれると、目を見開き、耳をそばだてます。見ることができ、聞くことができます。両親や大人の言葉や行為はすべて礼節を守り、正さなければなりません。子どもが見るもの、聞くもの、接触するものは、すべて良いものにします。子どもが生まれてから教え始めます。誰が教えるのでしょうか?両親です。子どもはたとえ小さくても、生まれて二、三日すれば、目で見て、耳で聞くことができます。子どもの前での大人の言葉や行為は、子どもの印象に残ります。「幼い頃に身についたことは天性のようであり、慣れれば自然になるものである」(少成若天性,習慣成自然)。それがその子の基礎になり、その基礎は大きな作用をもたらします。この基礎は深く、丈夫にしなければなりません。これは母親の責任です。
中國古諺說「三歲看八十」,三歲這個基礎打下來,八十歲不會變。可是現在這個教育完全沒有了,不但看不到,講的人都沒有了。實際上小孩教育從三、四歲開始已經遲了。我遇到很多同修談到家庭,都說小孩不好教,很多老師也說學生不好教。當然不好教,根沒有了怎麼教?紮根教育比什麼都重要,這是母親的事情,所以母親偉大!聖賢是教出來的,佛菩薩也是教出來的,關鍵都在母親。
中国の諺では「三歳で八十歳の様子が見える」(三歳看八十)【注2】と言い、三歳で基礎が培われれば、八十歳になっても変わることはありません。しかし今ではこの教育は完全になくなりました。見られなくなったというだけでなく、語る人さえいません。実際に子どもの教育は三、四歳から始めるのでは遅いのです。私はたくさん見ています。門徒の方が家庭のことを話されると、子どもは教えにくいと言い、多くの教師も学生は教えにくいと言います。教えにくいのは当然です。基礎がなければどのように教えるのでしょうか?基礎の教育は何よりも重要です。これは母親の事です。だからこそ母親は偉大なのです!聖賢は育成されたのであり、仏菩薩(ほとけぼさつ)もまた育成されたのです。その鍵はすべて母親にあります。
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【注2】 「三歳看八十,七歳看終生」
三歳で八十歳の様子が見え、七歳で一生の様子が見える。(意訳)
日本でいう “三つ子の魂百まで” と同義。
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父子に親あり(親子の親愛)
五倫第一條「父子有親」,父子的親愛不是從哪裡學來的,而是自性本有的。從哪裡看?最明顯的嬰兒三、四個月,他會笑了,你細心觀察,父母對他的愛沒有任何條件,全心全意真愛他。小孩雖然不會說話,你看他的眼神、表情,那個愛顯露出來了,這是天性!所以「人之初,性本善」,本善透出來的。這是性裡面的第一,從這個第一引申出來,「夫婦有別、君臣有義、長幼有序、朋友有信」,這是從這個點演變出來,全是愛,不同的層次那個愛的等級就不一樣。
五倫の第一条は「父子に親あり」です。親子の親愛はどこかで学んだことではなく、自性(じしょう)【注3】にもともとあるものです。どこから見て取れるでしょうか?最も明らかなのは三、四ヶ月の赤ん坊です。赤ん坊は微笑みます。よく観察してみると、両親の赤ん坊に対する愛は何の条件もありません。全身全霊で愛します。赤ん坊はたとえ話せなくても、その眼差し、表情を見ると、明らかに愛が現れています。これは天性です!ですから「人の本性はもともと善である」(人之初,性本善)であり、本善が現れたものです。これは性徳の中の第一の徳です。この第一の徳から派生したのが、「君臣に義あり。夫婦に別あり。長幼に序あり。朋友に信あり」です。これはこの一点から変化したもので、すべて愛なのです。異なる立場では愛の等級は異なります。
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【注3】 自性(じしょう)・・・・各人に内在する真如(しんにょ:宇宙の根源的な存在、永久不変の真理)、真心のこと。本来具えている性質。
