ファチマの聖母の会・プロライフ

お母さんのお腹の中の赤ちゃんの命が守られるために!天主の創られた生命の美しさ・大切さを忘れないために!

シスター・ルシアの第二の手記の日本語訳  Ⅱ. ご出現 8. 郡長からの脅迫

2017年09月28日 | ファチマ シスタールシアの手記
シスター・ルシアの手記の日本語訳(続き)

ポルトガル語原文は次で読めます。
MEMÓRIAS DA IRMÃ LÚCIA I
Compilação do P.e Luís Kondor, SVD, 13ª edição, Outubro de 2007


英語訳は次にあります。
FATIMA in Lucia's own words (Sister Lucia's Memoirs)
Edited by FR. LOUIS KONDOR, SVD., 16th edition, July 2007


フランス語訳は次にあります。
MEMOIRES DE SŒUR LUCIE
Textes édités par le Père Louis Kondor, SVD, Septième édition, septembre 2008


この日本語訳は「ファチマの聖母の啓示 現代の危機を告げる ルチア修女の手記」(ヴィットリオ・ガバッソ/志村辰弥編)1987年/ドン・ボスコ社を参考にしました。

第二の手記

II. 御出現


8. 郡長からの脅迫

数日の後、私たちの両親は通達を受け、ジャシンタ、フランシスコ、私の三人が両親と共にヴィラ・ノヴァ・デ・オウレンの役所の前へ、指定の時刻に出頭するようにとのことでした。これは、およそ15キロメートの道のりという三人の小さい子供にとって相当な道程を行かなければならないことを意味していました。その頃の唯一の交通の手段は、私たちの二足の足で歩くか、あるいはろばに乗るか、でした。私のおじは、すぐに伝言を送り、自分は出頭するが自分の子供たちは連れて行かないと伝えました。
「子供たちには、歩いて行くのは無理だ、ろばに乗るのも慣れていない。ロバの上に留まっていることもできないだろう。ともかく、こんなに小さい二人の子供を裁判所に出頭させるなど全く意味がない」と言いました。
私の両親は、全く反対のことを考えました。

「私の娘は行きます。あの子に自分自身で答えさせます。
私は、このことについて何も分かりません。もしもあの子が嘘をついているのなら、嘘をついたことの罰を受けるちょうど機会です。」
その翌日 [注20] の朝早く、私はろばに乗せられて出発しました。父と叔父とがついてきました。私は道の途中、三度ろばから転がり落ちました。司教様、この日、ジャシンタとフランシスコは、私が殺されると思っていたので、どんなに苦しんだか、それについては、私はすでに申し上げたと思います。

[注20] これは8月11日である。

私にとって、私の心を最も傷つけたことは、両親が私に見せた無関心でした。これは私にとってあまりにも明らかでした。何故なら、叔父や叔母が彼らの二人の子供をどれほど愛情を込めて優しく扱うのを見ることができたからです。私たちが道を行くに従って自分でこう考えていたのを覚えています。
「私の両親は、叔父や叔母とどれほど違っていることだろう。彼らは自分の子供たちを守るために、自分自身を危険にさらすのに、うちの両親は全くの無関心で私を渡そうとしているわ。それなら、したいようにすればいいわ!でも私は忍耐しなければ。」
心の奥底でこう言ったのを覚えています。
「わが天主よ、つまりこれは御身を愛するため、罪人らの回心のために、もっと苦しむという幸せがあるっていうことだわ。」この考えは、いつも私に慰めをもたらしました。役所では、私は、父や叔父やその他知らない人々の前で、郡長から訊問されました。
郡長は、私に何とかして秘密を白状させようと、そして、これから絶対にコヴァ・ダ・イリヤへ戻らないという約束をさせようと決意していました。この目的のために、彼は、色々手を尽くし、約束や脅しさえ用いました。しかし何も得ることがないと分かり、私を解放しました。しかしながら、彼は私の命を奪わなければならなくなったとしても、自分の目的を達成する、と宣言しました。そして彼は、叔父が自分の子供らを連れて来なかったことを厳しく叱ってから、私たちに家へ返しました。

(続く)

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。