E46 のち ぎんびー時々ナナエフ

腰痛おやぢのつれづれ日記

田原坂その3

2013-05-13 23:28:24 | まち歩き

綺麗な藤棚の傍に、「田原坂崇烈碑」という碑が建っています。

 

 

Dsc_0182

 

 
横には、解説がありました。

 

 
死傷者が4,000人にのぼる田原坂のような戦いは他に無かったこと。

 

 
また、もし、官軍が負けて、薩軍が北上したならば、この戦争が、そのあと計り知れないものになっていただろうと、官軍の立場で描かれているって描いてあります。

 

 
「へぇ・・・・

 

 
その横には、田原坂付近の戦略図とその詳しいやり取りが解説されています。

 

 
その戦略図をO氏と眺めながら、解説を読みます。

 

Dsc_0183

 

 
すると・・・・

 

Dsc_0184  

 
何なんでしょう・・・・

 

 
頭の中に、その情景が浮かんできます。

 

 
明治10年3月4日に始まり、3月20日まで、17昼夜に渡る激戦。

 

 
私は全く知らなかったんですが、官軍から発せられた弾丸は、一日平均32万発だそうです。

 

 
3千発でも、3万発でもありません。32万発ですよ。

 

 
一日平均。

 

 
それこそ、自動小銃などないでしょうから(あったのかな?)・・・・

 

 
それに薩軍の弾丸を加えると・・・・

 

 
恐ろしいですね。

 

 
解説には、当時の天候も書かれています。

 

 
開戦3月4日早朝曇、午後10時頃から細雨、のち一時晴れてまた曇。

 

 
5日は夜来の雨止まず風あり、ついに吹雪となる。

 

6日は晴れ、7日は朝霧もうもうとして・・・・

 

 
・・・・・・

 

 
・・・・・・

 

 
そして20日夜来の豪雨止まず・・・・官薩相ゆづらぬ攻防戦田原坂遂に陥落・・・・。

 

 
歳をとり、ドラマやらドキュメンタリーやら、いろんな(正しいか間違いかは別として・・)情報を頭の中に入れてきたせいでしょう。

 

 
解説を読むと同時に、略図の上で、テレビドラマのように雨降りの中、進軍、応戦する官薩軍の情景が浮かびます。

 

 
そして、その先には、この付近のジオラマがあり、もっともっと想像力を書き立てられます。

 

Dsc_0185

 

 

Dsc_0186 

 

 

Dsc_0187

 

 
私は、吉川英治が好きで、宮本武蔵、忠臣蔵などの時代・・・っていうか、吉川英治が好きなんでしょうけど^^;・・・

 

 
よく読んでたんですが、今度幕末の小説など読んでみたくなりました。

 

 
恥ずかしながら坂本龍馬や、西郷隆盛など余り興味なかったんですが・・・(笑)

 

 
少し勉強して、長崎や、鹿児島、高知などへ行ってみたくなりました。

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