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「本性出生五倫、五常人類文明源頭」,所有的族群、宗教都是從一個原始點爆發出來的。這個原點就是自性裡面的愛心,那叫神之愛,就是我們的真心。所以在佛的世界裡頭,整個極樂世界是個親愛的團體、是個親愛的世界,你說多美好,十方世界找不到!這完全得力於教學。
本性は、五倫・五常という人類文明の根源を生み出しました。あらゆる民族、宗教はすべて一つの原点から爆発して出来たものです。この原点とは自性の中の愛です。それを神の愛と言います。つまり私たちの真心です。ですから仏の世界の中では、極楽世界全体は親愛の団体、親愛の世界です。どれほど素晴らしいことでしょうか。十方世界では見つかりません!これは完全に教学の力によるものです。
父子有親連畜生都具有。細心觀察小狗生出來,牠母親多愛牠。小鳥在鳥窩裡頭,老鳥照顧得很周到,怕牠的兒女受到傷害,連犧牲生命也在所不惜,沒人教他,這叫性。這不是學來的,是屬於自然的。
「父子に親あり」は畜生でさえ具えています。よく観察して見れば、子犬が産まれると、母犬は子犬を可愛がります。巣の中の小鳥は、親鳥が周到に面倒を見ます。小鳥が傷つかないように心配し、命の犠牲さえ惜しみません。誰も教えてはいません。これを性徳と言います。これは学んだ事ではありません。自然に属するものです。
我們老祖宗能夠看得出父子有親,真有智慧!所以湯恩比博士讚歎說:古時候中國人最懂得教育,有教育的智慧,有教育的方法,有教育的經驗,全世界其他的國家族群都比不上。
私たちのご先祖様は「父子に親あり」を見て取りました。本当に智慧があります!ですからトインビー博士は称賛して、昔の中国人は最も教育を理解していたと言っています。教育の智慧があり、教育の方法があり、教育の経験があります。全世界の他の国家民族はすべて及びません。
中國的教育從父子有親開始,是親愛的教育。教育第一個目的是如何保持這種親愛一生不變。第二個目的是把這個愛發揚光大。從父母之愛推行到愛兄弟、愛家族、愛鄰居、愛鄉黨,愛社會,愛國家,到最後「凡是人,皆須愛」。所以,中國傳統教育是愛的教育,愛的原點就是父子有親。有這樣的教育,社會能不好嗎?人生能不幸福美滿嗎?當然,佛法的愛更大更廣,擴大到遍法界虛空界,對一切眾生沒有不愛的,所以佛法的愛最究竟圓滿。愛心遍法界,善意遍法界,只有大乘佛法肯定了遍法界虛空界跟自己是一體,愛一切眾生原來是愛自己,害一切眾生原來是害自己,自他是一不是二。
中国の教育は「父子に親あり」から始まります。親愛の教育です。教育の第一の目的は、如何にしてこの親愛を一生保って変えないかということです。第二の目的は、この愛をいっそう発揚し輝かせることです。両親への愛から兄弟への愛に移行し、家族を愛し、隣近所の人を愛し、郷里を愛し、社会を愛し、国家を愛し、最後にはすべての人を愛すること(凡是人,皆須愛)に至ります。ですから中国伝統の教育は愛の教育であり、愛の原点は「父子に親あり」(親子の親愛)です。このような教育があれば、社会が悪くなることがあるでしょうか?人生が不幸になることがあるでしょうか?もちろん仏法の愛は更に広大です。遍法界虚空界(全宇宙)まで拡大して、一切の衆生に対して愛さないものはありません。ですから仏法の愛は究極円満です。愛は法界を遍く行き渡ります。善意は法界を遍く行き渡ります。大乗仏法だけが遍法界虚空界(全宇宙)が自分と一体であることを肯定しています。一切衆生を愛することは、もともと自分を愛することであり、一切衆生を害することは、もともと自分を害することなのです。自他は一であって二ではありません。【注4】
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【注4】 「二ではない」・・・・万物の根源は一体であり、分離して存在するものは一切ないということ。
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長幼に序あり(年長者と年少者の秩序)
