飛行機だい好き パートⅡ

プラモデルと旅行 ハイキング の写真を
基本に不定期に載せたいと思っています。

隠岐の旅  その2

2022-10-11 16:42:55 | 旅行
イカが手づかみ出来た浜と由良比女神社を見学後





知夫里島には上陸せずに そのまま中ノ島菱浦港に向かいバスで
鎌倉殿の13人のこれからの、主人公後鳥羽上皇が流されて19年住まわれた行在所跡、御火葬塚
を見学します。宮内庁の管轄になっています。









承久の乱に敗れて隠岐中ノ島海士町(あまちょう)に配流された
後鳥羽上皇の仮御所として過ごされた源福寺の跡地、明治の廃仏毀釈により
破壊されました。



後鳥羽上皇崩御700年に建てられた後鳥羽上皇が祭神の隠岐神社です。
社殿の写真がありませんでした。



夕食はホテルの外で隠岐神社の境内にあったユースホステルを改装した場所で
料理人を目指す若い人が1年間研修する離島キッチン海士の料理でした。
島食の寺子屋御膳です。



八寸



造里



焼物  九絵塩焼き



肉料理 隠岐牛 塩麴ローストビーフ カツ すき焼き



若い人の料理とも思えない出来上がりで美味しく頂きました。

菱浦港から水中翼船で島後 西郷港に30分で着きました 波が4mあると欠航
します 昼の放送で波が高いので高速船は欠航しますとありました 良かった。
欠航するとフェリーになるので、午前の観光が無くなる所でした。 



隠岐の闘牛 牛突き 後鳥羽上皇を慰めようと雄牛を集めて戦わせたのが、
始まりだそうです。上皇に牛の危害が及ばないように、そして
大切な牛を傷つけずにするため綱取りが、ついています。





鎌倉の北条孝時は幕府討幕の計画をしていた後醍醐天皇を、承久の乱から111年目に
天皇を再び隠岐に配流したのです。後醍醐天皇は配流後 1年で隠岐を脱出されています。
明治になり堂塔伽藍を誇った国分寺も廃仏毀釈によりことごとく焼き払われました。











玉若酢命神社 



樹齢2000年の八百杉 幹回りは10mあります。





隠岐造りの本殿





隣にある億岐家住宅(おきけ)宝物殿に隠岐国駅鈴、隠岐倉印 光格天皇御下賜唐櫃があります。



ここから東海岸まで行きます 伊根の舟屋に似た舟屋があるそうです。





水木しげるさんは、境港水木しげるロードが有名ですが 本名 武良 茂氏のルーツが島後に
あるそうで このモニュメントが西郷港にあります。



最後の日は晴れのいい天気になり気持ちよく終わることが出来ました。
長い間お付き合いいただきありがとうございました。
模型に掛かっていきます。
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2 コメント

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Unknown (クラキン)
2022-10-12 19:40:22
壱岐の旅は確か二度目では無いかと思いますが、それだけ魅力があるという事なんでしょうね。
旧跡、自然、風景、料理・・・全て魅力満載です。
離島の旅というと私は三宅島と淡路島、小豆島(離島じゃない・・・)くらいしか知りませんが、チャンスがあれば行ってみたいです。
貴重なレポートありがとうございます。
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Unknown (あきみず)
2022-10-12 20:10:10
クラキンさん
コメントありがとうございます。
本土の観光地と違って素朴な癒しが、出来るところです。史跡も景色も数多く楽しむことが出来ました。
太宰府に流されるよりは、こちらの方が、
海を隔てて寂しい思いをされた事でしょう。
隠岐は初めて訪れました 前回は対馬でした。
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