綺麗な藤棚の傍に、「田原坂崇烈碑」という碑が建っています。
横には、解説がありました。
死傷者が4,000人にのぼる田原坂のような戦いは他に無かったこと。
また、もし、官軍が負けて、薩軍が北上したならば、この戦争が、そのあと計り知れないものになっていただろうと、官軍の立場で描かれているって描いてあります。
「へぇ・・・・」
その横には、田原坂付近の戦略図とその詳しいやり取りが解説されています。
その戦略図をO氏と眺めながら、解説を読みます。
すると・・・・
何なんでしょう・・・・
頭の中に、その情景が浮かんできます。
明治10年3月4日に始まり、3月20日まで、17昼夜に渡る激戦。
私は全く知らなかったんですが、官軍から発せられた弾丸は、一日平均32万発だそうです。
3千発でも、3万発でもありません。32万発ですよ。
一日平均。
それこそ、自動小銃などないでしょうから(あったのかな?)・・・・
それに薩軍の弾丸を加えると・・・・
恐ろしいですね。
解説には、当時の天候も書かれています。
開戦3月4日早朝曇、午後10時頃から細雨、のち一時晴れてまた曇。
5日は夜来の雨止まず風あり、ついに吹雪となる。
6日は晴れ、7日は朝霧もうもうとして・・・・
・・・・・・
・・・・・・
そして20日夜来の豪雨止まず・・・・官薩相ゆづらぬ攻防戦田原坂遂に陥落・・・・。
歳をとり、ドラマやらドキュメンタリーやら、いろんな(正しいか間違いかは別として・・)情報を頭の中に入れてきたせいでしょう。
解説を読むと同時に、略図の上で、テレビドラマのように雨降りの中、進軍、応戦する官薩軍の情景が浮かびます。
そして、その先には、この付近のジオラマがあり、もっともっと想像力を書き立てられます。
私は、吉川英治が好きで、宮本武蔵、忠臣蔵などの時代・・・っていうか、吉川英治が好きなんでしょうけど^^;・・・
よく読んでたんですが、今度幕末の小説など読んでみたくなりました。
恥ずかしながら坂本龍馬や、西郷隆盛など余り興味なかったんですが・・・(笑)
少し勉強して、長崎や、鹿児島、高知などへ行ってみたくなりました。
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