「長幼有序」,序是、是秩序、是愛。教人什麼?是教大眾在一起相敬相愛,敬老尊賢。懂得年歲比我大的,一定要尊敬,兄友弟恭,一團和睦。一半家人、一半外人,家人是兄弟姐妹,按照老大、老二排行,有秩序,不能亂。對外面人有年歲大的,我們把他當作兄長看待;年歲小的,把他當作弟弟看待;年老的,把他當作父母看待;年幼的,把他當作兒女看待,這就是長幼有序。
「長幼に序あり」。序は徳であり、秩序であり、愛です。何を人に教えているのでしょうか?大衆がお互いに敬愛し合うことです。年長者や賢人を敬い尊ぶことです。自分より年上の人を尊敬することです。兄は弟を友愛し、弟は兄を敬愛して、仲睦まじくすることです。半分は家族、半分は外の人です。家族は兄弟姉妹、長男、次男の順にして、秩序を持ち、乱してはなりません。外の人に年長者がいれば、私たちはその人を兄と見なします。若い人がいれば、その人を弟と見なします。お年寄りがいれば、その人を両親と見なします。幼い子がいれば、その子を自分の子と見なします。これが「長幼に序あり」です。
在家裡面兄弟姊妹的秩序也是天然的,不能改變,不能競爭,老大就是老大,老二就是老二。兄弟之間,年齡大小不一,弟弟要尊敬哥哥,哥哥要友愛弟弟;哥哥要做弟妹的好榜樣,弟妹要尊敬長兄。父母不在了,長兄如父,長嫂如母,家裡秩序井然不亂,一團和睦。長輩和晚輩的之間的秩序,晚輩對長輩一定要尊敬,年幼的要跟年長的行禮,年長對年幼的一定有慈愛。還有,老師跟父母的恩是同等的,對老師的子女跟自己親兄弟沒有兩樣,一生都要照顧。人人懂得謙卑,尊重別人,知道尊老愛幼基本的禮節。
家の中の兄弟姉妹の秩序も自然なことです。変えてはなりません。競ってはなりません。長男は長男です。二男は二男です。兄弟間では、年齢の大小が異なります。弟は兄を敬い、兄は弟を可愛がります。兄は弟や妹の良い手本にならなければなりません。弟や妹は長兄を尊敬します。両親がなくなれば、長兄は父親のように、長女は母親のようにして、家の秩序を乱すことなく、仲睦まじくします。先輩後輩間の秩序は、後輩は必ず先輩を敬わなければなりません。年の若い人は年長者に礼を尽くし、年長者は年の若い人に対して慈愛を持たねばなりません。それから、教師と両親の恩は同等です。教師の子どもに対しては、自分の親兄弟と同じです。一生配慮しなければなりません。誰もが謙(へりくだ)ることを理解し、他人を尊敬します。年長者を敬い、年少者を可愛がるという基本の礼節を理解します。
中國古代,女子十六歲行笄禮,男子二十歲行冠禮,表示成年。這一天,他的長輩、同輩、兄弟姊妹要送他一個「字」,從這一天起大家都稱「字」不稱「名」。誰能稱「名」?只有父母和老師,既使祖父母、伯伯、叔叔都只能稱「字」不稱名。祖父母因為和孫子隔了一代,所以也稱「字」,以示尊重,這就是長幼有序。
中国の古代では、女子は十六歳で笄礼(けいれい:女子の成人式)を行い、男子は二十歳で冠礼(かんれい:男子の元服式)を行いました。成人を表します。この日、先輩、同輩、兄弟姉妹はその人に「字」(あざな)を贈ります。この日からは皆が「字」を呼んで、「名」を呼ばなくなります。「名」を呼んでも良いのは誰でしょう?両親と教師だけです。祖父母、叔父、叔母でさえ「字」を呼び、「名」を呼んではなりません。祖父母は孫と一世代隔てているので、「字」を呼んで尊敬を表します。これが「長幼に序あり」です。
過去,兒女不能稱父母的名諱。現在的人,兒女直接稱呼父母的名字,不但稱名,連姓也叫出來,我們聽到很悲哀。可是你還不能說他,「外國人不都是這麼叫嗎!」這在我們中國人講是沒大沒小,長幼有序的秩序沒有了,家亂了社會怎麼不亂?
昔は、子どもは両親の諱(いみな:生前の実名)を呼ぶことはできませんでした。今の人は、子どもが直接両親の名前を呼びます。名前を呼ぶだけでなく、名字さえ呼んでしまいます。私たちはそれを聞くと悲しくなります。しかしその人を咎めることはできません。私たち中国人は大人も子どもも「外国人はそのように呼んでいるではないか!」と言うようになり、「長幼に序あり」はなくなってしまいました。家が乱れれば、どうして社会が乱れないことがあるでしょうか?
釋迦牟尼佛當年在世時,他的僧團學生很多,學長學弟之間也有秩序,不需要人指揮安排,不需要分大班小班,沒有什麼大隊長小隊長,全部都是自自然然平等遵守秩序,絲毫不紊亂。從這裡我們多少都能體會到長幼有序是道,遵求這個倫理,社會才能安定,如果我們大家把秩序丟掉,家就不像家,社會就不像社會。
釈迦牟尼仏がご在世の頃、彼の僧団には学生がたくさんいました。先輩後輩の間には秩序があり、誰かが指揮する必要はありませんでした。大きな班や小さな班に分ける必要もありません。大隊長や小隊長などはいません。すべて極自然に同じように秩序を遵守して、少しも混乱することはありません。この中から「長幼に序あり」は道であることが理解できます。この倫理を遵守してこそ、社会を安定させることができるのです。秩序を捨てれば、家は家らしくなくなり、社会は社会らしくなくなってしまいます。
君臣に義あり(上司と部下の信義)
「君臣有義」,君是領導者,臣是被領導者,今天講領導與被領導的關係,領導要仁,被領導的要忠義。君臣之道也是自然的,君仁臣忠也是。現在的社會,「君」不一定指帝王,是指老闆跟員工、長官跟部屬的關係,老闆、長官是君,員工、部屬是臣。君仁,就是領導者對被領導者要慈愛;臣忠,就是被領導者對領導者要忠誠。現代社會君臣關係雖有,但精神已喪失了。
「君臣に義あり」。君は指導者、臣は指導される人です。今日でいうなら指導する人と指導される人との関係です。指導者には仁がなければならず、指導される人には忠義がなければなりません。君臣の道も自然なことです。君主は臣下に仁を施し、臣下は君主に忠義を尽くす(君仁臣忠)、これも徳です。今の社会では、「君」は帝王を指すとは限りません。経営者と従業員、上司と部下の関係を指します。経営者や上司は君、従業員や部下は臣です。「君仁」とは指導者が指導される人に慈愛を持つことです。「臣忠」とは指導される人が指導者に忠誠を尽くすことです。現代社会では君臣の関係はあっても、その精神は失われています。
如今的社會只講法,沒有情、理,自以為聰明的人鑽法律漏洞,這就是沒有義;做多少工作都要計算代價,是商業行為,這也沒有義。中國古人講義氣,「受人滴水之恩,常思湧泉為報」,現在這個社會有這種觀念的人很難找到了,都講利,人情焉能不冷漠?世界焉能不亂?現在很多公司都是利害的集合,上有老闆、下有員工,不是親情的組織團體,之間利害要是出了狀況,老闆經濟有了困難,周轉不靈,一個月、兩個月工資沒有發,員工馬上包圍工廠,公司就垮掉了。這是道義沒有了,沒有相憐,都是互相對立,都是利害的關係。
今のような社会では、ただ法を講じるだけで、情も理もありません。自分を賢いと思い込む者は法律の隙間を潜ります。これこそ義がないということです。少しばかり仕事をして代価を計算するのは、商業行為です。これも義がありません。中国の古人は義気を重んじます。「人から受けたわずかな恩にも、何倍にもして報いようと思う」(受人滴水之恩, 常思湧泉為報)。今の社会にはこのような観念を持った人はなかなか見つかりません。利を求めるばかりです。人情が薄くならないことがあるでしょうか?世界が乱れないことがあるでしょうか?今では多くの会社は利害関係の集まりになり、上は経営者から下は従業員まで、人情の通う組織集団ではありません。利害に問題が生じて、経営者の経営が困難になり、やり繰りが立ち行かなくなり、一、二ヶ月も給料が止まると、従業員はすぐに工場を包囲して、会社は壊されてしまいます。これは道義がなくなり、相互の憐みもありません。すべて相互に対立して、利害の関係になっています。
如果公司所有人都能明白義理,能守住重義輕利的原理原則,能把父子有親的這種愛表現在上級跟下級的關係之中,彼此互相憐愛、包容、關懷、照顧,互助合作,共存共榮。團體的每一個人,尊重團體、愛團體,不毀謗、不傷害團體,這就是有道義的團體!這樣的公司就能有義且有利,就能給世人做個講義、行義的好榜樣。心裡存義,做出道義、仁義、情義、恩義的形象來影響社會,廣度眾生,讓眾生回歸道義。都能把它做到,就是現代能盡義務的聖賢君子。
もし会社のすべての人が義理を理解して、義を重んじて利を軽んずる原理原則を守ることができて、「父子に親あり」のような親愛が上司と部下の間にあれば、相互に愛し合い、包容し、思いやり、配慮し、助け合い、共存共栄になるはずです。組織のどの人も、組織を愛し、誹謗したり傷つけたりしません。これが道義の組織です!このような会社には義があり、尚且つ利があります。義を重んじ、義を踏み行う世の人のお手本になります。心に義を留め、道義、仁義、情義の形をもって社会に影響を与え、広く衆生を救います。衆生を道義に回帰させます。それがすべてできれば、正に現代において義務を果たすことができる聖人君子です。
朋友に信あり(友人同士の信頼)
「朋友有信」,就是對朋友要守信,言而有信,朋友相互照顧,互相關懷、互相愛護、互助合作,決定沒有欺騙的念頭。但是今天的社會「信」很淡薄了,這一倫維繫也很勉強,現在只有把對兒子、學生乃至對所有人的態度都轉變為對朋友的態度,以朋友身份彼此禮尚往來,才能勉強相處。所以現在五倫所有一切關係都沒有了,連夫妻的關係都沒有了,丈夫把太太看作朋友,太太把丈夫看作朋友,能夠維持好朋友的關係,就算很不錯了。如果連朋友這一倫都沒有了,那以後純粹是利害關係。有利就相處,沒利就分開,就成對頭冤家,這個世界就大亂了。
「朋友に信あり」。友人に対して信用を守らなければなりません。言った約束を守ります。友人はお互いに配慮し合い、思いやり、いたわり、助け合います。決して騙すような考えは持ちません。今日お社会では「信」の心が希薄になりました。この人倫を保つのも無理矢理になり、今では子どもや学生、あらゆる人に対する関係は、友人に対する態度に変わってしまいました。友人の身分でお互いに交流して、なんとか対処しています。ですから今では五倫のあらゆる一切の関係はなくなりました。夫婦の関係さえなくなってしまい、夫が妻を友人と見なし、妻が夫を友人と見なし、仲の良い友人関係を維持できれば、まだましなほうなのです。もしも友人という人倫もなくなれば、その後は純粋な利害関係だけです。利があれば交わり、利がなければ分かれます。腐れ縁のようになり、この世界は大きく乱れます。
要集五倫十義在自己一身!在家同學,對你太太而言是先生的身份;對兒女是父親的身份;對自己父母是兒子的身份;對兄弟姐妹是兄長的身份;對待鄰里鄉黨是朋友的身份;在工作當中,你對上級是被領導的身份,對下屬又是領導的身份。盡自己應該盡的義務、責任。
五倫、十義【注5】を自分の一身に集めなければなりません!在家の学生は、妻に対しては夫の立場、子どもに対しては父親の立場、自分の両親に対しては息子の立場、兄弟姉妹に対しては兄の立場、郷里の人に対しては友人の関係です。仕事においては、上司に対しては部下の立場、部下に対しては上司の身分です。自分が尽くすべき義務、責任を果たすことです。
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【注5】 十義(じゅうぎ)・・・・父の慈、子の孝、兄の良、弟の弟(てい:年長者に従うこと)、夫の義、婦の聴(話を聞き入れること)、長の恵、幼の順、君の仁、臣の忠。(『礼記』「礼運」)
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人,從早到晚十種身份都具足,丈夫盡到丈夫的責任,妻子盡到做妻子的責任,做父親的要像父親,做兒子像兒子。兄友弟恭,朋友有信,君仁臣忠,兄弟、君臣、朋友,各人都守住各人的本分,盡個人的義務,家庭會美滿,社會會和諧,國家會強盛,世界則大同。
人は朝から晩まで十の身分を具えています。夫は夫の責任を果たし、妻は妻の責任を果たし、父親たる者は父親らしく、子どもは子どもらしくします。兄は弟を可愛がり、弟は兄を敬い、朋友に信あり、兄弟、君臣、朋友、各人が各人の本分を守り、個人の義務を果たせば、家庭は円満になり、社会は調和が保たれ、国家は盛んになり、世界は理想郷になります。
現在五倫關係亂了,家不像家,國不像國,社會就亂了。以父子關係而論,父尊子卑,尊卑有序;兒子跟父親要平等,沒上沒下,這個家就出問題。五倫的秩序是道,就跟大自然的春夏秋冬一樣,不能亂,一亂氣候就反常了,影響到所有一切生物自然的生長。所以亂倫是一個很可怕的事情,根本亂了,那一切都完了。社會動亂、地球災難這麼多,從哪來的?根本沒有了。所以中國古人非常重視根本,對根本的經營是一生當中頭一樁大事,首先要把家治好。
今は五倫の関係が乱れています。家は家らしくなく、国は国らしくなく、社会は乱れています。親子関係で言えば、親は尊び子は謙り、尊卑に秩序があります。子どもと父親が平等で、上も下もなければ、その家には問題が起こります。五倫の秩序は道であり、大自然の春夏秋冬と同じです。乱してはなりません。気候が乱れれば異常になります。あらゆる一切の生物の自然な成長に影響します。人倫の乱れは恐ろしい事です。根本が乱れれば、何もかもお仕舞いです。社会の動乱、地球の災難がこれほど多いのは、どこから来たのでしょうか?根本がなくなったからです。ですから中国の古人は非常に根本を重視しました。根本を一生の一大事として扱いました。まず家をしっかり治めなければなりません。
要是把父子有親、夫婦有別、君臣有義、長幼有序、朋友有信,這五句要做到了,這個世界就大同。用什麼方法能夠達到大同之治?和諧世界?一定從和諧家庭做起,家要不和,社會、世界和不了,家和萬事興。
「父子に親あり。君臣に義あり。夫婦に別あり。長幼に序あり。朋友に信あり」。この五句を実践できれば、この世界は理想郷になります。どのような方法で大同の治、調和の世界に到達するのでしょうか?必ず家族の調和から始めることです。家族が不仲であれば、社会、世界は仲良くなりません。「家族が仲睦まじければ、何事も繁栄する」(家和万事興)というものです。
五倫是道,是中國傳統的大道,人人都能夠遵守,人人身心健康,家庭幸福美滿,社會安定和諧,國家富強,天下太平,這個效果就出來了。
五倫は道であり、中国伝統の大道です。誰もが遵守することができれば、誰もが心身共に健康になり、家庭は幸福に満たされ、社会は安定して調和し、国家は盛んになり、天下太平になります。この効果が出て来ます。
五倫關係正常,社會安定、和諧、圓滿。中國社會千萬年來,是五倫的社會,五倫是圓滿的人道!中國文化要是斷掉了,人類活在這個地球上毫無意義。人道是天道的基礎、是聖道的基礎、是佛道的基礎,無此基礎,所有都不能夠建立。五倫確實是圓明具,能幫助人成聖成賢,能幫助人作佛作聖。
五倫の関係が正常であれば、社会は安定し、調和し、円満になります。中国社会は千万年来、五倫の社会です。五倫は円満な人道です!中国文化がもし断たれれば、人類がこの地球上に生きる意義はなくなります。人道は天道の基礎、聖道の基礎であり、仏道の基礎です。この基礎がなければ、すべてが成り立ちません。五倫は間違いなく円明(えんみょう:円満な悟り)の徳を具えています。人が聖賢に成るのを助け、人が仏に成り、聖人に成る助けとなります。
倫理的第二層道理,是教我們認識人與自然萬物的關係,這個關係搞清楚,就能夠維繫整個地球上自然生態的平衡。今天地球生態失去平衡,這是我們不瞭解人與生活環境的關係,不知道要怎樣愛惜環境,保護環境,培養環境。五倫維繫著虛空法界的秩序,比國家社會範圍大得多。誰懂這個道理?佛菩薩懂,孔夫子懂。
倫理のもう一つの道理は、私たちに人と自然万物との関係を認識させることです。この関係を明らかにすれば、地球全体の自然の生態バランスを維持することができます。今日の地球の生態はバランスを失っています。これは私たちが、人と生活環境との関係が不明瞭で、環境を大切にし、守り、育てることを知らないためです。五倫は虚空法界(こくうほっかい)【注6】の秩序を維持しています。国家社会の範囲よりも遥かに大きいものです。この道理を知っているのは誰でしょう?仏菩薩は知っています。孔夫子は知っています。
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【注6】 虚空法界(こくうほっかい)・・・・因果を超越した根源的な真如の世界。仏菩薩の境界。
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中國古聖先賢,這四千多年來教什麼?就是教倫理。我們只要照這些目來學習,真的可以化解衝突,消除災難,世界的和平、社會的安定真的可以落實。希望我們同發大慈悲心,天天學習,天天習,每天改過自新,斷惡修善,這才是釋迦牟尼佛的好學生。
中国の古の聖賢は、この四千年来何を教えたのでしょうか?正に倫理を教えたのです。私たちはこれらの徳目に学びさえすれば、本当に衝突を解消し、災難を除き、世界の平和と社会の安定を本当に実現することができるのです。私たちは心を合わせて大慈大悲を発し、毎日学び、毎日薫習(くんしゅう:教義の香りが移ること)し、毎日悔い改め、悪を断ち、善を修めなければなりません。それでこそ釈迦牟尼仏の良い学生といえるのです。
――五倫(完)――